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    ものみの塔 1981 | 6月1日
    • 『忠実な奴隷』は『時に応じた食物』を与える

      第一次世界大戦(1914-1918年)の後,キリスト教世界の諸教会は国際連盟にその支持を与え,名目上のクリスチャンたちにそれを支持するよう呼びかけました。それとは対照的に,聖書研究者たちは人類の唯一の希望として常に王国に注意を向け,国際連盟は人間の作り出したその場しのぎの方便にすぎず,必ず破滅に至ることを暴露しました。

      現在に至るまで,キリスト教世界の諸教会は,この世の霊,またそれに影響された物質主義,進化論的な考え方,高等批評,聖書の真理を否定する様々な哲学などに毒されてきました。その大半は世の不道徳,淫行,姦淫,同性愛を認め,その結果,結婚や家族生活が破たんをきたし,青少年の非行や成人の不法行為が見られ,性病がまん延し,暴力行為が増大しています。諸教会はこの世と密接なかかわりを持ち,ある国々では独裁体制を支え,別の国々ではテロ行為や不法な活動を積極的に支援しています。

      真の霊的食物で養われている証拠

      これとは対照的に,エホバの証人の世界的規模の会衆は聖書の教えに忠実に従い続けてきました。上からの知恵と調和した,清く,貞潔な道徳規準に付き従っています。エホバの証人は結婚と家族生活を尊重し,霊の実を培っており,神との緊密な関係を維持しています。(ガラテア 5:22-26。ヤコブ 3:17,18)この雑誌や聖書研究のための類似の資料を用いて個人的に聖書研究をし,また会衆の集会に参加することによって,引き続き信仰を築き上げ,正確な知識を増し加えています。神の王国に全き確信を置いているので,この世の紛争の中にあっても厳正中立の立場を変えることなく,政府という「上にある権威」にふさわしい仕方で服し,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に」返しています。 ― マタイ 22:21。使徒 5:29。ローマ 13:1-10。

      理解に調整が加えられるのはなぜか

      『エホバの証人が“時に応じた食物”を得ていると言うなら,特定の教理に関するその教えが時々変わるのはなぜだろうか』と尋ねる向きもあるでしょう。聖書はこう答えています。「義なる者たちの進路は輝く光のようだ。それはいよいよ明るさを増して,日の堅く据えられるに至る」。(箴 4:18,新)1世紀の会衆の知識は部分的なものに限られていましたが,今日の「忠実で思慮深い奴隷」についても同じことが言えます。数多くの霊的な事柄に関する知識は,神の目的が成し遂げられて完成して初めて完全なものになります。(コリント第一 13:9-12)「奴隷」は神の霊感を受けてはいませんが,引き続き聖書を調べ,世界の出来事および神の民の状況を注意深く吟味し,現在成就しつつある聖書預言を理解しようとしています。人間には限界があるために,ある物事の理解が不完全あるいは不正確で,それを後日正さねばならないこともあります。

      だからといって,「奴隷」が,最終的で完全な理解が得られるまで,納得のいくように思える説明を公にするのを差し控えるべきであるということにはなりません。当初,キリストの弟子たちは王国が天的なものであることに気づいていませんでしたが,イエスは弟子たちが聖霊の影響の下で知識を増やしてゆくことを知っていたので,ご自分の証人になるという任務をためらうことなく彼らに与えました。(使徒 1:6-8。ヨハネ 14:25,26)実際のところ,『忠実な奴隷』級を見分ける特徴の一つは,霊的に目覚めていることに加えて神のみ言葉に対する深い敬意を抱いていることです。(マタイ 24:43,44)調整を加えることが必要なら,この級はその必要を認めてそうした変化を遂げます。この謙遜さと素直に教えを受け入れる態度はエホバのみ言葉に忠実であることの証拠です。

      『主人のすべての持ち物をつかさどる』

      イエスはその「奴隷」が「召使いたち」に『時に応じて食物を』与えているのを見たなら,「彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせる」であろうと言われました。(マタイ 24:45-47)油そそがれた弟子たちに霊的な食物を供給する以上の広い範囲におよぶそうした増し加えられた責任には,諸国民に裁きを宣べ伝えること,およびその会衆に交わるようあらゆる国民の男女から成る「大群衆」を集める面で神の器として仕えることが含まれます。「奴隷」がこれら「ほかの羊」を導き入れ,その者たちのために霊的食物を供給した結果,「ほかの羊」は地上で永遠の命を得る希望を築き上げることになりました。―イザヤ 2:1-4。ゼカリヤ 8:23。マタイ 25:31-46。ヨハネ 10:16。啓示 7:9-17。

      「よこしまな奴隷」

      マタイ 24章48-51節は「よこしまな奴隷」に言及しています。これは『忠実な奴隷』が不忠実になって「召使いたち」が世話を受けられなくなることを示すものではありません。しかし,その「奴隷」級の個々の成員のある者が主人の戻られる時に信仰を失う可能性があります。「わたしの主人は遅れている」と心の中で言うことにより,この者たちは警戒を怠り,それがきっかけとなってキリスト教の真理全体を捨てる道へと進みます。これらの者たちはかつての「仲間の奴隷たち」を攻撃するまでになるかもしれません。一つに組織された団体として共に活動してはいなくても,離れ去ったそうした者たちは不忠実な者の級を形造ります。a

      エホバのよく養われたしもべたちと共に喜ぶ

      キリスト教世界の様々な教会の団体が依然として霊的な飢えを味わっているのに対し,エホバの油そそがれた証人たちとその仲間である「ほかの羊」とから成る世界的な会衆は引き続き霊的によく養われ,喜びにあふれた状態にあります。(イザヤ 65:13-16)「奴隷」級は依然として,霊的食物を供給するその活動と霊的によく養われた世界的な会衆の存在とによって見分けられます。さらに,その「奴隷」はキリスト教時代以前および初期キリスト教の時代のエホバの忠実なしもべたちと同じ見解や態度を抱いていることによっても見分けられます。

      そうした見解や態度には次のようなものが含まれます。エホバに全き確信を抱き,エホバに信頼を寄せている。(箴 3:5-7)聖書全体を真理とし,また人間に対する神の霊感による導きとして全面的に受け入れる。(詩 119:160。ローマ 15:4。テサロニケ第一 2:13。テモテ第二 3:16,17。ペテロ第二 1:20,21)イエス・キリストの足跡に謙遜に従い,自分を否定することもいとわず,喜んで迫害に耐える。(ペテロ第一 2:21。マタイ 16:24)神のしもべは教えを進んで受け入れ,独立的でなく,求め続ける態度が必要なことに気づいている。(詩 25:9。マタイ 7:7)エホバの民は精力的に努力して神への奉仕にあずかり,宣べ伝え弟子を作らねばならないという認識を持っている。(ルカ 13:24。マタイ 24:14; 28:19,20)神の王国とその義を第一に求めることなどです。―マタイ 6:33,34。

      これらは,今日存在するエホバの民の唯一の真の会衆を見分ける聖書的な見解の幾つかにすぎません。それでも,これらは本誌の読者すべてに,エホバの証人の会衆と積極的に交わるよう促す根拠になります。また,この雑誌やお手元にある同様の出版物を用いて引き続き聖書を研究し,ご自分の学ぶ事柄を聖書と注意深く比較考量してみるよう励まされるでしょう。(使徒 17:11)そうすることによって,引き続き『時に応じた食物』で霊的に十分に養われ,受け入れられる神聖な奉仕をエホバにささげる「忠実で思慮深い奴隷」の味わう幸福に共にあずかることができるでしょう。

      [脚注]

      a 「神の千年王国は近づいた」359-364ページ,55-65節をご覧ください。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1981 | 6月1日
    • 読者からの質問

      ● 自分の配偶者の犯した姦淫の事実を知った人が,その後に姦淫を犯した配偶者と再び性関係を持つなら,その行為は潔白なほうの側が許しを与えた証拠となりますか。

      結婚関係外の性関係は,潔白なほうの側が望む場合に離婚の根拠となります。同様に,夫婦間で性の営みが再び行なわれる場合,許しが与えられ背信行為を水に流したものとみなされます。さもなければ,行動と許しを与えることとの間に何ら調和がないことになります。―マタイ 19:9; 5:37。

      姦淫を犯した配偶者の側に真の悔い改めが見られ,夫婦双方が生じてしまった様々な問題の解決に力を合わせて当たりたいと誠実に願っているなら,哀れみを示して,罪を犯した者に許しを差し伸べるのは確かに極めてふさわしいことと言えるでしょう。しばらくの間幾分緊張した関係が続き,解決しなければならない様々な問題が残るであろうことを悟ってはいても,既に存在している結婚関係を存続させるために道理にかなった範囲であらゆる努力を払っていかねばなりません。そうする時,事態は,当の夫婦やまだ家にいる子供たちに祝福をもたらすだけでなく,大いなる結婚破壊者であるサタン悪魔を敗北させるものともなるでしょう。

      時には,潔白なほうの配偶者にとって,結婚生活を続けてゆく確かな根拠を見いだすことが極めて難しい場合もあります。姦淫が明るみに出る前にも,頭の権や服従に関する聖書の原則を当てはめる点で極めて重大な問題があったかもしれません。互いに対する愛や敬意が非常に薄れてしまったために,意思の疎通がほとんどなかっ

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