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  • クリスチャンは迫害を当然に予期する
    ものみの塔 1967 | 2月1日
    • の助けを得てそれを耐えぬく人には,ことばに言いつくせない喜びがあります。その人は忠実を実証する機会と忍耐する力とを与えられたことについてエホバに感謝します。そして前以上にエホバに引き寄せられます。第二に,反対されながらも忠実であるなら,仲間の信者の励みになります。パウロがひとやにつながれながらも忠実に忍耐し,そのような条件下でも大胆に伝道を続けたことは,ローマの大ぜいのクリスチャンを大いに強くしました。「わたしが獄に捕われているのはキリストのためであることが,兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり,そして兄弟たちのうち多くの者は,わたしの入獄によって主にある確信を得,恐れることなく,ますます勇敢に,神の言を語るようになった」― ピリピ 1:13,14。

      18 迫害に忠実に耐えるなら,ほかにどんな良いことがありますか。

      18 迫害を忠実に忍耐することの第三のすぐれた結果は,それによってエホバのお名前がたたえられることです。「もしだれかが,不当な苦しみを受けても,神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら,それはよみせられることである。悪いことをして打ちたたかれ,それを忍んだとしても,なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け,しかもそれを耐え忍んでいるとすれば,これこそ神によみせられることである」。(ペテロ第一 2:19,20)わたしたちが賢明に,そして正しく行動するなら,いつでもエホバを喜ばすことができます。「わが子よ,知恵を得て,わたしの心を喜ばせよ,そうすればわたしをそしる者に答えることができる」。(箴言 27:11)アダムの堕落の時以来,サタンはエホバをそしってきました。わたしたちがもし迫害に屈するなら,神をそしる論拠をさらにサタンに与えることになります。しかし,神のことばと神の聖霊とから力を得,あらゆる反対に面して確固とした信仰を守るなら,わたしたち自身がそしる者に対するエホバの答えとなります。そしてサタンはむなしく引きさがらねばなりません。わたしたちの願いはエホバを喜ばすことではありませんか。それではわたしたちは喜んで,そうです,心から喜んで,比類のない神のお名前のゆえの恥を受けようではありませんか。

      19 エホバに仕えるがゆえに迫害されるとき,なぜ恥じる必要はありませんか。

      19 迫害をこのように見るなら,わたしたちが自分を恥ずかしく思うことはありません。キリストの名のゆえに「すべての人に憎まれ」,「この世のちりのように,人間のくずのようにされ」ても,あわてたり,心配したりする必要はありません。(マタイ 10:22。コリント第一 4:13)パウロはそのように考え,テモテにこう語っています。「だから,あなたは,わたしたちの主のあかしをすることや,わたしが主の囚人であることを,決して恥ずかしく思ってはならない。……そのためにまた,わたしはこのような苦しみを受けているが,それを恥としない」。(テモテ第二 1:8,12)ペテロもこれと同じように考えました。「しかし,クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば,恥じることはない。かえって,この名によって神をあがめなさい」。(ペテロ第一 4:16)自分の信仰が正しいこと,また自分が神のみこころを行なっていることを確信しているなら,どんな恥ずべきしうち,悪口,迫害などを受けねばならない場合でも,それによって落胆し,あるいはエホバへの奉仕をやめることはありません。現代のポルトガルのエホバの証人の場合はまさにそうでした。最近,ある会衆では成員全体が逮捕され,裁判にかけられ,不当にも罪とされました。しかしこれによって,この国のエホバの証人が神への奉仕をやめたわけではありません。

      20 たとえひとりでも迫害に耐えられることは,どうして確信できますか。

      20 エホバの力を確信しているなら,たとえひとりになっても迫害に負けることはありません。忠実の人ヨブは,助けたり慰めたりしてくれる人がだれもいなくても,そうした試練に耐えました。そしてエホバはやさしく彼をささえられました。「あなたがたは,ヨブの忍耐のことを聞いている。また,〔エホバ〕が彼になさったことの結末を見て,〔エホバ〕がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが,わかるはずである」。(ヤコブ 5:11,〔新世訳〕)パウロもローマにおいてはそのような孤立の経験をしましたが,終わりまでそれを忍びぬきました。「わたしの第一回の弁明の際には,わたしに味方をする者はひとりもなく,みなわたしを捨てて行った。どうか,彼らが,そのために責められることがないように。しかし,わたしが御言を余すところなく宣べ伝えて,すべての異邦人に聞かせるように,主はわたしを助け,力づけて下さった。そして,わたしは,ししの口から救い出されたのである。主はわたしを,すべての悪のわざから助け出し,天にある御国に救い入れて下さるであろう」。(テモテ第二 4:16-18)現代の例をあげるなら,共産主義中国の独房でそれぞれ7年と5年を過ごしたスタンレー・ジョーンズとハロルド・キングの確固とした信仰の模範があります。確かにエホバは,ご自分に全幅の信頼をおく者を見捨てません。「〔エホバ〕はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は,わたしに何ができようか」― ヘブル 13:6,〔新世訳〕。

      21 前途に迫害があっても,なぜ確信をもって将来を見ることができますか。

      21 エホバの確かなお約束に心をとめ,迫害下で忠実をつくした兄弟たちの模範を忘れないなら,サタンの燃える怒り,死の苦闘のすべてがわたしたちに臨もうとも,わたしたちがそれを恐れる必要はありません。エホバはわたしたちが試練に会うことを許しておられます。それはわたしたちが自分の信仰を実証するためであり,また神の偉大なお名前を立証するためです。また,「神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか,試練と同時に,それに耐えられるように,のがれる道も備えて下さるのである」。(コリント第一 10:13)それゆえ,わたしたちは信仰と確信に満ちて将来を見,「悪しき者の放つ火の矢を消」し得ることを確信しています。(エペソ 6:16)そして最後には喜んでこう叫ぶことができるでしょう。「しかし感謝すべきことには,神はわたしたちの主イエス・キリストによって,わたしたちに勝利を賜わったのである」― コリント第一 15:57。

  • 永遠の命をのぞみ見て奉仕する
    ものみの塔 1967 | 2月1日
    • 永遠の命をのぞみ見て奉仕する

      「あなたがたは耐え忍ぶことによって,自分の魂をかち取るであろう」― ルカ 21:19

      1 正常な人間なら命についてどう感じますか。

      正常な人間で死を望む者はいません。年齢,貧富,また健康であると病気であるとにかかわらず,生きようとする本能はきわめて強固です。このことは生活が楽で快適な環境に恵まれた富裕な国について言えるだけでなく,開発が遅れ,苦しく不安定な生活をしいられることの多い国についても言えます。生きること

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