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  • 「目をさまし,しつかりと立ち強くなりなさい」
    ものみの塔 1957 | 6月15日
    • 13 (イ)目をさましているために,私たちは何を忘れてはなりませんか。(ロ)眠らずに目を覚まさせることについて,祈はどんな役割を果たしますか。

      13 パウロの諭していることは,目を覚ましていることです。(コリント前 16:13,新世)サタンは,不注意になる者や,怠慢になる者に忍び寄るのですから,すべてのクリスチャンたちは非常事態に直面しています。しかし,私たちの中の或る者は,霊的に眠つているように見えます。今は,目を覚まして,祈をなす時です ― まつたく,ゲッセマネにおけるイエスの最後の時のペテロや,ヤコブや,ヨハネのようであつてはなりません。(マタイ 26:36-45)あなたは,それらの恵みを受けた使徒たちを,イエスに叱られた愚鈍な者のように見なしますか,『あなた方はそんなに,ひと時も私と一緒に目をさましていることが,できなかつたのか。……まだ眠つているのか,休んでいるのか。』(マタイ 26:40,45,新口)しかし,あなたにも適用する要点を是非つかんで下さい,『誘惑に陥らないように,目をさまして祈つていなさい。』(マタイ 26:41,新口)それから,ほんの二,三時間後には,ペテロは主を強く否んで,それから激しく泣きました。イエスは,精神的にも霊的にも,ペテロの気持のひき締まつていない結果を前もつて見こされたのです。(マタイ 26:74,75)また,イエス御自身の受けられたこの最大の試練の中で,イエスは眠らずに目を覚まさせることに祈の果す重要な役割を強調しています。熱心な態度でヱホバに祈を捧げるとき,その心はピンとなり,自分自身を調べ,そしてヱホバとその制度を通して来る矯正と保護を求めます。それで,パウロがコロサイ人にすすめたように,『目をさまして,感謝のうちに祈り,ひたすら祈りつづけなさい。』― コロサイ 4:2,新口。

      14 なぜイスラエルは,ヱホバの恵みを失いましたか。どんな災いの結果をもたらしましたか。

      14 すべてのイスラエルは,かつて,ヱホバの会衆内にいて保護を受けていました。ヱホバの指示やいましめに対して怠慢であり,無関心であるなら,その結果は災でありました。パウロの指摘する所によると,イスラエル人は『その感覚が鈍くなつた,』そして『その知的な感知力は鈍くなつた。』(ロマ 11:7,25。コリント後 3:14,新世)手抜かりにも注意を向けなかつたために,なんと高い価を払わねばならなかつたのでしよう! そのような不注意な者たちは,悪魔にあやつられて,胸のむかつくようなあらゆる種類の悪をいたします,『その思はむなしくなり,その無知な心は暗くなつたからである。そして,彼らは神を認めることを正しいとしなかつたので,神は彼らを正しからぬ思にわたし,なすべからざる事をなすに任せられた。すなわち,彼らは,あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ。』― ロマ 1:21,28-31,新口。

      15 特に今,どんな強力な理由の故に,指示や伝道に無関心でいることは愚かですか。

      15 いまは,私たちの天的な父の大きな収獲の時です。指示や,あなたの奉仕の特権にたいして,無関心になる時ではありません。『夏のうちに集むる者は,智き子なり。収獲の時に眠る者は,はじをきたす子なり。』(シンゲン 10:5)怠けていてヱホバに恥をもたらすような者を,ヱホバは,新しい世に住まわせるでしようか。又は,いま安閑としていて,のんびりしており,自分自身の慰安の事柄だけにもつぱら気にかけるような人々を,新しい世に住まわせるでしようか。ヱホバの活動的な子,忠実にして真の証者,キリスト・イエスは,次のように言われています,『このように,熱くもなく,冷たくもなく,なまぬるいので,あなたを口から吐き出そう。』― 黙示 3:16,新口。

      16 時が経つたからと言つて,ヱホバの証者はなぜその警戒心を弛めてはなりませんか。

      16 幸いなことに,新しい世の社会の増加は,ヱホバの証者の働いていることを証明します。ヱホバの証者は,伝道の大いなる業を成し遂げているのであつて,ぼんやり坐つて話を聞いていたり,読んでいたり,「自分の仕事に怠けて」はいません。(ロマ 12:11,新世)また,御国が誕生してから約半世紀経つたからといつて,気を弛めて怠けようとはしません。そのようなことを決してしないでしよう。かたい岩の上に家を建てた賢い人のように,ヱホバの証者は御国の奉仕を活潑に行いつづけます。(ルカ 6:47,48)『洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても,それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。』― ルカ 6:48,新口。

      しつかりとした信仰

      17,18 (イ)信仰は,どんな基礎の上に置かれますか。(ロ)信仰は,どんな生活に導きますか。

      17 『信仰にしつかりと立ちなさい』と使徒は次に強調しています。(コリント前 16:13,新世)神をよろこばす私たちの信仰は,知識の上に立てられています。(ヘブル 11:6)それについての私たちの確信は確実なものであり,疑とか迷はないものです。それですから,私たちは安定した,責任を負う生活をいたします。それは,岩なる基礎,神の御言葉の真理の上にしつかりと置かれるものです。子供らしい仕方で,できそうもないことを始めてみたり,または気まぐれに奉仕における一つの仕事から他の仕事に移つてみたりして,結局その終は駄目なものになる,などのことをいたしません。(ヤコブ 1:6-8; 4:7,8。エペソ 4:13。コリント前 13:11)それで,私たちは信仰を持つて,首尾一貫し,そして業により私たちの信仰のかたさを示すために安定していなければなりません。―ヤコブ 2:14-26。

      18 クリスチャンの立場はしつかりしたものです。というのは,クリスャンは自分の契約した義務に対して責任を取るからです。そのクリスチャンは,神に献身しました。それは前進の段階です。積極的な行為が続かねばなりません。そのクリスチャンは,奉仕における責任の取り扱い方を学び,信頼すべき者となり,そして進歩します。新しい世の社会内には,援助を与えることのできる有能な僕たちがいます。それらの僕たちは,そのためにはよろこんで援助をいたすでしよう。すべての人を援助して,かたく立たせ,そしてヱホバの祝福と是認を受けさせる準備は,ことごとく設けられているのです。

      19 しつかりと立つためには,クリスチャンはどんな交際を培うべきですか。

      19 ヱホバは,しつかりと立つため私たちに必要なものを御存知です。しつかりとした信仰を持つためには,この世から離れよ,とヱホバはさとして居られます。この世の人々との交際は,福音を伝道するためと,生計を立てる仕事の関係上己むを得ない程度,なら許されるものです。(ヤコブ 1:27; 4:4。ヨハネ 17:15。エペソ 4:17,18)しかし,この古い組織制度の悪しき有害な行は絶対に避けて,霊的な事柄の理解を確立するよう,私たちは諭されています。『兄弟たちよ。物の考え方では,子供となつてはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが,考え方では,大人となりなさい。』(コリント前 14:20,新口)或る人々は,利己的にも又心かたくなにも,自分の求める友人ということについて重大な間ちがいをいたします。この世の人々と友人の交際をして,交わることはクリスチャンとしてかたく立つことにすこしも貢献しません。私たちにはふさわしくないそのような友人を好んだ当時の不注意な者たちに対して,パウロは次の言葉を書きました,『まちがつてはいけない。悪い交わりは,良いならわしをそこなう。』(コリント前 15:33,34,新口)まつたく,間ちがつてはいけません。そして,そのような友人たちは兄弟たちよりもずつと好ましい者で,社会的にも受け入れられており,また経済的にも自分にとつて利益のある者だなどと言つて,そのような友人と交わりを結ぶ弁解にしてはなりません。そのような人々との交際が,好ましいものであるなら,それはあなた自身を調べる時です。自分は十分に強いから,信仰の固い立場を弱めたり,妥協したりするような危険を冒しても大丈夫だ,などの愚かな考えを持たないで下さい。会衆の集会や,野外における伝道で,自分の謙遜な兄弟たちとの交りを培う方が,ずつと良いのです。

      20 なぜ,信仰にしつかり立つことは難しいのですか。しかし,そのためのどんな励ましがありますか。

      20 信仰にしつかりと立つことは,戦を意味します。なぜなら,私たちの敵は,悪魔サタンだからです。私たちが悪魔をしりぞけて,全地にいる忠実な兄弟たちと共に忠実を保つなら,ヱホバを大いによろこばします。(ペテロ前 5:9,10)兄弟たちの忠実を見て,私たちもいつしようけんめいに働き,かたく立つ気持になるはずです。そして,ヱホバからの他の祝福を期待しつつ,将来を見こします。『私たちは,このために労し苦しんでいる。それは……生ける神に,望みを置いてきたからである。』(テモテ前 4:10,新口)それで,ヱホバがいま私たち各人に課し給う責任を果し,私たちの特権を楽しみつつ,ヱホバのこの臨在の日に全く目を覚ましてふさわしい仕方で歩くとき,私たちは幸福となります。『ただ,あなた方はキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして,私が行つてあなた方に会うにしても,離れているにしても,あなた方が一つの霊によつてかたく立ち,一つ心になつて福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を,聞かせて欲しい。このことは,彼らには亡びのしるし,あなた方には救のしるしであつて,それは神から来るのである。』― ピリピ 1:27,28,新口。

      21 どのようにすれば,私たちはヱホバの制度内にしつかりとどまることができますか。

      21 ヱホバの建て給うた制度内に,しつかりと安定している私たちは,もつとも幸福ではありませんか。御国の音信に一度目を覚ました私たちは,注意深くしようではありませんか。そして,聖書が私たちに示す活動と行の範囲内にとどまろうではありませんか。『そこで,あなた方の歩き方によく注意して,賢くない者のようにではなく,賢い者のように歩き,今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。だから,分別のない者にならないで,ヱホバの御意が何であるかを悟りなさい。』― エペソ 5:15-17,新世。

      22 この重大な決定の時において,私たちに対する神の御意は何ですか。

      22 この重大な決定の時における神の御意が何であるかについて,イエスは私たちに告げています。すなわち,目を覚まして,しつかりと立つことです。『よく注意していなさい。……これらの起ろうとしているすべての事からのがれて,人の子の前に立つことができるように,絶えず目を覚まして祈つていなさい。』(ルカ 21:34-36,新口)私たちは賢明に振舞つて,この救のすばらしい道をなおざりにせず,むしろ『聞かされていることを,いつそう強く心に留めねばならない。そうでないと,おし流されてしまう。』(ヘブル 2:1,3,新口)ヱホバは私たちを向上させるこれらの原則を備えられました。それは,この終の時に私たちを導いて信仰にかたく立たせ,霊的な力を持たせるためです。ヱホバの援助と過分の御親切をいただくことにより,私たちのすべてが,使徒のごとくこう結論し得ますように,『私は戦をりつぱに戦いぬき,走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした。』― テモテ後 4:7,新口。

  • 「奉仕を良く果すように気をつけなさい」
    ものみの塔 1957 | 6月15日
    • 「奉仕を良く果すように気をつけなさい」

      『主にあつて受けた奉仕を良く果すように気をつけなさい。』― コロサイ 4:17,新世。

      1 (イ)ヱホバは,どのように男らしい方ですか。(ロ)ヱホバとともに勝利を得るため,ヱホバの証者はどのような面で男らしいことを証明しなければなりませんか。

      『ヱホバは軍人』である,と救い出されたイスラエル人は歌いました。(出エジプト 15:3)ヱホバは,力のある戦争の神であるだけでなく,また信頼し得るという意味において,そして責任を果されるという意味において,男らしい方であられます。(イザヤ 55:11。マラキ 3:6)創造の時から栄光に輝く新しい世の設立の時にいたるまで,ヱホバは御自分のすべての行に対して責任と誉を取られます。ヱホバは,間もない中にこの地上に新しい世をつくられます。パロの軍隊を紅海で溺死させた時のように,一国家の戦闘力を亡すことによるのでなく,現在の組織制度の全部を亡すことによるのです。ヱホバの望まれることは,御自分の僕たちが,同じく責任を持ち,ヱホバの奉仕に対して忠実を守り,信頼に足り得るようになることです。かくして,ヱホバの僕たちもヱホバと共々に勝利を得ることができるでしよう。

      2 キリスト・イエスは,どんな精神をもつて地上における自分の割当てられた仕事をいたしましたか。なぜそれに倣わねばなりませんか。

      2 神に従つた忠実な子,キリスト・イエスも,常に責任をよろこんで取りました。キリストは,多くの苦しみや,迫害や,また恥辱の死を受けても,御父の御意を為すのによろこびを感じたのです。(ヘブル 10:9。マタイ 26:38,39,42,44)仕事を避けて,自分だけを富ます,という偽りの宗教の道は,イエスの常に拒否するところでした。(マタイ 23:4; 20:28)イエスは,真の謙遜さをもつて奉仕しました。そして,自分に課せられたつらい仕事を敢然と果して行つたのです。それは,全国民に証言する,という極めて大きな世界的な業を始めることでした。それで,地上における短期間の宣教生涯の初期に,イエスは自分といつしよになる者たちを招いて,その活動に参加させ,多くのいましめと共に奉仕の責任を与えました。(マタイ 10:1-42。ルカ 10:1-16)これらの者たちは,イエスの精神に良く倣いました,『私は柔和で心のへりくだつた者であるから,私のくびきを負うて,私に学びなさい。そうすれば,あなた方の魂に休みが与えられるであろう。私のくびきは負いやすく,私の荷は軽いからである。』― マタイ 11:29,30,新口。

      3 クリスチャンが『男らしくある』とは,どういう意味ですか。

      3 義務をともなう奉仕の業が課せられるとき,しりごむような人々は,イエスの男らしい模範に従つていません。また,『男らしく強くなりなさい』という使徒の健全なさとしにも注意を払つていないことになります。(コリント前 16:13,新口)イエスは伝道して群を飼うことに,すべての注意を傾倒して生活したのです。その他の義務をも,イエスはよろこんで受けいれました。イエスは,いまは地上における御国の事柄を,信頼し得ると共に,よろこんで業をなす『忠実にして慧き奴隷』級の手に委ねました。この級は,従順にも自ら進んで,課せられた業を成し,大きなよろこびを得ています。ぐずぐずしていて,無責任な悪しき奴隷は偽善者と共々に外に出され,泣き叫んだり,歯がみをしたりします。―

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