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忍耐が必要ですものみの塔 1973 | 5月1日
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の先祖たちと交渉するさいにみ使いを用いられたことを知っていました。それはすばらしいことでした。もしわたしたちのうちのだれかが,エホバのみ使いから直接に話しかけられたなら,そのことは生きているかぎり忘れられないでしょう。しかし,1世紀においては,クリスチャンたちのために,特別のことが行なわれました。はるかにすばらしいことが生じたのです。つまり神は,み使いよりもずっと高い地位におられたみ子を通して語られたのです。『いずれの御使に[神]かつてかくは言い給いしぞ「われ汝の仇を汝の足台となすまでは,我が右に坐せよ」と』― ヘブル 1:13。
14 聞いた事柄に対して普通以上の注意を払う必要があるのはなぜですか。
14 理性のあるクリスチャンは,これらの偉大な真理を認識し,この神のみ子の言われることに注意を払うことがいかに重要であるかを悟ります。そこでパウロは次のように書きます。「こういうわけだから,わたしたちは,聞く事柄に普通以上の注意を払う必要があります。わたしたちが決して漂い出ることがないためです。天使たちを通して話されたことばが確かなものであって,違背および不従順な行為がことごとく,公正にのっとった懲罰を受けたとすれば,わたしたちの主によって話しはじめられ,彼の話を聞いた人々によって,わたしたちのために確証されたという点でこれほど偉大な救いをなおざりにするなら,わたしたちはどうしてのがれうるでしょうか」。(ヘブル 2:1-3)したがって,もしわたしたちが,聞いた事柄に普通以上の注意を払わない傾向を持っているなら,わたしたちは必ず漂い出て,永遠の命を失います。
15 (イ)舟はどのように漂い出ることのたとえになりますか。(ロ)クリスチャンは,神とクリスチャン会衆からどのように漂い出るかもしれませんか。
15 パウロがこの「漂い出る」という表現を用いていることを考えると,たいへん興味深いものがあります。たぶんあなたは,だれかが小舟に乗って来て,岸へ着くと舟をつながずに大急ぎで行ってしまったのを,見たことがあるかもしれません。もしその舟を見守っているなら,その舟が流れと風に乗って岸から離れていく速度は,最初のうちはゆっくりしていることがわかります。しかし時がたつにつれてそのボートは湖をしだいに遠くへ漂っていきます。一方,絶えず見守っていないなら,少しあとで,ボートが遠く湖心に出ているの見て驚くでしょう。ですから漂い出る過程は一般にゆっくりしています。これは,クリスチャンが,「聞く事柄に普通以上の注意を払う」のをやめ,『聞くに鈍くなる』時に起こりうることです。霊の事柄に対する認識を失うにつれ,その人はしだいによくない習慣がつき,勉強をしなくなったり,クリスチャンの集会に欠席したりするようになるでしょう。他の人びとに良いたよりを伝えることが不定期になるのは,湖を急速度で横断するスピードボートのように起こるものではなく,むしろカヌーが,少しずつ,安全な係留場から漂い出る時のように,ゆっくりとした過程です。それは実際に使徒パウロが呼んでいるもの,すなわち『救いをなおざりにする』ことです。
16 (イ)ヘブル書 2章10,14,18節に述べられているようなどんな重要な真理にわたしたちは感謝すべきですか。(ロ)わたしたちは忍耐を試みられる時にどうすべきですか。
16 わたしたちの敵,つまり苦しみの原因と救いを失う原因をつくり出す者は,サタン悪魔です。キリスト・イエスがこられたことにより,悪魔を無に帰せしめる手段は確実なものになりました。キリストは救いの主要な代理者となり,この備えをすべく死なれました。(ヘブル 2:10,14)確かにクリスチャンは,このすばらしい救いの準備を,深い感謝をもって見るべきです。パウロは,苦しむヘブル人の兄弟たちに対して,キリスト・イエスはわたしたちの立場を理解してくださる,ということを力説しました。イエスもかつては人間として苦しまれました。パウロはこの事実を指摘して大きな励ましを与えました。『主は自ら試みられて苦しみ給いたれば,試みらるる者を助け得るなり』。(ヘブル 2:18; 4:15,16)そうです,クリスチャンは,天に生きたキリストがおられて,自分たちが試みられる時にはすぐに助けに来てくださることを知っています。ですからこの次にあなたの忍耐と忠実がきびしい試みに会う時には,この神の援助を祈り求めてください。
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忍耐するよう他の人びとを励ますものみの塔 1973 | 5月1日
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忍耐するよう他の人びとを励ます
1 (イ)パウロはヘブル人の兄弟たちに,どうすることを勧めましたか。(ロ)どれほどしばしば励まし合うのはよいことですか。
使徒パウロが,エルサレム市にあったヘブル人のクリスチャン会衆にあてて力強い手紙を書き送ったのは,エルサレムが,西暦70年にローマ人によって滅ぼされるわずか9年ほど前のことでした。前の記事ではわたしたちはその手紙の1,2章で彼が述べていることを取り上げました。クリスチャンになったヘブル人たちへのその手紙の第3章では,パウロは,子として神の家に忠実であった,使徒であり大祭司であるイエスを思いみなさい,とヘブル人の兄弟たちに勧めています。もしクリスチャンたちが,はばからずに語ることと,希望の誇りとを最後までしっかりと持ちつづけるなら,彼らの前には神の家の一員となる機会があります。それは忍耐を意味します。クリスチャンは,「活ける神を離れんとする不信仰の悪しき心」をいだくことを避け,むしろ「今日」といううちに日々互いに勧め,励まし合わなければなりません。―ヘブル 3:12,13。
2 ヘブル書の4章で,パウロはどのように兄弟たちを激励しましたか。
2 聖書の中には,わたしたちが熟考すべきりっぱな助言や模範がたくさんあります。パウロは,エルサレムにいたヘブル人のクリスチャンたちを励ますために,それらの模範をいくつか彼らに思い出さ
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