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すべてのことに平衡を保ちなさいものみの塔 1958 | 9月1日
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人にも同じような戒めを与えました,『であるから,私たちが聞いた事柄に普通以上の注意を払うことが必要なのである。それは,私たちがおし流されないためである。』― ヘブル 2:1,新世。
35 制度や仲間のクリスチャンの不備なことや誤りをなぜ見のがすべきですか。
35 正しい心構えを養うもう一つの要素は,クリスチャン制度の中の不備な点や,仲間のクリスチャンの弱点を見のがすことができるということです。神の霊は制度の上に働いていますが,しかしそれが,人間の監督の行うすべての決定や一挙手一投足を支配しているわけではありません。この人々は,新世社会のために最善と考えられる決定をするよう委せられている,自由な道徳的行為者です。彼らは,神の御言葉とその原則に導かれて賢明な決定をする能力を持つ円熟したクリスチャンです。しかし,万一誰かが誤まつて賢明でない決定を行つたとしても,そのために不満をもつようになつたり,不気げんになるべきではありません。この一人の監督のために,制度全体を批判すべきではありません。それは,冷笑的になる理由にはなりません。つり合いのよくとれたクリスチャンは,間違いや欠点を見のがすものです。そして人間でなくて神に奉仕していることを忘れないでしよう。また,神は,地上の御自分の関心事を行われるのに,キリストは例外として,常に不完全な人間を用いてこられたことを思い起すでしよう。この人々は,良い心を持ち,神の関心事を発展させることを熱望した人々でした。不完全であるために,ある人々は間違いをしましたが,彼らの間違いは,人が神権制度を拒絶してこの世に逆戻りする理由とはなりません。生命の言葉を持つのは神権制度であつて,この世ではありません。
36 他の人の間違についてクリスチャンはどんな見方をしますか。
36 堅実なクリスチャンは,神の御言葉の意味や,神権制度が行つている事,またその前に横たわる将来をよく知つています。彼は,使徒パウロのように,積極的な心構えを持ち,何ものにも神に対する愛と御国奉仕に対する熱心を弱めさせません。彼は被造物崇拝の犠牲者ではないので,ある監督が間違いをしたり,誤つた決定をしたり賢明な行動をとらないときでも,つまづきません。そしてそのような間違いの矯正は制度にまかせるでしよう。しかし自分自身は,生命の目標を目ざしつづけ,何ものにも妨げられないでしよう。彼は理解と分別を示し,容易に腹を立てないでしよう。
37,38 悪い心構えをさける最善の方法は何ですか。
37 人がもし正しくて建設的な事柄に自分の心を絶えず用いるならば,正しい心構えを養うのに大きな助けとなります。これもやはり消極的でなくて積極的に考えるということが問題です。これに関しては,ピリピ書 4章8節によい助言が与えられています,『最後に,兄弟たちよ。すべて真実なこと,すべて尊ぶべきこと,すべて正しいこと,すべて純真なこと,すべて愛すべきこと,すべてほまれあること,また徳といわれるもの,称賛に値するものがあれば,それらのものを心にとめなさい。』
38 人がこの助言に従うならば,制度や仲間のクリスチャンの悪口を言つたり酷評したりしないでしよう。その人は神の御言葉の正しい事柄,新世社会が全世界で行つている建設的な仕事のことを考えるでしよう。そしてしつかりとした信仰を持つでしよう。
39 平衡のよくとれたクリスチャンは何を警戒しますか。
39 平衡のとれたクリスチャンは,すべての事にまして利己主義を警戒します。彼は,自分でなくて,神と仲間のクリスチャンたちを愛する愛に生長します。助言されるとそれを議遜に受けいれます。その人は『愚かなる者はみずからその道を見て正しとす,されど知恵ある者はすすめを容る』ことを知つているのです。―シンゲン 12:15。
節度
40 (イ)なぜ禁欲主義的な考えに傾くべきではありませんか。(ロ)どんな道をとりますか。
40 クリスチャンは,何事をするにも,極端になることはできません。道理にかなつた節度のある道は,いつの場合でも最良のものです。信仰のある人は,貧しい生活をすべきであつて,適度な物質的楽しみや,娯楽をしりぞけるべきだとある人々は考えますが,これは誤つた結論です。自分の肉体を苦しめることが神の承認を招くのではありません。そうだと考える人々は,聖書的でなくて異教の考え方に従つているのです。というのは,これはヒンヅー教徒や仏教徒の考えと共通しているからです。聖書の中には,禁欲主義的な考え方を正しいとするものはなにもありません。平衡のとれたクリスチャンは,自分の利益のためばかりでなく,神のためにも物質を合理的に用いる能力を持つています。彼はそのような物を賢明に用いることができ,しかも神の承認を得るために物質の与える楽しみや,喜びをしりぞける必要はないのです。彼は,極端な禁欲主義にも傾かなければ,反対の極端な物質主義や放縦にも走ることなく,節度を持つています。聖書の中の監督に与えられた賢明な助言は,クリスチャンの態度をよく表わしています,『監督は非難のない人で……慎み深く……なければならない。』― テモテ前 3:2,新世。
41,42 宣教においてはどんな平衡を追求すべきですか。
41 有能な奉仕者は,個人研究や伝道においても適度を守ります。彼は,多くの時間を宣教に捧げて,自分の研究を怠るような人ではありません。また研究に多くの時間を使つて,伝道に少しの時間を当てるという極端にも走りません。彼は,研究が,クリスチャンの忠実の道に堅く立つのに必要なのはむろんのこと,伝道によつて最良の成果をおさめるにも必要なことをよく知つています。野外奉仕と個人研究のバランスをとるという適度のある道は,従うべき賢明な道です。
42 クリスチャンが知識と円熟に生長するに従つて,奉仕者としての彼の実力も増します。これは,さらによい成果と大きな喜びをもたらしますから,彼は自分の伝道活動をさらに増大することを望みます。そしてわずかの奉仕で満足しないで,でき得るかぎり多くの奉仕をするよう望みます。彼は奉仕のいかなる面もおろそかにせず,ちようど伝道と個人研究のバランスをよく保つていると同じように,それらにも平衡を保つように努力します。節度は彼を有能な奉仕者にし,聖書の真理をよく活用して役立たせます。
43 (イ)なぜある人は霊的平衡を改善しある人はしないのですか。(ロ)なぜ無関心でいることはできませんか。
43 今までに述べられてきた事柄は,献身したクリスチャンが,正しい霊的平衡を養うことのできる方法です。新しい世の社会の中で霊的にぐらついているある人々は,それらを用いて,さらによいつり合いを得るように努力するでしよう。しかしある人々はそうしないでしよう。無関心な人々は,クリスチャンの忠実の狭い道から落ちないで,どうにか歩んで行けるとでも想像しているのでしようか。集会に時たま出席し,時たま野外で伝道することによつてその狭い道の終点に到達することに成功し,永遠の生命が受けられるとでも思つているのでしようか。もしそう考えているならば,彼らは誤つた考えを持つているのです。細い綱からすべり落ちることがどんなに容易であるかを彼らに想像させなさい。そうすれば,クリスチャンの忠実の狭い道を踏みはずすことがどんなにたやすいかを認識するでしよう。彼らは無関心でいることはできないのです。彼らの存続は,彼らがすべてのことにおいて平衡を保つよう努力することにかかつています。
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正しい平衡を維持するものみの塔 1958 | 9月1日
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正しい平衡を維持する
『あなた方の心をひきしめて働き,全く平衡をたもつて,イエス・キリストの現われるときにもたらされる恵みに,あなた方の希望を置きなさい。』― ペテロ前 1:13,新世。
1 聖書はどのような導きですか。
聖書には,ヱホバの導きによつて書かれた正しい助言と原則が含まれています。それらは,私たちの導きとして準備されたものであつて,私たちの行くべき道,私たちのためになる道,永遠の生命に通ずる道を示しています。その理由で,使徒パウロは言いました。『聖書はすべて神の霊感をうけたものであつて,教や戒めや,物事を正しくする事,正しく躾けることに有益なものである。それは神の人があらゆる良いわざに対して十分の備えができて,全く整えられた者になるためである。』― テモテ後 3:16,17,新世。
2,3 クリスチャンがキリストにならうべき道とは何ですか。
2 もし人が,神の御言葉の中にあるものを学んで応用しようと努力しないとしたら,どうして宣教に十分な資格を備えることができますか。神がクリスチャンになせと命令されたわざを行うために,どのように準備することができますか。クリスチャンであると主張することができるでしようか。クリスチャンとは,キリストに従う者,キリストの足跡を踏む者です。キリストは,いつの時でも,聖書をないがしろにしたり,宣教を怠つたことはありませんでした。
3 キリストは,クリスチャンの忠実の道に歩まれた時,神に対する不動の忠誠と,完全な平衡を持つておられました。そして何ものもその道からキリストを引き離すことはできませんでした。今日のキリストの追随者たちが,もしクリスチャンの平衡を持ちつづけたいと望むならば,これと同じような強固さを持たなければなりません。『だから,愛する兄弟たちよ。堅く立つて動かされず,いつも全力を
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