ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • エホバの愛を経験する
    ものみの塔 1964 | 12月1日
    • 保釈されました。以前それは却下されていたのです。全員が無罪となり,有罪の判決はついにくつがえされました。ピッツバーグに運んだすべての道具はブルックリンに返送するため,貨物置場に運ばれました。かたずけねばならないこまごましたことがあったため,もう一人の兄弟と私が最後にピッツバーグを出ました。

      購入部

      ピッツバーグにいる間,私は会計事務所で働くと同時に,「ものみの塔」の原稿を印刷所に送る仕事をしました。また協会の物資を購入することも私の責任でした。ブルックリンに戻ってからも購入部に配属され,1958年までそこで働きましたが,この年に神経系統の手術を受け,そのためこの仕事を他の兄弟にゆずらねばならなくなりました。しかしさらに2年同じ仕事を手伝ったので,合計42年間協会の物資を購入する仕事にたずさわったことになります。現在では別の仕事をしています。協会の買物は大きな仕事でした。そして協会が出版物を自分で印刷し製本し始めてから購入物資の量はいっそう増加しました。

      予期したことではありましたが,第二次世界大戦中,協会に必要な物の多くが配給制度になり,それらを手に入れるのが大変な苦労でしたが,エホバはいつも必要な物を備えることにより愛を示されました。協会のブルックリン印刷工場の監督であったラーソン兄弟と私は,数回もワシントンに行きました。それは,印刷用紙その他配給を管理する政府の任命した委員会の前に出るためでした。

      ある有名な聖書協会からは,弁護士,実業家,牧師,その他合計12人が代表としてそこにきていました。彼らが要求を提出したのち,委員長はものみの塔協会の代表を呼びました。ラーソン兄弟と私が委員の前に出ると,委員長は「たった二人だけ?」と言いました。「そうです。しかし全能の神も共にいて下さることを望みます」と私たちは答えました。すると委員長は,「なるほど,ではそう希望しましょう」と言いました。私たちは要求量を全部入手しましたが,他の聖書協会の要求量は大はばにけずられました。

      それから歳月は矢のようにすぎ,近年は体力のおとろえを感ずるようになりました。手術後病床にあったとき,私は現在の会長ノア兄弟に向かい,私にとっていちばん苦しいのは奉仕できないことです,と話したところ,彼はへやを出がけに,「手紙を書きなさい」とすすめてくれました。手紙を書きなさいといってもいったいだれに書けばいいんだろう,と私は考えました。そのときも神は私を助けて,私が40年以上購入部にいたとき仕事の上で交渉のあった人々を思い出させて下さいました。購入部にいる間,私は多くのセールスマンや会社の社長と知り合いになっていました。この方面に手紙を出そうと思えば相手はいくらでもいます。エホバが愛の心から従順な人間のために準備された良きものについて彼らに告げればよいわけです。

      おりしも「ものみの塔」誌の予約運動が展開されていたので,私はこの運動期間中に100通の手紙を書き,それを通して140という多くの予約を得ました。それらの予約を私は「永遠の生命のための処方せん」と呼びました。運動終了後も,私が神の御国のよいたよりを手紙で知らせようと考えていた人はまだ100人以上残っていました。そこで新世訳聖書の手引「失楽園から復楽園まで」を用いて伝道し,170冊の書籍を配布しました。病床から神の目的を伝えて,そのような成果が得られたのも,エホバの愛のあらわれでした。

      真理に対する認識

      組織内の人の中には,真理に対する認識を保たなかった人もいました。一つの例として,巡回奉仕中に経験したことをお話ししましょう。その時私はフィラデルフィア市にいました。講演を終えると,選挙で長老になった,兄弟と称する人がやってきてこう言いました。「リーマー兄弟,けさ『ものみの塔』を受け取ったが,私が『ものみの塔』を読むのは,ブルックリンのあんたたちが,われわれに何をおいかぶせようとしているか,それを知りたいからだ」。選挙で長老になった人の中にはこのような精神の持ち主もいました。彼らは会衆とわざの分裂をはかっていたのです。

      これらの長老たちの態度と非常に対照的だったのは,バージニア州リッチモンド市郊外の,私が泊った家の年配の夫妻でした。この兄弟は,朝食の前に郵便受けから手紙を取ってきました。そして朝食が終ってから私にこう言いました。「リーマー兄弟,けさ新しい『ものみの塔』がきましたが,妻と私が『ものみの塔』を受け取るとまずどうするかご存じですか。包装紙を取る前にひざまづき,エホバからの音信を理解させて下さるようにエホバに祈るのです。そういうわけですので,この包装紙を破るまえに,私たちと一緒に祈って下さいませんか」。エホバの組織を認めていたこのけんそんな夫妻と例の長老とではなんと相違があるのでしょう。

      もう一つの経験も,神がいく人かの人々に祝福を与えるため私を道具として使って下さったこと,そしてそれによって私に愛を示されたことを明らかに示すものです。奉仕を始めた最初の月のことでした。私はある若い銀行員とその妻に会いました。ふたりとも「ものみの塔」から深い印象を受け,私が再び訪問したときも,さっそく聖書研究の手引書をたくさん求めました。彼らはいなかの学校の近くに住んでいました。私が「聖書研究」第1巻にでている,神の目的の図表をもとに再訪問の話を終えると,彼はその話をもう一度学校でして下さいといって,そのように話を取り決めてくれました。ふたりとも間もなく神に献身し,水のバプテスマを受け,二人の娘もバプテスマを受けました。ひとりの娘には,元陸軍少佐の婚約者がありましたが,その婚約者も聖書に関心をもつようになり,神に献身しました。そしてのちに,協会の旅行代表者,いまでいう巡回の僕になりました。その後彼の子供のひとりは,ブルックリンの協会本部にあるベテルの家族の一員になりました。こうして神は,私を道具として用いて親子3代を神のしもべにならせ,それによって私に愛を示して下さいました。

      46年むかし,私がベテルの一員になったとき,ベテルの家族はわずかでした。今日では700人から800人の家族がいます。私は今日のベテルの家族ほど,愛すべく望ましい人々の集団を知りません。私にとってベテルは,ここに来た最初の日から,「スイート・ホームで,地上で最も愛すべき所」です。この家を出ようと思ったことはいちどもありません。私がエホバの偉大なわざの本部にいるのをゆるされたことは,私に対するエホバの愛のあらわれと考えます。はじめて真理を知ってから今日に至るまでの私の生涯のテーマは,人を動かさずにはおかない,聖書の言葉,「神は愛なり」でありました。―ヨハネ 4:8。

  • これはびっくり
    ものみの塔 1964 | 12月1日
    • これはびっくり

      ◆ ソロモン諸島のある島では,二つの村の間で,ちょっとした紛争が起きました。そのうち一方は,村人のすべてがエホバの証者か,エホバの証者と聖書を勉強している人々です。神の真理を学ぶ以前に,エホバの証者の村のかしらは粗暴な人として知られていました。問題解決のための話し合いの日が来た時,相手の村人たちは,万一の場合にそなえて,手に手に槍や蛮刀をたずさえていました。ところが彼らが,大変驚いたことに,エホバの証者や,それと共に来た人々はなに一つ武器らしいものを持っていませんでした。彼らはたゞ静かに腰をおろし,平和に問題を解決しようとしました。エホバの証者でない村の人々がびっくりしたのは言うまでもありません。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする