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マンガは今どうなっていますか目ざめよ! 1983 | 9月22日
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マンガは今どうなっていますか
「マンガは本当に変わってしまったわ!」 一人の女性は自分の弟が読んでいたマンガの幾冊かに目を通してからそう言いました。小さいころはマンガの愛読者だったこの女性が覚えているのは,「愉快で,刺激を与え,冒険に満ち,面白い」マンガです。ところが今はどうかと言うと,一部のマンガに氾濫している「裸や流血の場面にショックを受けて」います。
「裸や流血の場面がマンガの中にあるのですか」と,けげんそうに尋ねる人がいることでしょう。かつて“ミッキーマウス”や“ドナルドダック”の活躍する場だったマンガが,今ではこのような退廃的傾向に毒されているなど,確かに信じ難いことのように思えます。そこで,ある人は自ら問題を調査してみることにしました。米国ジョージア州アトランタ市で開かれた「マンガと空想<ファンタジー>の見本市」に行った後,その人は次のように報告しています。
「“連続漫画”[米国ではしばしばファニーズと呼ばれている]についての私の記憶は,年が分かってしまうほど古い昔にさかのぼります。ですから,マンガが本当にそんなにまで変化しているのかどうか,興味がありました。マンガ見本市の会場に入って最初に受けた印象は,大きな展示即売会から受ける印象でした。大きなショールームが幾つもあり,そこにはテーブルやカウンターが幾列もひしめいていて,その上には雑誌の詰まった長いボール箱が置いてありました。図書館のような静けさが辺りに漂っていました。大学生ぐらいの年ごろの人々や大学教育を受けたと思われる人々が,売り出されている文字通り幾百万冊ものマンガをじっくり見ていました。そうした人々は当てがあってマンガ本をあさっているようでした。
「『マンガ本価格表』に目を通してみて,これらの収集家たちがマンガ本を投資の対象として非常に魅力的なものとみなす理由がはっきりとしてきました。めったに手に入らない1冊のマンガ本(単独の本としては最も高価なもの)は何と1万4,000㌦(約336万円)の値打ちがあるのです。業者の話によると,空想ものの出版物は今や新聞売店で“成人”(ポルノ)雑誌を除くどの出版物よりもよく売れ,もうけの多いものになっています。
「“特選マンガ”と銘打った展示があったので,自分が子供のころ読んでいたようなマンガを目で探しました。しかし,私の見たものは私の知っているようなものではありませんでした……奇怪なもの,超自然的なもの,怪物のようなもの,食屍鬼のようなもの,恐ろしいものなどを専ら描いているマンガがたくさんありました。『マンガは今一体どうなっているのだろうか』という問いが頭をもたげました」。
子供を持つ方であれば,このことに関心を持っておられるはずです。わずか数年前行なわれた調査の示すところによると,米国の若者の90%はそうしたものを読んでいます。そして,ほかの国々の若い人々の間でもマンガは人気があります。マンガは本当にそれほど悪いものになっているのでしょうか。
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マンガ ― 昔はどうでしたか目ざめよ! 1983 | 9月22日
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マンガ ― 昔はどうでしたか
そもそもの始まりは「イエロー・キッド」でした。これは1896年にニューヨーク・ワールド紙に載せられるようになったユーモラスな漫画で,非常な人気を博しました。やがて新聞の読者たちは,「ずるいじいさん」,「バスター・ブラウン」,そして「酔いどれ小僧」などのこっけいさにも笑わされるようになりました。連続漫画の誕生です!
それらは本当におかしい漫画でした。「陽気なフーリガン」,「ラバのモード」,「マットとジェフ」,「気ちがいネコ」などといった題を見ただけでも,これらの創作漫画に表われる陽気な笑いの質が分かります。これらのこっけいな主人公たちは,クライマックスとなったあの年,1914年以前の無邪気な時代をよく反映していました。しかし,振り返ってみると,すべてが本当にこっけいなものであったわけでないのかもしれません。例えば,人気のあった「酔いどれ小僧」によって,読者たちは「お仕置きや脅しや約束などに首尾よく抵抗する妨害行為の組織的な運動」と呼ばれてきたものを叫び求めるようになりました。
スーパーヒーローの登場
やがて出版社はこれら人気のあるシリーズの幾らかを本の形で復刻することにしました。しかし,当初これらのマンガ本は広告主によって無料で配られる宣伝用の品にすぎませんでした。しかし,1934年にウィルデンバーグとゲインズという出版業者が,若者たちも10㌣なら,「有名漫画集」と名付けたマンガ本を喜んで買い求めるだろうということに賭けました。これもやはり大当たりしました。そのため,幾つもの出版社が高校出たての漫画家を使い,激しい読者争奪戦を演じました。
1938年は転換点になりました。シーガルとシャスターという若いチームが,自分たちの作り出したマンガの主人公 ― スーパーマン ― を世に送り出す出版社を見つけたのです。原作者の一人によると,スーパーマンは「サムソンとヘラクレス,そして私が聞いたことのある勇者すべてを一つにひっくるめたような主人公,いやそれ以上のもの」になることになっていました。この「鋼鉄の人」は老若を問わずあらゆる年齢層の人の想像力をとりこにしました。やがてこの月刊誌は年間100万㌦のもうけをもたらしていました。そしてこの成功で拍車がかかり,数々の出版社がマントを着けた正義の味方をほかにも作り出すようになりました。
しかし,次の世代のマンガは性と暴力と恐怖の領域へと落ちてゆきました。暴力的に生々しいマンガで「犯罪は金にならない」と題するものがありましたが,そうしたマンガは実際には出版社にとって非常に大きなお金になりました。そして1950年代が過ぎてゆくにつれて,マンガはまた,「埋葬室からの物語」というような主題で年若い読者たちを震え上がらせるようになりました。
多くの場合に,マンガはもはや漫画的なものではなくなっていました。
一般の人々からの抗議
1954年に,「無邪気な者たちに対する誘惑」というフレデリック・ワーサムの本が,マンガ産業は若者を堕落させているとして同産業をやり玉に上げました。ワーサム博士は情緒不安定の子供たちを調査し,その多くがマンガの愛読者であったことを明らかにしました。結論としてワーサム博士は,「マンガのストーリーは暴力を教える」と述べています。
しかし,ワーサム博士の研究はマンガが正常な子供に悪影響を及ぼすことを証明したわけではない,と考えた人もいました。ともあれ,少なくとも米国では,行き過ぎた暴力や裸を規制する規約を設けることによって,マンガ産業を“取り締まる”ための措置がやがて取られることになりました。しかし,そのような手段には効果があったでしょうか。今日のマンガはどのようなものですか。
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第二次世界大戦が始まると,次の世代のマンガは性と暴力と恐怖の領域へと落ちていった
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米国で最初の続きマンガは「イエロー・キッド」だった
イエロー・キッド
バスター・ブラウン
ポリーとその友達
[5ページの図版]
これらのこっけいな主人公たちも昔のマンガの様子を示している
骨折りティリー
陽気なフーリガン
気ちがいネコ
酔いどれ小僧
マットとジェフ
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マンガ ― 今日見られる傾向目ざめよ! 1983 | 9月22日
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マンガ ― 今日見られる傾向
マンガは,当初あふれていた粗いタッチの絵と単純な文章から大いに成長しました。今日,ある社会ではその美術的な価値が称賛されているほどです。また,文体がより複雑になっているため,読者は時々辞書に当たってみなければならないかもしれません。
しかし,最大の相違点は,スーパーヒーローたちがマンガの中の敵役だけでなく,広く浸透するテレビの影響とも戦わなければならないということです。最近出版された,「テレビと行動」と題する研究論文は,若い視聴者をとりこにするテレビの力が実に恐るべきものであることを明らかにしています。では,マンガはこの手ごわい競争相手とどう戦うのでしょうか。
一つの新機軸は物語を続きものにして連載し,毎号購入しないではいられないように読者を病み付きにすることです。例えば,最近号の「ロム」は読者を夢中にさせるような物語を展開させておき,スーパーヒーローのロムと失われた大陸アトランティスから来た仲間が恐ろしい怪物に脅されるところで終わっています。その後はどうなるのでしょうか。知りたければ,次の号を読まなければなりません。
テレビ漬けになっている今日の若い人々の興味をつないでいくには,マンガはその“規約”をほとんど無視して,読者に暴力を大量に提供しなければなりませんでした。「デアーデビル」という(悪魔<デビル>の衣装を着けた盲目のスーパーヒーローの登場する)マンガの一つの号に載せられた場面の53%は暴力的であることが明らかになりました。デアーデビルが戦う時の一撃一撃が生々しく描かれており,“音響効果”(その一部としては,「フォック」,「クラッグ」,「カング」,「チャッド」,そして「シュワ」などがある。)でそれを強調しています。そしてスーパーヒーローたちの標準的な服装というのは膚にぴったりしたレオタードなので,読者は隆々たる筋肉に見入ることができます。(女性のスーパーヒーローも同じほど誘惑的な服装をしています。)そうであれば,ボディービルや武術のコースを広告する人が,自分たちの売り物の宣伝にマンガをしばしば使うとしても,驚くには当たりません。
宗教とオカルトもマンガの目玉です。例えば,「トール」のある号は,次のようなえせ聖書的な記述で始まっています。「初めに空間があった。時たつうちに,空間のうちに物質が育ち,物質は星を形作り,星は惑星を形作った。……地の上の空気は力と生命エネルギーで満ちていた。……そしてついにエネルギーは自らのおそるべき潜在力に気づくようになった」。そこから読者は,神話上の男神や女神たちの話へと引き入れられてゆきます。
作者たちはまた,霊魂の輪廻のような宗教的概念を巧妙な仕方でそのストーリーに取り入れます。「デアーデビル」の一つの号の中で,死んだ女性がなぞめいた男に復活させられますが,男はその奇跡について,「そう,手際がよくなくてはできないことだな」と平然と言ってのけます。幽霊ライダーとわたし……バンパイヤー! というような題のマンガは,オカルトに魅入られた最近の傾向で一もうけしようと思っている出版業者がいることを示しています。
ポルノを推進する人々も,マンガという媒体が裸や好色的な行動を人目にさらす手ごろな手段であるということに気づいています。こうしたわいせつな“マンガ”のうちで子供たちの手に渡るものも少なくありません。
当然のことながら,マンガや連続マンガすべてが人を堕落させるわけではありません。また,そのすべてが子供たちだけに読まれているわけでもありません。幾億もの大人たちは,自分の愛読する新聞のマンガをいつも読みます。フィリピンでは,大人をも含む大勢の人々が幾セントか出してマンガを借り,それを売店の近くで読んでから返却しています。スペインでは,マドリードやバルセロナのメトロ(地下鉄)で,大人がマンガを読んでいるのを見るのは珍しいことではありません。
人気の高いあるフランスの連続マンガは,少なくとも18か国語でマンガとして出版されています。これは「アステリス」というマンガで,恐れを知らない小柄なケルト人の勇士が古代ローマ帝国のあちらこちらを旅する間にありとあらゆる種類の冒険をするという話です。ブリタニカ百科事典(英文)はこう述べています。「“アステリス”はユーモアがあって冒険に満ちているだけでなく,洗練された語呂合わせや機知に富んだ時代錯誤,辛らつな場面などを縦横に駆使して,幾百万もの大人のヨーロッパ人に親しまれるようになった」。
しかし,数多くのマンガがおもに子供向けに作られており,オカルトやサディズム,恐怖,いわれのない暴力などを扱っていて不健全であるということは疑いもない事実です。では,事態を憂慮する親は子供たちにマンガは一切読ませてはならないということになるでしょうか。
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暴力的な場面に内容の半分以上を充てているマンガもある
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性やオカルトを描くマンガも少なくない
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マンガ ― お子さんに読ませますか目ざめよ! 1983 | 9月22日
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マンガ ― お子さんに読ませますか
「知恵があなたの心に入り,知識があなたの魂に快いものとなるとき,思考力があなたを守り,識別力があなたを保護するであろう」とソロモンは語りました。(箴言 2:10,11)識別力を働かせる親は自分の子供の読むものに関心を示します。では,マンガはどうでしょうか。
十把一からげにして非とするのは公正なこととは言えないでしょう。一つには,非常に多くの異なった種類のマンガがあります。中には本来の姿 ― コミカルで,面白くて,人を楽しませるストーリー ― を依然として保っているものもあります。マンガはまた教育的なものにもなります。あるものは古典文学に対する子供の関心を培います。聖書の物語を描き出すためにマンガが用いられたことさえあります。また,テレビのせいで非常に多くの若者たちが本に親しまなくなっているため,教育者の中には,読書に対する関心を再燃させるためにマンガを利用できると考える人もいます。
空想もの ― そのよしあし
『しかし,子供が空想ものを読むのを許すのは健全なことだろうか』と尋ねる人もいるでしょう。ある程度の空想は成長の正常な過程と言えるようです。小さな子供たちが遊んでいるのを見れば,ボール箱が簡単に宇宙船になったり,車が加速する様を子供たちがまねしたがったりするのに気づくでしょう。ですから,ある程度空想の影響を受けるとしても,必ずしも有害とは言えないかもしれません。
しかし,あるマンガの中で実際にどんな事が起きるのかを比較考量してみなければなりません。お子さんはどんな空想の世界に足を踏み入れるのでしょうか。適度に健全な価値基準を明示する主人公の冒険を楽しんでいるのでしょうか。それとも,食屍鬼や悪魔のような悪者を見て楽しんでいるのでしょうか。問題に対する建設的な取り組み方が強調されていますか。それともすべてが「えいっ」の一声で解決されてしまうでしょうか。
中には想像と現実とを区別するのに困難を感じる子供もいます。子供が幼ければ幼いほど,この面での経験は少ないものです。ですから,お子さんがマンガを読むのであれば,それから悪影響を受けているかどうかを観察したいと思われるかもしれません。お子さんはマンガの主人公を単なる娯楽として片付けているでしょうか。それともそのような主人公について過度に話しますか。
マンガの中の暴力
心配される別の点はマンガの中の暴力です。「無邪気な者たちに対する誘惑」の著者であるワーサム博士は,「マンガは,人間の価値基準をゆがめることから悪夢や暴力的な遊びに至るまで,実にさまざまな影響を子供たちに及ぼすかもしれない」と述べています。しかし,短期間暴力的なマンガを読むことについて1976年に行なわれた調査では,マンガと子供たちの攻撃的な態度とのつながりは確証できませんでした。
ですから,マンガが自分の子供たちに悪影響を及ぼしているかどうかを見定めるのは実際のところ親の責任です。子供が「えいっと一撃を加え」たり破壊したりすることについて絶えず空想にふけっているようなら,別の読み物のほうがふさわしいとの賢明な結論を親は出すかもしれません。
なるほど,マンガは「敵対的また攻撃的な傾向のはけ口,及びそれを制する仕方を学ぶ方法を読者に提供する」と主張する人もいることでしょう。しかし,そうした感情に対処する方法として聖書が勧めているのはそのようなことではありません。むしろ聖書はこう述べています。「終わりに,兄弟たち,何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと……があれば,そうしたことを考え続けなさい」― フィリピ 4:8。コロサイ 3:5-9もご覧ください。
マンガ・マニアの話
20代後半のクリスチャンであるダニーは,今でもマンガ本に目を通して楽しむことがあります。しかし,自分が完全に病み付きになり,マンガのために毎月50ないし60㌦(約1万2,000円ないし1万4,400円)ものお金を費やしていた時のことを覚えてもいます。「私はいわゆる空想家なので,マンガが好きでした。マンガは想像力をかきたててくれるからです。最先端を行くようなスーパーヒーローたちは好きにはなれませんでした。信じられなかったからです。しかし,アクロバットの技術を用いたスパイダーマンのようなものは好きでした。自分がスパイダーマンのようになっている様を思い浮かべることができました。注意していないとそうした主人公は偶像になり,自分もその主人公のようになりたいとか,その主人公を模倣したいと思うようになります。例えば,私は友達と共にキャプテン・アメリカのまねをしたものです。キャプテン・アメリカはいつも一つの盾を持っていて,それを投げつけたものです。私たちはごみ箱のふたを盾に見立てて,それをお互いに投げあっていました」。
しかし,この人がマンガに夢中になり,それほど多くのお金を費やすようになってしまったのはどうしてでしょうか。ダニーはこう説明しています。「マンガは連続メロドラマのようなものです。主人公が窮地に陥ったところで終わっていて,主人公が一体どうなるのか次の号が待ち遠しくなるのです。気づいた時には,マンガの山ができていました。そして,新聞売店に行くと,1冊だけではなく,8㌦か9㌦分のマンガを買ったものでした」。
ダニーは空想ものをそれほどたくさん読むことから影響を受けたでしょうか。こう語っています。「影響を受けたと言わざるを得ません。寒い冬の日にしばしば散歩に出て,ただぼんやりと,マンガの中で読んだ冒険談について考えたものです。気がついてみると,三,四マイル(約五,六キロ)を歩いており,しかも寒さを感じていませんでした」。
よく選ぶよう子供たちを教える
こうした情報に接して,自分の家から単にマンガを一掃するという反応を示す親もいるかもしれません。しかしダニーは,「平衡を保てば,マンガもけっこう楽しめます」と述べています。その上,マンガは子供たちの間で非常に人気があるので,それを読ませないようにするのは不可能に近いことかもしれません。お子さんの学校の友達の中にはマンガを幾百冊も集めている子供がいるかもしれません。一人の子供は,「僕はマンガを600冊以上集めたけど,もっとたくさん集めている子もいるよ」と述べています。
ですから,親は単に“検閲官”になるのではなく,むしろよく選ぶようお子さんを教えて,より積極的な取り組み方をするよう努めることがよいかもしれません。ミシガン州立大学のゲーリー・ストラック博士は子供を持つ人たちに次のように提案しています。「時間を取ってその内容を読み,[自分の]子供とそれについて話すようにすることです。そうすれば,奇怪なものや不道徳なものは徐々にその実体が明らかにされ,子供の理解力は鋭敏になり,子供の趣味は良くなります」。
お子さんがマンガについて感じていることを知るようにしてください。マンガのどんなところが好きなのでしょうか。お宅には,お子さんと同じ年ごろの子供が興味を持つような読み物がほかにありますか。マンガをすべて非とするよりも,読書の幅を広くするようお子さんに勧めるほうが有益なのではありませんか。お子さんの読み物の中にふさわしくないものがあれば,お子さんの読んでいるものについて親がどう感じているかを説明し,なぜ親がそのように思うのかを話してはいかがですか。お子さんが読み物を選ぶよう助けるのは,単にお子さんに代わって決定を下すよりもはるかに難しいことです。しかし,自分の息子や娘の福祉を真に気遣う親として,そうすることも必要でしょう。
もちろん,マンガは,子供だけでなく大人の要求をも満たしている非常に人気の高い“空想もの”産業のごくわずかな一部分にすぎません。しかし,空想ものに浸りきってしまうのは賢明なことでしょうか。空想を現実と取り違えてしまう危険がありませんか。
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子供が暴力的なマンガの主人公のまねをするなら,心配になるか
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マンガよりも良いもの目ざめよ! 1983 | 9月22日
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マンガよりも良いもの
今日,空想に逃避したがる人がいるのは理解できないことではありません。そうした人々は道徳的にも霊的にも破たんした社会で成長しました。宗教は人々の霊的な渇きをいやすためにほとんど何もしてきませんでした。政治家たちは道徳的にひどい手本となることが多く,その支持者たちを幻滅させてきました。一般に広まった哲学は神への信仰を本当に打ち壊してしまいました。ですから,奇怪な宗教の集団から麻薬に至るまで,ありとあらゆるものを試してみる若者がいても不思議ではありません。
そのために,世の霊的な不毛の地から逃れる人々の中には,空想ものや超自然ものにいや応なく引きつけられる人がいるのです。とはいえ,空想の殻の中に自ら閉じこもってしまうのは実際的なことでしょうか。そうではありません。空想よりも良いものがあるのです。
人が空想ものに夢中になってその結果オカルトに手を出すようになれば,幾世紀にもわたって人類を誤導してきた者 ― サタン悪魔 ― の思い通りに行動することになるでしょう。今日,悪魔の存在を信じると告白する人はほとんどいません。しかし,聖書は悪魔が現実の,知的な被造物であることをはっきりと述べています。『全世界は邪悪な者の配下にある』と,聖書はヨハネ第一 5章19節で述べています。
洪水前の“スーパーマン”
聖書によると,この邪悪な霊の被造物は不従順なみ使いたちを使ってこの世の状況を支配しています。これらみ使いであった「神の子ら」は「人の娘たち」と性関係を持つという考えに取りつかれるようになり,その利己的な空想を実行に移すために何らかの仕方で物質の体を着けました。その子孫はネフィリムと呼ばれる巨人の奇形的な種族で,その暴力的な気質のゆえに知られていました。それらネフィリムはみ使いたちである父親と一緒になって世界を暴力の場としたため,神は洪水によってその世を終わらせることを余儀なくされました。―創世記 6:1-7,13。ユダ 6。
しかし,人間はこの洪水前の“スーパーマン”を決して忘れることはありませんでした。神々が天から下って来ることについて述べるギリシャ神話は,これら実際に起きた洪水前の出来事の名残にすぎません。
この点を考え,クリスチャンは魔術や妖術や心霊術,およびそれに類する超自然的なものとの出会いなどに近い娯楽を避けます。聖書はそのようなものすべてを非としています。―レビ記 19:26,31。申命記 18:10-12。
クリスチャンはまた,この事物の体制の生活の厳しい現実から身を引きたいという気持ちになることもありません。聖書がそうした状態を予告していて,次のように勧めていることを知っているのです。「しかし,これらの事[預言された世界情勢]が起こり始めたら,あなた方は身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」。(ルカ 21:28)この約束の救出は復活させられた王イエス・キリストを通してもたらされます。その方にはいかなる架空のスーパーヒーローをもはるかにしのぐ力があります。(啓示 19:11-16)イエスが世界の出来事に介入されることは,自らの支持者たちの霊的な飢えを満たすことのできなかった,腐敗した政府や宗教などの滅びを意味します。(ダニエル 2:44)天の義の政府は地の支配権を手中に収め,楽園の状態を回復します。―啓示 21:3-5。
これらの諸事実 ― 空想ではない ― はあなたやお子さんが検討するだけの価値のあるものです。エホバの証人は喜んで一緒に聖書を調べ,この希望の根拠を理解するようお助けいたします。空想ものの非現実的な世界に引きこもるという誤りを犯してはなりません。むしろ,聖書の約束に頼るのです。それらの約束は励みになる,確固としたもので ― しかも現実のものなのです。
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