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  • わたしたちの信仰の試された質 ― それは賛美と誉れのいわれとなる
    ものみの塔 1976 | 8月1日
    • であり,真理のうちにかたく立ちませんでした」。(ヨハネ 8:44)ですから,イエスの教えに関する真理や,ステファノの証言が正確であったことを彼らが知らなかったのではありません。ペンテコステに神の霊が注がれたことについてのペテロの証言を彼らは確かに知っていましたし,それらのクリスチャンが神の民であることをしるしづける異言の賜物を目撃したか,またはそのことについて聞いていました。その時「およそ三千の魂」がバプテスマを受け,後ほど「非常に大ぜいの祭司たち」までが音信を受け入れました。それにもかかわらず「この道」に従う人々に対する宗教的憎しみは火のように燃えさかったのです。(使徒 2:41; 6:7; 9:2)祭司長たちが,彼らを非難したイエスの言葉をよく覚えていたことは疑いありません。(マタイ 23章)それで,これら昔のクリスチャンに対する彼らの反対は,彼らが神の霊の働きに対して反対していたことを示しました。

      サウロが弟子となる

      7 パウロはクリスチャンになる前にどんな背景を持っていましたか。

      7 しかし,全部の人がそのような反応を示したわけではありません。サウロ(彼のローマ名パウロで知られるようになった)はその生涯のうちに非常に大きな変化を遂げた人でした。(使徒 13:9)律法契約の下で育てられ,パリサイ派の見地を持っていたにもかかわらず,ユダヤ教における高い地位を捨てて,初期のクリスチャンたちに加えられていた迫害を受ける側に来るという変化を遂げました。(フィリピ 3:5,6)彼はこの変化がどんな結果をもたらすかをよく知っていましたが,正しいと確信したときにはためらいませんでした。それはクリスチャン会衆に対して非常な迫害が加えられていた時でした。サウロ自身,初期のクリスチャンたちに対して『粗暴にふるまい』,次々と家に侵入しては男も女も引きずり出して獄に入れていました。(使徒 8:1-3)事実,彼の生涯を大きく変えた事件が生じたのは,キリスト教を信ずる者を見つけたなら男女の別なく皆囚人としてエルサレムに連れてくる権限をパウロに与える,祭司長からの手紙を持ってダマスカスに向かう途中のことでした。―使徒 9:1,2。

      8 パウロ(サウロ)は真理を学ぶに当ってどんな経験をしましたか。彼はどのように反応しましたか。

      8 突如彼は天からの光を受けて驚きました。「彼は地面に倒れ,『サウロ,サウロ,なぜあなたはわたしを迫害しているのか』と自分に言う声を聞いた。サウロは言った,『主よ,あなたはどなたですか』。彼は言った,『わたしはイエス,あなたが迫害している者です』」。その光に目がくらんでまだ見えませんでしたが,サウロはダマスカスへ導かれました。それから三日後,アナニアという名の弟子が彼を助けに行くよう指示を受けました。それが主のご意志であることを確信したのち,アナニアは彼に言いました。「サウロ,兄弟よ,来る道であなたに現われた主,イエスが,わたしを遣わして,あなたが視力を取り戻し,聖霊で満たされるようにされました」。あなたならそのような事件に対してどう反応したでしょうか。変われば恐らく迫害を受け,苦しい目に遭い,自分の家族に捨てられるかもしれないことが分かっているので,変化することをむずかしく感じたでしょうか。サウロの思いの中では自分がどうすべきかについて何の迷いもありませんでした。というのは,彼は「すぐに諸会堂でイエスのことを,このかたは神の子であると宣べ伝えはじめた」と書かれているからです。―使徒 9:3-5,17,20。

      信仰の模範

      9 (イ)サウロの経験は現代のクリスチャンにとってどのように励ましになりますか。(ロ)キリストについて伝道を始めたばかりの時,サウロはダマスカスでどのように危うく難を逃れましたか。

      9 彼の信仰の模範,試練の下におけるサウロの忍耐,エホバが彼にお与えになった導きと保護などを考えると,わたしたちはこの時代に真のクリスチャンに臨んでいる試練を克服するための励ましを得ます。当時の他のクリスチャンたちに反対が臨んでいたように自分にも反対が臨むということをサウロは知っていましたし,主がアナニアに,「彼がわたしの名のためにいかに多くの苦しみを受けねばならないかを,わたしは彼にはっきり示すからです」と告げておられたにもかかわらず,サウロはくびすを返すようなことをしませんでした。ダマスカスにいた弟子たちと数日共に過ごしたのち,サウロは熱心に伝道を始めました。その結果,まもなくユダヤ人はサウロを殺すことをたくらみ,彼を除き去るために昼夜町の門を見張るようになりました。しかしエホバは,この「選びの器」をそうやすやすと亡き者にさせるようなことはされませんでした。(使徒 9:15,16)その企みはサウロの知るところとなり,彼の弟子たちは,彼をかごに入れて城壁のはざまからつり降ろし,彼がわなから逃れるのを助けました。このことは,クリスチャンのこの元迫害者の波乱万丈の伝道生活の,ほんの始まりに過ぎませんでした。

      10 エルマに関するサウロの経験は,悪霊の反対をどのように示していますか。

      10 サウロとバルナバは,神の言葉をユダヤ人と非ユダヤ人に知らせる業を成し遂げるべく,聖霊によって特別に選ばれました。最初の伝道旅行の時,彼らは偽預言者また呪術者と記述されているある男に会いました。彼は執政官代理のセルギオ・パウロと一緒にいました。その呪術者エルマが,執政官代理に彼らの音信を聞かせまいとしてサウロとバルナバに反対し始めた時,サウロ(今はパウロと呼ばれていた)は聖霊に満たされ,「エホバの正しい道をゆがめてやめないのか」と彼に言いました。するとその呪術者は直ちに一時的に盲目になりました。その結果,執政官代理は驚き,見聞きした事柄を信じました。―使徒 13:6-12。

      11 (イ)パウロとバルナバは,どんな聖書的理由に基づいてアンティオキアの異邦人に伝道しましたか。(ロ)これらの都市から追い出された後彼らはどうしましたか。

      11 パウロとバルナバは旅を続けてピシデアのアンティオキアに行き,そこで町の人々に大胆に証言しました。イエスの復活について彼らが伝道したことに対しユダヤ人たちが怒り立った時,その二人は,「わたしはあなたを任命して諸国民の光とした。地の果てにまであなたが救いとなるためである」というイザヤの預言に言及して,諸国民に注意を向けました。(使徒 13:47)そして正しく整えられた異邦人たちはこのことを喜ぶようになりましたが,一般のユダヤ人はパウロとバルナバを市から追い出しました。それでも二人は喜びと聖霊に満たされて旅行を続けました。次の滞在地イコニオムでも,二人は同じような経験をしました。彼らの伝道の結果,非常に多くのユダヤ人とギリシャ人が信者になりましたが,音信を受け入れなかった者たちは人々をあおり立て,ユダヤ人も異邦人も彼らに暴力を加えることを心に決めました。そこで二人は,良いたよりの伝道を続けるためにほかの場所に逃げることが必要になりました。

      12,13 (イ)ルステラではパウロの身にどんなことが起きましたか。(ロ)パウロはエホバへの信頼をどのように示しましたか。

      12 ルステラでは,生まれた時から足なえであったある男をパウロがいやしたので,人々は二人を神と考えました。バルナバをゼウスと呼び,パウロをヘルメスと呼びました。彼が先に立って話していたからでした。しかし,パウロとバルナバは人々を制して言いました。『皆さん,なぜこうした事をするのですか。わたしたちも,あなたがたと同じ弱さを持つ人間です。そして,あなたがたに良いたよりを宣明しているのです』。(使徒 14:15)そのころ,依然パウロを追跡していたユダヤ人たちがアンティオキアやイコニオムからやってきました。そしてパウロを見つけて石打ちにし,死んだものと思って市の外に引きずり出しました。しかし,エホバの過分のご親切により,パウロはこの厳しい試練に生き残り,翌日バルナバと共にデルベに向かって出発し,デルベでも伝道を続けて,かなりの数に上る弟子を作りました。

      13 『そういうひどいことをされたなら,わたしだったら殺されないうちにやめるだろう』と,あなたはお考えかもしれません。しかし,パウロはそうではありませんでした。事実,使徒 14章21節の記録によると,パウロとバルナバは,彼らがひどい反対に遭ったルステラ,イコニオム,さらにアンティオキアに帰りました。弟子たちを強め励ますことを望んだからでした。「わたしたちは多くの患難を経て神の王国に入らねばならない」ということを二人は弟子たちに思い起こさせました。こうして彼らは,会衆を築き上げ,エホバを信ずるようになった人々を強める業を続けました。―使徒 14:22。

      仲間の信者が論争を引き起こす

      14 ある人々はどんな議論を持ち出しましたか。それはどのように解決されましたか。

      14 残念なことに,時々問題を引き起こしたのは反対者だけではなく,仲間の信者までが,例えば異邦人もモーセの習わしどおり割礼を受けなければ救われない,などと主張して論争を引き起こしました。(使徒 15:1,2)この点をめぐってかなり意見の対立が続いたあと,パウロ,バルナバおよび他の幾人かが,その問題をエルサレムの中心的会衆の使徒および長老たちに提出することに決まりました。彼らの証言や,ペテロおよび他の人々の証言が聞かれたあと,どんな決定が下されたでしょうか。それは,偶像によって汚された物と淫行と血を避けるという必要なこと以外には,諸国民から神に転じてくる人々を煩わさない,ということでした。―使徒 15:12-20。

      15 どんな事情があってパウロはペテロをたしなめましたか。

      15 パウロは真理をしっかりと支持しました。エルサレムに上ったことについて論ずる際に彼は,「偽兄弟たち(が)……忍び込んだ」時,「この者たちに対してわたしたちは屈服して譲歩したりはしませんでした。そうです,一時といえどもです。こうして,良いたよりの真理が引き続きあなたがたのもとにあるようにしたのです」と述べています。アンティオキアでは,ペテロまでが,訪問していた幾人かのユダヤ人のクリスチャンたちを怒らせないために,異邦人の兄弟たちと一緒に食事をすることや交わることをやめて,そういうことをしていないようなふりをした時,パウロは「面と向かって彼に抵抗しました。彼にはとがめるべきところがあったからです」。彼はガラテア人にこう説明しました。「わたしは神の過分のご親切を押しのけるようなことはしません。義が律法を通してであるなら,キリストは実際にはいたずらに死んだことになってしまうのです」。(ガラテア 2:4,5,11,21)これはガラテア人が次のことを理解する助けになりました。すなわちクリスチャンは,キリストを信ずることによって義と宣せられるのであって,モーセの律法の業に従うことによるのではないということです。律法契約はすでに取り除かれ,今や新しい契約が効力を発していました。一部の人々はこのことを理解するのに手まどりましたが,パウロは彼らが人間的な推論を誇示してもそれによって落胆させられるようなことはありませんでした。

      パウロは反対に遭っても落胆しなかった

      16 フィリピにおけるパウロとシラスの受けた試練はどのように祝福に変わりましたか。

      16 二度目の伝道旅行の時,パウロはフィリピで,ルデアという名の商人の婦人に真理を伝える喜びを得ました。彼女は,パウロが話していた事柄に心を大きく開き,またその兄弟たちを手厚くもてなしました。しかしこのフィリピにおいてもパウロは問題にぶつかりました。このたびは占いの能力を持つ下女の所有者が問題を引き起こしました。彼女は来る日も来る日も,「この人たちは至高の神の奴隷で,あなたがたに救いの道を広めているのです」と叫び続けました。(使徒 16:17)ついにパウロはこれにうんざりしてしまい,悪霊にその娘から出るよう,イエスの名において命じました。彼女の予言によって利益を得ていた彼女の所有者は,彼女がその超能力を失ったのを見てパウロとシラスを行政官たちの前に連れてゆき,彼らを打ちたたかせ,投獄させました。最初に打たれ,次いで獄にほうり込まれるのですから,このこともやはり多くの人を落胆させるのに十分だったでしょう。しかし,パウロとシラスは違いました。記録によると,真夜中,二人が祈りをしたり,歌をうたって神を賛美したりしていた時,突如大きな地震が起こり,獄の扉はこわれて開き,囚人たちの身は自由になりました。パウロは逃げ出すよりもむしろそこにいて,今にも自害しようとしていた牢番を安心させ,その機会を利用してエホバの言葉を牢番とその家族に伝えました。その結果,彼らはその夜バプテスマを受けました。

      17 パウロは自分が受けた試練をどのように見ましたか。

      17 あらゆる事が起きたにもかかわらず,パウロは落胆しませんでした。彼は正しい態度を保ちました。「ののしられれば祝福し,迫害されれば忍び,名誉をそこなわれても懇願するのです」とコリントの兄弟たちに書き送った通りでした。(コリント第一 4:12,13)「奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなたがたをも迫害するでしょう」というイエスの言葉の真実さを,パウロは悟ることができました。(ヨハネ 15:20)良いたよりのために幾多の試練を経ることをパウロは特権と考えていました。―フィリピ 1:27-30。

      18 ある銀細工人はパウロの伝道にどのように反対しましたか。しかし最後にどんなことが起きましたか。

      18 三度目の伝道旅行の時にもパウロは反対に遭いました。このたびは宗教と関係のある宮を作っていた職人たちが反対しました。女神アルテミスの宮を作って利益を得ていた銀細工人デメテリオが,手で作った神々は神ではないとパウロが教えているから,宮製造者の職は評判が悪くなる,と人々に警告しました。そのために町は上を下への大騒ぎとなり,市の記録官は非常に骨をおって人々を静め,群衆を解散させました。(使徒 19:23-41)そうです,パウロは再三再四命を脅かされ,信仰を試みられました。―コリント第二 4:7-12; 6:3-10; 11:23-27。

      19 パウロはどんな警告を受けましたか。しかしなぜ彼は死が予想されてもひるみませんでしたか。

      19 最後に,パウロがカエサレアにいた時,預言者アガボがパウロに警告しました。すなわち彼はエルサレムで縛られ,諸国民の手に渡されるというのでした。パウロはどうしましたか。ほかの所へ逃げたでしょうか。いいえ,逃げなかったでしょう。というのは彼は,「わたしは,縛られることばかりか,主イエスの名のためにエルサレムで死ぬ覚悟さえできているのです」と言ったからです。(使徒 21:10-13)自分の身にどんなことが起きようと,自分は奉仕の任務を忠実に果たしてきたし,「すべての人の血について潔白である」と彼は感じていました。―使徒 20:26。

      20 パウロはだれに証言する特権を得ましたか。また入獄中,時間をどのように用いましたか。

      20 予告されていた通り,エルサレムではパウロは神殿のところで無実の罪を着せられ,外に引きずり出されました。しかし,ローマの軍司令官が素早く介入したためにパウロの死はからくも食い止められました。その後パウロは,サンヘドリンと呼ばれていたユダヤの最高法廷で弁明を行なう特権を得ました。しかしここでも,彼が語った音信をめぐって論争が生じました。その夜ひとりのみ使いが彼のそばに立ち,勇気を出しなさい,と彼に告げました。エルサレムで徹底的な証しをしてきたように,ローマでも証しをしなければなりません。(使徒 23:11)その後パウロの事件は,彼がローマへ送られるまでに知事フェリクスにより,次いでその後継者ポルキオ・フェストにより,そして最後に王アグリッパ二世により審理されます。彼は二年間拘禁され,訪ねてくる人すべてに伝道しました。彼はネロ皇帝から無罪を言い渡され,釈放されたようです。―テモテ第二 4:16,17。

      21,22 (イ)再度投獄された結果,パウロが死を予期していたことを示すどんな証拠がありますか。(ロ)パウロはなぜそのように強い信仰を抱いていましたか。

      21 しかしながらパウロは西暦65年ごろローマで再び投獄されました。テモテに宛てて二番目の手紙を書き,自分の死が近づいていることを暗示したのは,この入獄期間中でした。(テモテ第二 4:6-8)彼は西暦66年にネロの手にかかって殉教の死を遂げたもののようです。

      22 パウロの信仰の試された質については,疑わしい点はありません。パウロには信仰を持つ十分の理由がありました。彼は,奇跡的な方法で召されたばかりでなく,彼が行なう特権を与えられた事柄や,彼のためにみ使いが介入したことなどに,神の霊の働きをも見ました。悪霊と人間の激しい憎しみに遭ったにもかかわらず,彼は信仰をゆるがすことも,なすべく召された業を捨てて転向することもしませんでした。彼は主を信頼し,復活の希望があることを確信していました。―コリント第一 15:14,21,22。

      23 パウロが自分の歩んだ道を恥じていなかったことがどうして分かりますか。

      23 パウロは,自分の歩んだ人生を恥じてはいませんでした。彼はアグリッパ王にこう言いました。「わたしは,あなただけでなく,きょうわたしのことばを聞いておられるすべてのかたが,こうしたなわめは別として,わたしのような者になってくださればと神に願いたいほどなのです」。(使徒 26:28,29。ローマ 1:16)彼は多くの試練に耐えなければならなかったにもかかわらず,同じ道を歩むよう兄弟たちを励ましました。コリントの兄弟たちに対し彼は,「わたしがキリストに見ならう者であるように,わたしに見ならう者となりなさい」と書き送っています。(コリント第一 11:1)パウロはわざわざもんちゃくを求めに行くようなタイプの人でも,苦難や殉教に際して,それが個人に栄光をもたらすかのように騒ぎ立てるタイプの人でもありませんでした。しかし彼は真理をしっかりと擁護しました。テサロニケ人に手紙を書いた時,彼は良いたよりがただことばだけに終わるのではなく,「力と聖霊と強い確信をも伴って」いたこと,『そして,多くの患難のもとで聖霊の喜びをいだきながらみことばを受け入れたことを見れば,彼らがパウロたちに,そして主に見倣う者となった』ことを喜んでいます。―テサロニケ第一 1:5,6。

      24 パウロのような信仰を実証するときにどんな祝福がありますか。

      24 わたしたちのうちほとんどは,パウロが遭遇した試練すべてに直面するようなことはないでしょう。それでもわたしたちは皆このような信仰を示すことができます。彼がヘブライ人に与えた次の励ましの言葉を思い起こすことができます。「わたしたちは,しりごみして滅びに至るような者ではなく,信仰をいだいて魂を生き永らえさせるものです」。(ヘブライ 10:38,39)信仰の試された質は忍耐を生み出すことをわたしたちは知っているのですから,パウロがキリスト・イエスに見倣ったように,わたしたちはパウロに見倣う者とならねばなりません。自分の上に試練が臨んでも忠実に耐えるとき,わたしたちの場合にも,わたしたちの信仰の永続的質は,「イエス・キリストの表わし示される時に,賛美と栄光と誉れのいわれとなる」ことをわたしたちは知っています。―ペテロ第一 1:5-7,9。ヤコブ 1:2,3。

  • 自分の命を過度に惜しまない
    ものみの塔 1976 | 8月1日
    • 自分の命を過度に惜しまない

      1 「終わりの時」に弟子たちにどんなことが起こるとイエスは言われましたか。

      イエスは,1,900年という長い期間にかかわる預言の中で,終わりの時にご自身の忠実な追随者たちに加えられる迫害が激しさを増すことを予告し,次のように警告されました。「人びとはあなたがたに手をかけて迫害し,あなたがたを会堂や獄に引き渡し,あなたがたはわたしの名のために王や知事たちの前に引き出されるでしょう。それはあなたがたにとって証しの機会となるのです。……わたしがあなたがたに口と知恵を与え,それには,あなたがたの反対者がみないっしょになっても,抵抗することも論ばくすることもできないからです。さらに,あなたがたは,親,兄弟,親族,友人たちによってさえ引き渡され,彼らはあなたがたのうちのある者たちを死に処する

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