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あなたは進歩を続けますかものみの塔 1970 | 1月15日
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こい願うなら,妥協したり,退いたりしてはなりません。
自分の信仰に対する種々の挑戦に首尾よく打ち勝っている人は,聖書の絶えざる研究,および神の御名を負う民との絶えざる交わりによって,信仰の成長を図るべきことを認識しています。その人は,信仰においてしっかり成長するため,『信仰のことばによって養われる』べきことを理解しています。(テモテ前 4:6)『救いに至ろう』とする願いのゆえに,『霊のまことの乳をしたう』のです。(ペテロ前 2:2)それで,時たま聖書を研究し,会衆の集会における神の霊的な食卓でたまに糧を得るという程度のことでは満足しません。『神に対する正確な知識をふやしつづけ』ようと思われるなら,あなたもこうした信仰の手本にならわねばなりません。―コロサイ 1:10,新。
自分の信仰を公に表明する
真理である神のみことばに対する知識と理解の成長を続けるにつれ,あなたは神に対する自分の信仰も成長することに気づかれるでしょう。正義の新秩序に関する神のお約束の実現に対するあなたの期待はやがて確信となるに違いありません。神の建てる新しい事物の体制下でのすばらしい光景について聖書の預言を読むとき,あなたの心の中には,その時代に生きて祝福にあずかりたいとの希望が育つでしょう。(ペテロ後 3:13。黙示 21:3,4)そして,聖書から得た自分の希望を他の人々に語りたいとの願いを持つなら,それはごく自然なことです。―マタイ 12:34。
クリスチャン使徒パウロは自分の信仰を公に表明したいという気持ちをいだきました。(ロマ 10:10)「神の御心は,あらゆる種類の人が救われ,真理の正確な知識に至ることであ(り)」,パウロはそのことを理解していました。(テモテ前 2:4,新)真理の正確な知識を得た彼は,自分がすべての人に対して,ある種の務めを負っていることを悟りました。良いたよりを宣明することに関して彼はこう語りました。「我は…福音を宣伝へんことをしきりに願ふなり。我は福音を恥とせず,この福音は…すべて信ずる者に救を得さする神の力たればなり」。(ロマ 1:14-17)良いたよりを他の人にわかつという点であなたはパウロのような願いを表わしますか。それとも良いたよりを恥とし,何も言わずに黙していますか。
使徒パウロは神の過分の恵みを受けながらその目的を見落とすような者ではありませんでした。(コリント後 6:1)パウロは自分が命の賞を目ざした競走をしており,賞を得るような仕方で走りぬくことを決意していました。それで,「我が走るは目標なきがごときにあらず」と語りました。(コリント前 9:24-27)むしろ彼は,「前のものに向ひて励み……褒美を得んとてこれを追求(め)」ていました。命に至る道にそって進歩前進していたパウロは,「わたしたちは,自分が進歩したところに応じ,同じ手順にしたがって,整然と歩みつづけてゆこう」と述べて,わたしたちが同じ道を進むように励ましたのです。―ピリピ 3:13-16,新。
あなたは,どこまで進歩されましたか。命の賞を目ざすことはあなたにとってパウロの場合のように大きな意味を持っていますか。それともあなたは定めなく走り,いわば二つのものの間に迷っていますか。もしあなたがまだ全き心で神に仕えていないなら『なんぢら過ぎにし日は,異邦人の好む所をおこなひ(しが)もはや足れり』という使徒ペテロのことばが,あなたの場合にあてはまっているのではありませんか。(ペテロ前 4:3)異邦人の好む所が神の意志に打ち勝つことはありません。この点を理解し,『エホバに帰する者は来れ』とのことばに喜んで応ずるべきではありませんか。(出エジプト 32:26)しかしあなたは,「自分が神の側に立つことをどのように表明できるのか」と問われるでしょう。
神の側に立つことを表明する
『万物を創造された神は栄光と誉れを受けるにふさわしい』こと,また『わたしたちが神によって生き,動き,存在している』ことを謙遜に認めることによって,あなたは自分が神の側にあることを表明できます。(黙示 4:11。使行 17:28,新)この認識は神の御心を行なおうというあなたの決意によって裏づけられねばなりません。この決意は,神とそのお目的についてあなたが得た知識,および神の御心を行ないたいという心からの願いに基づくものであるべきです。では,謙遜な態度でなされるこの認識と,神に仕えようとする決意を,どのような形で神に伝えることができますか。
御父の御心を行なうために自分をささげた時のイエスがされたように,神への祈りによって伝えることができます。その時イエスは,「みよ,我なんぢのみこころを行はんとてきたる」と言われました。(ヘブル 10:9)神の御心を行なうための決意もしくは献身は,神を賛美する生涯における重要な一歩です。そののちあなたはイエスの手本にならって水のバプテスマを受け,エホバの側を選んだことを他の人々に示さねばなりません。―マタイ 3:13-17。
聖書の預言という観点から見るとき,今日の世界のできごとは,神の側に立場を定めるために残された時間が非常に少ないことを示しています。まもなく神は,地上の支配者たちの心に,偽りの宗教の世界帝国「大なるバビロン」の残存部分を滅ぼしつくす思いをいだかせるでしょう。偽りの宗教に対する神のさばきが執行されるその日は,突如として,そしてすみやかに到来するでしょう。そのとき,真の崇拝だけがもたらす自由を持たない者すべてを束縛する,その淫婦にも似た組織からのがれ出ることはもはやできません。したがって,エホバの側に立つことをしっかりと表明して確固とした歩みを定めるのは緊急な問題であり,決して遅れてはなりません。―黙示 17:5,16,17; 18:21。
霊的な面での進歩には大きな喜びがあります。そして,それには人の永遠の運命が関係していますから,これほど大切な進歩はありません。クリスチャンとしての円熟性に達するためには多くの段階を踏まねばなりませんが,そのことのために落胆してはなりません。正しく良い心に神のみことばを入れるにつれ,あなたの信仰は成長し,あなたを一歩一歩前進させる力となるでしょう。
子供が少しずつおとなに成長すると同じように,あなたも霊的な意味で成人することを目ざせます。そして,親が愛の心で子供の身体的,精神的,情緒的な成長を図ると同じように,エホバのクリスチャン証人はあなたの霊的な成長を熱心に助けようとしています。彼らは,自分とともに聖書を学ぶ人が神のお目的に関する知識と理解の面で進歩し,ともに神の活発な奉仕者になるのを見るとき,独特の喜びを感じます。エホバの証人に何か思わくがあるわけではありません。彼らは「己の利を求め(ない)」純粋な愛で行動しています。このことを確信し,エホバの証人が差し伸べる援助を受け入れてください。―コリント前 13:4,5。
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人間はなぜ死ぬのかものみの塔 1970 | 1月15日
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人間はなぜ死ぬのか
◆ ニューヨーク・タイムズ紙の科学評論家ワルター・サリバンは次のように述べた。「人体の細胞は(脳細胞など少数の例外を除いて)絶えず自らを更新している。障害もしくは病気が生じなければ,この過程は無限に続くと考えられるが,なんらかの微妙な影響力のため,この新陳代謝が妨げられるのである。老化現象のこの本質的な問題について,目下徹底的な研究がなされている。老化現象を制御することは不可能ではない」。死をもたらすなんらかの影響力とは,いったい何か。聖書はそれが罪であることを示している。(ロマ 5:12)従順な人間をその影響力から解放できるのは神のみである。
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