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  • 平和をつくり出す人たちは幸福
    ものみの塔 1958 | 2月1日
    • 戒めを守つていると主張していますが,彼らは生命の神聖さに関する永遠の契約を全く無視しているのです。しかし,真の崇拝のために戦う人々は,ノアに最初与えられた神のこの律法が今日に至るまで未だ適用されることを認めています。また,今日のキリスト教国の宗教指導者たちは,キリストに関するあかしを守つていません。これは,もはや単にイエスの地上の宣教またはイエスの復活という音信ではなく,この終りの時において伝道されねばならないと,イエス御自身の命ぜられた音信であつて,義なる御国の設立に関する良いたよりです。(マタイ 24:14)この良いたよりは,敵の支配のつづいているいまキリストが王位につかれて力をお取りになつたという事に係るものです。(詩 110:2)全世界でこの平和な音信を宣明する時,ヱホバの証者は喜ぶべき十分の理由があります。

  • 平和をつくり出す人たちの信仰の戦い
    ものみの塔 1958 | 2月1日
    • 平和をつくり出す人たちの信仰の戦い

      1 圧迫の下にあつても,ヱホバの民はなぜ幸福ですか。

      サタンは,その時が短いことを知り,伝道の業を止めさせようと決意しています。キリストがそしりを受けて迫害され,遂には殺されたのと同じく,今日の信仰の人々も迫害を予想できます。その主と同じく,彼らもこの点で恵まれないことを彼らは知つているのです。(ヨハネ 15:20)しかし,禁止,投獄,聖書文書の没収,また多くの国で伝道の業に反対して設けられた法律の障害にも拘らず,ヱホバの証者は恐れていません。これらは,キリストの追随者の残れる者に対して戦いが行われている明白な証拠であると,ヱホバの証者は認めています。実際のところ,このすべてにも拘らず,彼らは幸福です。イエスはそのことを予見されました,『義のために迫害されてきた人たちは,さいわいである,天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり,また迫害し,あなたがたに対し偽つて様々の悪口を言う時には,あなたがたは,さいわいである。喜び,よろこべ,天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の予言者たちも,同じように迫害されたのである。』(マタイ 5:10-12,新口)それで,伝道の業の上には神の祝福があり,反対者たちがあらゆる事をしてそれを止めようとしても,伝道の業は続きます。

      2 家族が真理のために分裂しているとき,クリスチャンはどんな道に従うべきですか。

      2 ヱホバの奉仕にあつて忠実を保つため,多くの人は家庭で最大の戦いに遭います。(ミカ 7:6)イエスは次のように言われ,このことを例で示されました,「ふたりの者が畑にいると,ひとりは取り去られ,ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると,ひとりは取り去られ,ひとりは残されるであろう。」(マタイ 24:40,41,新口)親しく一緒に働いていた人々,同じ家族の者でさえ真理のために分けられるかも知れません。親しい者からの反対に遭つても,忠実を保ち,忠節を守る故に一人は生命へと取り去られます。

      3 この世の煩いに捲き込まれることは,なぜそんなにも危険ですか。

      3 他の人々にとつて,御国奉仕に加わることを妨げる最大の障害は物質主義のために起ります。その人々は,もつと高い賃金,もつと良い仕事の見込みに誘惑されてしまい,遂には自分自身の時間あるいはヱホバの奉仕に捧げる時間は殆んど無くなつてしまうのです。生活の中で御国の事柄を第一にせよ,そして他の物,生活に必要な物は確かに加えられるというイエスの助言を実行することを,彼らは忘れています。ルカ伝 14章16節には,一人の人が友だちを宴会に招待したというイエスのたとえ話が記録されています。友だちの全部は口実を設けました。一人は土地を買つたところであり,他の一人は牛を買い,更にもう一人は結婚したところでした。ノアの時代と同じく,彼らは食べ,飲み,めとり,とつぎなどしていましたが,神のことと神への奉仕には関心を払わず,本当に重要なことに気をかけなかつたのです。イエスのたとえ話にあるこれらの人々は,豊富な御馳走を食べそこないました。他の事柄を生活の中で第一にするなら,今日でも私たちは豊かな霊的の御馳走,同じ貴重な信仰を持つ人々との交わり,神に奉仕するすばらしい特権を失うでしよう。新しい世の幻を常に明るく保つことは必要です。愚か者の黄金に終るだけの黄金を夢みて新しい世の幻を曇らせてはなりません。(ルカ 21:34,36)今日の世界で最も幸福な人々は,霊的な宝を第一にして永続の富を得る人々です。

      4 神の是認を得るため,そして御国の実を結ぶためには何が必要ですか。

      4 他の人々は誇りのために,神の真の子たちとなる幸福を得ていません。信仰を他の人に語り告げる業はとうてい出来ないと,その人々は感じています。しかし,ヱホバは私たちに出来ないことを決して要求されません。誰でも話すことが出来ます。私たちは毎日話しています。口に言い表わして救われるのであると,パウロは私たちに思いおこさせます。真理を自由に語り,聖書を善意者に説明することによつて,私たちは生命に至る道に彼らを導くのです。神に対して,また,私たちの兄弟に対して本当の愛を持つなら,私たちはこの平和を作り出す業を行いたいと望むでしよう。

      5 平和の大使にとつて,信仰はなぜ一つの要求ですか。どのように信仰を強く保ことができますか

      5 反対に遭つても,神に奉仕して幸福を保つためには信仰が必要です。信仰は神の言葉を聞き,それに思いをめぐらすことによつて築かれます。誰でも,信仰をもつと働かせることができます。ペテロでさえもそうでした。イエスにまねかれて,水の上を歩こうとしたペテロは信仰によつて少しの間歩くことが出来たのですが,直ぐに確信を失つて沈みました。退いて古い世の不信仰に沈み,『主の来臨の約束はどうなつたのか』とあざける人の中に入ることを,私たちは決して望んでいません。信仰と神の言葉の知識とをしつかり捉えなさい。たとえ,からし種一粒ほどの信仰でも,私たちの必要に十分足りるものとなるでしよう。しかし,生きた信仰を保つには,信仰を働かさねばなりません。私たちは御国奉仕に加わることによつて,信仰に活気を与えるのです。兄弟に対する確信と信頼と愛によつて,私たちは信仰を表わし示します。マタイ伝 24章14節から思い起されるように,多数の人の愛は冷えるでしよう。しかし,御国の良いたよりは伝道されねばなりません。あなたの信仰は十分に大きく十分に強いもので,ヱホバがそれで十分と言われるまで伝道に参加して奉仕に忠実を保つでしょうか。

      6 ヱホバの民はその宣教において,どんな目標を持つていますか。

      6 宗教の礼拝に出席して「私は信仰を持つています」と言うだけでは不十分です。それは真の信仰でなければなりません。イエスははつきりと言われました,「主よ,主よと言う者が,みな天国にはいるのではなく」(マタイ 7:21)私たちは正確な知識を持たねばならず,それからその知識に従つて生活しなければなりません。それで,クリスチャン宣教に奉仕するとき,私たちは宗教の束縛につながれた人々を解放し,宗教的な誤りからその人々を自由にする上に役立つ者となります。欺きというとりでを築いたサタンは,人々を捕えて束縛してきました。これに対抗するには,真理の水を持てばよいのです。しかし,巧みな働き人によつて正しく用いられ,また,神の霊によつて力と勢を与えられた時に,それは十分なものです。小さな水の流れが岩の多い土地に入り込んで侵食し,グランド・キヤニヨンの大峡谷を作つたように,聖書の真理は生命への道を善意者のために開きます。これは,平和の大使として御国の音信を宣明する今日のクリスチャンが与かる幸福な役目です。

      7 肉の戦と霊の戦との違いを述べなさい。

      7 パウロはクリスチャンの宣教を戦になぞらえて,その特質を説明しました。『わたしたちは,肉にあつて歩いてはいるが,肉に従つて戦つているのではない。わたしたちの戦いの武器は,肉のものではなく,神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り,神の知恵に逆らつて立てられたあらゆる障害物を打ちこわし,すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ』(コリント後 10:3-5,新口)イエスの示されたように,クリスチャンが幸福で平和な人々であると言うなら,なぜ,パウロはこの活動を戦に比べているのですか。明らかに,パウロはここで諸国民の戦のことを言つているのではありません。霊的な戦にあつて,神の言葉に反対して立てられた伝説,哲学,悪鬼の教と戦うクリスチャン奉仕者を神は支えられると,パウロは示しているのです。『この世の神』であるサタンからの抵抗は,その指揮下にこの世のすべての軍勢を伴つているので,これは最後までつづく戦いです。しかし,信仰を守る人々にとつては,祝福された戦いです。

      8 中立の道に従うことは,なぜ必要ですか。

      8 ヱホバの証者は,キリストの主唱した立場,世にあつても世の一部ではないという立場を守らねばなりません。ヱホバの証者は,世の政治的な事柄に関しては厳正な中立の必要を認めています。それは,ヱホバのクリスチャン奉仕者として,すべての国の人に正しく奉仕するためです。真に平和をつくり出す者である彼らの信仰は,民族主義,人種,政治によつて分裂していません。ヱホバと王なる御子,キリスト・イエスの至上の命令の下に,彼らは全地にわたり一致して働いています。聖書の戒しめを心に留めている彼らは世の友となつている偽りの宗教の導きに従うことはできません。全地のヱホバの民は,本当の新世社会を築き上げました。それはあらゆる民族と以前には色々な信仰を持つていた人々の社会で,その人々はいま一致して,キリストの下に平和の世界政府を設立するというヱホバの変らない御約束を確信しています。忠実を保ち,真理のこの音信を人々に宣べ伝える戦に参加することによつてのみ,目前にある正義の新しい世において生命のすばらしい祝福を楽しむことができると,彼らは知つています。

      真理を擁護する

      9 神の言葉に反対する偽りの科学の攻撃に対して,ヱホバの証者はどのように戦ってきましたか。

      9 ヱホバの証者は,多くの点で聖書真理を擁護してきました。聖書を否認するものと前には思われていた権威者たちも,今では止むなく聖書を支持するに至りました。地は平坦であると人間が考えていたとき,聖書は『まるい地』(イザヤ 40:22,欽定訳)のことを述べていました。医者が人体の循環組織を理解した時よりも遙か昔に,聖書はそれを正しく述べました。メンデルの遺伝の法則が発見された時よりも何千年前に,ヱホバの御言葉は牧夫ヤコブの場合にそれが実際に応用されたことを記しています。(創世 30:37–31:12)今日においてさえ,人は進化論を固執していますが,事実は創造の記録の中にある不変の真理,すなわち,ヱホバは夫々の植物と動物の種をその類に従つて創造されたという事を支持しています。霊感を受けた聖書の記録は,旋毛虫病,野兎病その他,動物の持つ伝染病から起る危険を認めました。これは近代科学が細菌のことを知る遙か以前のことです。聖書に記されている創造の正確な順序が真であることは,今日の科学が確証していますが,これをモーセの単なる推測に帰することは不可能であると,数学者さえもが認めざるを得ないのです。このように,近代科学は多くの面で聖書を裏づけてきたことが分ります。神話,また霊感されていない部分があると言つて愚ろうする代りに,ヱホバの証者は,最も新しい近代科学の証拠を用いて,善意者の眼の前に聖書を擁護しようと戦つています。

      10,11 創造主の属性を挙げ,真理がそれらの属性と如何に調和しているかを説明しなさい。

      10 宗教上の戦場においても,ヱホバの証者は,ヱホバが愛と公正と力と知恵の神であることを認めています。練獄と地獄の火の教えは,創造主を愛のある父ではなくて悪魔の神に見せて居り,聖書の述べている事と一致していません。愛の神であるヱホバは,聖書からこの事を示されています。多くの人の良く知る聖句は,簡単にこう述べています。『罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。』(ロマ 6:23,新世)聖書をよく調べるとき明らかになることですが,神が人間種族に永遠の苦しみの罰を与えようとされたことは決してありません。かえつて,ことさらに悪を行う者の終りは死という永遠の眠りなのです。―エレミヤ 51:39。

      11 人間の反逆のゆえに神が止むなく地を火で滅ぼされると信ずるなら,神は知恵の神であるという聖書の考えとは全く一致しないものです。そのうえ,ヱホバの御目的は変らないと,聖書は示しています。エデンの園において示されたように,人間が美しい地の上で平和と幸福に生きることは,ヱホバの最初の御目的であり,正義の新しい世において完全に成就されるでしよう。伝道之書 1章4節は,地が永遠に保つと明らかに示しています。それで,以前の世の組織が大洪水のときに過ぎ去つたのと同じく,現在の世の組織は過ぎ去るでしよう。しかし,信仰の人は生き残つて,地に対するヱホバの御目的の全き成就を楽しむのです。偉大なる知恵の神はこの成就をずつと昔に予見されました。

      12 私たちはヱホバの公正と力をどのように認めますか。

      12 ヱホバの設けられた御準備により,すべての種類の人は信仰によつて,自由の贈物である生命を与えられます。この御準備の中に,ヱホバの公正は表わし示されています。これは祈りによつて得られるのではありません。ある人々は金銭を払つて祈つてもらう余裕がありますが,他の人々はそうできないのです。同じ仲保者であり,取りなしをして下さる方,また私たちの贖い主であるキリスト・イエスは,すべて霊と真を以てヱホバを崇拝したいと願う人が呼び求めることのできる方です。多くの人は自分の見方に従つて神の力を否定しますが,ヱホバの証者は宇宙の創造主の限りない力を認めています。御国に関して,もし御国が来るとすれば,何千年将来のことか分らないと言う代りに,ヱホバの証者は,現在の組織の最後的な終りの時が神によつて定められたこと,神の力によつて御国が来ることを認めています。ヱホバの代弁者であるイエスの次の言葉に,ヱホバの証者は確信を置いているのです。『これらの事が,ことごとく起るまでは,この時代は滅びることがない。』(マタイ 24:34,新口)このように,その言葉と教義と結ぶ果によつて,ヱホバの証者は彼らこそ真理のための戦士であり,神の真の子たちであることを証明しています。

      13 世界平和のために,偽りの宗教が築いてきた基礎は何ですか。

      13 これとは反対に,偽りの宗教は神の真の言葉を伝道してきませんでした。そして,神の僕にふさわしい実も結んでいないのです。一雑誌が問うているように,『宗教の人気が急に高まつたことは,それが精神のものというだけで,飲み騒ぎと同じではなかろうか』教会の出席者が急増し,人々が宗教に殺到しても,犯罪と不道徳は相変らず増加してきました。このことから伺われるように,多くの人の信仰はうわべだけのものであり,今日の世界の宗教組織は人々の心にまで達しなかつたのです。なお悪いことに,彼らが人々に与えてきたのは伝説であつて,神の御心にかなつた生活をするように人を動かす真理ではありませんでした。宗教に無智な時代が生じたのです。教会に通う人が聖書の代りに讃美歌の本と教義問答集を持ち出して来て,聖書と同じであると考えていることはよくあります。教会がより良い,平和な世界を求めて戦つても,時勢を変えることができなかつたのは当然です。彼らは健全な基礎である神の言葉を基にして行いませんでした。

      14 宗教的な欺きを行う人々に対して,どんな警告が聖書にはありますか。

      14 使徒パウロはコリント後書 11章13-15節において,偽りの宗教指導者たちのことを述べました。そして,たとえ,彼らが義の奉仕者であると主張しても,彼らの終りはそのしわざに合つたものになると警告しています。ゼカリヤ書 13章4-6節の予言が示しているように,偽りの崇拝を用いて人々を欺く者は神の顧りみ給わない者共です。終りの時になつて,宗教的な欺きの大きさに気づいた人々は偽りの教師にそむきますが,それらの牧師たちは法衣をさいて,我々は若い時から地を耕やす者であつたと主張するだけでしよう。自分が神に信仰を持つてさえいれば,どの宗教でも良い,そして遅かれ早かれ,宗教はすべての人のために世界平和をもたらすと信じて安心している人は,これらの聖句によつて目をさまさなければなりません。ヱホバは過去において偽りの崇拝を決して許しませんでした。今でも同じく,たとえ,それがキリストの名によつて伝道されていようとも,ヱホバが偽りの崇拝を許されることはないのです。今の時代の分裂した宗教の群は,サタンの組織の像の足となつているもろい土くれによつて表わされています。これは打ち砕かれてしまい,正義と平和のみちるヱホバの新しい天と新しい地の動かない基礎のために道が開かれるでしよう。

      15 (イ)どのようにすれば,真理を効果的に善意者に伝える事が出来ますか。(ロ)過去と現在において,ヱホバの使者たちはどのように迎えられましたか。

      15 マタイ伝 23章に示されているように,イエスと使徒たちが偽りの宗教を暴露したのも不思議ではありません。イエスと使徒たちの願いは,その時代の正直な心をもつ人々の眼を開いて,生命への道を認めさせることでした。ヱホバの証者の願いも同じく,真理を求める人々を助けて聖書の明確な理解を得させることであり,人々を怒らせることではありません。このことを成し遂げるためには,巧みさと愛を用いなければならぬと,使徒パウロは説明しました。『ユダヤ人には,ユダヤ人のようになつた。ユダヤ人を得るためである。……弱い人には弱い者になつた。弱い人を得るためである。すべての人に対しては,すべての人のようになつた。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために,わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。』(コリント前 9:20-23,新口)パウロはその宣教において巧みでしたが,真理の敵に対しては彼の信仰を曲げることをしなかつたために迫害されました。彼はこう書きました,『わが労は更におおく,獄に入れられしこと更に多く,鞭うたれしこと更におびただしく,死に瀕みたりしことしばしばなりき。ユダヤ人より四十に一つ足らぬ鞭を受けしこと五度,笞にて打たれしこと三たび,石にて打たれしこと一たび,破船に遭いしこと三度にして一昼夜,海にありき。しばしば旅行して河の難,盗賊の難,同族の難……に遭い』(コリント後 11:23-26)このような目に遭つたのにも拘らず,パウロは柔和な人であつて肉の武器に頼まず,悪をもつて悪に報いることをしませんでした。むしろ,パウロは良いたよりの伝道者として奉仕することを喜んだのです。

      平和を作り出す人々の勝利

      16 どんな生活の道に従うことが賢いですか。

      16 この信仰の正いし戦と諸国民の戦との間には,著しい相違があります。この戦においては,勝利を得て生命の冠を受けることができます。神が私たちの前に差し出されているこの希望は,何か不可能なものではなく,私たちがそれを目ざして希望を抱きつつ励むことのできるものです。正しい心の態度,勇気のある心,そして,神の目から見て正しい方法でヱホバに奉仕しようという誠実な決意が私たちにあるなら,私たちはそれをかち得るでしよう。その意味は,生活の中

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