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  • 忠実さによって生き続けなさい
    ものみの塔 1974 | 12月1日
    • て汚されることを避けて義にかなった者であることを実証した人々です。

      13 名を記されていないイスラエル人の一少女はエホバに対する忠実さをどのように実証しましたか。

      13 こうした出来事から幾年もたたないころに,シリア人の略奪隊の手でとりこにされた『ひとりの少女』がいました。わたしたちはその少女の名を知りません。しかしエホバは知っておられ,その忠実な行ないのゆえに彼女に対して必ず報いをお与えになります。異国の地に捕われとなり,奴隷となっていたにもかかわらず,彼女は,シリアの軍隊の長ナアマンの妻に,自分の神エホバが預言者を通して示した偉大な力について証しするのをためらいませんでした。―列王下 5:1-4。

      14 使徒パウロのおいは忠実さの点でどのように試みられましたか。

      14 使徒パウロの姉妹の息子も名を記されてはいません。しかし,その若者は,40人以上の男によって自分のおじパウロを殺す陰謀が組まれていることを,パウロに,ついで軍司令官に伝えました。忠実な若者のこの機敏な行動によって待ち伏せは失敗に終わりました。確かにエホバは,自分個人の益よりも神の民の益を先にするこうした若者たちを愛しておられます。自分に委ねられた王国の事がらを忠実に守るという点で,今日の若者に対する優れた手本ではありませんか。―使徒 23:12-22。

      15 これら聖書の記述は今日のわたしたちに特にどんな益を与えますか。

      15 聖書を読んで,忠実に生きた古代の人々の例を知ることはわたしたちの励みになります。そうした記録を調べると,エホバがご自分のしもべを見守り,愛と必要な世話とを与えておられたことが分かるからです。ついでこれは,常に生きておられるこの同じ神に忠実に仕えたいとの願いを,現代の証人たちの心に抱かせます。

      自分の力を忠実に用いる

      16,17 (イ)古代の「大ぜいの,雲のような証人たち」に対応するものとして,今日の地上にはどんな人々がいますか。(ロ)それらの人は忠実さによって「生き続け」ていることをどのように示していますか。

      16 今日,あらゆる国から来た人々の「大群衆」が,主の兄弟たちの『残れる者』に加わって,イエス・キリストの予告した,王国の「良いたより」を宣べ伝える業に携わっています。(啓示 7:9。マタイ 24:14)彼らは,自分が今知る良い事がらを他の人々に分かつ業に大きな幸福があることを学び知っています。(使徒 20:35)この「群衆」は今では幾十万を数えますが,自分たちが何か奇跡的な能力を持っているとは唱えません。ただ,自分の心と思いと魂をこめてエホバに仕えたいとの誠実な願いを抱いているのです。こうして,たとえわずかでも自分の持つ力をもって王国の関心事を推し進めることを決意しています。

      17 ハルマゲドンのぼっ発と,その後に続く比類のない祝福を間近にしたこれら現代のエホバの証人は,今が抵抗の少ない道を追い求めるべき時でないことを悟っています。むしろ,今は全時代中最も重大な時であり,自分の時間,限られたものであるにせよ自分の力,また自分の生来の能力を,神への奉仕に存分に用いるべき時代です。彼らは,霊の奇跡的な賜物が第一世紀の使徒たちと共に過ぎ去ったことを知っています。したがって,これら新しい人々が急速な進歩を遂げ,自分の前に置かれた仕事に対する十分な備えを身に着けるのは,ただ勤勉な研究と学んだ事の適用,またエホバが備えてくださる教育のためのすべての取決めを活用することによります。彼らはこのことをも熱心に行なっています。―テモテ第二 3:16,17。

      18,19 (イ)古代のヒゼキヤ王と同じような精神を持つ人々をどこに見いだせますか。(ロ)例を挙げなさい。

      18 3万2,000を超えるエホバの証人の会衆のどれを訪ねても,古代のヒゼキヤ王と同じ精神を持つ人々の,今日の生きた例を見いだせます。ヒゼキヤ王について,歴代志略下 31章21節はこう記しています。『その神を求めしわざはことごとく心をつくして行ひてこれを成しとげたり』。一例として,ある会衆には,90歳になる開拓者の兄弟の忠実な忍耐を見る喜びがありました。その兄弟は野外の監督としても奉仕し,集会にいつも出席していました。王国の良いたよりを他の人に告げる業に58年を献げてきたこの兄弟は,自分の働きの結果を見てどんなにか幸福に感じたことでしょう。彼自身の「推薦の手紙」となる人々の幾人かが,彼と共に同じ会衆で奉仕していたのです。―コリント第二 3:1-3。

      19 王国会館での集まりに定期的に出席するなら,やがてあなたも,命の糸すじにしっかりつかまり,自分の生涯のたそがれ時を,偉大な創造者を賛美し,人々を助けて創造者の名と目的を知らせることのために用いているそうした人たちの幾人かをじかに知るようになるでしょう。それは,一日一日を忠実に生き抜き,死に至るまでも自分のわずかな体力を他の人のために与え続けている人たちです。(啓示 2:10)あるエホバの証人は,自分が年老いて病気がちになっていることに対する自分の気持ちを述べ,少し忘れ易くなって,年若い証人たちに付いてゆくのが難しいという嘆きをもらしました。しかし,そうした人たちは,自分が,若い人たちに対して,依然信仰と忍耐の手本となっていることを知って慰めを受けるでしょう。使徒パウロと同じように,そうした人たちも,「わたしがキリストに見ならう者であるように,わたしに見ならう者となりなさい」と言うことができます。―コリント第一 11:1。

      20 エホバへの忠実さを実証するにあたって証人たちが打ち勝たねばならない問題としてほかにどんなものがありますか。

      20 エホバへの忠実の道を追い求めつつ,老齢による体力の衰え以外の他のさまざまな障害を克服しなければならない証人たちも多くいます。ある人々は視力を失いました。聴力に問題の生じた人もいます。また,ある人々は手足に大きな障害があります。しかし,そうした人たちも,自分の力をエホバへの奉仕に忠実に用い,「賛美の犠牲」,すなわち,「そのみ名を公に宣明するくちびるの実」を神にささげています。―ヘブライ 13:15。

      21 昔と同じどんな旅行方法がエホバの忠実な証人たちによって今なお広く用いられていますか。

      21 忘れてならないのは,幾年もの間戸口から戸口の証しの業に携わり,しかもそれを,特別の輸送手段の助けなしで行なっている多くの証人たちのことです。年取った忠実な伝道者の中には,そうした野外奉仕のために自分がどれほど歩いたかを推計できる人もいます。地球の一周あるいはそれ以上の距離を歩いた人もいるのです。そうした人たちの場合,聖書の次のことばはいかにも適切です。「良い事がらについての良いたよりを宣明する者の足はなんと麗しいのだろう」― ローマ 10:15。

      神の支配権を正しく認識して生き続けなさい

      22 こうした記録について考えると,どんなことに心を打たれますか。

      22 エホバの忠実なしもべたちの生涯の記録を振り返るとき,昔も今も,そうした忠実な男女が神の主権について深い認識を持ち,それを擁護するためには自分の命をさえ惜しまなかった,という点に心を打たれます。これは次のことを示しています。つまり,生き続けることをエホバが望まれるのは,エホバとその義の資質に対する愛のゆえにエホバに仕える人々です。そうした人々は何よりもまずエホバを愛します。(マタイ 22:37,38)多くの事を耐え忍んできた人々は,他の何にも勝って神の支配を望んでいることを正直に証しできます。ある証人はそのことをこう言い表わしました。「わたしは,これまでの年月自分がエホバに奉仕できたことを感謝しています。苦しい時も多くあったとはいえ,その一瞬といえども後悔することはありません」。

      23 エホバの主権を正しく認識するエホバの証人たちはこの世の政治支配者に対してどんな態度を取りますか。

      23 正しくて真実で善良な事がらのために闘う人々は,至高の立法者を常に仰ぎ見,自分の日ごとの生活に当てはめるべきものとして,その律法や原則を常にはっきりと見定めます。ご自分の崇拝者たちのためにエホバが設けておられる取決めの中以外に,彼らがとどまることを願う場所はありません。(詩 84:10)彼らは,家から家に人々を訪ねて,神の王国が来ることと,義に基づく神のご意志が地上でなされることを祈り求め,その完全な政府のもとで永久に生きることを願う人々を探し出す業にいつもさわやかなものを見いだしています。(マタイ 6:9,10。ヨハネ 17:3)彼らが,地上の政治家たちの約束に満足したり,人間の王を立てようとしたりすることはありません。(サムエル前 8:1-9と比較)これらの人々は,その献身の時に,エホバの主権を擁護することを決意しました。それ以後は,その優先する選択を中心としてすべての事を決定するように努めているのです。

      24 (イ)世の人々は証人たちに対して時にどんな見方をしますか。(ロ)しかし,どのようにしてのみ,証人たちは神の前で全く汚れない良心を保てますか。

      24 それら,エホバに献身した証人たちは,自分が,偉大な立法者また審判者である,宇宙の最高のかたに対して責任を持っていることを知っています。そのゆえに,彼らはこの世代の邪悪な人々の間できわめて注意深く行動しなければなりません。(ヤコブ 4:12)聖書の原則に対する彼らの確固たる態度を見て多少の当惑を表わす人もいますが,そのゆえに義の道から離れたり,ただ便宜のために神の律法を破り,もしくはそれを曲げたりする必要があるでしょうか。(ペテロ第一 4:3-5)すべての物を創造したかたが,その民となる人々の生活の中で第一の地位を占めるべきことは当然です。また,そのかたが崇拝と絶対の従順を受けるべきことも当然です。自分のすべての道またすべての考えにおいて主権者なる主に目を向けることは,神の前で全く汚れない良心をもって行動するための助けとなります。―箴 3:5。使徒 23:1。

      25,26 (イ)わたしたちは時の流れの中でどんな所にいますか。これは何を求めますか。(ロ)それに答え,ヨハネ第一 5章3節にしたがってどんな事がなされていますか。

      25 今日,正しい心で神の支配権を認識する人々は,奉仕を促す神の呼び声に答え応じるはずです。宣べ伝え,教えることを目的とする神の組織は絶えず拡大しており,そこでは,自ら進んで働く人々がさらに多く求められています。全歴史上最大の出来事がこれほど近づいている今,義を愛するすべての人は勇気をもって行動すべきです。どのような歩みをするかは,永遠の命の見込みを左右するからです。―ペテロ第二 3:11-14。

      26 あらゆる身分,またあらゆる経験や背景を持つ幾万もの人々が,毎年新たに真理の正確な知識を得,自分の生活を神の律法や定めに合わせています。もとよりこれは大きな変化を意味しています。古い習慣を捨てて,新たな習慣を身に着けるのです。それは,指示と訓練と教育を受け入れることでもあります。それはまた,エホバを愛し,エホバに従うことを学ぶことでもあります。それは難しいことですか。使徒ヨハネはこう語りました。『そのおきてを守ること,これがすなわち神への愛です。でも,そのおきては重荷ではありません』― ヨハネ第一 5:3。

      忠実を守って生き続けなさい

      27 エホバの是認を受けるに必要なものは信仰だけですか。

      27 「わたしの義人は信仰のゆえに生きる」。これはヘブライ 10章38節にあるきっぱりとしたことばです。ついでその信仰の上に,他のものを,つまり,徳,知識,自制,忍耐,敬神の専念,兄弟の愛情,愛などを加えてゆかねばならないことを聖書は示しています。(ペテロ第二 1:5-7)そして,生きることを本当に楽しもうと思うなら,なんであれ自分の持つ生来の能力を神への神聖な奉仕に活用することも大切です。

      28 会衆内でなされている任命を見て,各自は何を自問すべきですか。

      28 こうした事に励んだ忠実な人々の幾人かは会衆の中で教える者として任命され,また,『神の羊の群れを牧する者』として重い責任を持っています。これら資格ある教え手の働きは,他の人々が信仰および正確な知識における一致に達するように助ける上で必要です。(ペテロ第一 5:2。テモテ第二 2:2。エフェソス 4:11-13)会衆内の円熟した男子が,監督として仕えるというこの付け加えられた特権をとらえようと努めるのは,聖書から見て正しいことです。それは「りっぱな仕事」です。自分が進歩しているかどうかを自ら吟味するのは良いことです。『会衆の中でいっそう有用な者となり,こうしてよりいっそう神の栄光となるような生き方をするために,自分の能力や隠れた力をさらに伸ばすことができるだろうか』と自問してください。―テモテ第一 3:1-13。

      29 わたしたちは自分がそれぞれに持つ命を大切にしていることをどのように示せますか。それはどんな結果をもたらしますか。

      29 自分が忠実な者と見なされたことを知るのは満足なことでしょう。それゆえわたしたちは,自分の持つ命を大切にしてそれを賢明に用い,神の誉れまた賛美となる義の実を日ごとに結んでゆきましょう。命の道に古くても新しくても,わたしたちは皆,自分とエホバ神との関係をいかなるものにも阻ませないことを決意しましょう。そうすれば,神の破れることのない愛が,厳しい試練のもとでも忠実の道を歩み続けるようわたしたちを支えます。(ローマ 8:38,39)一切の事を神の栄光のためにするなら,境界を踏み越えたり,永遠の命に至る明確な道からそれたりするようなことを避けられます。

      30 どうすればわたしたちもエホバの心を喜ばせることに加われますか。

      30 わたしたちの忠実な神に対する忠誠を守り,神の敵対者である悪魔を含め,いかなる者もこの道からわたしたちを離しえないことを実証すること,これが常にわたしたちの主要な願いでありますように。こうしてわたしたちは,エホバの心を喜ばせることができます。―箴 27:11。

  • 真のクリスチャンの一致した集合体がありますか
    ものみの塔 1974 | 12月1日
    • 真のクリスチャンの一致した集合体がありますか

      真のクリスチャンというとだれもが,品性のすぐれた,善良な性格の人であることを期待します。それはまちがいではありません。しかしクリスチャンというのは,ただそれだけのものではありません。

      クリスチャンだと言わない人々の中にも,りっぱな品性の,好感のもてる性格の人はいます。ではどこが違うのでしょうか。

      クリスチャンには,そうしたことに加えて,イエス・キリストと同じく,聖書の神の真の崇拝を促進したいという強い願いがなければなりません。その方面に熱意を持ち,活動的であることが必要です。

      しかし,仮にこの事実を理解しているとしても,今の時代の真のクリスチャンは実際にだれなのか確認しようとすると,混乱してくるかもしれません。それどころか,真のクリスチャンなんているのだろうか,と思うかもしれません。というのは,キリスト教世界の信心深い人々の間には,考えや行動の一致がほとんど見られないからです。道徳上の問題や社会問題についてもそうですし,神の崇拝となると,とくにそうです。神と神の目的について,また真の崇拝を行なって神を喜ばすなら天と地のいずれかにおいて永遠の命を得る機会があるということについて説明する努力はほとんど払われていません。

      一致した考えと努力は不可欠

      聖書に記されているとおりに神の崇拝に献身し,しかも全員一致してそれを行ない,他の人々にもそれをさせるように積極的に努力する人たちの集団は,当然存在すべきものなのでしょうか。そして現実に存在するのでしょうか。

      使徒パウロが1世紀のコリント人に与えた訓戒によると,それは存在してしかるべきです。彼は高い道徳やクリスチャンの人格について多くのことを書きましたが,こういうことも言いました。「ただ,キリストについての良いたよりにふさわしく行動しなさい。わたしが行ってあなたがたに会うにしても,あるいは離れているにしても,あなたがたについてこのことを聞けるようにです。すなわち,あなたがたが一つの霊のうちにしっかり

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