ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 生活の中で何を第一にしますか
    ものみの塔 1965 | 12月1日
    • す。私たちは十分に休養をとり,落ち着きと,自制力と,健全な精神とをもって仕事にとりかかる必要があります。他方,肉体の健康が生活の中心であるかのように健康に気を使いすぎるという極端もさけなければなりません。神のことばがピリピ書 4章5節で,「あなたがたの〔分別〕をみんなの人に示しなさい」と助言しているように,平衡と中庸とを身につけるように努めましょう。

      26-28 神の国を第一にするなら,資力をどのように用いますか。

      26 もちろん,資力,すなわち金銭や物資の使いかたについても同じことが言えます。今日金銭を愛する風潮はとりわけ強くなっています。これは,生活の中で神の国を第一にすることを容易に妨げる巧妙なわなです。「富むることを願い求める者は,誘惑と,わなとに陥り,また,人を滅びと破壊とに沈ませる,無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛すること」,あるいは金銭で買える物を愛することは,「すべての悪の根である」。―テモテ前 6:9,10。

      27 たしかに私たちは正直な働きによって家族を養っていく責任があります。しかしもし,家にせよ,衣服にせよ,自動車にせよ,最上のものないしは最上に近いものを持たねば満足できないようなら,自分は神の国を第一にしているだろうかと自問してみるべきです。そのような考えかたをする人は,パウロがコリントのクリスチャンたちに与えたけん責に価します。コリントのクリスチャンたちは明らかに肉の心をもち,物質主義的でした。「あなたがたは,すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて,王になっているのだ。ああ,王になっていてくれたらと思う。そうであったなら,わたしたちも,あなたがたと共に王になれたであろう。……わたしたちはキリストのゆえに愚かな者となり,あなたがたはキリストにあって賢い者となっている。わたしたちは弱いが,あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ,わたしたちは卑しめられている。……わたしがこのようなことを書くのは,あなたがたをはずかしめるためではなく,むしろ,わたしの愛児としてさとすためである」。コリントのクリスチャンたちは,神の国を第一にして生活していなかったのです。―コリント前 4:8-14。

      28 生活の中で神の国を第一にすればするほど,私たちは物質を得ること,またそれを楽しむことにおいて,節度を守るようになります。そうすれば,「不義の富」はより多く手もとに残り,それを神の国の地上における仕事や,貧しい兄弟たちに寄付することによって神とイエス・キリストを友にすることができます。―ルカ 16:9。

      気晴らしや娯楽に度を過ごさない

      29 気晴らしや娯楽はどうなりますか。

      29 神の国を第一にして生活するといっても,気晴らしや娯楽はいっさいいけないというのではありません。絶対に映画を見てはいけない,海水浴にいってはいけない。パーティ,結婚式,あるいは野球見物に行ってはいけないという意味ではありません。しかしそうしたことが,個人の聖書の勉強や,会衆の集会出席への大きな妨げにならないように注意が必要です。これもやはり平衡の問題です。度をすごさなければ,こうしたことも多くの人にとって役立つでしょう。しかしそれを第一にしてはなりません。

      30 娯楽にかんしてはどんなことを考慮すべきですか。

      30 度をすごさなければ,そして不潔にならなければ,そうしたことはクリスチャンにも禁じられてはいません。しかし今日の娯楽には不潔なもの,不道徳なものが多く,とくに映画や舞台劇にはそうしたものが少なくありません。パーティにも同様の用心がいります。パーティは,肉の欲を満たすための口実か,あるいは親交を深め,お互いの徳を高めるものかのどちらかになります。ある牧師はパーティで,真理を求めている人から聖書について質問されたとき,「まあそうかたくならずに,そういう話はまた別の時にしましょう」と言いました。そういう牧師のまねはしないようにしましょう。社交的な集まりの時でも,クリスチャンとしての会話を除外してはなりません。そういう時に何を好んで話すかによっても,私たちが生活の中で何を第一にしているかがわかります。

      31 ほんとうに神の国を第一にするなら,何を軽視しませんか。また多少軽視し,時間と精力をあまりかけなくてもよいものは何ですか。

      31 私たちには,時間,金銭,精力をとられること,しかも生活を非常におもしろくすることが数多くあります。私たちはだれにも恥じない正直な働きによって家族を養っていかねばなりません。聖書について個人的に勉強しなければならないこともたくさんあります。1週間に会衆の集会は五つあって,それの準備をしたり,また出席しなければなりません。クリスチャンの宣教においてもすることがたくさんあります。気晴らしや娯楽も必要です。その一つ一つを公平に扱うにはよほどの知恵がいります。しかし,もしそのどれかをあまり重視しないことにするとすれば,それは何ですか。気晴らしや娯楽のためにクリスチャンの責務を果たすことをしばしば怠り,キリスト教徒たることにおいては,単に善意をもつだけの者になりますか。それとも,気晴らしや娯楽を多少無視するほど,クリスチャン活動に関心をもちますか。

      32-34 私たちはどんな三つの理由のゆえに神の国を第一にして生活すべきですか。

      32 生活の中で神の国を第一にすることは,賢明で正しく,愛のある行いです。そうすることによって私たちはエホバ神に誉をもたらし,エホバの御名の立証に参加し,宇宙の主権者の心を喜ばすことができます。

      33 また,神の御国を第一にした生活は,自分の家族,いつも一緒に崇拝を行なう会衆内の人々,私たちが奉仕する外部の興味をもつ人など,他の人々に最大のしかも永続する益をもたらします。

      34 また神の国を第一にして生活すれば,自分自身に益があります。我欲に従って生活する人にのぞむ困惑や悲しみを避けられるだけでなく,清い良心,自分が霊的に円熟していくのを見る満足,仲間のクリスチャンや神に関心をもつ人々に自分の働きの実を見る喜びなど,多くの祝福を得ます。そのうえ,新しい事物の制度のもとで,新しい天か,あるいは正義の宿る新しい地か,そのいずれかの一部として永遠に幸福に生きるという将来を待ち望むことができます。―ペテロ後 3:13。

  • 神の国を第一にすることはエホバに祝福される
    ものみの塔 1965 | 12月1日
    • 神の国を第一にすることはエホバに祝福される

      「福音のために,あるいは家,あるいは兄弟,あるいは姉妹。あるいは母,あるいは父……をあとにした者で,いまこの時期に百倍を受けない者はない。……また来るべき事物の制度の下には永遠の生命を受ける」。―マルコ 10:29,30,新世。

      1 イエスがマタイ伝 6章33節で弟子たちにすすめておられる道については何が言えますか。

      イエス・キリストは,山上の垂訓の中で,「まず神の国と神の義とを求めなさい」と言っておられます。弟子たちにそれをすすめたイエスは,正しい,愛に満ちた,非利己的な道を歩むよう弟子たちを励ましたばかりでなく,賢明な道をすすめられたことにもなります。―マタイ 6:33。

      2,3 神のことばは,神の国を第一にする者に対し,現在と将来にどんな報いを約束していますか。

      2 生活の中で,神の目的と御国を第一にすることが真の知恵の道であることは,聖書がくりかえし指摘し

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする