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  • エホバを喜ばすには信仰と決意が必要
    ものみの塔 1969 | 12月1日
    • は,石頭,石の心のゆえについには死んで石のようになるでしょう!

      信仰とともに決意をいだきなさい!

      28 決意とはなんですか。それはなぜ肝要な特質ですか。

      28 決意ということばの一つの定義は,特定の行動を取る強固な決心です。また決意とは,確固とした意志を持つこと,目的遂行を思いとどまらせ,あるいは心をくじく企て,もしくは障害に耐えることをも意味します。(ウェブスター第三国際辞典参照)確かにこれはエホバを喜ばせる人の持つべき特質です。決意を持たず優柔不断で気骨のない人,きままに吹く風にも似たさまざまな考えにもてあそばれる雲のような人のことを聖書は再三とがめています。(エペソ 4:14。ヤコブ 1:8; 4:8)確信と決意がなければ,反対に直面すると,前進どころか後退させられてしまいます。「ところで,わたしたちはしりごみして滅びるような者ではなく,魂を生きながらえさせる信仰を持つ者」なのです。―ヘブル 10:39,新。

      29,30 御国に関する競走に参加している人はみな決意をいだいていなければなりません。なぜですか。

      29 ゆるがない強固な信仰を保つには,自分が真理を持っていることを確信し,かつ,どんなことがあろうと,エホバに忠実に奉仕することを堅く決心し,決意しなければなりません。そのような強固な決意がなければ,遅かれ早かれ,信仰の競走を途中でやめるようになるでしょう。「競走では走者がみな走りはするが,賞を得るのはただひとりであることを,あなたがたは知らないのか」と尋ねた使徒は,答えが明らかに肯定的なものであることを知って,こう結びました。「あなたがたもそれを得るような仕方で走りなさい」― コリント前 9:24-26,新。

      30 競走で勝つには決意と忍耐が必要です。猛列なスピードでスタートを切っても,ゴールに着く前にあきらめてやめたなら,競走には勝てません。競走に勝つのは,予定のコースを最後まで走り抜く決意をいだいている人です。ソロモン王も述べたとおり,速い人が競走に勝つとはかぎりません。(伝道 9:11)イエスもこう言われました。「終まで耐へしのぶ[やめない]者は救はるべし」― マタイ 24:13。

      31 わたしたちの信仰が徹底的に試みられる時は確かに訪れます。どうしてそう言えますか。

      31 世界の現状を無視することはできません。わたしたちは物事を現実に即して考え,かつ現実に敢然と立ち向かわねばなりません。現実の危険と圧力が大きければ大きいほど,それが今後さらに増大することを確信できるでしょう。滅びゆく邪悪な現体制がついに息を引き取る前に,わたしたちの信仰は極限まで試みられるでしょう。1世紀のクリスチャンのようにあなたも多くの苦難に会うかもしれませんが,「さまざまの試練によりて憂へざるを得ずとも……汝らの信仰のためしは壊つる金の火にためさるるよりも貴くして,イエス・キリストの現れ給ふとき誉と光栄と尊貴とを得(る)」でしょう。―ペテロ前 1:6,7。

      32 しかし決して手をゆるめたり,やめたりしてはなりません。なぜですか。

      32 なかには悪魔と配下の悪霊のために殺される人もあるでしょう。しかしそのために恐れてやめてはなりません。それはいくじのないこと,また自殺行為にさえなるでしょう。臆病な者は神の国に決してはいれないからです。(黙示 21:8)賢明な道は全き信仰と決意をいだき,かつ,それがたとえ苦しい死を意味するものであっても,エホバに対する全幅の確信と信頼とをもって急ぎ前進することです。あなたを激励するものとしてこうしるされています。「なんぢ受けんとする苦難をおそるな,みよ,悪魔なんぢらを試みんとて,汝らの中のある者をひとやに入れんとす。……[ゆえに]なんぢ死に至るまで忠実なれ,さらば我なんぢに生命のかんむりを与へん」― 黙示 2:10。

      33 エホバに忠実な人は,今また将来,どんな報いを受けますか。

      33 信仰,そうです,妥協することがなく,かつ,行動によって実証された信仰,それとともに,神のご命令に従う確固たる決意,これこそエホバの心を喜ばし得るものです。(箴言 27:11)そして,報いを賜うこの偉大な神は,「終わりの時」の今,そのような忠信者を数数のすばらしい特権をもって豊かに祝福してくださるのです。彼らの喜びの杯はあふれ,その前途にはなんと輝かしい賞があるのでしょう。そして最高潮を迎え,終わりなき命の最上の報いが永遠に彼らのものになるのです!「義人は信仰によって生くべし」とあるとおりです。―ガラテヤ 3:11。ロマ 1:17。

  • クリスチャンは正直に生活すべきです
    ものみの塔 1969 | 12月1日
    • クリスチャンは正直に生活すべきです

      今の時代にあって,正直に生活することは可能ですか。クリスチャンはどうすれば良心を守れますか。

      あなたは,入口に二重の鍵をかけないでも,家族で二,三日遠出をできた時代のことを覚えておられますか。買い物の際のおつりをポケットに入れる前に確かめる必要を感じなかった時代を覚えておられますか。こうした事柄を脳裏にとどめておられるならば,あなたは少なくとも中年に近づいておられるでしょう。たいていの場所において,そうした時代はしばらく前に過ぎ去ってしまったからです。

      盗み,うそ,欺きなどは,食事や睡眠のごとくに,日常茶飯のことになりつつあります。人から物を奪うことは,今では,それほど異常なこととはみなされません。夜を待たずに自分の“仕事”をする略奪者が多くなっています。白昼にナイフを突きつけて,人から物を奪うことさえするのです。だれも手を出す者がいないことを知っているからです。事実,そうした者たちが一種の英雄のごとくにみなされることもあります。そして,もしつかまれば,へまをしたと見る人々もいるのです。

      しかし,不正をほしいままにするこうした態度は,職業的な犯罪者の

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