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忠実さ ― 人の生きる道ものみの塔 1974 | 12月1日
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になりません。「良い名は大きな富よりも慕わしい」。(箴 22:1,新英語聖書)聖書の示す規準を助けとして正邪を判断しつつ,わたしたちは,神の是認される生き方,すなわち忠実を追い求める生き方を,勤勉な態度で続けてゆくことができますように。
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忠実さによって生き続けなさいものみの塔 1974 | 12月1日
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忠実さによって生き続けなさい
「しかし,義なる者は,その忠実さによって生き続ける」― ハバクク 2:4,新。
1 神の組織内にいる人には何が期待されますか。神はその人々に何を備えますか。
忠実な神エホバは,義を愛するすべての人に対して,ご自分の組織内での場所を与えておられます。言うまでもなく,エホバのこうした慈しみ深い招きを受け入れる人々は,それに伴って多くの仕事をなすべきことをも見いだしています。さまざまな割当てを果たさねばなりません。しかし,だれにせよ,そうした割当てを受け入れる際には,その責任とそれに伴う仕事を果たそうとする人を助ける神の力を軽く見てはなりません。そして,必要に応じて,神は指示や懲らしめや訓練をも与えてくださるのです。―フィリピ 4:13。コリント第一 12:18。
2 忠実さは何と密接に結び付いていますか。そのことから,エホバに仕える人には何が求められますか。
2 これは何を示していますか。エホバご自身の忠実さ,および,是認を与えるすべての者にエホバがあくまでも忠実を求められることを示しています。忠実さは,神の王国の魅力的な特色の一つである神の義と密接に結び付いています。(マタイ 6:33)したがって,その王国を求め,それを自分の生活で第一にする人は,エホバの義の規準と一致した生活をすることが必要です。そうした人々は,義にそわない自分の過去の人格を捨て,「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造され(る)」新しい人格を着けなければなりません。ついで,その行状によって,自分たちの聖なる神エホバの義を反映してゆくのです。―エフェソス 4:23,24。コロサイ 3:5-14。
3 忠実で信頼できる人と忠実でない人とはどのような点で対照的ですか。
3 神の取決めのもとで生きる人の生活においては,ある程度の期間をかけて必要な変化がなされてゆきます。その人は正確な知識の点で成長し続け,やがて,「人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振りまわされたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすること」のない状態にならなければなりません。つまり,古い歌の文句で言えば,「風や波のように定まりない」状態から離れねばなりません。そして,「堅く立って,動かされることなく,主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ち」,どんな割当てのもとでも信頼できる忠実な人とならなければなりません。―エフェソス 4:14。コリント第一 15:58。
4 忠実さはどのような形で示されますか。
4 そうした,確固としたエホバの崇拝者は,自分たちの神が定めた安全な境界の中で生きることの大切さを認識しています。それは単に,正しい生き方を知っているかどうかの問題ではなく,神の善良にして受け入れられる完全なご意志を実際に行ない,神の律法またその義の規準に従って忠実に生きるかどうかの問題です。―ヤコブ 4:17。
神はご自分の民を忠実に見守って世話される
5 エホバがご自分の民を見守っておられるというどんな保証が聖書の中にありますか。
5 忠実な神エホバは,ご自分に献身している人々を顧み,その人々の世話をされます。これはわたしたちが信頼すべき点です。エホバは,『人の子ら』を,『悪しき人も善き人も』すべて見ておられますが,『エホバの目は[特に]ただしき者をかへりみ その耳はかれらのさけびに傾いて』います。(詩 11:4。箴 15:3。詩 34:15)この点の確証として,ダビデ王はさらにこう書きました。『われむかし年わかくして今おいたれど 義しき者のすてられ あるはそのすえの糧こひありくを見しことなし』― 詩 37:25。
6,7 (イ)エホバが昔の人々の忠実さを見ておられた証拠をどこに見いだせますか。(ロ)これら昔の忠実な人々の際だった特質としてどんな点がありますか。
6 エホバはご自分に忠実な人々に目を留めておられますが,そのことの過去の証拠として,そうした人々の名を挙げておられます。一例として,ヘブライ 11章には,そうした人々の名が幾つか列挙されています。それは要約された記述ながら,それら義人が忠実を実証するために経験した幾つかの事を生き生きと描いています。彼らはエホバが自分の助け主であることを知っていました。他の者が何を言い何を行なおうと,それは彼らをおじ恐れさせたり,エホバに忠実に仕えるのをやめさせたりするものとはなりませんでした。彼らはあらゆる試練や迫害に耐え,「世は彼らに値し(ません)」でした。しかし,彼らは神の目から見て,また神の記憶の中で極めて貴重な存在であり,彼らが望みを置いた復活によって余すところなく報いを受けます。―ヘブライ 11:38。
7 彼らは,神のみ前での義なる立場を得,良い記録を築くことを目ざして励みました。これら昔の証人たちが発揮した際だった特質の一つは,その精力的な活力,正しい事がらに対するその熱心さです。また,これら昔の人々が神への奉仕に示した信仰と忠節と愛も人の心をとらえます。彼らは,神の定めた生き方として自分たちの知るものを堅く守りました。これら昔の信仰の人々に関する記録が今日まで保存されたのはわたしたちの励みのためです。―ローマ 15:4。コリント第一 10:11。
8 信仰によって生きた昔の人々の例としてさらにだれを挙げることができますか。
8 エホバを喜ばせるような生き方をした昔の別の手本として,ゼカリヤとその妻エリサベツがいます。使徒パウロの仲間であったルカはこの二人についてこう記しています。「ふたりはともに,エホバのすべてのおきてと法的な要求に従ってとがめなく歩んでおり,そのゆえに,神のみまえにあって義なる者であった」。そのために,やがて彼らは祈りを聞かれ,ゼカリヤとその妻は,メシアの先駆者であるバプテストのヨハネの親となりました。―ルカ 1:5-13。
9 (イ)聖書の中に名を挙げられている忠実なやもめとしてどんな人々がいますか。(ロ)マルコ 12章41-44節の記述から,忠実に関するどんな教訓を学べますか。
9 注目すべき信仰を示した人として聖書の中に名を挙げられているやもめたちもいます。ナオミ,ルツ,アビガイル,女預言者アンナなどはその例です。さらに,崇拝者たちが神殿の納金箱にお金を入れる様を見ていたイエスは,名の明かされていない一人のやもめに弟子たちの注意を促しました。こう言われました。「あなたがたに真実に言いますが,この貧しいやもめは,納金箱にお金を入れているあの人たち全部よりたくさん入れたのです。彼らはみな自分の余っている中から入れましたが,彼女は,その乏しい中から,自分の持つもの全部,その暮らしのもとをそっくり入れたからです」。(マルコ 12:41-44)わたしたちはこのやもめの名を知りません。しかし,彼女のことは好意的な態度で記され,そのわずかな寄付は,真の崇拝を忠実に擁護するという点でわたしたちの教訓となっています。寄付額の多少は,与える人の寛大さを必ずしも的確に表わすものではありません。このやもめはエホバに対する自分の愛を示そうとし,それを彼女なりの慎み深い仕方で行ないました。
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