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生物が証言する事がら目ざめよ! 1974 | 4月22日
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形態もしくは種類からは独立した別個の歴史を有していることである!!!
「動植物双方のいろいろな種族が化石の記録の中に突然に出現している。……くじら,こうもり,馬,霊長類,象,うさぎ,りすなどのすべてが,その最初の出現の時点から,今日と同じように他と明確に異なっているのである。共通の祖先がいたという形跡は全く存在せず,ましてその先の祖先であったと想定されているは虫類との結び付きを示すものは一つも見あたらない。……
「そして,一般進化の理論の支持者たちも,古生物学上の事実に通じている人々は,すべての高等な部類相互の間にはっきりした隔たりがあることを認めている。彼らは,これが化石の記録に見られる,否定しえない事実であることを認めているのである」。
この点を,進化論者たちは確かに認めています。例えば,「生物進化の過程」の中で,G・L・ステビンズは生物の主要種族の発生と進化に関する化石上の証拠を問題にし,「進化論者たちは,この面から見た化石の記録の不完全さという点を特に強く銘記している」と述べました。彼はさらに,「非常に大きな隔たり」とか,「化石の記録の不備また偏り[これこそ偏った先入観によるもの]」について述べています。
こうしてわたしたちは,ステビンズが次のような嘆きのことばを述べた理由を理解できます。「生物の主要種族がどのように生じてきたかを学ぼうとする進化論者にとって,化石の記録は実際には見当違いの分野である」。
そして,米国オハイオ州アンティオク大学の生物学准教授であり,進化論者であるエドムンド・サミュエルも次の点を自認しました。「時間的にも空間的にも多様な形態の生物が存在することについて,進化の概念は強力な科学上の説明であるとはみなせない。……これは調査資料は推断的に用いるしかなく,化石の記録についてなされる……厳密な分析は,どれも進化論を直接には支持していないからである」―「生物界の秩序」(1972年),120ページ。
それで,今日生きているものの記録,また化石の記録から判断して,あなたご自身は正直に言ってどのような結論を下しますか。事実は,一つの種類の生物が徐々に別の種類の生物に変わってゆくという進化の理念を支持していますか。それとも,神がいろいろな種類の生物を創造し,それらはただ『その種類にしたがって』のみ繁殖するという聖書の記述を裏付けていますか。
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“猿人”についてはどうか目ざめよ! 1974 | 4月22日
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“猿人”についてはどうか
しかし,猿人の化石が発見されたという報告が何年にもわたってなされているのはどうしたわけでしょうか。そうした化石は,人間が類人猿から進化したことを証拠立てるものでしょうか。
もしそうであれば,“下等”な類人猿が今日でも依然として存在しているのに,より優れた“猿人”がただの一種類も生存していないのはなぜでしょうか。より高等なこうした猿人の少なくとも一種類ぐらいは,より劣った類人猿の間で生き残ることができたはずではないでしょうか。しかし今日,チンパンジーやヒヒ,オランウータンやゴリラや猿の類をたくさん目にしますが,それより高等なはずの“猿人”はどこにもいません。
進化論の観点からすると,下等な類人猿ではなく,類人猿と現生人の間を埋める“鎖の環”のすべてが一様に消し去られなければならなかったということは,きわめて奇妙です。しかし,聖書の観点
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