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“猿人”についてはどうか目ざめよ! 1974 | 4月22日
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になるとしても,進化論を擁護しようと決意しているのです。
実際のところ,頭がい骨その他の骨に基づいて人間の容貌を定めることは不可能です。このことは,わずか4年前の人骨であれ,4,000年前の人骨であれ同じです。目,耳,鼻,唇,皮膚,頭髪など,実際どんな外的特徴も化石の中に留められていないのです。
前述の著作が,こうした外的特徴に関して,「われわれはいかなる先史人についても全く何も知らない」と書いているのはそうした理由によります。こうした点から考えると,どう猛な姿をした復元図はどれほど真実であると言えるでしょうか。
初期の人類が多くの場合比較的高い文明を有していたことを示す証拠が最近発見されているため,幾つかの点で見解に変化が生じつつあります。「人種の生物学」はその点をこう指摘しています。「ごく最近になって,復元家たちは初期の人類の姿を高等なものにする傾向を示しはじめた」。また,ニューヨーク・タイムズ紙はこう報じました。
「紀元前3万2,000年から約1万年の昔まで,ヨーロッパの全域で石灰岩の洞穴の中に居住していた人類が,本質的にわれわれと非常によく似ていたことは今や明らかである。事実,人類学者の中には,現代人よりも背が高く,大きな脳を持っていたと主張する者もいる」。
このように,真実に基づいて記録を調べると,人間と獣の間に今日見られる大きな隔たりは,過去のいつの時にも存在していたとの結論に達します。類人猿のような動物を人類の系列に入れようとする試みは,作り事にすぎません。ニュー・サイエンティスト誌が,「化石からは,われわれの理論を想像の領域から抜け出させるほど十分の証拠」は見い出されていない,と述べているとおりです。
これまでに調べたことから分かるように,最近の科学上の発見は,明らかに進化の教えを支持していません。進化論は,現代の科学上の発見によって提起された挑戦を克服することができませんでした。なぜなら,それは真理ではないからです。
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あなたはどちらを信じますか 進化論ですかそれとも聖書ですか目ざめよ! 1974 | 4月22日
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あなたはどちらを信じますか 進化論ですかそれとも聖書ですか
「あなたはどちらを信じますか。進化論ですかそれとも聖書ですか」という質問は,単なる学術的な質問ではありません。
もし進化が正しいなら,聖書はまちがっていることになります。『偽りを語ってはならない』と教えている聖書自体が人間の起源を偽り伝えているのであれば,他の問題について聖書が述べている事がらに敬意を払うべき理由がどこにあるでしょうか。『盗んではならない』『姦淫を犯してはならない』という教えをどうして信じることができるでしょうか。義の新秩序のもとでの命に関する約束を信じる理由がいったいあるでしょうか。人類社会の現状に関する聖書の説明についてはどうですか。どうしてそれを信じることができますか。
一方,人間の起源に関する聖書の説明が正しいとするなら,進化論は誤りであることになります。このように,聖書の記述の信頼性を考慮すべき理由があるのです。
両方が正しいということはありえるか
進化論と聖書の両方が正しいということはありえるでしょうか。聖書は,神が人間を造ったが,それには進化という手段を用いた,と単に教えているのではないでしょうか。
時々,僧職者はそのように教えます。1969年4月の,アメリカ,アラバマ州,モビール発のAP特電はこう報じました。「アメリカ長老派教会第109回総会は,聖書と進化論は互いに矛盾しない,との結論に達した」。カトリック百科事典(1967年版)にはこう書かれています。「科学上の起源と創世記の宗教上の教えとの和解は可能[である]」。
しかし,進化論と創造に関する聖書の記録の両者を自由に入れ換えること,つまり一方が他方を正しく説明することはほんとうに可能でしょうか。いいえ,それは不可能です! なぜそう言えますか。
前の記事から明らかなように,聖書は,人間を神の別個の創造物であるとして教えています。動物や植物などの創造物と同じように,人間は「その種類に従って」のみ子孫を産み出します。進化論は,人間は低い“種類”のもの,つまり動物という種類から進化した,と主張します。両方の見解がともに正しいということはありえません。―創世 1:11,12,21,24,25,新。
また,聖書は,最初の人間アダムが今から約6,000年前に神によって創造されたと教えていることも知りました。アダムからイエス・キリストに至るまでの系図は聖書の中にはっきりと説明されています。(創世 5:1-32。歴代上 1:1-27。マタイ 1:1-17。ルカ 3:23-38)しかし進化論によれば,人間は100万年以上も昔に出現しました。しかも,それまでに何百万年もかけて進化してきたのです。どちらかの教えがまちがっていなければなりません。
さらに,キリスト教世界の僧職者自らが支持すると主張する聖書は,完全な人間アダムがその罪によって失ったものに「対応する贖い」として,完全な人間イエス・キリストがこの地上に来たことをはっきり教えています。(ローマ 5:12。テモテ第一 2:5,6)もし人間がアダムから罪を受け継いでいないとすれば,聖書が教えているとおり,イエスの犠牲は無価値なものになってしまい,クリスチャンは「あらゆる人の中で最も哀れむべき者となります」。(コリント第一 15:19)人は,両方をともに受け入れることはできません。進化か聖書のどちらか一方が正しいのであり,他方はまちがっているのです。
あなたの前に置かれた挑戦を受け入れる
そのわけで,真理を愛するすべての人の前に一つの挑戦が置かれています。証拠を調べて,進化論か,それとも聖書か,そのどちらを受け入れるかを自分で決めなければならないのです。他の人のためにこの決定を下すということは,だれにも許されるべきではありません。
たとえば中には,現在多くの教会が公式にあるいは非公式に進化論を信じているという理由で,進化論を受け入れている人がいます。しかし,先に引用したような僧職者たちはなぜ進化論を受け入れているのだろうか,と考えてみることができるでしょう。
その理由は,進化論が広く一般に教えられている点にあります。これは単に,諸教会が世と親しい関係を築こうと腐心している一つの例にすぎません。(カナダ,ブリティッシュコロンビア州の)ビクトリア・デーリー・ニューズ紙の次の報道に注目してください。「教会は世の一部であり……非常に長い期間にわたって,あまりにしばしば,人間に操られた人間製の組織であるとの感を与えてきた」。
容易に理解できることですが,「人間に操られた人間製の組織」は,世の有力人の間で広く受け入れられている事がらを進んで受け入れようとするのではないでしょうか。しかし,まさに自らが代表すると主張している聖典,聖書の教えを曲げて妥協を計る人々に従うべき理由がどこにあるでしょうか。
『科学者が真実だと言っている』ために,進化を信じ込んでいる人もいます。しかし,大きな尊敬を集めている科学者の中には,進化論の教えを受け入れていない人も少なくないのです。この問題に関しては,科学者の中でも他の人々の場合と同様に意見が分かれています。それでは,科学者にあなたの決定を下してもらいたいとすれば,どちらの科学者の意見を聞くべきなのでしょうか。
実際,自分に代わって他の人にこうした選択をしてもらうことは子どもじみています。『成人は善悪を見分ける』という聖書のことばは永遠の真理です。(ヘブライ 5:14,口語)確かに,円熟した人は敢然とした態度でこうした決定を下し,それに基づいて行動します。しかし,どのようにしたらそうした決定を下すことができるでしょうか。
この雑誌の中にあげられている証拠を注意深く考察なさってください。そしてそのさいに,あなたご自身の経験を判断の助けとしてください。聖書を信じている人々のことば,また進化論を信じている人々のことばを,あなたが現実の生活で経験した事がらと比較してみてください。信じられないことを信じるようにと求められているのでは決してありません。
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進化論は現代の挑戦に答えることができるか目ざめよ! 1974 | 4月22日
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進化論は現代の挑戦に答えることができるか
人間が今ほど大きな挑戦に直面したことはありません。「全西洋文明は滅びつつある。……全西洋文明は死にかけている。その崩壊は目に見えている。それは今起こりつつある」と,イギリス人の元編集者マルコルム・ムゲリッジは言っています。
犯罪,病気,貧困などの挑戦的な諸問題は,「西洋文明」のみならず全人類を無気味に凝視しています。進化論に対する信仰は,人間がこれらの挑戦に打ち勝つ助けになるでしょうか。それはあなたの私生活に役だちますか。
そのことは期待されていたでしょうか。なぜなら,進化論は人間のほとんどすべての努力の不可欠な部分となっているからです。したがってその影響はきわめて広範に及びます。「地上の生物の驚異」という本は次のように指摘しています。
「ダーウインの働きの中で最も大きな影響を与えたのは進化論であった。進化論は,植物学,生物学,医学に革命をもたらした。宗教,天文,歴史,心理などの研究に新思想をもたらした。……ダーウインがいだいていた[思想]は,科学のあらゆる分野に影響を与えた」。
しかし進化論は,挑戦的な問題の多い,苦しい境遇から人間を導き出しているでしょうか。それとも進化論を背景にしたいろいろな学問は人間の努力をまちがった方向に向けさせましたか。ひとつの例を考えてみましょう。
近年,科学の注意は多くどこに向けられていますか。それは宇宙計画に向けられています。なぜですか。しばしばいくつかの理由があげられます。しかしサイエンス誌は率直に述べています。
「月面における炭素含有物質の探索は,月の起源と歴史の研究の一環であるばかりでなく,生命の起源をなすに至る化学上の進化の初期の段階を知る重要な一歩である」。
そうです,幾十億㌦という費用が費やされてきた主要な理由のひとつは,間接的に認められていますが,進化論を証明することです。しかし地球の外でも,生命の進化を示す証拠は発見されていません。
この多額のお金がどのように使えたかを考えてみましょう。フロリダ州立大学のハンス・ガフロン教授はこう言っています。
「これだけの金を全部他の事がらに使っていたなら,わが国の貧困はほとんど解決したであろう。……住民平均化計画も強力に推進することができたで
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