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    ものみの塔 1972 | 12月1日
    • を犯すようポテパルの妻に誘惑されたとき,ヨセフが面した試みを考えてください。(創世 39:7-12)わたしたちはヨセフのようでありうるでしょうか。彼はそうした事柄に対する神の律法を,前もって自分に教え込んでいたのです。

      15 (イ)誘惑に対し事前の準備をするなら,どんな成功を収めることができますか。(ロ)『偶像崇拝から逃げる』ことは,誘惑を克服するのにどのように助けとなりますか。

      15 そうです,エホバ神はおもに,わたしたちからどんな行動を期待するかを前もってしるすことにより,誘惑からのがれる道を示してくださいます。(ガラテヤ 5:19-23)わたしたちはそれにより,あらゆる誘惑を最初から最後まで経て,それに勝ち抜き,忠誠を保ち,試みの下で忠実を証明するのです。しかし,使徒パウロの助言に注意を払う必要があります。誘惑に関して神がどのように助けてくださるかを述べたすぐあとで,彼はこう付け加えました。「それゆえ,わたしの愛する者たちよ,偶像崇拝から逃げなさい」。(コリント前 10:14,新)偶像崇拝は決して,文字どおりの偶像・像・彫像などの崇拝に限られてはいません。使徒パウロは,『むさぼりは偶像崇拝なり』と警告しました。それは,人はむさぼりのために自分を崇拝の対象とするようになり,利己的な渇望が生活の最重要なものとなるからです。しかしあらゆる種類の偶像崇拝から『逃げる』なら,将来に対し,また,来るかもしれない誘惑に対しよい備えをすることができます。―コロサイ 3:5。コリント前 6:18。

      16,17 (イ)誘惑に面したとき,自分の力により頼むことが賢明でないのはなぜですか。(ロ)約束の地のまさに境界にいた古代イスラエルの例から明らかなように,わたしたちはどんな態度を避けねばなりませんか。(ハ)どんな行動をとれば,使徒に加わってテモテ後書 4章17,18節のように言うことができますか。

      16 わたしたちが誘惑にあうのをエホバが許されるときには,かたく立つためにいつでも何かをしましょう。一つには,絶えず祈り,天からの助けを求めることができます。そうすれば,自分の力により頼むことはありません。使徒パウロは述べています。「自ら立てりと思ふ者は倒れぬやうに心せよ」。(コリント前 10:12)神にどれほど長い間仕えてきたクリスチャンであろうと,やはり,人間の要素である堕落した肉体と戦わねばなりません。昔の人が,危機に面したときに,ある状況の下で誘惑され,そのために倒れたのであれば,同じ人間のわたしたちが,倒れないとは言いきれません。わたしたちは依然,悪に進ませるもろもろの誘惑がつきまとう現代の邪悪な事物の体制に住んでいます。終わりは近いとはいえ,倒れることはないと考えないように注意しなければなりません。自分は強いのだから倒れはしない,などと考えないほうが賢明です。イスラエルは約束の地にきわめて近い所にいました。しかし,それほど接近していたにもかかわらず,重大な誘惑にあい,2万4,000人が実にその境界地で倒れたのです。ですから,今日のわたしたちは,誘惑に陥る危険性を決して過小評価してはなりません。エホバ神を待ち望んでください。そうすれば誘惑は過ぎ去ります。エホバ神はご自分のことばに真実であることを証明され,わたしたちを誘惑からのがれさせてくださいます。

      17 ですから,誘惑に面したときには,神を信頼してください。祈りの中で次のように懇願してください。「天にいます我らの父よ…我らをこころみに遇せず,悪より救ひ出したまへ」。そうすれば,使徒パウロとともにこう言えるでしょう。『主われとともに在して我を強めたまへり…主は我を凡の悪しき業より救ひ出し,救ひたまはん』― マタイ 6:9-13。テモテ後 4:17,18。

      18,19 (イ)エホバの民の幾千人もの人々は,近年どんな誘惑にあってきましたか。どのようにその誘惑に抵抗してきましたか。(ロ)「輸血しなければ死ぬ」という誘惑に面したスリナムの証人は,どのように試みからのがれる道を見いだしましたか。

      18 近年エホバの証人は,何千人もの人が,輸血を受けるようにとの誘惑に面しています。少数の人は,医師や他の人たちからの圧力に負けてこの誘惑に屈しました。しかし,エホバの民全体としては,この誘惑に立ち向かい,『血を避くべし』と明確に述べているみことばをしっかりと守っています。(使行 15:20,29)聖書の原則につき従い,また祈ることによりそうしているのです。スリナムの証人の例を考えてみてください。船の上で突然病気になったため,ハイチで船を降ろされ,そこで治療を受けることになりました。医師は,出血性胃かいようだから,「輸血をしなければ死ぬ」と言いました。

      19 このきびしい誘惑にそのエホバの証人はどう応じましたか。彼はこうしるしています。「私は家族から数千㌔以上離れていました。私がこんな危険な状態にあるのを,家族はだれも知らなかったでしょう。話し合えるクリスチャン兄弟がいるわけでもありません。『輸血をしなければ死ぬ』ということばが,頭の中をかけめぐりました。病院の人たちは,私が死ぬに決まっていると思ったようです。私はエホバに祈りました。さびしく感じることもありましたが,エホバにいつでも話しかけることができました。エホバはご自分のしもべを世話してくださるという確信をいだいて,心配をことごとくエホバにゆだねられるのは,なんとすばらしいことなのでしょう。死ぬならば,復活を受けるということを私は知っていました。復活の希望が,輸血を受けまいという私の決心を強めてくれました」。この証人はついに誘惑から救い出され,輸血なしに回復しました。聖書の原則につき従うことにより,また慎んで祈ることにより,彼は誘惑に打ち勝ったのです。

      孤立させられても,祈りを妨げるものはない

      20-22 祈りが天からの驚くべき助けである理由を説明しなさい。

      20 神の助けを早急に必要とするとき,祈りは,助けを直ちにそしてすぐに得る最も身近な経路です。エホバ神は眠ることがありませんから,助けが遅れるということもありません。「汝をまもるものは微睡たまふことなし」。(詩 121:3)祈りによって神に近づく人には,天からすぐに助けが与えられます。手紙を書き,返事を数日待たねばならないというのとは違います。しかも,わたしたちのためだけでなく,わたしたちのクリスチャン兄弟のためにも,祈ることは非常に多くあります。

      21 祈りは即時に伝達されるばかりでなく,人を孤立させるどんな障壁をも通過することができます。(ヨナ 2:1-10)中共の独房で5年間過ごした宣教者は,次のように言ったとき,ダニエルのことを頭に置いていました。「私の独房の前を通るすべての人にはっきり見えるところで,私は日に三度祈りました」。その結果について彼はこう言いました。「なんという霊的な力と慰めがもたらされたのでしょう。そして,そのためにみんなわたしがクリスチャンの奉仕者であることを知るようになりました」。祈りに答えて天からもたらされた,なんと驚くべき助けでしょう。―ダニエル 6:10。

      22 クリスチャンはさらに,獄の壁や鉄格子など,あらゆる障壁を通り抜けて慰めをもたらす聖霊を祈り求めることができます。わたしたちが神の霊を求め,それを受けるにふさわしい者であるなら,神の霊を遠ざけうるものは何もありません。

      23-25 (イ)グアドループのクリスチャンの若者は,どんな脅迫にもおじけませんでしたか。なぜですか。(ロ)彼が忠誠を守ったためどんな結果がもたらされましたか。

      23 少し前のことですが,グアドループのエホバの証人のひとりは,独房に入れられると脅迫されました。この若者はクリスチャンの中立の立場を取ったのです。(ヨハネ 15:19)彼は投獄され,独房に入れられました。圧力を加えられ,脅迫されました。「決心を変えなければ,少なくとも2年間の刑務所行きだ。そして,その間ひとりっきりにしてやる。だからよく考えるんだ。2年間ひとりっきりなんだぞ」。これに対して,そのクリスチャンの若者は何と答えたでしょうか。

      24 彼は言いました。「皆さんはそう考えるかもしれません。しかし,わたしはあなたがたが言うように決してひとりではありません。エホバ神が私といっしょにいてくださいますし,霊によって私を強めてくださいます」。

      25 官憲はその答えに驚きました。さらに,彼のりっぱな行動に感銘しました。数か月たち,エホバの証人の大会の時期がやってきました。その青年が開会日に出席しているのを見て人々は非常に驚きました。彼はその前日に釈放されたのです。そして,大会で自分の経験を話しました。その若者は知りませんでしたが,大会には警察官がひとり出席していました。後日,その警察官は若者の会衆の主宰監督にこう話しました。「彼がクリスチャンとしてりっぱにふるまい,決心を変えなかったのを見て,私の妻がなんといったと思いますか。こうですよ。『あなたがたが自分の意志であの処置を取ったのだと考えてはなりません。それをなさったのはあの人の神エホバです。彼が大会に出席できるよう取り計らわれたのです。彼の神エホバは,わたしたちの神より強いかたです』」。

      26 ペテロ前書 4章7節の良い助言を忘れるべきでないのはなぜですか。それで,危機が訪れたとき,わたしたちは何をすべきですか。

      26 自分ひとりにされたり,迫害や誘惑にあったり,また圧力を受けたりしても,エホバの忠実な証人であるあなたはそれに勝ち抜き,エホバに輝かしい誉れをもたらすことができるのです。あなたの助けは天から来ます。しかし,使徒ペテロの,「慎みて祈りせよ」という良い助言を忘れないでください。(ペテロ前 4:7)ペテロはこの重要さを,目ざめているように,また『誘惑に陥らないよう目をさまし,祈るように』と主イエスに告げられた夜,つらい経験を通して学ばされました。(マタイ 26:41)危機が訪れたときには,眠ってしまわないで祈ってください。そうすれば,天から助けを得,エホバのおかげで,試みや誘惑に勝ち抜くことができます。エホバはあなたのためにのがれる道を備えてくださいます。『神は忠実であられる』のです。

  • 『神の力は弱さのうちに全うされた』
    ものみの塔 1972 | 12月1日
    • 『神の力は弱さのうちに全うされた』

      ベネット・ブリッケルの経験

      1932年,私はものみの塔協会より選ばれて,外国宣教奉仕をすることになりました。行く先はマレーシアです。私はオーストラリアをあとにし,900万の人口の中でただひとりエホバのクリスチャン証人を代表するものとして任地におもむきました。しかし,シンガポールおよび,そこから北方のクアラルンプルにかけて神のことばを宣べ伝える積極的な計画は,重病のために中断せざるをえませんでした。この病気で私は心臓を悪くし,一生病人でとおさねばならないということを医師から証明されました。このように長い間病弱であったにもかかわらず,私は今,40年にわたる全時間の宣教奉仕を回顧することができます。キリストをとおしてくるエホバの力は,『私の弱さのうちに全うされた』,私は心からそう言うことができます。―コリント後 12:9。

      1925年,まだ16歳の若者であったときに,「パラダイスへの道」という,ものみの塔協会発行の本を手にしたことがきっかけとなって,私は命への道を歩み始めました。それから2年後,ニュージーランドのオークランドにいたとき,通りがかりの古本屋で,「世々に渉る神の経綸」という本を求めました。私はその本を熟読し,その中で「コルポーター」の仕事のことが述べられているのに特に注意を引かれました。コルポーターという

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