-
「忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうかものみの塔 1982 | 1月1日
-
-
「忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうか
「主人が……自分の従者団の上に任命する忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうか」― ルカ 12:42。
1 わたしたちの前にある質問はどれほど古いものですか。その答えを見いだしていない人は何を得損なっていますか。
この質問がなされてから今までに1,900年余りたちました。今日,幾十万もの人々はその答えを見いだしたと信じています。その答えを見いだしていない人々は,自分たちの永遠の将来に影響を及ぼす益を得損なっています。その質問とはこれです。「主人が,時に応じてその定めの食糧を与えさせるため,自分の従者団の上に任命する忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうか」― ルカ 12:42。
2 (イ)その質問はいつ,だれによって提起されましたか。(ロ)その質問はだれの興味を引くはずですか。なぜですか。
2 この質問は最初,中東の地イスラエルで提起されました。時は西暦32年で,秋に行なわれるイスラエル人の仮小屋の祭りと,冬の初めに行なわれる,再建されたエルサレムの神殿の献納の祭りとの間のことでした。その質問を起こした人は全世界で論議を呼ぶ人物となりました。その人物の名前はイエス・キリストです。ですからキリスト教世界はその質問に特別な興味を持つはずです。キリスト教世界はイエスを「主」と呼び,イエスの弟子がたくさんいると主張しているからです。
3,4 (イ)イエスの話を聞いていた人たちは何に関心を持っていましたか。それでイエスは彼らに何を恐れないようにと言われましたか。(ロ)彼らが絶えず見張っている必要のあることに関係した,どんな二つの例えをイエスは話されましたか。
3 聖書の記録によると,その鋭い質問は,別の質問の答えとして提起され,地を治めるべく樹立される最も偉大な政府,天と地の創造者の王国,「神の王国」に関心を持つ人々に向けられたものです。ですからイエス・キリストはその前に,ご自分の話を聞いていたイスラエル人に対して次のように言っておられます。「恐れてはなりません,小さな群れよ。あなたがたの父は,あなたがたに王国を与えることをよしとされたからです。自分の持ち物を売って,あわれみの施しをしなさい。自分のために,古びることのない財布,天にあるいつまでも尽きない宝を作りなさい。そこでは,盗人が近づくことも,蛾が食い尽くすこともありません。あなたがたの宝のある所,そこにあなたがたの心もあるのです。
4 「あなたがたの腰に帯を締め,ともしびをたいていなさい。こうしてあなたがた自身は,自分たちの主人が婚礼から帰って来るのを待ち,主人が到着して戸をたたいたらすぐに開けられるようにしている人たちのようでありなさい。主人が到着したときに,見張っているところを見られる奴隷は幸いです! あなたがたに真実に言いますが,主人は帯を締め,彼らを食卓の前に横にならせ,そばに来て奉仕してくれるでしょう。そして,主人が第二夜警時に,あるいはたとえ第三夜警時に到着したとしても,こうしているところを見られるなら,彼らは幸いです! しかしこのことを知っておきなさい,家あるじは,どの時刻に盗人が来るかを知っていたなら,ずっと見張っていて,自分の家に押し入られるようなことは許さなかったでしょう。あなたがたも用意をしていなさい。あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」― ルカ 12:32-40。
5 (イ)イエスの勧めの言葉をペテロは何と呼びましたか。それでイエスの答えは何の部類に入りますか。(ロ)イエスの言葉の適用に関するペテロの質問は,その答えとしてのイエスの言葉がどのように適用するかについて,どんな質問を生みますか。
5 ここで主イエス・キリストが言われたことを使徒ペテロは「たとえ話」と呼びました。ルカは続けてこう記述しています。「ペテロが言った,『主よ,このたとえ話[パラボレー]はわたしたちのために話してくださっているのですか。それともみんなのためなのですか』」。(ルカ 12:41,改定標準訳及び他の翻訳)ですから論理上,イエスが答えとして言われたことも一つのたとえ話,すなわち将来現実となるある事柄を描写,もしくは例示するたとえ話と考えられるでしょう。つまり,ルカ 12章42-44節までのイエスの答えは,「忠実で賢い家令」(改定標準訳)のたとえ話の一部であったということになります。さてそのたとえ話を調べるにあたっては,後で述べられたこのたとえ話にも当てはまるペテロの質問,つまり,「主よ,このたとえ話はわたしたちに話しておられるのですか。それともみんなにですか」という質問を念頭に置いていなければなりません。(ルカ 12:41,新国際訳。リビングバイブル)そこで質問ですが,この「家令」のたとえ話は一つのクラス,つまりイエス・キリストの十二使徒である「わたしたち」級に当てはまるのでしょうか。それとも,その時イエスの話を聞いていた人すべて,そして今日では,キリスト教世界内外の,宗教的関係のいかんを問わず,イエスのたとえ話を読む個人すべてに当てはまるのでしょうか。このたとえ話は,一つのクラスに関係した事柄なのでしょうか,それとも個人に関係した事柄なのでしょうか。
「主人」
6 ペテロの質問に対する答えとして,イエスはどんなたとえ話をされましたか。
6 イエスは,前に話された「たとえ話」に関するペテロの質問に対して,直接にはお答えになりませんでした。しかし,その答えとして次のような別のたとえ話をされました。「主人が,時に応じてその定めの食糧を与えさせるため,自分の従者団の上に任命する忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうか。主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです! 真実をこめてあなたがたに言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」― ルカ 12:42-44,新世界訳。
7 家令の「主人」はだれを表わしますか。そしてその「主人」と関係を持つ人々は,「事物の体制の終結」の間どんな態度を維持すべきですか。
7 忠実な家令の「主人」が,たとえ話をした当人,つまり主イエス・キリストを表わしているということには,だれも疑問を持たないでしょう。ペテロに質問をさせることになったたとえ話の中で,イエスはご自身を花婿として描いておられます。この花婿は婚礼のために,夜か,または早朝に帰宅しますが,その時刻ははっきり分かりません。(ルカ 12:35-40)ですから,イエスのたとえ話の成就と関係のある人々は確かに,いつも油断なく見張っていなければなりません。特に「事物の体制の終結」の間はその必要があります。―マタイ 24:3。
8 イエス・キリストはいつから「従者団」の上に立つ「主人」となられましたか。啓示 7章1-8節では彼らはどのように描写されていますか。
8 家令のたとえ話の場合には,主人は「従者団」を持っており,家令自身その中の一人です。このことは,たとえ話をした主イエス・キリストが霊的な意味での家族を持っておられるという事実と一致します。ヘブライ 3章4-6節にはその趣意のことがこのように書かれています。「すべてのものを造られたのは神です。そして,モーセは従者として,そのかたの家全体にあって忠実であり,のちに語られる事がらの証しとなりましたが,キリストはそのかたの家の上に立つ子として忠実でした」。預言者モーセは,イスラエルの国が始まった時,イスラエルの12部族の家の上に立っていました。イエス・キリストは大いなるモーセとして,西暦33年のペンテコステの日から現在に至るまで,霊的イスラエルの上に立っておられます。啓示 7章1-8節の示すところによると,その「家」は14万4,000人の霊的イスラエル人から成り,12部族に分けられていて,各部族は1万2,000人です。これは,神の霊的子ら,すなわち彼らの頭イエス・キリストご自身のような子らで成る「家」です。それらの子は一つにまとまって「小さな群れ」を構成しており,イエス・キリストが言われたように,天の父であるエホバ神は彼らに天の王国を与えることをよしとされました。―申命 18:15-18。ルカ 12:32。使徒 3:19-23。
9 その「家令」が西暦1世紀に任命されたクリスチャンの一個人を表わしていると主張するなら,主人の到着の明確な時を定めることに関してどんな難しい問題に遭遇しますか。
9 したがって,神の霊的な子らである14万4,000人は「従者団」を構成し,主人である主イエス・キリストは,その上にたとえ話の「家令」を任命されます。そのたとえ話の「家令」(ギリシャ語,オイコノモス; ヘブライ語,ソーケーン ― デリッチ訳)がだれであるかということは,クリスチャンと称する多くの人々の間では依然,論議の的となっています。もし「家令」はクリスチャンの一個人を表わしていると言うなら,わたしたちは打ち勝ち難い問題にぶつかります。例えば,そのたとえ話によると,家令の主人はどこかに旅に出て,不定の期間留守にした後に帰宅しますが,その時刻ははっきり分かりません。西暦1世紀には時刻を明確に定めるということはできませんでした。当時は,電話,無線通信,決まった時刻表による迅速な旅行手段など,現代使われているような便利なものがなかったからです。
10 『主人の』到着する時のクリスチャンの一個人の年齢についてどんな難しい問題が生じますか。
10 イエスの言葉によると,「家令」は,主人が旅立つ前に「従者団」の上に任命されました。したがって,家令の主人が主イエス・キリストを表わしている以上,イエス・キリストの「家令」はイエスの出発前に,つまり西暦33年,イエスがユダヤ人の祭りであるペンテコステの10日前にもといた天に昇られる前に任命されたのです。その「家令」は,主人が戻る時に生きていて,自分に与えられた責任を忠実に果たしていることになっていました。主イエス・キリストが天の父の家に向けて出発されてから今までに19世紀が経過しました。それで,そのたとえ話の「家令」は真のクリスチャン会衆内のクリスチャンの一個人を表わしているとだれかが主張するとすれば,その家令は,西暦1世紀の33年にイエス・キリストによって任命されてから今日まで生き続けていることになりますが,どうしてそのようなことがあり得るでしょうか。そのように長く生きた人は一人もいません。有名なメトセラさえもそれほど長くは生きませんでした。―創世 5:27。
11 それで「家令」はクリスチャンの一個人ではなく何を表わしますか。この見方にはどんな聖書的裏付けがありますか。
11 聖書中の同様の例を裏付けにして論理的に考えるならば,「家令」(オイコノモス)は,一つの法人,すなわち国の法律によって認められている一つの協会のような法人団体に相当する一つのクラス,すなわち集合体を表わしていることがはっきり分かります。例えばエホバ神は,古代イスラエルの民全体を,「わたしが選んだわたしの僕」と呼ばれました。(イザヤ 43:10,新)同様に「家令」は,霊的イスラエルの「小さな群れ」を,「主人」であるイエス・キリストの,献身しバプテスマを受けた弟子全体を表わしています。彼らは神の霊によって生み出され,彼らの「主人」である栄光を受けたイエスと共に天の相続財産にあずかります。この複合の「家令」は生きていたので,出発する主人は彼らを任命することができました。そして「家令」級の残りの者は今日地上にいて,主人であるイエス・キリストに忠実であることを示しています。各成員が忠実で思慮深いために,そのクラス全体が忠実で思慮深い者となっています。
12 「従者団」の上に「家令」を任命する目的はどこにありましたか。そして事実は,この目的が「家令」級によって遂行されたことを示していますか。
12 たとえ話の中で「家令」は主人の「従者団」の上に任命されています。それは「時に応じてその定めの食糧を与えさせるため」でした。(ルカ 12:42)この目的は,複合の「家令」級を通して,今日に至るまで果たされてきました。西暦1世紀の間,つまりイエス・キリストの十二使徒の時代から,生き残った最後の使徒ヨハネの時代までそうでした。ヨハネが聖書に載せられる書物を最後に書いたのは西暦98年頃でした。(ヨハネ 21:20-23)ところで,災厄的な年1914年に始まったこの「事物の体制の終結」の期間中の今は,与えるべき「定めの食糧」を「従者団」に供給するのに特に『ふさわしい時』と言えるでしょう。実際にその通りでした。「家令」級の残りの者はその点で忠実さを示してきました。―マタイ 24:3-14。
13 主イエス・キリストは,「家令」級に関するどんな目的を持って戻られましたか。その時までこのクラスは何をしていましたか。
13 このことは,異邦人の時が終わった1914年に,主イエス・キリストが天の父と共に王国の権を執られ,そのようにしてついに目的のものを得られたという事実と一致します。(ルカ 19:12)ですからイエスは目に見えない霊の形で,そしてご自身の「家令」と清算を行なう目的で,戻ることができました。この清算の時まで,「定めの食糧」を「時に応じて」分配することは,小さな仕事ではありませんでした。しかし「家令」級の成員たちは,霊的「食糧」をお互いに分配する仕事を力を合わせて漸進的に行なってきました。エホバ神は,他の人々も王国の相続者,「小さな群れ」の成員となるように召されたからです。
「自分のすべての持ち物をつかさどらせる」よう任命される
14 主人が戻って,「家令」が奴隷としての自分の務めを行なっているところを見るなら,なぜそれは「家令」にとって幸いな時となりますか。
14 忠実で思慮深い「家令」のたとえ話の中で,主人である主イエス・キリストは家令のことを「奴隷」として語り,「主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです!」と言われました。なぜでしょうか。イエスはこう言われます。「真実をこめてあなたがたに言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」― ルカ 12:43,44。
15 『家令が』主人の「持ち物」のすべてをつかさどるべく任命されることは,家令にとってなぜ幸いなことですか。
15 これは,忠実で思慮深いことを示し,主人の帰りを期待して絶えず目を覚ましていた報いとして,その「奴隷」が「家令」としてさらに大きな責任を与えられることを意味します。それは可能なことでした。なぜそう言えますか。なぜなら主人は旅をすることによってあるものを手に入れることに成功し,出発した時よりも多くのものを携えて戻って来たからです。主人の「持ち物」は増えていたのです。したがって,忠実な「奴隷」を任命してつかさどらせるべきものも多くなりました。家令が引き続き「家令」の職務を行なうということは,より大きな資格で仕えることを意味します。家令の主人自身,ある使命を帯びて旅立った時の状態よりもさらに大きな資格を得て戻ったのです。このたとえ話の現代の成就においても同じことが,「家令」級の残りの者とその主人である栄光を受けたイエス・キリストについて言えます。
16 たとえ話の少し後で語られたイエスのどの言葉は,イエスのたとえ話が激しい苦難の時代の「家令」に関するものであることを示していますか。
16 それにしても,今が,「家令」級の残りの者を任命して,主人の多くなった「持ち物」,すなわち関心事をつかさどらせるのにふさわしい時であることを,どのように確証できるのでしょうか。イエスはこのたとえ話の数節後でこう言われました。「わたしは地上に火を起こすために来ました。そして,それがすでにたきつけられた以上,このうえわたしの願うべきことがあるでしょうか」。(ルカ 12:49)この比ゆ的な言葉は,バプテスマを施す人ヨハネがわずか数か月前にイエスについて予告していたことと一致していました。ヨハネはなかでもこう述べていました。「そのかたは聖霊と火でもってあなたがたにバプテスマを施すでしょう。穀物を簸る[穀物ともみがらを分けるため]シャベルがその手にあり,彼は自分の脱穀場をすっかりきれいにし,自分の小麦を倉の中に集め,もみがらのほうは,消すことのできない火で焼き払うのです」― マタイ 3:11,12。
17 イエスの時代のだれがすさまじい経験をすることになっていましたか。それはどんな災厄で頂点に達しましたか。
17 その預言的な言葉は,ユダヤ人の事物の体制の凄惨な終わりが来ようとしていることを示しています。クリスチャンにならなかったユダヤ人は,もみがらのように,すさまじい経験をすることになります。最後にエルサレムは破壊され,ユダヤ人はパレスチナから世界中に離散することになります。西暦70年にローマの軍団がこれを実現させました。
18,19 (イ)「事物の体制の終結」の「しるし」に関する預言の中で,イエスは「家令」のたとえ話に相当するどんな例えを話されましたか。(ロ)そのクラスの成員はパレスチナにおけるユダヤ人の体制の終結の時に忠実で思慮深いことを示しましたか。そしてそのクラスの残りの者は,この「事物の体制の終結」の時にどのようにしてきましたか。
18 象徴的な「もみがら」が消すことのできない「火」で焼き尽くされた西暦70年より37年前に,イエス・キリストは霊によるご自身の見えない「臨在」のしるしだけでなく,全世界にわたる凄惨な「事物の体制の終結」の「しるし」を説明した預言もお与えになりました。その預言の主要な部分のずっと終わりの所でイエスは,世界の事物の体制が終わりに近づいている時に地上で活動しているであろう「忠実で思慮深い奴隷」に言及しておられます。この「奴隷」に関してイエスが言われていることは,「忠実な家令,思慮深い者」に関していわれていることと非常によく似ています。それらは明らかに同じクラスを表わしていますが,「家令」という語は,「奴隷」が行なう仕事の種類をはっきり表わしています。
19 イエスの描写に注目してください。「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。あなたがたに真実に言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」。(マタイ 24:45-47)「忠実で思慮深い奴隷」級,すなわち「家令」級の成員は,西暦70年におけるユダヤ人の事物の体制の終わりまで勤勉に仕えました。その「奴隷」級,すなわち「家令」級の成員の残りの者は,西暦1914年以来の現代の「事物の体制の終結」の期間中,忠実で思慮深いことを証明してきました。
20 今日「家令」級の残りの者を構成している人々は,イエスがオリーブ山からもといた天に昇られる前に言われたどんな言葉に従っているので見分けがつきますか。
20 「家令」級の残りの者は今日容易に見分けられます。というのは,彼らは主人であるイエスが「家令」級の最初の部分を構成する人々に言われた通りのことを行なっているからです。オリーブ山からもといた天に昇って行かれる直前に,イエスは彼らに次のように言われました。「聖霊があなたがたの上に到来するときにあなたがたは力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。(使徒 1:8)主イエス・キリストの証人であるためには,それらユダヤ人の弟子たちは同時にイエスの神また父であるエホバの証人でもなければなりませんでした。彼らがエホバの証人でなくなったことはありません。
21 これらユダヤ人の弟子たちは生まれながらにしてだれの証人でしたか。彼らはいつ複合の「家令」の最初の成員となりましたか。
21 そのユダヤ人の弟子たちはエホバの証人でなければなりませんでした。なぜなら彼らは生まれながらにして,神から次のように言われた父祖たちを持つ民に属していたからです。「『あなた方はわたしの証人である』とエホバはお告げになる,『すなわち,わたしが選んだわたしのしもべである。……それで,あなた方はわたしの証人である』とエホバはお告げになる,『わたしは神である』」。(イザヤ 43:10-12,新)したがって,エホバの証人であったユダヤ人は今度はエホバのみ子イエス・キリストの証人にもなるべきでした。イエスがもといた天に昇られてから10日後のペンテコステの日に彼らは聖霊でバプテスマを施され,栄光を受けた主人イエス・キリストによりこのようにして「従者団」を治める権限を与えられ,彼らに霊的食物を与えることになりました。こういう方法で彼らは複合の「家令」の最初の,あるいは一番もとの成員となったのです。このクラスは彼らをもって立派な出発をしました。
22 「家令」級は特にだれの名のための民ですか。そのことは西暦36年以後のある時にエルサレムで開かれた特別の集まりの時に,どのように強調されましたか。
22 この「家令」級はエホバのみ名のための人々です。このことは,西暦36年以後のある時に開かれた,エルサレム会衆の使徒たちや長老たちのある特別の集まりで強調されました。その席上で,イエス・キリストの異父兄弟であるヤコブは次のように語りました。「シメオン[すなわち使徒シモン・ペテロ]は,神が初めて諸国民[割礼のない異邦人]に注意を向け,その中からご自分のみ名のための民を取り出された次第を十分に話してくれました」― 使徒 15:1-14。
23 この「事物の体制の終結」の時に「家令」級の残りの者はだれの証人となることを,まただれの名前を負うことを避けられませんか。
23 そのような非ユダヤ人が第1世紀の「家令」級の一員となったのです。その結果,このクラスは神のみ名,すなわちエホバというみ名のための,油そそがれた民となりました。彼らはエホバという神のみ名を負うことになりました。彼らはエホバの証人となるのを避けることはできませんでした。このことは今日の油そそがれた「家令」級の残りの者についてもいえるはずです。1914年以来の目に見える「しるし」が示すところによると,「家令」級の戻った主人は臨在しており,しかも「事物の体制の終結」はハルマゲドンにおいてその頂点に達しようとしています。―マタイ 24:3。
「忠実な家令」に関するこの記事を復習してみましょう。あなたは次の質問にどう答えますか ―
■ イエスが語られた「忠実な家令」のたとえ話の「主人」はだれですか。
■ 「忠実な家令」はだれですか。
■ 「従者団」はだれですか。
■ ヘブライ 3章6節の,キリストを上にいただく「家」とは何ですか。
■ 「忠実な家令」が一個人であり得ないのはなぜですか。
■ 「忠実な家令」は「忠実で思慮深い奴隷」と同じですか。
■ 「忠実な家令」級は,今日このクラスを見分けることを可能にする,どんな活動を先頭に立って行なっていますか。
-
-
ハルマゲドンを迎えるときの「家令」ものみの塔 1982 | 1月1日
-
-
ハルマゲドンを迎えるときの「家令」
1 「家令」級が迎えるハルマゲドンでどんなことが生じますか。エルサレムのヒゼキヤ王の時代にこの「家令」を予表したのはだれですか。
ハルマゲドンはヘブライ語で,「全能者なる神の大いなる日の戦争」が間もなく行なわれる場所の名前です。「家令」級の残りの者は今やその「戦争」を迎えようとしており,この世の事物の体制はその戦争で永遠に終わりを告げます。ですから「家令」級は,自分たちがエホバ神に,「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」と祈っている王国の目に見える敵を,戻った主人,すなわち栄光を受けたイエス・キリストがどのように滅ぼされるかを見るために,絶えず霊的に目覚めています。(マタイ 6:9,10。啓示 16:14-16)世界的なものとなるこの状態を例示もしくは予告したのは,エルサレムのヒゼキヤ王によって極めて重大な時に王宮の家令とされたイスラエル人が家令の職に就いていた時に生じた出来事です。
2 そのユダヤ人はだれでしたか。イザヤ書 22章15-25節によると,その人は王宮の家令の職に就いていただれに取って代わりましたか。
2 その「家令」は,ヒルキヤの子でエリアキムという名のユダヤ人でした。エリアキムについては,ヒゼキヤ王の「家の者たちをつかさどる」者として3度述べられています。(イザヤ 36:3,22; 37:2,新)エリアキムはセブナという人に代わって王宮におけるこの地位につきました。エリアキムとセブナについての神のご命令は,イザヤ書 22章15-25節に記されています。それは次の通りです。
「主権者なる主,万軍のエホバはこのように言われた。『行って,家を管理しているこの家令セブナのもとに入れ。「あなたはここにどんな関係があって,また,ここにだれと関係があって,自分のためにここに埋葬所を切り掘ったのか」。彼は高い所にその埋葬所を切り掘っており,自分のために岩壁に住まいを切り抜いている。「見よ,強壮な者よ,エホバは激しく投げつけることによってあなたを投げつけ,あなたを力ずくでつかもうとしておられる。神はあなたを広い土地のための球のように必ず堅く包む。あなたはそこで死に,あなたの栄光の兵車はそこであなたの主人の家の不名誉となる。そして,わたしはあなたをその地位から押しのけ,人はあなたをその公式の立場から引き降ろすであろう。a
「『「そして,わたしはその日わたしの僕を,すなわち,ヒルキヤの子エリアキムを呼ぶ。そして,彼にあなたの上衣を着せ,あなたの飾り帯を彼に固く締めさせ,あなたの領土をその手に渡すであろう。そして,彼は必ずエルサレムの住民とユダの家にとっての父となる。また,わたしはダビデの家の鍵をその肩の上に置く。彼が開けると閉じる者はなく,彼が閉じると開ける者はない。そして,わたしは彼を永続する場所に掛けくぎとして打ち込む。彼はその父の家にとって栄光の王座となるのである。そして,彼らはその父の家のすべての栄光を彼の上に掛けることになる。子孫と枝族,すべての小さな器類,鉢の器類,およびすべての大きなかめの器類をである。
「『「その日には」と万軍のエホバはお告げになる,「永続する場所に打ち込まれるその掛けくぎは取り除かれ,それは切り倒されて落ち,それに掛かっている荷は切り断たれることになる。エホバがそう語られたからである」』」。
3 (イ)エリアキムという名前にはどんな意味がありますか。その名前を持っていた人の場合,その意味はどのように現実のものとなりましたか。(ロ)エルサレムの城壁の前で行なわれた冒とく的な長い攻撃演説を聞くために遣わされたのはだれでしたか。最後にだれに対して助けを求める訴えがなされましたか。
3 「神は高く上げたもう」という彼の名の意味にたがわず,エホバはエリアキムを高めてヒゼキヤ王の王宮の家令とされました。それは,アッシリアの皇帝セナケリブが西暦前732年にユダに侵入する前のことでした。セナケリブはエルサレムから少し離れた所に軍を野営させ,代弁者ラブシャケを一人の護衛兵と共に遣わしてエルサレムの前に立たせ,その降伏を要求させます。その際にラブシャケは神としてのエホバをけなし,アッシリアとその皇帝をほめたたえます。エルサレムの王ヒゼキヤは,その時家令となっていたエリアキム,また書記官の地位に下げられていたセブナ,それに記録官のヨアを代表として送り,神にいどむこの長い攻撃演説を聞かせました。彼らは聞いたことを深く憂え,戻ってヒゼキヤ王に報告します。進退きわまった王は,エホバの代表者である預言者イザヤに事情を訴えます。―イザヤ 36:1-37:7。
4 その古代のドラマの現代における成就では,セナケリブはだれを表わしていますか。またヒゼキヤはだれを,そしてエリアキムはだれを表わしていますか。
4 わたしたちはそこに,今日の危機的状況に入り込んでくるのと同じ予型的な特色を見ます。対応するものをあげるならば,アッシリアのセナケリブは神の王国の敵すなわち悪魔サタンbを予表しています。サタンは,自分に逆らえば奴隷にするとか,死刑にすると言ってエホバの組織された民に降伏を要求します。「ヤハは強めたもう」という意味の名を持つ油そそがれたヒゼキヤ王は,今統治しておられる王イエス・キリストを表わしています。イエス・キリストは,地上にいるご自身の忠節な弟子たちが非難されたり,悪魔の組織の手に掛かって滅びる危険に直面したりする時,その苦しみを非常に敏感に感じとられます。ヒゼキヤ王の家の者をつかさどる「家令」エリアキムは,西暦1914年から始まったこの「事物の体制の終結」の時にまだ地上にいる「家令」級の残りの者を表わしています。予型的な家令エリアキムがユダヤ人すなわちイスラエル人であったように,今日の残りの者は,統治する王イエス・キリストの配下にある霊的イスラエル人で構成されています。
5 「ものみの塔」誌を今も世界中に配布することによって,油そそがれた残りの者たちはだれとの結び付きを示していますか。彼らは自分たちに投げ付けられた非難がましい名前を,いつすべて否認しましたか。
5 終わりの近いこの時期にあって,数は次第に減少していきますが,油そそがれた残りの者は,依然全世界に,多くの言語で,エホバの王国を知らせる「ものみの塔」誌を配布しています。エホバ神とのこの特別な結び付きは,20世紀における神権上の様々な出来事の進展の必然的な結果です。記念すべき年である1931年に,幾千もの油そそがれた残りの者は,オハイオ州コロンバスで開かれた全国大会に集まり,7月26日に満場一致で一つの決議を採択し,聖書が認めている「エホバの証人」という名前を採用しました。こうして彼らは,キリスト教世界の宗教組織が国際的な聖書研究者の団体につけていた非難がましい様々な名称を否認しました。これに合わせて,世界中の霊的イスラエル人の会衆はみな直ちにこの名称を採用しました。
6 そのようにして神のみ名を負うことにより,彼らはどんなことを進んで引き受けましたか。
6 このようにして彼らは,預言者イザヤの時代のイスラエル人に語られた言葉に示されている責任を引き受けたのです。
「『あなた方はわたしの証人である』とエホバはお告げになる,『すなわち,わたしが選んだわたしのしもべである。それはあなた方が知って,わたしに信仰を抱くためであり,わたしが同じ者であることを理解するためである。……それであなた方はわたしの証人である』とエホバはお告げになる,『わたしは神である』」― イザヤ 43:10-12,新。
家令の職の責任
7 (イ)1918年の第一次世界大戦終結以前に家令であることを主張していた宗教家たちは,その主張が偽りであることをどのように示しましたか。(ロ)キリスト教世界の僧職者はセブナのようであることをどのように示しましたか。
7 イザヤの時代のヒゼキヤ王の政府内にいたセブナのように,大いなるヒゼキヤであるイエス・キリストが支配する地上での家令の職の権利は自分たちだけにあると主張するキリスト教世界の僧職者たちがいます。しかし僧職者たちとは異なり,エホバの証人の油そそがれた忠実な残りの者の成員は,王国の家令としての務めを現実に遂行すべく真剣に努力してきました。それが特に顕著になってきたのは,キリスト教世界で始まった第一次世界大戦が終結した時からです。その時までには,戦争を挑発するキリスト教世界の僧職者たちは,王であるイエス・キリストから与えられたと彼らが主張する家令の職に関して,消すことのできない記録を作り上げていました。その時でさえ,「異邦人の時」もしくは「諸国民の定められた時」が1914年の秋に終わったことを示す証拠は積もっていました。またその時には,栄光を受けたイエス・キリストは大いなるヒゼキヤとして天で統治を開始しておられたのです。(エゼキエル 21:25-27。ルカ 21:24,欽定訳; 新世界訳)しかし,キリスト教世界の僧職者はエホバの建てられたキリストによる王国を支持しましたか。いいえ,そのようには行動しませんでした。
8 連盟が失敗に終わった後,キリスト教世界の僧職者は,霊的イスラエル人の残りの者と対照的にどのように行動しましたか。
8 1919年,キリスト教世界の僧職者は,提案されていた国際連盟の家令として仕えることを申し出ました。しかし連盟は1939年に完全に失敗に終わりました。現在では再組織された平和維持機構である国際連合がその跡を継いでいます。それらの僧職者とは全く対照的に,霊的イスラエル人の残りの者は,今建てられている,キリストによる神の王国を引き続き支持しています。
9 歴史的事実によると,ルカ 12章42節にあるイエスの質問に対する現代の答えは何ですか。
9 それで,1918年における神の裁きの開始以来,家令の職を与えられている者,もしくはその立場を一層固くされた者はだれでしょうか。1918年以後の歴史的事実を見れば自明のことですが,それは油そそがれた霊的イスラエル人の残りの者です。一つのクラスとしての彼らは,「主人が,時に応じてその定めの食糧を与えさせるため,自分の従者団の上に任命する忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうか」というイエスご自身の質問に対する答えです。(ルカ 12:42)彼らは今日の大いなるエリアキムを構成しています。つまり,ヒゼキヤ王の治世中(西暦前745-716年),アッシリアがユダの地に侵入した時に仕えていた忠実で思慮深いエリアキムによって予表された「家令」級なのです。
10 ルカ 12章43,44節のイエスの預言によると霊的イスラエル人の残りの者によって代表される奴隷の「家令」はどのように「幸い」を味わいましたか。
10 キリスト教世界や,人類の世界の他の部分に災いが臨んでいるにもかかわらず,忠実な「家令」級の成員は本当に「幸い」です。イエスが,「主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです」と予告されていた通りです。なぜでしょうか。それはイエスが続けて,「真実をこめてあなたがたに言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」と言っておられたからです。―ルカ 12:43,44。
11 イザヤ 22章20,21節によると,エホバはセブナに代えてほかの人を立てることについてどのように語られましたか。
11 このことは,霊的イスラエル人の忠実な残りの者に霊的な方法で生じました。それはヒルキヤの子エリアキムの場合と同じでした。エリアキムは,自負心の強いセブナに代わって,ヒゼキヤ王の家の者をつかさどる「家令」となりました。エホバがその預言者イザヤに言われた通りでした。「そして,わたしは[エホバがセブナをその地位から押しのけられる]その日わたしの僕を,すなわち,ヒルキヤの子エリアキムを呼ぶ。そして,彼にあなたの[セブナの]上衣を着せ,あなたの飾り帯を彼に固く締めさせ,あなたの統治権をその手に渡すであろう。そして,彼は必ずエルサレムの住民とユダの家にとっての父となる」― イザヤ 22:20,21,新。
12 そのことはイエス・キリストが1919年の春以後に行なわれたどんな処置に相当しましたか。
12 これは,イエスがご自身の王国の持ち物すべてをつかさどらせるべく,忠実で思慮深い「家令」級を任命することに相当します。特に戦後の年1919年の春以来,宗教史における新しいページが開かれました。その時,忠実で思慮深い「家令」級の残りの者はエリアキムのように,キリストの治めるエホバ神の建てられた王国の大使としての威厳を着せられました。(コリント第二 5:20)彼らはこの資格で,建てられた王国を「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で」宣伝してきました。(マタイ 24:14。マルコ 13:10)描画的に言うなら,全能の神は彼らがこの重い奉仕の務めを果たすよう,家令もしくは管理人(ヘブライ語でソーケーン,ギリシャ語でオイコノモス,セプトゥアギンタ)の「飾り帯」を彼らの腰に巻き付けて彼らの腰を引き締められたのです。―ゼカリヤ 3:1-7と比較してください。
13 その複合の「家令」級を構成する人々はいつ大いなるバビロンから出ましたか。そしてこの「家令」の「統治権」はだれの上に及ぶようになりましたか。
13 特に1919年の春以来,エホバ神はご自身の献身した民すべてに対して,偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」から出るように呼び掛けてこられました。(啓示 18:2,4)「家令」級を構成する人々はその言葉に従順に従い,実際にそこから出ました。そして天におられる彼らの主人,すなわち目に見えない様で臨在しておられる主イエス・キリストは,彼らを一つのクラスとして用い,天の王国に入る見込みのある人々すべてに「時に応じてその定めの食糧を」与えさせてこられました。この点でエリアキム級は,「エルサレムの住民とユダの家」によって表わされていた人々すべてを養う「父」のようになりました。エホバはこのような「統治権」をキリストにより「家令」級の手にお渡しになりました。そしてこの複合の「家令」は忠実に,思慮深くこの「統治権」を現在まで行使してきました。特に1935年からは,キリストの「ほかの羊」の「大群衆」が,古代エルサレムの門の「内に[いた]外人居留者」のように,父親から受けるような世話を受けています。―出エジプト 20:10,新。ヨハネ 10:16。啓示 7:9-17。
14 エリアキムが「ダビデの家の鍵」を肩に担うことによって表わされていたように,「家令」はその責任をどのように果たしましたか。
14 今日のエリアキム級には,ヒゼキヤ王の時代のエリアキムに関するエホバの言葉に述べられているのと同様の重い責任が課せられています。「また,わたしはダビデの家の鍵をその肩の上に置く。彼が開けると閉じる者はなく,彼が閉じると開ける者はない」。(イザヤ 22:22,新)その複合の「家令」級は王の「ダビデの家の鍵」を担うに値する者であることを示してきました。常に目覚めていて,「ダビデの家」によって表わされた神のメシアによる王国の地上における関心事を保護してきました。また主人が,王国相続者の残りの者の最後の成員をそろえるために選ぶ人々を喜んで迎えました。そして1935年には,立派な羊飼いが油そそがれた残りの者と一緒にして「一つの群れ」とすることをよしとされた「ほかの羊」を迎え入れることを始めました。また,追放された背教者や,エホバの証人を腐敗させるためにひそかに入り込もうとした者たちすべてに対しては戸を閉ざしました。―啓示 3:7と比較してください。
15 エホバはエリアキムを何のように永続的な場所に打ち込むことを意図されましたか。彼にはどんなものが掛けられることになっていましたか。
15 エホバは現代のエリアキム級に関する預言をさらに続け,こう言われました。「そして,わたしは彼を永続する場所に掛けくぎとして打ち込む。彼はその父の家にとって栄光の王座となるのである。そして,彼らはその父の家のすべての栄光を[掛けくぎに掛けるように]彼の上に掛けることになる。子孫と枝族,すべての小さな器類,鉢の器類,およびすべての大きなかめの器類をである」― イザヤ 22:23,24,新。
16 エリアキムはだれの代わりに立てられましたか。対型的なエリアキムは「従者団」のためにどんな奉仕をするよう任命されましたか。
16 家のそうした器類が掛けられることになっていた,永久に打ち込まれた「掛けくぎ」は,セブナに代わって新しく家令となったエリアキムを表わしていました。したがって,彼は王の家の者たちに食物や飲み物を与える務めをゆだねられました。その資格で仕えるようエリアキムを任命したことは,大いなるヒゼキヤであるイエス・キリストが,栄光のうちに到来される時に,まだ地上にいるご自身の共同相続者の残りの者たちの上に「忠実な家令」級を立てることをよしとされ,その「従者団」に対して,量の多少を問わず「時に応じて」必要な「その定めの食糧を与えさせる」ことを予表していました。量が多くなるか少なくなるかは固い食物や飲み物の種類によりました。その「食糧」が神の言葉から与えられることは言うまでもありません。しかし別の聖書的見地から見るならば,それらの「器類」は,奉仕のために異なる能力を持つ神の僕そのものを表わしています。―テモテ第二 2:20-22。
17 エリアキムは彼の父の家にとってどんな面で「栄光の王座」となりますか。父の「子孫と枝族」はこのことからどのように益を得ますか。
17 エリアキムは,彼の父ヒルキヤの家にとっても「栄光の王座」となります。ということは,以前の家令セブナと対照的に,自分の父の家すなわち父の家の評判を辱めないことを意味しました。彼はヒゼキヤ王の王宮における奉仕の立場を高められるのです。彼が「栄光の王座」のようになるということは,このすべてを象徴していました。エリアキム自身が王として座し人々から仕えられるということではありませんが,王の僕として,新しく任命された領域内で権威と「統治権」を持つことになります。エルサレムの王をある程度代表しかつ代弁します。それは彼の「父の家」が信用を失うことにはならず,むしろ彼の父の家にとっては「栄光」となり,その栄光は取り除くことのできない掛けくぎに掛けられたかのように支えられます。彼の父の家の「子孫と枝族」は,エリアキムの推薦に依存しているので信頼を失うことはありません。エリアキムの親族はみな,エリアキムが自分たちを恥ずかしくない態度で,立派に代表してくれることを期待できたのです。エリアキムの親族はみな彼が高い地位にあって,自分たちを高潔な方法で代表してくれることを当てにできたのです。彼に依存する親族はそのように強い後ろだてがあるために,王宮での奉仕の「器類」として仕えるよう励まされました。
18 (イ)今日だれに特別の責任が掛けられていますか。それはなぜ王宮における責任と言えますか。(ロ)今日,「子孫と枝族」はだれですか。そして彼らはどんな器物になぞらえられていますか。
18 同様に今日,重い責任が「忠実な家令」級に掛けられています。それは王宮における,栄誉ある責任です。なぜならそれは,エホバが今王位につけておられる王イエス・キリストへの奉仕と関係しているからです。それは,彼らの霊的父の「子孫と枝族」のように,王国の希望を持つエリアキム級と関係のある人々すべてに対する霊的責任です。彼らは掛けくぎのような「家令」級に依存している,つまりその掛けくぎに掛かっています。そして彼ら自身,理知のある生きた「器類」のような存在で,いろいろに異なる量の食糧を,自分たちと霊的な親族関係にある他の成員に提供します。―テモテ第二 2:20,21。コリント第二 4:7。
19 (イ)エリアキムはどんな重大な時に王宮の家令の職に昇進しましたか。(ロ)危険な状況の下でユダの王はどの方面に助けを求めましたか。
19 古代に,すなわち西暦前8世紀に,エリアキムはエホバの予型的な王国が危機に臨んでいた時期にエルサレムで王宮の家令の職に昇進しました。彼は,侵入者のアッシリア王セナケリブの使いが大声で述べたてた恐るべき脅しを直接に聞きました。エリアキムはその言葉を主人であるヒゼキヤ王に伝えました。そこでヒゼキヤ王は,エジプトの軍事援助ではなく,自分の神エホバに援助を求めました。それに対し,エホバは預言者イザヤを通して大いに励みとなる答えをお与えになりました。エホバの大胆な音信の成就としてそれからどんなことが生じたでしょうか。次のように記されています。
20 その時エホバは,預言者イザヤを通してお与えになった大胆な音信の成就として何を行なわれましたか。
20 「こうして,エホバの使いが出て行き,アッシリア人の陣営において十八万五千人を討ち倒した。人々が朝早く起きてみると,何と,彼らはみな死がいとなっていた。それゆえ,アッシリアの王セナケリブは引き揚げて行き,帰って,ニネベに住むようになった。そして,彼がその神ニスロクの家で身をかがめていたときのこと,その子,アデランメレクとシャレゼルが剣で彼を討ち倒し(た)」― イザヤ 37:36-38,新。列王下 19:35-37。
21 (イ)その時のエホバの戦闘行為は何を予表するものでしたか。(ロ)今日の「家令」級は今何を迎えますか。そしていつから,まただれに対して,このクラスは警告をしてきましたか。
21 当時エホバがご自身の王国のためにエルサレムでなされた戦闘行為は,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」中になされる,より大いなる行動を予表しました。その戦争で滅びをもたらすみ使いはみ使いの頭で,天のみ使いの全軍を指揮する,王位につけられた王イエス・キリストです。(啓示 16:14-16; 19:11-21)「家令」級の残りの者は,二度と行なわれないこの戦いの中の戦いに直面します。神の言葉からの「食糧」をゆだねられている「家令」級は,特に1919年以来,ハルマゲドンと呼ばれる所で行なわれるこの来たるべき「戦争」を警告するために用いられてきました。ヒゼキヤ王の時代のエリアキムの場合のように,彼らは大いなる「アッシリア人」すなわち悪魔サタンとその大軍の,近づきつつある攻撃に直面します。(ミカ 5:5,6,新)彼らは天の主人の家の成員全体及び全人類に対して,粘り強く警告を続けています。
22 その警告にだれが応じましたか。彼らはなぜエリアキムやエルサレムの他の住民に生じたこと,またその意味することによって励みを得ていますか。
22 その警告に国際的な「大群衆」が応じ,さらに他の人々にそれを伝えてきました。(啓示 7:9-17)彼らはヒゼキヤ王の家令エリアキムおよびエルサレムの他の住民に生じた事柄によって励みを得ています。というのは,その人々は,侵入者のアッシリア人による大量殺りくの戦争の犠牲者になることを免れたからです。同じように,この「終わりの時」の「家令」級と,キリストの「ほかの羊」の「大群衆」は共に,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」でこの世の事物の体制と共に滅ぼされることを免れるでしょう。(ダニエル 12:4,新)その戦争でエホバが勝利を収められた後,大いなるセナケリブである悪魔サタンとその悪霊の使いたちはすべて,大いなるヒゼキヤ,イエス・キリストの千年統治の間,底知れぬ深みに閉じ込められるでしょう。
23 ルカ 12章42節でイエスが提起しておられる質問の答えの正否について疑問の余地がなくなるのはいつですか。
23 統治する主人イエス・キリストが,「忠実な家令」級の残りの者を地上でさらに用いることをよしとされる限り,彼らは与えるべき「定めの食糧」を,生き残っている仲間の者と,主人の「ほかの羊」の「大群衆」に分配します。胸の躍るようなあの見込みの実現は間近に迫っているのですから,羊のような人はみな,資格のない「掛けくぎ」であるキリスト教世界のセブナ級に頼ってそれに掛かっている人々のようにハルマゲドンで「切り断たれる」ことがないよう,絶えず警戒していましょう。(イザヤ 22:17-19,25,新)「忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうか」というイエスの質問に対する正しい答えを確かめ,それを支持してきた人々は本当に幸いです。彼らはその家令の職に忠節を示して,この時に応じた,必要な「定めの食糧」を,「忠実な家令」すなわち大いなるエリアキムの手から受け続けるようにしなければなりません。その象徴的な「掛けくぎ」は,神の予知に従い,神の助けによって「永続する場所」に打ち込まれ,抜き取られることがないようにされたのです。ですから確信を持って,また忠節を尽くして,それにしっかりとつかまっているようにしましょう。
-