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前途有望な太陽エネルギー目ざめよ! 1980 | 5月22日
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前途有望な太陽エネルギー
ずらりと並んだ鏡の焦点は,高さ60㍍ほどの“発電塔”の一点に合わされています。この方法だと,1,000個以上の太陽から熱を生み出すことができ,その温度は摂氏2,300度にも上ります。
人の住む地全域に恵み豊かな光と熱をそそいでいる太陽は無尽蔵のエネルギー源です。エネルギー不足の時代にこの事実が見過ごされるはずがありません。太陽のおかげで,地球の平均気温は住み良い温度に保たれています。また,植物の生長に必要とされるエネルギーも太陽から得られ,それによってすべての生物のエネルギーがまかなわれています。こうした恩恵は余りに明白であるため,多くの人々はそれを当たり前のことと見ているほどです。
ところが人間は,太陽の放射を直接には活用できない数多くの分野で他のエネルギー資源に依存するようになりました。他のエネルギー源がだんだん枯渇してゆき,不十分になる場合,家や工場を太陽光線で暖めることができるでしょうか。太陽光線を何らかの方法で電力に変換し,電灯をともし,モーターを動かし,ラジオやテレビの電源に利用できないでしょうか。自動車や飛行機の燃料にするため,太陽のエネルギーをタンクの中に蓄えることができますか。
こうした可能性は,現在,真剣に検討されています。数々の研究所の科学者たちは,太陽エネルギーを利用する方法に関する基礎研究に取り組んでいます。そこに可能性が秘められていることは確かです。米国アリゾナ州のわずか26㌔四方の土地に降りそそぐ太陽の放射エネルギーだけでも,米国の発電所すべてで起こされる電力に匹敵します。それでは,どんなことが問題となっているのでしょうか。
取り組まなければならない最初の問題は,日光が本来広い範囲に拡散しているということです。限られた大きさの集熱器はどんなものであれ,比較的わずかな量のエネルギーしか吸収しません。しかし,広い範囲に拡散しているこのエネルギーでも十分に役立つ分野があります。日光を取り入れるよう設計された建物の場合,暖房に必要とされる燃料をかなりの程度節約できるほどの熱を取り込みます。屋根に取り付けた温水器によって,風呂や皿洗いや洗濯に使う湯が得られます。
太陽エネルギーに付きものの別の制限は,望むときに必ずいつでも得られるわけではないということです。それは日没と共になくなってしまいます。雲も太陽のエネルギーをさえぎります。日光の強さ,日照時間,曇りの日の日数などはすべて,緯度や季節によって変わってきます。数多くの分野で,太陽エネルギーが受け入れられるかどうかは,太陽の照っている間にエネルギーを蓄え,夜間や曇りの日にそれを利用する方法を見いだせるかどうかにかかっています。
太陽エネルギーを蓄える簡単な方法の一つは,日中に水を温め,その温水を蓄熱槽に蓄え,夜間にそれを利用する方法です。その温水をラジエーターに通して循環させ,家を暖房することもできます。そのようなシステムは,天候の不順な間,他のエネルギー源の助けを借りなければなりません。しかし,補助暖房システムとしては,ガスや電気を節約するためすでに実用化されています。
こうした初歩的な応用方法をしのぐ,もっと複雑な太陽熱利用法があります。太陽の光線を一点に集めると,はるかに高い温度が得られるのです。一枚の紙の上に虫めがねで太陽光線を一点に集め,紙がくすぶり,やがて炎を上げるのを見るという実験をした覚えはだれにでもあるはずです。凹面鏡を使って太陽光線を狭い範囲に集め,ほとんどの耐熱材料を溶かしてしまうほどの,目もくらむような白熱を生じさせることにより,この原理は大規模に応用されています。南フランスにあるそのような太陽炉では,焦点に据えられたボイラーを使って発電が行なわれ,その電力は国の送電系統に送られています。製作者は,出力1,000㌔㍗のこの太陽熱発電所を売りに出しています。
米国ニューメキシコ州アルバカーキ近郊には,本格的な発電所でのその経済的可能性を調べるため,同種のもっと複雑な装置が組み立てられています。ずらりと並んだ鏡の焦点は,高さ60㍍ほどの“発電塔”の一点に合わされています。鏡は各々1.2㍍四方で,一枚の“ヘリオスタット”の上にその鏡が25枚並んで正方形を成すよう配列されています。太陽が天空を移動すると,ヘリオスタットも太陽の反射光線を一点に集中させておくために太陽の動きに合わせて動かさなければなりません。発電塔の北側の三角形の用地にそのようなヘリオスタットが222枚据えられています。各ヘリオスタットの距離と位置に従って,コンピューターが各々を別個に作動させます。
それらの鏡の焦点が塔の一点に合わされ,0.8㌶の土地に降りそそぐ太陽光線が0.5平方㍍ほどの所に集められます。千個以上の太陽から得られる熱は摂氏2,300度にも上ります。初期の実験で,ヘリオスタットの光線は鋼鉄板を急速に溶かして,それに穴を空けました。
塔に取り付けられたボイラーで試運転したのち,カリフォルニア州バーストウに1万㌔㍗の太陽熱発電所が建設される予定です。その発電所は,早くも1981年までにカリフォルニア州南部の送電線網につながれることでしょう。
日光から得る電気
一方,他の科学者たちは,日光を直接,電気に変換するという,より長期的な目標に向かって研究を進めています。その原理自体は決して目新しいものではありません。わたしたちは光電効果に基づく装置を長年にわたって利用してきました。例えば,カメラに内臓された光電池は,カメラの向けられた場面の明るさに合った,正確な絞りを知らせます。光がわずかな電流を起こし,それがダイアルの針を動かすのです。この規模を大きくして有用な仕事を行なえるだけの電流にするのは容易なことではありませんが,それには大きな報いがあります。
光電池の中ではどのように光が電気を起こすのでしょうか。その秘密は半導体元素の利用にあります。ほとんどの金属は良導体ですが,良導体である元素の電子はその原子から非常に遊離しやすくなっています。それらの電子は自由に動き回り,電流を伝えます。絶縁体の場合,電子はその軌道上にしっかりと束縛されており,自由に動くことはできません。半導体はその中間に位置しています。電子は束縛されてはいますが,それほどしっかりと束縛されてはいないので,ちょっとひと押しすると電子は遊離し,動き回るようになります。
純粋のシリコンは余り良い導体ではありません。しかし,微量の不純物が混ざると,ずっと優れた導体になります。例えば,シリコンよりも一つ多い,五つの外殻電子を持つヒ素のような元素をわずかばかり加えると,シリコンの結晶に自由電子が供されます。あるいは,三つの外殻電子しか持たないホウ素を少しだけ加えると,電子の空席が生じます。この電子の欠損は正孔と呼ばれます。隣接する原子から別の電子が容易にこの正孔に飛び込み,あたかもその正孔が移動し,正の電流の流れるのと同じような効果を与えます。
最初に挙げた種類の不純物入りシリコンは,余分の電子(負の電荷)を持っているのでN型シリコンと呼ばれます。二番目に挙げた種類のものは余分の正孔(正の電荷)を持っているのでP型シリコンと呼ばれます。この二種類のシリコンを向かい合わせるとNP接合が出来上がります。電子はこの接合面を越えて一方向にだけ流れます。これがトランジスターの根本原理です。トランジスターの出現で,今日の小さなシリコン・チップが昔の大きくてかさばる真空管に取って代わりました。
さて,N型シリコンとP型シリコンを一枚ずつ取り,その二枚を一緒にするとしましょう。そうすると,トランジスター片の代わりに,太陽ボルタ電池が出来上がります。これが太陽にさらされると,日光の個々の単位である光子のエネルギーを吸収し,そのエネルギーでシリコン原子から電子を遊離させます。電池の両側が結ばれて回路ができると,電子はマイナスの側からプラスの側へ流れます。この電流は利用可能です。それは日光から得た電気です。
日光のエネルギーすべてを電気エネルギーに換えられるわけではありません。日光の光子の持つエネルギーは,その色が赤から紫にまで変わるにつれて,1.5電子ボルトから3.0電子ボルトまで変化します。しかし,シリコン結晶から電子を遊離させるのに必要とされるのは1.0電子ボルトだけですから,残ったエネルギーは熱になって失われてしまいます。理論上,一つのシリコン電池の効率は一番よくて約22%です。これまでに実際に作られたシリコン電池の中で最も効率の良いもので,その効率は約15%です。各種の元素でできた半導体を数層に重ねることにより,日光のエネルギーの50%までを変換できるのではないかと期待されています。
太陽電池の応用
太陽電池は,すでに現代の科学技術において重要な位置を占めており,宇宙飛行体の電源として利用されています。太陽電池はそうした分野への応用には打ってつけです。惑星間の飛行では常時(周回軌道にある場合は,半分以上の時間)太陽光線を何にも妨げられずに受けています。雲が邪魔に入ることも,雨風に打たれることもありません。その費用は宇宙開発の予算の中に組み入れられています。
ですから,スカイラブや火星へ行ったバイキングなどの宇宙飛行体の輪郭の中で最も著しい特徴は,それから突き出た大きな太陽翼板であることが分かるでしょう。太陽電池は信頼の置ける,耐用年数の長いものであることが実証されました。バイキング・オービター(軌道周回機)に積まれた発電装置は,火星に到着してから二年たった後にも,依然として600㍗の電力を生産していました。この過酷な任務を立派に果たしたのですから,確かに太陽電池は推奨できるということになります。太陽電池の製作に当たって,そのような完ぺきな出来栄えを保証するには細心の注意と多額の費用が求められますが,バイキングにはそれだけのものを掛けることができました。しかし,地球上の電力用として採算の合うものにするには,コストを現在の20分の1以下に下げなければなりません。それで,太陽による電力は遠い先の話であるかのように思えるかもしれません。しかし,すでに見られたように,半導体を使った他の装置のコストが大幅に引き下げられたことは,より早い時期にそれが実現するという希望を与えてくれます。数多くの研究所の研究者たちは,太陽電池をもっと安い価格で作るオートメーション工程のための研究に鋭意専心しています。熱烈な推進者たちは,西暦2000年までに,米国で必要とされるエネルギーの20%は太陽によってまかなえるようになると論じています。
太陽エネルギー発電には,一つ,他の多くの発電方法と際立った対比を成す点があります。それは,本来モジュールによって起こされるという点です。すなわち,小さな一つのモジュールが発電の基本単位になっているのです。より多くの電力を得るには,もっと多くのモジュールをつなぐだけでよいのです。蒸気による発電ではそうはゆきません。石油や石炭によって電力を安く生産するには大きな発電所が必要になります。原子力発電についても同じことが言えますし,核融合発電となればなおさらです。ところが,太陽による発電の場合,小さな発電所からでも大きな発電所と同じほど安い価格で電力を得られる見込みがあります。
これは次の挑発的な質問を引き起こします。すなわち,現在の体制には欠くことのできない,広範にわたる配電線網をなくすことができるか,という質問です。将来の発電所は地域社会や小さな地区単位での事業になるかもしれず,孤立した個々の住宅にさえ適応されるかもしれません。広域に及ぶ,場合によっては国全体に及ぶ配電線網に送る電力の生産を組織してきた人々にとって,この考えは心配の種となります。現在の体制における自分たちの膨大な額の投資が脅威にさらされるのを感じ取る産業界の指導者たちが,こうした徹底的革新を熱烈に支持しないのも無理からぬことです。こうした事柄が足を引っ張らなければ,太陽エネルギーの開発はもっと速く進んだ,と論じる人もいます。
太陽エネルギーから直接に電気を起こす方法に伴う他の利点にも,確かに魅力的な面があります。それは汚染や騒音とは無縁で,安全なものになるでしょう。作動する部分はありませんし,消耗するところもありません。扱い方は簡単ですし,公害も出しません。そのエネルギー源は無料ですし,太陽光線は来る日も来る日も尽きることがありません。そのようなエネルギー源の見込みに動かされて,それを推進する人々がその早期実現を目指してあらゆる努力を払うよう求めているのももっともなことではありませんか。
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雨と風から得られるエネルギー目ざめよ! 1980 | 5月22日
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雨と風から得られるエネルギー
太陽のエネルギーを利用する直接的な方法のほかにも,そのエネルギーを間接的な仕方で捕らえる方法は数多くあります。流水は,粉ひき,生地の目を詰めること,揚水その他数々の目的で水車を回すために,1,000年以上も昔から用いられてきました。水は,蒸発と降雨という自然の過程によって,海から水源地へ戻されます。その過程すべては太陽の放射からエネルギーを得て行なわれます。ですからそれはいつになっても再生可能で,毎年毎年安定したエネルギーを供給する源です。
大小様々な河川にダムを造ることによって,水力発電のために四季を通じて継続的にエネルギーを供給する手段が備えられました。流水が非常に豊富なために,それが最も重要な電力資源となっている国もあります。ノルウェーは自国の電力をほぼすべて水力発電でまかなっています。しかし,世界的に見ると,水力発電は他のエネルギー源と比べて,それほど重要ではありません。人類のエネルギー消費量全体のうち,水力発電の占める割合は約5%に過ぎません。世界の多くの土地で,利用可能な水力資源はすでに開発されており,増大するエネルギーの需要を満たすために付け加えられるものはほとんど残されていません。
周囲の環境の中からエネルギーを取り出す別の古来の方法は風車です。これもやはり太陽に依存しています。というのは,風向きや風力を決める天候や天気の相違を生み出すのは太陽だからです。
風車は世界の各地でなじみ深い建物となってきました。オランダの美しい風車は,堤防で囲まれた低地から水をくみ出すのに用いられました。18世紀には,製材所や石うす,そして繁栄する工業地帯に動力を供給するために風車が用いられました。ひところは無数の風車が米国中世部の平原に点在していました。その大半は井戸から水をくみ上げるのに用いられましたが,電源としても用いられました。20世紀になると,ガソリン・エンジンが風車に取って代わりました。
しかし,石油がその優勢な地歩を失いつつある昨今,風力エネルギーに再び人気が集まっています。新しく風力エネルギーに対する関心が高まってきたのは,風の持つ潜在力が考えられていたよりもずっと大きいことが分かったからです。最近の報告の中で,カリフォルニア大学の一科学者は,世界的な見地に立つと,風から得られる電力だけで,人類のエネルギー総需要の20倍をまかなえる,と論じています。米国の場合でさえ,風力資源が徹底的に開発されれば,現在消費されている電力の75%をまかなうに足るだけのエネルギーを得ることができます。風に秘められているエネルギーが,日光に含まれるエネルギーにほぼ匹敵するというような土地も少なくはありません。
風から電力を得るように設計され,試運転された機械には実に様々な形式があります。高い塔の上にある翼のない小さな飛行機のような形をした物体に取り付けられた,二枚か三枚の翼のついた回転翼を使う装置もあります。19㍍の翼を持つそのような機械は,現在200㌔㍗の電力を発電しており,風が吹けば,米国ニューメキシコ州クレイトンの1,300戸の六分の一に十分の電力を供給します。そして,その地では九割がた風が吹いているのです。1978年当時,その電力のコストは石油から得られる電力の三倍でしたが,より大きな機械が設置され,大量生産ができるようになれば,コストは安くなるものと期待されています。片や,石油の価格は急騰しています。
同様の機械は数か所で試運転されており,これまでに造られたものの中では最大の2,000㌔㍗の風力発電機が米国ノースカロライナ州ブーンの近くにある山の頂に建造されました。カリフォルニア州中部の風の強い峠には,私企業の手で一群の風車が建てられることになっています。もしそれで採算が取れるようなら,要所要所に幾百もの風車が設置されることになります。
別の形式の風車の場合,垂直な軸に湾曲した翼が上と下で取り付けられています。その姿は,巨大な電動泡立て器を思わせます。この形式だと,風の吹いているほうに風車を動かす必要がありません。他の形式のものと同様,この型もある一定の最低限の風速 ― 普通,毎秒約3.6㍍ ― が得られると,動き出します。また,風が強すぎる場合には,損害を被ることにならないために止まるようになっています。
もう一つの変わった機械は,全面に垂直の翼板の付いた,円筒形の固定された塔です。この翼板は,塔の風上に向かった側では一定の角度をもって開いており,風下に向かった側では閉じています。塔の中へ入った風は,らせん状の循環パターンに導き入れられ,上方へ向かい,小型の竜巻きを起こします。空気は底の方から中央の気圧の低い部分へ流れ込み,その際に,比較的に小さい羽根車の付いた,高速で回転するタービンを動かします。
そのほかにも様々な形のものが考案され,開発されています。この分野では,風で電気を起こす方法について,ざん新なアイデアがまだまだあり,最終的にどの方法を使えば一番安く電力を生産できるようになるかは,だれにも予告できません。それで,競合する数多くの設計図を基に,精力的な研究が行なわれています。
風力を他のエネルギー源と比べる場合に考慮しなければならない一つの要素は美観の問題です。所々に風車が見られるのなら絵にでも描かれそうな景色とされるでしょうが,風車の列が長々と続くのでは景観を損ねることになりかねません。また,付近一帯のテレビの受像を妨害するのではないかという懸念もあります。
現在の見通しでは,風力エネルギーは少なくとも昔日の重要性を取り戻し,場合によってはエネルギー情勢の中にあって,一層大きな役割を果たすようになるかもしれません。様々な推定によれば,西暦2000年には米国のエネルギーの1%ないし10%は風力によってまかなわれるようになるとされています。
供給のむらをなくす
太陽が照っていない時や風の吹いていない時,そうしたものをエネルギー源としている装置から得られる電力は止まってしまいます。もしそれが水力発電所や石炭火力発電所など別の電力系統に付け加えられたものであれば,こうした変動も問題にはなりません。操作をする人は,日中の需要に応じて調整するのと同じようにして,変化する太陽あるいは風力エネルギーを補充するために,主要な発電機の出力を調整するだけでよいのです。
目的によっては,“好機を逃さない”という原則に基づいて,太陽エネルギーだけを用いることもできます。それが貯水池への揚水,アルミニウムの電気化学的製造,水素の生産などに用いられる場合,太陽が照っている時だけ作業を行ない,照っていない時には作業をしなければよいのです。
しかし,エネルギーを蓄えるために何らかの手段を講じなければならないような用途も少なくありません。自動車の場合に長年行なわれてきたように,蓄電池<バッテリー>を使えば電気を蓄えることができます。しかし,普通の家庭の電力需要を満たすために通常の鉛蓄電池を使うとすれば,その数とかさは手に負えないものとなるうえ,高くつきます。幸いなことに,最近の研究から,かさは小さくても大量の電気エネルギーを蓄えることのできる,新型の固体電解質電池に期待が寄せられています。
そのような蓄電池が実用化すれば,電気自動車は今日よりも実際的なものになるでしょう。自動車の所有者は,自宅で,また職場や買い物先の駐車場で,コンセントから自分の車に充電することになるでしょう。蓄電池と共に太陽電池が改良されれば,太陽電池板を車の上に載せ,車の動いている時や駐車中に蓄電池を充電するというのも夢ではなくなるでしょう。そのような自動車の試運転が現在,米国フロリダ州で行なわれています。カリフォルニア州の冒険心にあふれた発明家に至っては,軽飛行機の翼に太陽電池を載せ,それを蓄電池につないで,太陽エネルギーで飛べることを実証することまでしました。
大規模な発電所の場合,エネルギーを蓄えるに当たって,それを他の形のエネルギーに転換したほうが実際的かもしれません。例えば,晴天の日や風の吹いた日に起こされた余分の電力を使って,貯水池へ水をくみ上げることができるでしょう。そして,その水を落下させることによって起こされる電力を,夜間や風のない時に使えます。提案されている別の方法は,自然の地下のほら穴に圧縮空気を送り込むものです。あるいは,巨大なはずみ車の回転運動量を利用して,力学的エネルギーを備蓄することができるかもしれません。着想がこのように多岐にわたっているのですから,太陽および風力エネルギーが広く利用されるようになれば,エネルギーの使い方も変わって来ることでしょう。
日光の貯蔵法
太陽エネルギーを活用する別の方法は,太陽の光化学反応による燃料の生産です。自然界に見られるこの種の作用は光合成です。緑色植物は太陽光線を使って,炭水化物のようなエネルギーに富んだ化合物を作ります。人間は,薪を燃やして食物を調理し,住居を暖めることにより,初めて太陽エネルギーを活用するようになりました。
発酵という自然界に見られる別の作用を利用して,数多くの植物からアルコールを造り,燃料として使うためにそれを抽出することができます。車のエンジンを換えないでも,自動車のガソリンに10ないし20%のアルコールを混合することができます。純粋のアルコールを燃やす方式にエンジンを転換することもできます。現在のところ,ガソリンよりアルコールのほうが高価ですが,情勢は変化しつつあり,自動車を持つ人は“ガソホール”という混合物を使うようになってきています。ブラジルは,アルコールを生産して,石油の輸入から自立するために,集中的な計画事業を行なっています。商業ベースでの生産に向けて,より経済的な工程を求め,育ちの早い各種の植物が研究の対象になっています。太陽エネルギーを活用するそのような方法は,“バイオマス”という用語で分類されます。
進歩的な科学者の中には,太陽光線を使って,水を直接,水素と酸素に分解しようとしている人もいます。もちろん,電気分解によっても行なえますが,それらの科学者たちは光化学的な手法を見いだそうとしているのです。必要とされているのは,その反応を起こさせるための触媒です。すなわち,水と二酸化炭素から糖類を作り出す際に葉緑素の果たす役割を担う物質が必要とされているのです。それが発見されれば,将来,圧縮水素が自動車の燃料として用いられるようになるでしょう。
太陽光線を使って生産されるアルコールや水素のような燃料には,炭化水素と比べた場合に,非常に優れた利点があります。そうした燃料は環境を汚染しないのです。その上,化石燃料とは違って,自然界の二酸化炭素のバランスを崩すことはありません。そのエネルギーの供給は年ごとに大気中から取られ,再び大気中に環元されて循環するからです。
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一科学者は,風から得られる電力だけで,人類のエネルギー総需要の20倍をまかなえる,と論じています
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風に秘められているエネルギーが,日光に含まれるエネルギーにほぼ匹敵する土地もあります
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太陽電池板を電気自動車の上に載せ,車を運転している時や駐車場に蓄電池を充電するというのも夢ではなくなるでしょう
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アルコールは植物の材料から製造され,燃料として利用することができますし,燃焼に当たって公害を出しません
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地底から得られるエネルギー
原子力エネルギーを別にして,過去においても現在においても太陽から来たのではないエネルギーがもう一つあります。それは地球の内部に秘められた地熱です。地底へ向けて穴を掘削する人々の間では,穴が深くなればなるほど熱くなるということが古くから知られていました。また,土地によっては,地表近くに熱源の存在する所もあります。溶岩を山腹に噴き出す火山の爆発の景観は,このエネルギーを最もドラマチックに表わしています。それよりも少し穏やかなのは,蒸気と熱湯を空高く吹き上げる間欠泉です。さらに穏やかなのは,人々が保養のためにやってくる温泉です。
科学者たちの考えによれば,地熱は地球を造り上げている金属や岩石などの物質が重力により圧縮された結果として生じたものです。地球全体がどろどろに溶けていた時があったと思われます。地殻のほうは冷えましたが,内部はまだ熱いのです。残っている熱は常に地表に向かって流れており,ある場所では他の場所よりもその速度が速くなっています。この原初の熱は,地殻に含まれるカリウム,ウラニウム,トリウムなどの元素の放射性崩壊によってさらに熱くなります。
地熱を利用しやすい所では,それは有用なエネルギー源になっています。イタリアのラルデレロには,1904年以来,発電機を回すのに利用されている蒸気孔があります。カリフォルニア州ガイザービル近郊にある大発電所は,乾いた蒸気を使って50万㌔㍗以上の電気を起こしています。
熱い岩の層から得られる過熱状態の熱水も,地表へ導き出され,圧力が減ると,やはり蒸気の供給源になります。ニュージーランドやメキシコは,熱水を発電に利用しています。この種のものとしては米国で第一号になる発電所がカリフォルニア州エル・セントロ近郊に現在建設されています。それは5万㌔㍗の電力を生産することになりますが,そこの地熱地帯は,その出力を10倍にまで拡張しても十分にやってゆけると見込まれています。
地熱エネルギーは非常に膨大なものなので,人間の需要と比べれば事実上無尽蔵と言えますが,それを利用できる地域は比較的限られています。現在のところ,その有用な潜在力は,地表のどこでも得られる太陽光線や風に秘められた幾千倍もの潜在力と比べれば,ごくわずかなものに過ぎません。
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エネルギー問題の将来の見通し目ざめよ! 1980 | 5月22日
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エネルギー問題の将来の見通し
エネルギーに飢えた世界にはどんな将来があるでしょうか。これまで検討した数多くのエネルギー源のうちどれを,今後用いるようになるのでしょうか。
その答えはどれほど先を見るかによって変わってきます。また現在の人類は,人間社会に広範にわたる変化をもたらす「大患難」の瀬戸際にいるということも念頭に置いていなければなりません。
比較的年を召された方であれば,これから先十年ほどの間にどんなことが起きるかに一番関心があるでしょう。近い将来のことを言えば,深刻化するエネルギー不足から逃れる道はありません。安くて豊富なエネルギーの時代は過去のものとなりました。生きているうちにそのような時代を再び見ることはあるまいと思っておられるかもしれません。石油は枯渇しようとしています。原子力エネルギーでそのギャップの大半を埋める備えができていたかもしれませんが,政治的な紛争のためにそれは抑制されてしまいました。当座をしのぐ唯一の手段は石炭ですが,新しい炭鉱を開き,輸送手段を備えるための措置をしぶっているなら,危機は悪化するだけでしょう。
給油所の前に列を作る人々の間に見られるいさかいや暴力行為は,減少しつつある石油の蓄えの中からより多くの分け前を得ようとする必死の奪い合いをものの見事に象徴しています。国家間の対決にもこの同じ態度が行き渡っています。自分たちが新たに見いだした資源を開発する産油国と,失意に打ちひしがれた工業国との間には,怒りに満ちた非難の言葉の応酬があります。インフレの悪循環を助長したとして,互いに相手を責めるのです。産油国側では,指導者たちが集まり,原油価格をどれほど上げるかについて話し合います。消費国側では,同盟諸国が集まり,そもそも十分ではないものをどうやって分け合うかについて争っています。解決策は見当たらず,事態は悪化の一途をたどるしかないように思えます。
比較的若い方々であれば,もっと先の事柄に関心があるかもしれません。今から25年ないし50年先のエネルギー問題の見通しはどのようなものですか。前出の幾つかの記事の情報から,その時までにはエネルギー情勢も明るいものになっているだろうとの結論に達することでしょう。原子力につきまとう諸問題が解決されれば,原子力エネルギーが必要の大半を満たすことも可能です。しかし,熱や電気として直接収集するにしても,風力装置を使って間接的に得るにしても,来世紀の主要なエネルギー源は太陽エネルギーになると思われます。
しかし,21世紀のことを言うと,人類がこの20世紀を生き延びて,約束されている恵みを享受できるのかどうか疑わしく思えるかもしれません。人間社会のあらゆる階層で不法が増加し,場合によっては無政府状態の一歩手前まで行っている状態を目にします。狭い範囲での権益を求める団体は,より広範に及ぶ国益を無視して,各々自らの主張する権利を要求します。諸国家はと言えば,協定を結ぶのには困難を覚えるのに,それを破棄する段になると,いとも容易にそれをやってのけます。
現状においてエネルギー危機は,今世紀に世界を覆うとイエス・キリストの予告された諸問題からの「逃げ道を知らない諸国民の苦もん」をさらに増大させています。(ルカ 21:25)国家指導者はエネルギー問題の解決へ向けての努力を払うとなると二の足を踏み,その努力は麻痺状態へと向かっています。その失敗は,人間には自治能力がないという聖書の言葉を議論の余地なく証明しています。(エレミヤ 10:23)問題は人間の手に負えるようなものではありません。神の王国が地球を支配することによってしか,エネルギー問題を含む人間の諸問題は解決されません。
聖書は,「人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想」には十分根拠のあることを示しています。(ルカ 21:26)それら臨もうとする事柄には,人間の政治,経済,および宗教上の組織が全き終わりを告げ,キリストの手中にあるエホバの王国による地の支配に道を譲ることが含まれています。
楽園でのエネルギー
聖書の物の見方を受け入れる人にとって,将来のエネルギー源に関する問題は,当面の危機を切り抜けるというだけの問題ではありません。これから先1,000年間に,いえ,永遠まで人間の用いるエネルギーに関心があることでしょう。
将来にならなければ明らかにならない事柄を,ここで詳細にわたって推測しようという意図はありません。しかし,聖書の原則にのっとって推論すれば,ある形のエネルギーのほうがほかのエネルギーよりも,新しい事物の体制に行き渡ると予想される生活様式に調和することが分かります。
まず,地球が楽園になるという点を考慮に入れてください。全地に広がるそのエデンのような庭園の美しさを損なったり,公害を引き起こしたりすることは決して許されません。―ルカ 23:43。啓示 11:18。
石炭が広範に渡って利用されると,それが採掘される所でも,燃焼される所でも,田園地帯の美観が損なわれるのは周知の事実です。また,商業ベースでの石炭の採掘は,身体的に危険で,炭坑夫の健康にも有害です。今日の大気汚染は,主に石油燃料の使い過ぎによって引き起こされています。石油に含まれる実に多種多様で複雑な炭化水素分子は,あらゆる種類の有用で驚嘆すべき物質を合成するための出発点になる,ということを化学者たちは発見しました。この自然の宝物を容赦なく燃焼させて,それを破壊することは,この宝に対する感謝の念が全く欠けていることを如実に物語っています。
また,地上の住民に害を及ぼすことはもちろん,災害に対する恐れを抱かせることさえ許されなくなる,という点も忘れてはなりません。(ミカ 4:4)危害の及ぶ可能性は原子力の利用に付き物ですが,そうした可能性からすると,原子力は新しい地にとって望ましくないエネルギー源になると思われます。
人間が地球上に永遠に住むことを考えに入れると,作り出されるよりも早く使い尽くされてしまう源からエネルギーを引き出すとはとても考えられません。(詩 37:29。伝道 1:4)そうすると,石炭や石油を大々的に燃焼させることやウラニウムの核分裂などは除外されます。むしろ更新可能なエネルギー源を利用する方が,その条件にかないます。伝道の書 1章5-7節は,あらゆる物を維持し,更新する力となっている自然の循環を際立たせています。論理的に言って,人間の用いるエネルギーは,こうした自然の循環に適合した,決して枯渇することのない源から入手されるはずです。伝道の書のこの数節の中で,太陽光線や風や流水が各々継続的に利用できるものとして特に取り上げられていることに注目するとよいでしょう。(ヨブ 38:24-27もご覧ください。)これらはいずれも,絶えず再生されるエネルギー源として利用できます。しかも,それらはきれいなエネルギー源で,自然環境を損ないません。それを利用するための装置は,周囲の景色に調和し,よく溶け込むようにすることができます。
考慮すべき別の点は,この事物の体制の終わった後には天然資源が商業的な目的で開発利用されることはなくなるというものです。金銭への愛ではなく,同胞に対する愛が,様々なエネルギー源を開発する動機付けになるでしょう。(テモテ第一 6:10。マタイ 22:39)この原則に従えば,様々なエネルギー源のうちどれを望ましいものと見るかは現在の経済体制下に行き渡っている見方とは全く異なったものとなるでしょう。
最後に,また何にも増して大切なこととして,生ける者すべては生活を楽しくする良い物すべてと命とをエホバに負っていることを認めます。エホバはありとあらゆるエネルギーの究極の源であられ,この源は無限で尽きることがありません。(イザヤ 40:28-31)「天の光の父」であられるエホバは,人類に対する愛ある贈り物として絶えることなく光と熱を供給する太陽を創造された方です。―ヤコブ 1:17。詩 74:16。
太陽にそのエネルギーを与えている核反応を考案されたのはエホバです。神はその反応を完全に理解し制御しておられます。そして,幾十億年も先を見越して太陽にその燃料を供給されました。その燃料が尽きてしまう前に,神はわたしたちが古い衣を新しいものと取り替えるのと同じほど容易にそれを交換する力を持っておられます。(詩 102:25,26)太陽エネルギーが危機にひんすることはありません。
エホバはとこしえの存在であられるので,その従順な臣民に対するとこしえの命の希望は実質の伴わないものではありません。神はその被造物を定めのない時まで,永遠までも生かす能力を持っておられます。(詩 104:5)その恵み深い支配の下では,行く末のエネルギーをどこに見いだせるかについて心配する必要は二度と再びないでしょう。
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金銭への愛ではなく,同胞に対する愛が,様々なエネルギー源を開発する動機付けになるでしょう
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エホバはありとあらゆるエネルギーの究極の源であられ,この源は無限で尽きることがありません
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化石燃料目ざめよ! 1980 | 5月22日
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化石燃料
石油と石炭は“化石燃料”と呼ばれています。それは,大昔に繁茂していた植物の残骸から形成されたと考えられているからです。地中に埋まった植物中の有機物質が,通常の腐敗を促進する大気中の酸素から隔絶され,炭化水素化合物へと変えられたようです。大きな圧力と地中の高い温度が幾千幾万年も作用して,石油や石炭を形成する主な要因となったものと思われます。
各種の炭化水素化合物の水素含有量にはかなり大きな差があります。水素含有量の一番多いのは,天然ガスの主成分であるメタンです。石油を造り上げる複合液体炭化水素の水素含有量はそれよりも少なく,固体であるアスファルトの場合にはさらに少なくなります。最後に石炭の場合,残っている水素は数%だけで,その他の水素は極端に高い温度と圧力によってすべて押し出されてしまっています。こうした化学反応は,人間が創造されるよりもずっと前から地中で行なわれていたに違いありません。
石油と石炭の起源に関するこの理解が正しいとすれば,その中に含まれるエネルギーは緑の植物の光合成によって有機化合物の内に固定されたのですから,元々太陽から来たものであるということになります。しかし,この燃料が現在も引き続き形成されているとしても,人間がそれを使ってゆく勢いにはとても追い付いてゆけないことは確かです。
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