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    ものみの塔 1963 | 11月1日
    • ことがあろうか。宣べ伝える者がいなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては,どうして宣べ伝えることがあろうか。『ああ,麗しいかな,良きおとずれを告げる者の足は』と書いてあるとおりである」。エホバから遣わされた者,信仰を他の人にわかつ大きな特権を受け入れた者は,エホバの目になんと麗しいことでしょう。

      16 どんな助言が今日の若い世代にもあてはまりますか。

      16 今日エホバの証者の新世社会には,新しい,若い世代が成長しつつあります。この人々にも信仰が必要です。いまエホバの民と交わり始めた大ぜいの人々は,第二次世界大戦中にあったような激しい迫害を経験していません。古い証者が経験した暴動,刑務所,弾圧,非難を知りません。しかし新しい世代の人々もまた,あらゆる時代のエホバの証者に共通な真の信仰をつちかうために研究しなければなりません。若い人テモテに与えられたパウロのさとしに従いつつ,勤勉に努めて信仰の武具を身に着けることが必要です。「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて,永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは,そのために召され,多くの証人の前で,りっぱなあかしをしたのである」― テモテ前 6:12,新口。

      17,18 なぜ今は「身を慎んで,努めて祈」るべき時ですか。

      17 エホバに信仰を持つ人は,エホバに近づきます。エホバに近づくとは,すなわち祈りによって近づくことです。この点に関連してペテロは次のようにさとしています,「万物の終りが近づいている。だから,心を確かにし,身を慎んで,努めて祈りなさい。何よりもまず,互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである」。(ペテロ前 4:7,8,新口)祈りによって何時もエホバに近づきなさい。愛と共に信仰の祈りによって,人は神の新しい世における永遠の生命の報いを目ざして真直ぐに歩むことができます。

      18 たしかに「万物の終りが近づいてい」ます。諸国家が自らの作り出した核戦争の危機にあえいでいるのを見れば,その事はいっそう痛感されます。いまは心を確かにし,信仰を常よりも固く保つときです。このようにしてハルマゲドンに至る最高潮の日々のあいだ,エホバと御子の導きに始終従うことができます。その日は恐るべき日です! ハルマゲドンで「イエス・キリストの現れるとき」,私たちすべての信仰がためされた,すぐれた質のものであって,賛美と栄光とほまれになりますように ― ペテロ前 1:7,新口。

      19,20 (イ)詩篇には,保護に関してどんな栄光ある約束がしるされていますか。(ロ)エホバはなぜこのように保護を与えますか。

      19 預言者モーセに話を戻しますが,その詩篇は,熱心に神を求める信仰の人の報いが如何に大きいかを語っています。このような人は「至上者のもとなる隠れたるところ」「全能者の蔭」にやどるでしょう。そして「エホバはわが避所わが城わがよりたのむ神なり」と言います。このようにより頼む人々に,エホバは次のことを約束されました。「夜はおどろくべきことあり昼はとびきたる矢あり幽暗にはあゆむ疫癘あり日午にはそこなふ励しき病あり,されどなんぢ畏るゝことあらじ千人はなんぢの左にたふれ万人はなんぢの右にたふる,されどその災害はなんぢに近づくことなからん なんぢの眼はただこの事をみるのみ,なんぢ悪者のむくいを見んなんぢさきにいへりエホバはわが避所なりと,なんぢ至上者をその住居となしたれば災害なんぢにいたらず苦難なんぢの幕屋に近づかじ至上者なんぢのためにその使者たちにおほせて汝があゆむもろもろの道になんぢを守らせたまへばなり」。急速に近づくハルマゲドンの嵐のときに保護されるという,これは何とすばらしい約束ではありませんか。

      20 エホバはなぜこのように保護を約束されるのですか。同じ詩篇は答えています,「彼はわが名を知るゆえに,わたしは彼を守る」。それは神を熱心に求める者がエホバを知り,その栄光あるみ名の意義を知るようになったからです。そして神エホバの存在を信じ,エホバの約束された報いを得ることに固い信仰を抱いているからです。また信仰をもってエホバを呼ぶからです。「彼がわたしを呼ぶとき,わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに,共にいて,彼を救い,彼に光栄を与えよう。わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ,わが救を彼に示すであろう」― 詩 91:1,2,5-11,14-16,新口。

      21 (イ)ハルマゲドンに生き残る人は何に喜びますか。(ロ)世に勝つ勝利は何ですか。それはどんな報いをもたらしますか。

      21 よろこんで創造主エホバ神に何時までも奉仕する永遠の生命にまで「長寿」が全うされるとき,神の新しい世の祝福をうける人々は古い世の終りの時に信仰の人となったことを感謝するでしょう。またエホバ神を信じ,報いを与えるその力を信じたことを喜びとします。また信仰が生きた力強いものとなり,信仰の力によって,滅びに直面した核時代のサタンの世から加えられた攻撃にも立ちむかい得たことを喜ぶでしょう。この信仰の報いは最も大きく,永遠のものです。人間がエホバの栄光のみわざをますます探り,父なる神の恵みを更に味わうとき,その喜びにつきるところはありません。古い世のつかの間の「終りの時」に,真の宗教の信仰を固く持つ人は,来るべき新しい世に平和と喜び,永遠の生命を得て存分に報われることでしょう。「わたしたちの信仰こそ,世に勝たしめた勝利の力である」― ヨハネ第一 5:4,新口。

  • こらしめに対する正しい見方
    ものみの塔 1963 | 11月1日
    • こらしめに対する正しい見方

      「すべてのこらしめ,今は喜ばしと見えず,かへつて悲しと見ゆ,されど後これに由りて練習する者に,義の平安なる果を結ばしむ」。―ヘブル 12:11。

      全宇宙の最高至上者なるエホバからこらしめを受ける者は,熱心に努力し,エホバの御要求にかないつつ,矯正のためにとられた処置に従うことを望むでしょう。神から与えられるこうしたこらしめを決して軽視すべきではありません。クリスチャン使徒パウロは述べました,「わが子よエホバのこらしめを軽んじてはならない。またこらしめられるときうみ疲れてはならない。エホバはその愛する者をこらしめ,子として受け入れるすべての者をむち打たれるからである」。(ヘブル 12:5-7,新世)御自分の僕に対する深い愛のゆえに,また「一人の亡ぶるをも望み給は」ぬゆえに,神は正しいこらしめを与えられるのです。―ペテロ後 3:9。

      こらしめの中には,普通以上にきびしいかたちをとるものがあります。それに応じてその帰する結果もきびしいものです。その事は「ものみの塔」の1963年10月1日,15日号にのせられた「排斥の意味するもの」,および,「エホバへの崇拝を清く保つための家族の責任」の二つの記事の中で取り上げられました。

      正しい態度でこらしめを受け入れるなら,それから得る益と祝福は大きなものとなります。箴言 6章23節は次の通りです,「おしへのこらしめは生命の道なり」。そうです,永遠の生命はエホバからのこらしめを受け入れるかどうかにかかっています。

      こらしめに対するこのような正しい態度は,エホバの地上の組織から除名または排斥された場合に特に必要です。クリスチャン会衆から切り絶たねばならぬほどの罪を神と人とに対して犯した者は,すでに神の恵みを失っています。その者がなお神のもたらす正義の新しい世で生命を得ることを望むなら,どうしても神の恵みをとりもどさねばなりません。では一体どうしてひとたび排斥された者がエホバの組織内に復し,

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