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前途の試練に備えてあなたは今訓練をしていますかものみの塔 1971 | 6月1日
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て,神はそのようなことを許されるでしょうか。許されるはずがありません。したがって,神がなぜ,ご自分のしもべたちにか酷な苦難をもたらすことをサタンに許されるかについて,正しい理解を得るのは賢明です。
15 だれが最初の人間男女を誘い込んで,神から引き離しましたか。その者の神に対するどんな挑戦に関して,紛れもない証拠がありますか。
15 聖書は,エホバ神と悪魔サタンとの間の宇宙的な重大性を帯びた論争が,この問題に関係していることを明らかにしています。すなわち,神が最初の人間男女を創造し,ふたりを地上の楽園のすまいに置かれた後,強力な天使が介入し,中傷を交えたうそによって彼らを誘い込み,創造者にそむかせることに成功しました。(創世 3:1-6)問題を引き起こした者は,その結果,悪魔すなわち,そしる者となりました。聖書は,その後悪魔が,最初の人間男女から生まれ出る子孫すべてを神から引き離すことができると主張して,神に挑戦したことを示しています。この点に関する紛れもない証拠は,神の忠実なしもべ,ヨブという人に関連して見いだされます。
16 (イ)ヨブ記にしるされている会話から明らかなとおり,エホバとサタンとの論争には何が関係していますか。(ロ)それはヨブの時代には新しい論争でしたか。
16 霊感を受けた聖書の記録は,わたしたちを天の中にまで導き入れ,そこでかわされた重要な会話を明らかにしてくれます。こうしるされています。「或日神の子等きたりてエホバの前に立つサタンも来りてその中にあり…エホバ,サタンに言たまひけるは汝〔心臓〕をもちひてわが僕ヨブを観しや彼のごとく完全かつ正くして神を畏れ悪に遠ざかる人世にあらざるなり,サタン,エホバに応へて言けるはヨブあにもとむることなくして神を畏れんや 汝彼とその家およびその一切の所有物の周囲にまがきを設けたまふにあらずや…然ど汝の手を伸て彼の一切の所有物を撃たまへ然ば必ず汝の面にむかひて汝を詛はん」。このことから,神とサタンとの論争に関係しているのは,人間は試みのもとでも引き続き神に忠実であるか,という問題であることが明らかになります。サタンは当然,人間は忠実を保たないと主張しました。そこでこの問題を解決するため,少なくともヨブの場合には,神はサタンに「視よ彼の一切の所有物を汝の手に任す」と言われました。しかし,サタンのもたらしたさまざまな試練にもかかわらず,ヨブは神に対する信仰を保ちつづけました。ヨブは自分より以前の,アベル,ノア,アブラハムその他の人々と同じように,悪魔が偽り者であることを証明しました。―ヨブ記 第1,2章。ヘブル 11:4-38。
17 悪魔は引き続き何を試みてきましたか。したがって,各自どんな質問に直面しますか。
17 何世紀にもわたり神のしもべたちの信仰と忍耐を通して,自分が偽り者であることを再三再四証明されてきたにもかかわらず,サタンは,狂奔し続け,その手をゆるめようとはしません。依然として人類を真の崇拝から引き離すため躍起になっています。それにもかかわらず,悪魔がたとえどんな試練をもたらそうと,エホバを愛する者たちは神に忠実を保ちつづけてきました。サタンが神に滅ぼされる直前にもたらす最終的な猛攻撃に,あなたは抵抗することができますか。人類は真にエホバ神を愛するがゆえにエホバに仕えるのであるという証拠に,あなたは貢献しますか。それができるか否かは,重要な助けを活用するかどうかにかかっています。
試練に耐えるための助け
18 (イ)ヨブの忠実さがエホバの心臓を喜ばせたのはなぜですか。(ロ)したがって,試練のもとで神に忠実を保つうえで何が助けとなりますか。
18 たとえば,忠実なヨブの取った道を,エホバ神がどんなに幸福に思われたかを考えてごらんなさい。サタンの言ったことは,試練のもとで神に忠誠を保つ者はいないということに等しいものでした。しかしながらヨブの生活態度は,『サタンよ,あなたは卑劣な偽り者だ。私は死ぬまで神に忠実を保ちます』と,全宇宙の前で証したことになりました。(ヤコブ 5:11)ヨブのような人が自分に忠実に仕え,その結果敵対者を偽り者とする時,エホバはなんと幸福に思われることでしょう。このことは神の愛ある訴えに示されています。「わが子よ知恵を得てわが〔心臓〕を悦ばせよ 然ば我をそしる者に我こたふることを得ん」。(箴言 27:11〔新〕)ですから,エホバの心臓を喜ばす特権を持っていることを熟考してください。試練のもとでのあなたの忠実さは,嘲笑者である悪魔サタンに対してエホバが提出しうる答えに貢献するものとなるのです。このことを覚えておくのは,試練に耐えるために欠かすことのできない助けとなるでしょう。
19 ほかに何を銘記することによって,試練に耐えるよう助けられますか。
19 試練に耐えるための別の重要な助けは,それが一時的な性質のものである点を考慮することです。神がご自分の忠実なしもべに報いる数々の祝福に比べると,試練は実際なんでもありません。(ロマ 8:18)ヨブはサタンの手にかかってひどく苦しみましたが,聖書の記録はこう述べています。「エホバかくのごとくヨブをめぐみてその終を初よりも善したまへり」。(ヨブ 42:12)さらに重要なことに,その忠実さゆえ,ヨブにはとこしえの命を享受するため死から復活するという祝福が保証されています。したがって神に忠実に仕えるのは,なんと賢明なことでしょう。聖書は次のように説明しています。「試練に耐え続ける人は幸福です。なぜなら,是認されると,その人は命の冠を受けるからであり,それは,ご自分を愛し続ける者たちにエホバが約束されたものです」― ヤコブ 1:12,新。マタイ 5:10-12。
20 (イ)わたしたちのあう試練は,他のクリスチャンたちが経験するものと異なっていますか。(ロ)他の人たちの経験を考慮することによって,どのように試練に耐えるための助けが得られますか。
20 試練に耐えるためのさらに別の重要な助けは,世界じゅうのクリスチャン兄弟たちの忠実な忍耐を考慮することです。時には自分の試練が特殊なもの,だれも自分が今あっているような苦難を経験したことはない,と考えるかもしれません。しかし,聖書は次のように述べています。「なんぢら信仰を堅うして彼[悪魔サタン]をふせげ,なんぢらは世にある兄弟たちの同じ苦難に遭ふを知ればなり」。(ペテロ前 5:9)そうです,他の場所にいるあなたの仲間のクリスチャンに,「同じ苦難」が降りかかっているのです。それは「エホバの証人の年鑑」を読めばわかります。しかしそうした苦難のもとにあっても,他の人たちはサタンに対抗して忠実に立場を取りつづけているのですから,あなたにもできるはずです。この点を覚えておくなら,試練に耐えるよう助けられるでしょう。
試練に耐えるには訓練が必要
21 前途の試練に備えて訓練をする際,祈りはどんな役割を果たしますか。
21 これらの助けを活用するほかに,祈りを通してエホバ神との親密な連絡を保ちながら,前途の試練に備えて訓練をすることが絶対に必要です。聖書はこう勧めています。「たゆまず祈り続けなさい」。『絶えず祈りなさい』。(ロマ 12:12,新。テサロニケ前 5:17)戦場の兵士が上官との連絡を保ちつづけねばならないのと同様,クリスチャンも指示と力を求めて常に神のもとに行く必要があります。イエスは,神にこう祈るよう自分の追随者を励ましました。「わたしたちを誘惑に入れず,邪悪な者から救い出してください」― マタイ 6:13,新。
22 「誘惑に入れず,邪悪な者から救い出してください」との祈りに,神はどのように答えられますか。
22 しかしながら,それは,祈りをしたあとは手をこまねいて救出を待っていればよい,という意味ではありません。試練に首尾よく耐えるためには,それ以上のことが要求されます。それは,「わたしたちを誘惑に入れず,邪悪な者から救い出してください」とのこの祈りに,神がお答えになる方法から明らかにされています。神はおもに二つの方法でそれをなさいます。まず,サタンが影響を及ぼす方法に関し,みことばを通して事前の警告を与えることによってです。そのおかげで,わたしたちは試練においてサタンから何を期待すべきかを知ることができます。事前に警告されると,事前に警備を整えられます。(コリント後 2:11)次に,みことばを通してご自分のしもべたちを強めることにより,エホバは前述の祈りに答えてくださいます。彼らはそのために,神の許しでサタンがもたらす試練に耐えうるのです。
23 前途の試練に備えるわたしたちの訓練には,何が含まれねばなりませんか。
23 したがって,前途の試練に備えての訓練に,神のことば聖書の研究を含めねばならないのはきわめて明白です。事前に正しく警告を受けかつ強められるために,この研究は必要です。しかしそれに加えて,会衆の集会における神の民との定期的な交わりをも,あなたの訓練の中に含めねばなりません。そうした集会で,あなたは神の聖霊を受け,そこで神の見える組織から愛ある援助を受け,強められるのです。(マタイ 18:20)あなたは自分をひとりにすることはできません。聖書は次のように述べているからです。「自らをひとりにする者は自分の利己的な熱望を求める。すべての実際的な知恵に逆らってきおい立つ」― 箴言 18:1,新。
24 わたしたちはエホバからのどんなすばらしい約束を得ていますか。しかし,その約束はすべての人に当てはまりますか。
24 あなたを強めるエホバ神からの備え,すなわち,みことば,霊,組織を活用するなら,ほんとうにすばらしい保証を得ることになります。聖書の中の約束に注目してください。「神は忠実であるから,あなたがたが耐えうる以上に誘惑されるままにはせず,誘惑とともに,あなたがたがそれに耐えうるようにするため,のがれる道をも設けてくださるであろう」。(コリント前 10:13,新)そうです,誘惑や試練がいかにきびしいものであろうと,エホバはご自分のしもべたちが忠実に耐えうるようにしてくださるのです。なんとすばらしい保証ではありませんか。しかし,この約束はすべての人に当てはまるのではないということを忘れてはなりません。自分を強めるための神の備えを活用する人たちにのみ当てはまるのです。祈りを通してエホバ神と定期的な連絡を保つこと,また神のことばの定期的な研究や,神の民と会衆の集会に定期的に出席することをしないでおきながら,誘惑された時にのがれる道をエホバが設けてくださると期待するのは無理です。このことから,前途の試練に備えて今,正しい訓練をすることがどれほど重要かを銘記すべきです。
25 エホバはどのようにご自分のしもべを助けて試練に耐えさせることができるかを示す,どんな現代の例がありますか。
25 ご自分の備えを活用した人々のために,エホバがどのようにのがれる道を設けることができるかを示す例として,アラブ連合共和国の神のしもべたちの場合を考えてみましょう。クリスチャンの中立を犯す活動に参加することを拒んだため,彼らは足の裏や背中を殴打されました。しかしそのひとりはこう書いています。「地面に横たわって打たれている間,この拷問を耐えられるよう助けてくださいとエホバに祈りました。全能の神エホバが私を助けてくださり,ほんとうに幸福でした」。別の証人は次のように書いています。「どれほどのはずかしめや殴打を受けたにしても,数秒後には,打たれ続けているにもかかわらず何も感じませんでした。エホバ神がいつもわたしたちとともにいてくださるのだと感じられました」。エホバはなんと驚くべき仕方で,のがれる道を設けてくださるではありませんか。悩み苦しんでいたロトを昔救出されたように,エホバは,「敬虔な専念をいだく人々をどのように試練から救出するかをご存じで(ある)」ことを,今日においてもくり返し証明してこられました。―ペテロ後 2:6-9,新。
26 今何をすることが絶対に必要ですか。
26 あなたの信仰も,まちがいなく試みられます。その理由は,悪魔サタンが自分の終わりの近いのを知っており,神への奉仕からあなたを引き離そうとして試練をもたらすからです。したがって,定期的に神に祈り,みことばを研究し,神の組織の民と定期的に集まり合って,自分を強めるための神からの備えを活用することが絶対に必要です。そうするならば,エホバの是認を得,どんな試練が臨もうとも,それを成功裏に耐えぬくことができるのです。
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わたしたちの信仰をこころみる試練に耐えるものみの塔 1971 | 6月1日
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わたしたちの信仰をこころみる試練に耐える
『あなたがたはさまざまな試練によって嘆き悲しまされてきました。それは,試みられたあなたがたの信仰の質が,賛美のいわれとなるためです』― ペテロ前 1:6,7,新。
1 試練は楽しいものですか。試練のもとでの忠実さは,どのように賛美のいわれとなりえますか。
試練は楽しいものではありません。きわめて悲痛なものである場合もあります。たとえば,イエスがつばをかけられ,嘲笑され,最後には打たれたうえ,刑柱にくぎづけにされて苦しみの死を遂げた時,それは決して楽しいことではありませんでした。(マタイ 26:66-68; 27:26-30)彼の信仰を最も極端な試みにあわせたそれらの試練は,確かに悲痛なものでした。しかし,試練のもとでのイエスの忠実な歩みは,賛美のいわれとなりました。そのために,まず神の名前に賛美がもたらされました。イエスの忠実さは,悪魔サタンが彼を神の崇拝から引き離しえないことを実証したからです。さらに,神がイエスを死から天の命へ復活させられた時,イエスは自分の忠実さの報いとして賛美と誉れを受けました。―ピリピ 2:9-11。
2,3 (イ)試練にあっている時でも,どのように幸福でありえますか。(ロ)試練にはどんな益がありますか。
2 神の名前にもたらされる賛美と,忠実さに対して神が与えられるすばらしい報いを常に見つめるなら,試練にあっていても真の幸福を維持できます。事実,イエスは山上の垂訓の中でこう言われました。「人々が,わたしのためにあなたがたを非難し,迫害し,偽ってあらゆる邪悪な事柄を言うとき,あなたがたは幸福です。喜びなさい。喜び踊りなさい。天においてあなたがたの報いは大きいからで(す)」。(マタイ 5:11,12,新)弟子ヤコブも同様に次のように書いています。「試練に耐え続ける人は幸福です。なぜなら,是認されると,その人は命の冠を受けるからであり,それは,ご自分を愛し続ける者たちにエホバが約束されたものです」。(ヤコブ 1:12,新)そうです,試練のもとでのわたしたちの忠実さが神を喜ばせ,また神からの永遠の命の報いをもたらすことを知るのは喜びの源と言えます。さらに,
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