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拡大するエホバの証人の本部施設ものみの塔 1969 | 9月1日
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コロンビア・ハイツに建てられ,1927年に建てられた建物と連結されました。これによって450人分の居室ができました。
しかし10年ばかりのあいだに,本部の家族の数はほとんど2倍になりました。そこで,コロンビア・ハイツ通りを隔てた真向いに,もうひとつの建物の建築が始まりました。1万2658トンのコンクリートと,472トンの鋼鉄,23万個のれんがとを含むこの巨大なビルディングは1960年に完成しました。この建物には,大講堂,講議室,4つの教室,広い事務所などがあります。この建物ができてからホームの居室は950人分に増加し,倍以上になりました。
そういうわけで,1969年に建てられた新しい7階建の建物は,エホバの証人の本部施設の最近の拡張にすぎません。何年かにわたって建てられたこれらの建物は,地下道でつながれています。
印刷工場の拡張
本部のこの拡張を必要にするのは,聖書と聖書文書の需要です。1919年にはエホバの証人はマートル通り35番地の近くに印刷工場建設用地を得,1920年に「ものみの塔」その他の聖書文書の印刷を始めました。
しかし,まもなくこの工場ではまに合わなくなり,1922年,そこからほんの二,三区画離れたコンコード通り18番地にある6階建の建物に移転しました。ほとんど1夜にしてまた拡張が必要になりました。それで1927年,コロンビア・ハイツから徒歩で10分ほどのところにあるアダムス街117番地に,8階建の工場が新築されました。
ついで1949年,アダムス街の工場と連結した9階建ての工場が新築されたとき,印刷工場の広さはほぼ2倍になりました。この工場は現在の市街の1区画をふさいでしまいました。それでも聖書文書の需要は停滞せず,7年後の1956年にはもう1区画をおおうほどの大きな13階建の工場が完成しました。ついで1958年には隣接するブロックにあった9階の工場が買い取られ,ほとんど印刷用紙の倉庫として用いられています。
印刷工場の総床面積は4万500平方メートルでした。しかし1957年から1964年にかけて,御国伝道者の聖書文書配布数は,65万部から100万部以上になり,工場はまた手狭になってきました。そこで1966年,隣接のブロックに,エホバの証人の最大で最新の工場の建設が始まったわけです。これは2万1000平方メートルの床面積をもつ11階の建物です。使用されはじめてまだ2年になりませんが,この工場も急速に能力の限界に達しつつあります。
1967年の秋以来,合計71台の聖書や書籍用の新しい大型印刷機と製本機がこの工場に設置され,さらに27台がまもなく運ばれてくることになっています。設置された機械のうち4台は重さ40トンの巨大な輪転機で,工場内のこの種の輪転機はこれで22台になります。来年の末までにはもう7台ふえます。また書籍と聖書の新しい製本機一式が3組設置され,ことし中にもう2組設置される予定です。
御国の音信は全世界に広がる
エホバの証人の本部のこの拡大は,御国の音信が全世界に広がっていることを示します。全世界の需要にこたえて今生産年度の最初の8か月間 ― 9月から4月まで ― だけでも,去年の同期の654万8791冊にくらべて,1771万8518冊という書籍と聖書を印刷しなければなりませんでした。あらゆる言語の聖書文書の需要がこのように大きいため,さらに多くの印刷機の購入が必要になったばかりでなく,作業も二交替制にする必要が生じました。また同期間に,1億3200万部の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が印刷されましたが,これも去年の同期の最高生産記録を約2100万部上回る数でした。ブルックリンにある協会の工場だけでも31か国語の雑誌が印刷され,毎月69の異なった雑誌が生産されています。そのくらいですから,毎日,トレーラートラック数台分の雑誌が工場から送り出されます。
聖書の需要の増大でエホバの証人の印刷工場が拡大しているのはブルックリンだけではありません。たとえばドイツのウィスバーデンでも,昨年の最初の7か月間の書籍の生産は46万9719冊でしたが,今年の同期間にはそれが191万1981冊となって一足飛びに増加しました。雑誌の生産も同期間に1750万部足らずから2450万部以上に上昇しました。
イエスは御国のたよりが全世界に広められることを預言されましたが,その預言の成就のこのようなすばらしい証拠を見るのはほんとうに大きな喜びです。これはまた,わたしたちが,この事物の体制の終わりの時に住んでいるという証拠でもあります。―マタイ 24:3,14。
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「進化」の本を使ってものみの塔 1969 | 9月1日
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「進化」の本を使って
◆ バハマの一伝道者は,「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」と題する本で得られた良い結果についてこう述べています。「ある日,もうひとりの奉仕者とわたしはその日の奉仕を終えて帰ろうとしましたが,時間が30分だけ残っていました。ではどのようにその時間を過ごそうとしたと思いますか。戸別訪問,街頭伝道,それとも再訪問をすることにしましたか。わたしたちは,車の中に残っている『進化』の本のことを考えていました。ではだれを訪問しますか。もちろん,友人や知人を尋ねるのです。旅行会社の旧友や洗濯屋(店主は4冊求めた),写真館に勤める友人そして行きつけの銀行などを尋ねました。こうしてその日に予定していた奉仕の終わりの30分間に,7冊の本を配布しました。このようなすばらしい本が備えられ,しかもこの本はたいへん容易に配布できるため,あらゆる立場の人々が真理の正確な知識を得られるのでエホバに深く感謝しています」。
― エホバの証人の1969年度年鑑より
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