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    ものみの塔 1958 | 5月1日
    • 『ダビデのかぎ』を持つ者は言われます,『あなたの冠がだれにも奪われないように,自分の持つているものを堅く守つていなさい。』御国の事柄を増加させようと努め,私たちのすべてを御国奉仕に役立たせることによつて,私たちはキリストから受けたものを確かにしつかりと守ります。油注がれた者がハルマゲドン前のいま御国の事柄を失うなら,天にある冠を失うことになります。『他の羊』がその持つているものを失うなら,御国の下なる新しい世の生命を失います。

      31 油注がれた監督は,どのように柱であることを証明し,新しいエルサレムを目ざしつづけねばなりませんか。従つてすべての監督は何をすべきですか。

      31 油注がれた監督たちは,いま他の羊の携わつている宮の崇拝を支え,神の宮の制度の柱であることを証明しなけばれなりません。彼らは神の御国を伝道し,神の小羊の花嫁になるものとして清さを保ちます。そうする事により新しいエルサレムを目ざしつづけなければなりません。栄光ある天の宮の柱となること,神の都の名を担つてその天的市民,およびキリストの愛された花嫁となり,高く揚げられたキリストの名に与ることを望む彼らにとつて,これは責務です。宮,新しいエルサレム,天の地位におけるキリストの新しい名 ― これらのことは他の羊もまた深く考えなければなりません。これらの重要な現実と調和する働きをいま為しましよう。清さを保たない者,霊的に汚れた者,偽りをつづける者はすべて新しいエルサレムとその地上の領域に入れないでしよう。ですから,すべての監督たち,特に天の宮にその場所を得ようとしている監督たちは,昼も夜も先に立つて宮の崇拝を進めなさい。そうして,彼らは,黙示録 3章12節にキリストの約束された恵みを得るでしよう。

      ラオデキヤにある燭台

      32 イエスはラオデキヤの会衆にどのように言われましたか。なぜ,イエスの言葉はその会衆の心を刺すべきでしたか。

      32 使徒パウロの時代に,ラオデキヤには会衆がありました。(コロサイ 4:15)ヨハネに黙示が与えられた頃までには,その会衆は悪くなつていました。会衆の使徒を通して話しかけたイエスは,御自身について『アアメンたる者』,『忠実な,まことの証人,神に造られたものの根源』と言われています。この言葉を聞いてラオデキヤ会衆は心に痛みを感ずるべきでした。ラオデキヤ会衆はもはやアアメンたる者のように心をつくして真理を固く持つていなかつたからです。それはもう忠実な,真の証人ではありませんでした。そして,イエス・キリストを最初の主な成員とする『新しい創造』の一部であることを示す証拠を持つていませんでした。手本となる主なる監督イエスは,ラオデキヤ会衆をそのときそして今どのように扱われますか。

      33 イエスは彼らを口から吐き出すと,なぜ警告されましたか。彼らはどのようにエフライムと似ていましたか。

      33 ラオデキヤの種類の人々は,活気づけるほどに熱くなく,気持よいほどに冷たくもありません。彼らは何となまぬるいのです! なまぬるい水のように彼らは口から吐き出されねばなりません。彼らがキリストの代弁者,『キリストに代る大使』,キリストに属し,また用いられて音信を担い,証者となることを,キリストは望まれません。彼らが悔い改めないならば,キリストはマタイ伝 24章14節の成就に与る彼らの分を取り除かれるでしよう。彼らは,古代イスラエルの優勢な族エフライムに似ています。どのように? 半焼けの平たいケーキ,片側の焼けていない,できかけのホットケーキに似て中途半端な,つまり生ぬるい,ふた心のものだからです。『エフライムは知恵なくして愚かなる鳩のごとし。彼らは(ヱホバでなく)エジプトにむかいて呼び求め,また(神でなく)アツシリヤに行く。』― ホセア 7:8,11。

      34 ラオデキヤの人は,なぜそのように生ぬるい状態でしたか。霊的なみぢめさを捨て去るために,彼らは何を必要としましたか。

      34 その時,なぜそのようでしたか。ラオデキヤの人々は神の御国とキリストを通してくる神の義を求めつづけなかつたからです。(マタイ 6:33)彼らの語ることから示されるように,彼らは自分たちの持つ地上の物質的な富こそ,神が是認と繁栄を与えて下さつたしるしであると思い込んでいました。彼らは霊的な富,御国という価値あるもの,特に御国の真理を他の人に与えるという『宝』よりも物質の富を重んじていたのです。霊的な貧しさ,盲目,裸からいやされるためにラオデキヤの人々には何が必要ですか。試された特質を持つ信仰という黄金,新しい世にまで永持ちする義の衣,霊的な視力,いま全地に証言しなければならない御国の重要さを悟るように霊的なものを見る力,これらのものをキリストから買うため,一生懸命に,また正直に努力することこそ必要です。

      35 それで,霊的な回復を図るため,監督はラオデキヤ人のために何をしなければなりませんか。

      35 ここに監督のなすべきわざがあります。ラオデキヤの種類の人々を再び目ざめさせ,霊的な必要を感じさせること,また『信仰に富』むように助けることです。(ヤコブ 2:5)このような信仰は御国の実を豊かに結び,証言の業に活潑です。自分自身の義に確信を持つことをやめます。すべて世のものを追い求めることや罪深い裸の状態を投げすてて,神の目に正しくありたいと求めるようになります。監督はまたラオデキヤの人々を助けて,眼薬をつけさせます。すなわち,事毎にイエスの教え,助言,手本,心の態度に学び,それに一致した行いをすることです。これこそ,『肉の欲,目の欲,持ち物の誇』を捨てるための癒しの薬です。(ヨハネ第一 2:15-17)霊的な視力を回復した彼らは,盲人を手引きする盲人ではなくて他の人の眼となることができます。

      36 キリストは御自身の愛する者に対して,何をされますか。それで,監督は何をしなければなりませんか。ラオデキヤの人はどのように答え応ずるべきですか。

      36 主なる監督,キリストは戒しめとこらしめを与えます。しかし,キリストの追随者となる道を採つた人々を愛するゆえに,そうされるのです。キリストの下にある監督も同様にしなければなりません。ラオデキヤの人々は,このはばかるところのない公けの愛の表われに感謝すべきであり,熱心に悔い改め,心を入れ変えて生活の仕方を改めなければなりません。

      37 (イ)いまは何の時間ですか。ラオデキヤの人々にいまどんな招待が差しのべられていますか。(ロ)現代のラオデキヤ人はキリストの口から吐き出されなかつたことをどのように示しますか。

      37 時は進んでいます。一日のうちで最善の食事,夕食,晩の食事の時間です。イエスは地上で多くの人と夕食を共にされました。そして家の主人のもてなしを受けつつ,霊的な教を与えられたのです。いま,私たちに対するイエスのすすめは,このように霊的に高める食事をイエスと共に食べることです。イエスはいまラオデキヤの種類の会衆の戸口に立ち,戸をたたかれています。ラオデキヤの人々よ,戸をたたくイエスの合図に耳を傾け,キリストへの愛をよびさまして,彼を中に迎え入れ,彼との貴重な交わりを得て彼の教えを受けますか。そうするなら,あなた方は会衆の上に立てられたキリストの監督を受け入れることになるのです。会衆の監督,会衆の御使であつて,キリストの右手にある『星』は喜んで直ぐに戸を開けるでしよう。キリストが中に入り,悔い改める人々と共に食事につくよう,監督は戸を開けました。すべてラオデキヤの人々よ,研究と奉仕のため,会衆のすべての集会に来て,あなた方キリストの口から吐き出されなかつたこと,今でもキリストの会衆の成員であることを示しなさい。二,三人でもイエスの名によつて感謝のうちに集まるなら,その霊的な食卓に共につくことをイエスは約束されたからです。『他の羊』はキリストを迎え入れています。ですから来るべき裁きの時に,キリストは彼らに言われるでしよう,『あなたがたは,わたしが旅人であつたときに宿を貸してくれた。』(マタイ 25:15,新口)この親切な行いは生命を意味します。

      38 私たちはいま何を克服しなければなりませんか。勝を得る者にはどんな報いが与えられますか。

      38 私たちは誰でも,ラオデキヤの人々に与えられたこらしめを戒しめとしましよう。私たちは『終りの時』におけるこの世の物質主義に打ち勝たねばなりません。勝を得る者には誰でも,神の霊によつて話すキリストが大きな報いを約束されています。キリストの油注がれた追随者にとつては,この世のどの国の位でもなく,天にあつて父の右の手にあるキリストと共に座る位がその報いです。勝を得る『他の羊』に対するキリストの約束は,彼の位の前にある地位,神の正義の新しい世の『新しい地』において与えられる愛にみちた恵みの立場です。

      39 では,会衆とその『星たち』は何をするべきですか。そして,キリストが彼らに何を与えられるように,私たちは祈りますか。

      39 それゆえに,監督たち,会衆の御使として行動し,キリストの右手にある『星』として,輝きつづけなさい。会衆よ,キリストがそれぞれの場所に置かれる燭台として輝きつづけなさい。キリストがあなた方に十分の世話と保護を与えられ,あなた方が常に光を放ちつづけて永遠に救われる人々を照らすことができますように。

  • メキシコ人の間で読み書きを教える運動は感謝される
    ものみの塔 1958 | 5月1日
    • メキシコ人の間で読み書きを教える運動は感謝される

      1956年2月,3000人の文盲のメキシコ人が,読み書きを教えるヱホバの証者の学校に入りましたが,彼らの大部分はその年の12月,無事に課程を終え,1957年2月以来,もう1500人がこの学校に入りました。「ヱホバの証者の1958年度年鑑」はこの活動を報告し,ベラクルズのメキシコ文部当局の一役人から受け取つた手紙の抜粋を次のように引用しています。なお,この手紙は証者のこの活動に対するメキシコ政府の見解を示すものです。『私はあなた方の御協力に対して感謝するものです。また文盲の人々に知識の光を与え,人々の益を図るあなた方の尊い,啓発のお仕事に対し,政府に代つて心からの喜びをお伝えします。……あなた方の教育のわざが成功を収めるように願つています。』ついでながら,比較的に僅かのヱホバの証者が,これほどの短期間に多くを成し遂げ得るなら,4世紀にわたつて実際上この国を支配した世界最大の宗教組織がメキシコ人の利益を心から願つたとすれば,どれだけの事を成し得たことでしよう。

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