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  • 家庭の崩壊 ― 問題と取り組む
    ものみの塔 1977 | 1月1日
    • 家庭の崩壊 ― 問題と取り組む

      「五年前のわたしならば離婚など思いもよらなかったでしょう」。31歳になるインドの一秘書はこう語りました。彼女は次のように言葉を続けています。「わたしは不幸な結婚を死ぬまで続けて苦労したに違いありません。でもわたしは離婚した女の人々のことを聞き,またその一人に会いました。その事から力を得てわたしも試してみることにしました」。

      これと似た話は世界の他の場所でもますます多く聞かれるようになっています。家庭の破壊が増えていることは確かです。スウェーデンにおいては十組の結婚に対して六件の離婚,米国では十組の結婚に対して五件の離婚,東ドイツでは十組の結婚に対して約三件の離婚があり,フィンランドでは十組の結婚に対する離婚の件数が三件を下回っています。結婚生活を続けることを拒絶する既婚者がこんなに増えているのはなぜですか。

      インドの若い婦人の語った言葉がいみじくも示しているように,たとえ問題があっても結婚生活を守ってゆくという考え方は変わりました。世間体をはばかって離婚を思いとどまるといった事はもはやありません。離婚する多くの人の中には,大衆の目につく知名の士もいます。これが一種のお墨付きを与えたことになり,人々は離婚を自分たちのものとして容易に受け入れるようになりました。そのうえ,いろいろな国において法律の面で離婚が自由化されてきました。これらすべての要因が重なって,離婚は深刻な結婚問題からの容易な逃れ道とみなされるようになりました。

      女性解放運動もまた家庭に影響を与えずにはおきませんでした。それに影響されて,主婦や母親の務めよりも職業の方を重要視するようになった婦人もいます。家事は報われない単調な骨折り仕事とみなされるようになりました。以前は婦人が発言権をほとんど与えられていなかった国々においてさえ,変化が起きています。そのような国々で婦人たちは結婚生活においていっそう大きな発言権を要求していますが,夫たちはそうした要求をいれようとはしません。これが深刻な問題に発展するのは時間の問題です。気ままな夫に黙って服従するくらいなら,いっそのこと離婚して自由になる方がよいと考える妻が出てきます。

      家庭を持つ婦人がかなり職場に進出しているという事実も,家庭の弱体化する原因となっています。このような婦人が職場の他の男性から相当に注目されることも生じます。時としてこれは彼女らが自分の夫よりも魅力的な男性を見つける結果になり,そうなると彼らの結婚は離婚という結末に至るかもしれません。

      相変わらずインフレに悩まされている国々では,家計のことで夫と妻が激しく言い争うようなことも珍しくありません。このような言い争いが高ずると,しまいには別居や離婚でもしなければ不快な事態から抜け出すことはできないように思われてきます。

      一致した家庭を楽しむ人々

      しかし結婚して一生涯連れ添う人も大勢います。そして彼らは幸福であり,満足しています。それはなぜですか。

      多くの場合,結婚に成功している理由は,夫と妻の両方が健全な原則に従っているからです。このような原則が聖書に述べられている事と相通ずるものであればあるほど,家族のきずなは強いことを示す明白な証拠があります。米国,ネバダ州ラスベガスの,ある既婚者は自分の場合,そのことの真実を経験しました。彼はこう語っています,「妻と共にエホバの証人との聖書研究を始めるまでは,わたしたちの結婚生活もあとひと月ともたないことが明白でした。事態はそれほど悪化していました」。

      しかし聖書の与える指針がそれほど有用なのはなぜですか。それは人間の知恵以上のものに基づいています。聖書が人々に及ぼし得る健全な影響を長年にわたって見てきた使徒パウロはこう書きました,「聖書全体は神の霊感を受けたものであり,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力をそなえ,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。(テモテ第二 3:16,17)聖書の中にある知恵の源は確かに神です。人間の創造者であられる神は何がわたしたちにとって最善の益となり,また最大の幸福をもたらすかをご存じです。この理由でわたしたちは聖書の与える導きに信頼できるのです。この導きはまた歳月の重みに耐えてきました。

      結婚と家族生活について聖書が述べる事柄はきわめて現実的です。それは誤った期待を抱かせません。むしろ結婚生活に問題がない訳ではないことを率直に認めています。結婚する人々は「自分の肉身に患難を招く」と書かれています。(コリント第一 7:28)同時に聖書は後の記事に見るように家庭のいざこざを成功裏に扱う方法を示しています。

      そのうえ聖書は物質的な事柄を強調しているのではなく,足ることを知るように,そして霊的な事柄を追い求めるように勧めています。例えば,テモテ第一 6章7,8節に次のように述べられています。「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできないからです。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」。金銭の事柄で夫婦が言い争うことは,このような生活の仕方によってまず避けられるでしょう。

      聖書の助言は,結婚の取決めに対して最高の敬意を培わせるものです。次のような助言があります。「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです」。(ヘブライ 13:4)結婚を誉れあるものに保つようにとの助言のほかにも,聖書は性の不道徳を避けるべき健全な理由を述べています。健康,家族そして何よりも重要なことにエホバ神と自分との関係に害を及ぼすおそれがあることについて,聖書は率直に警告しています。例えば,不道徳な女の後を追う男は『ほふり場にひかれて行く牛』にたとえられています。次いで「彼は自分が命を失うようになることを知らない」と述べられています。―箴 7:22,23,口。

      聖書はまた夫,妻そして子供の権利と責任を定めています。その助言通りに行なうならば,家族全員がそれぞれの立場を認められます。そして自分が皆から必要とされ,また感謝されていることを感ずるゆえに,共にいることを喜ぶのです。

      聖書の原則がいかに優れたものかを知るため次の記事をお読みになることをお勧めします。家庭の崩壊が深刻な問題となっている時においてさえも,健全な家族生活は可能なことを知って力づけられるものと確信しています。

  • 幸福な家族生活を営む秘けつ
    ものみの塔 1977 | 1月1日
    • 幸福な家族生活を営む秘けつ

      「わたしは父に対し,すなわち,天と地のあらゆる家族がその名を負うかたに対してひざをかがめます」― エフェソス 3:14,15。

      1-3 幸福な家族生活の規準について,一部の人々はどう感じていますか。これはどんな質問を提起しますか

      正常な人で,幸福な家族生活を望まない人がいるでしょうか。もし現在,家族生活が幸福でないなら,ほとんどの人は,良いと思われる手段を何でも進んで用いて,家族の真の一致と幸福を得ることに努めるでしょう。

      2 幸福な家族生活の秘けつを探るに当たって,ある人々は,この科学技術の世界は他の時代が直面したことのない種々の問題を投げかける,という考えを抱いています。したがって,異なる道徳規準が必要だ,と考えます。また,世界は過去の世代よりもあらゆる面で啓発されている,と信じています。―箴 30:13。

      3 これは真実でしょうか。古い昔からある種々の問題が科学技術によって目立つようになったことは確かです。しかし,人間の性質が変わったでしょうか。人々は,親切にしてほしい,という気持ちを前ほど持たなくなりましたか。愛情に対して敏感でなくなりましたか。人間が用いてきた,科学や工業の発達に依存する方法は,人間の諸問題を解決しましたか。それとも社会関係に対する人々の態度を一層非人間的なものにしましたか。

      4 家族生活に関する以前の規準をすべて捨て去れると考えるのは,なぜ賢明でないと言えますか。

      4 問題を正直に評価するなら,今日の世代が過去の世代より聡明であるとか優れているとか言えないことを,認めなければなりません。事実,わたしたちが持つ知性は彼らから受け継いだものです。ですから,例えば一夫一婦制,家族の頭の地位,家族という単位の重要性といった,地球上のほとんどすべての国民が幾千年もの間守ってきた基本的規準をすべて捨て去ることは,安全でも,賢明なことでもありません。とりわけこれらは有益なものでした。実際,多くの家族が不幸になったのは,これらの原則から離れたためでした。

      正しい規準の出所

      5,6 (イ)ローマ 2章14,15節はほとんどの国民が従ってきた結婚の規準や他の事柄の規準の出所を,どのように示していますか。(ロ)申命記 6章7節や31章12節などの聖句は,家族ができるだけ一緒にいるべきことを,どのように示していますか。(ハ)家族の頭は,家族の他の成員の意見をどのように見るべきですか。

      5 さらに重要なことは,それらの規準は最初にだれが定めたか,ということです。それらは人間の正当な判断から生まれ出たものですか。試行錯誤の経験から割り出されたものですか。そのどちらでもありません。それらの規準は,男と女の創造者で,人間社会の基本単位として家族というものを設けられた方が,お定めになったものです。真の神を認めない国民についてさえ,聖書は次のように述べています。「[モーセの]律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法中の事がらを行なう場合,その者たちは律法を持っていなくても,自分自身が律法なのです。彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,その良心が当人とともに証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです」― ローマ 2:14,15。

      6 ゆえに多くの国の法律,すなわち家族を結合させる傾向のある法律は,創造のときに人間の素質の中に植え込まれた道徳規準と自然の感情の働きの結果です。したがって,非常に幸福に暮らしている家族は,すべての国で見られます。そのような家族の成員には,本当の自然の情愛というものがあります。そして家族を固く結合させる意志の疎通と共通の関心事があるのが普通です。家族は一緒に働き,一緒に遊び,互いを尊敬します。重要問題に関する最終的決定は家族の頭が行なうとはいえ,みんなの考えや意見が尊重され,それを述べる機会が与えられます。そこには,考える自由,話す自由,行動する自由があって,家族と個人の最善の益を考えるということ以外にそれを制限するものはありません。

      7 詩篇 127篇1節は,家族生活を幸福にするための主な要素が何であることを示していますか。

      7 しかし,経済面での浮き沈みや,いわゆる「現代のモラル」の誘惑,この世界に対する失望などにめげない永続的な幸福にあずかる最大の保証を得るには,神と良い関係にあることが最も重要です。もしその関係が得られ,そしてそれを維持するなら,家族生活の他の面はすべて,あるべきところに自然に収まるでしょう。そしてたとえ問題が自分の願い通りにならないことがあっても,可能な限りの良い方法でそれに対処し処理することができます。―詩 127:1。

      8,9 聖書の原則に従うよう一生懸命に努力をする必要のある理由を,ローマ 7章19,20節を用いて示しなさい。

      8 神と良い関係を保ち,その結果として,家族の構成員が互いに良い関係を保ってゆくことには,どんな要素が関係していますか。

      9 まず,愛と愛情がなければなりません。そして同時にそれらの特質の心からの表明がなければなりません。人類は,最初『神の様に似せて』造られましたから,罪によって大いに曇らされたとはいえ,依然それらの良い特質をある程度持っています。(創世 1:26,27)したがって,家族を支配する聖書の原則を守ることに絶えず努力することが肝要です。ではそれらの原則を幾つか考えてみましょう。

      10 創世記 2章24節,マタイ 19章6節,ヘブライ 13章4節に,結婚に対するどんな保護を見いだしますか。

      10 初めに神はこう仰せになりました。「そのようなわけで男は父と母を離れ,そして妻に堅く付いて二人は一体とならなければならない」。(創世 2:24,新)イエス・キリストはさらにこう付け加えられました。「それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」。(マタイ 19:6)この知識は保護となります。既婚者が他の異性にあこがれの目を向けたり,結婚の清さを汚すことになりかねない行為に走ったりしないように抑制します。配偶者に対する不忠実は家庭の幸福を破壊し,神との関係を損なう,あるいは断つ恐れがあることを,彼(または彼女)は知っています。どんな場合でもその影響を避けることはできず,家族各員の心と生活に,容易には消えない傷跡を残します。

      家族の頭に対する正しい見方は幸福を助長する

      11 夫はどんな点で家族の頭ですか。

      11 夫婦は一体というこの見方が理解できましたから,次に,結婚生活は協同生活ではあっても,そこには秩序がなければならない,という点を聖書から考えてみましょう。神は夫を家族の頭とすることにより,その秩序を設けられました。夫は「年長のパートナー」で,相談に乗ることができ,また家族の福祉に影響する問題に関して最終的な決定を下す責任があります。クリスチャンであった使徒パウロは次のように書きました。「夫は妻の頭だからです。それは,キリストが会衆の頭で……あられるのと同じです。……このように,夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養いまたたいせつにします」― エフェソス 5:23-29。

      12 エフェソス 5章29節によると,良い夫はなぜ頭の権を横暴に行使しないでしょうか。したがって,家族の成員をどのように扱いますか。

      12 神から授かった自分の責任を認識している良い夫は,尊敬を得ることに努めます。それは単に自分が頭であるからではなく ― 自分は「ボス」であるという考えからではさらになく ― 妻は自分と一体であるから彼女の心を傷付けたくないという気持ちや,権威を横暴に行使して自分(と自分の創造者)に悪評をもたらしたくない,という気持ちからです。良い夫はむしろ,計画や考えを自由に交換し,感じたことを互いに話し合うよう,妻や家族の他の成員に勧めます。またどんな事柄や問題についても快く,親切に耳を傾けるようにして,意志を伝達する道を常に開いておきます。そういう夫はまた家族の感情も尊重し,彼らの意見を公平に考量し,家族という取り決めの中での彼らの活動領域内で,彼らに特定の権限を与えます。

      13,14 箴言 31章にある「有能な妻」についての描写に関する注解を述べ,彼女に与えられる権限と仕事を要約しなさい。

      13 例えば妻は,ほとんどの場合,家を管理します。聖書は「有能な妻」について次のように述べています。「彼女は……悪ではなく,善をもって[夫]に報いた」。「彼女は羊毛と亜麻布を求めた。そして何事であれ自分の手の喜びとなる仕事にいそしむ」。「彼女の所有者は門の中で知られている者である。彼が土地の[仲間の]年長者たちと共に座る時に」。「その子たちは立ち上がり,彼女を幸いな者と言った。彼女を所有する者も立ち上がり,彼女を賛美する」。―箴 31:10,12,13,23,28,新。

      14 この聖句から,妻は家政を行なうための自由な行動範囲を与えられるべきであることが分かります。よく働く者,またこうした事柄を扱う点で有能かつ機敏であることを示せば,室内装飾とか食料品の買い入れ,そして恐らく家具その他,家族の幸福を助長する物品の購入計画などは,大抵彼女が立てることになるでしょう。夫は,彼女の計画または金銭の使い方が賢明でないとき,あるいは家族の経済ないしは福祉が危険になりそうなときにのみ介入します。

      15 夫は良い妻について何を認めるべきですか。箴言 31章23,28節,コリント第一 11章7節に指摘されている通り,夫にどんな結果が及びますか。

      15 感謝している夫は妻を励ますことを忘れず,妻の骨折りと,妻が家族のために成し遂げた事柄を率直に認めます。夫の友人は彼を尊敬します。彼女の優れた特質は,夫が良い頭であること,また妻に愛のこもった関心を払っていることの現れだからです。(コリント第一 11:7)夫と子供は,どんな時でも彼女をほめます。良い夫また良い妻は,他の人々の前で自分の配偶者をけなすようなことを決してしません。人前で自分の家族を辱めたり,恥をかかせたりすることを考えません。

      妻の役割は家族の幸福にとって不可欠

      16,17 (イ)聖書が教える妻の服従は,妻が奴隷のようになることですか,それとも何ですか。(ロ)家族のある問題に関し,夫が賛成しない場合,良い妻はどのように行動しますか。

      16 妻は,家族を幸福にすることに大いに貢献できます。まず,聖書の次の助言の真理を認めます。「妻は主に対するように自分の夫に服しなさい」。「そうです,会衆がキリストに服しているように,妻もすべての事において夫に服しなさい」。「妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」。(エフェソス 5:22,24,33)この服従は,妻を奴隷にするどころか,実際には,夫が家の頭として神と人との前で果たさねばならない重い責任から妻を解放するのです。

      17 良い妻は,自分の方が正しいと思うかもしれない状態のときでも,もし夫が問題について自分より異なった見方をするなら,夫の決定に従わねばならないことを理解しています。巧妙な手を使って事態を支配することを試みながら,従っていると主張するような偽善的なことはしないはずです。もちろん,クリスチャンの良心が汚されるかどうかの問題が関係していれば,クリスチャンは第一に神に従います。―使徒 5:29。

      18,19 (イ)箴言 27章16節に描かれているような,争いを好む妻が及ぼす影響について述べなさい。(ロ)片方の配偶者が,他方の配偶者のがんこさ,またはうるささと見えることに気持ちをいらだたせる場合は,何を心に留めているべきですか。

      18 また良い妻は次のことも理解しています。つまり,聖書は夫に,『妻に対して苦々しく怒ってはならない』と命じてはいますが,自分も夫がそのような気持ちになる理由を作らないように注意しなければならないということです。(コロサイ 3:19)考えの正しい夫は,いろいろな問題で妻と口論することや,暴力によって頭の権を行使することを好みません。従順でない,怒りっぽい,すぐにけんか腰になる妻が及ぼす影響を,箴言 27章16節(口)は次のように描写しています。「この女を制するのは風を制するのとおなじく,右の手に油をつかむのとおなじだ」。夫は失望します。妻を制することができません。妻の不従順は世間に知られるようになり,家族は恥を被ります。

      19 もちろん,人間は不完全ですから,神経のいらだつような状態が起こるのを避けることはできません。しかし,人々は実際には幸福であることを願っているのであって,わざと迷惑をかけようとすることはまずありません。ですから,双方の配偶者は,報復手段をとるよりも自制心を働かせて,愛と幸福を助長する言葉を語ります。

      子供,幸福をもたらすもの

      20-22 (イ)子供の実際の訓練はいつから始めるべきですか。なぜですか。(ロ)小さな赤ちゃんでも愛のなさや不公正を鋭く感じ取ることができるのはなぜですか。そのために,赤ちゃんが生まれた時から,どんな注意を払う必要がありますか。

      20 子供たちは,もし愛され,認められ,正しく訓練されているなら,家庭に一致と幸福をもたらすのに大いに役立ちます。そのような訓練はいつ始めるべきでしょうか。

      21 まず,親は新生児の知性を過小評価すべきではありません。彼(または彼女)は“二流の”人ではないのです。赤ちゃんは愛と公正の神の特質を備えて生まれてきたことを忘れないようにしましょう。彼は非常に理知的な存在なのです。知能的におとなとなるには,知識と経験が足りないだけなのです。おもに本能に従って行動する動物と違って,人間の赤ちゃんはほとんどすべての事を学ばねばなりません。ですから,見ること聞くことすべてを飢えたように吸収します。したがって,訓練は誕生の時から始まります。というのは,赤ちゃんのいるところで言うこと,することは皆人を築き上げるものでなければならないからです。赤ちゃんには愛を惜しみなく注いでやらねばなりません。それと同時に,悪い事は何でも,親切な,思いやりのある仕方で正します。―テモテ第二 3:15; 1:5。

      22 子供は,あなたを小さくしたようなものであることを,いつも念頭に置いていましょう。子供は,人々が自分に「赤ちゃん言葉」で語りかけるのを,あなたが望まないのと同じように望みません。生きてゆくのは真剣な仕事ですから,幼い子供は,おとながする通りにしようとします。ずるさがないので,不正な行為,偽善,または愛のなさを素早く,そして鋭く感じ取ります。子供を扱う際に,公正,愛,あわれみなどの特質や,他の霊の実に欠けていてはならない理由はそこにあります。それらは,子供の心にも最初から植え付けられねばなりません。―箴 22:6。

      23,24 (イ)子供が質問を持ってくる時にそっけなく追い払ったり,子供がしていることに無関心であったりすることは,なぜ子供にとって大きな打撃ですか。(ロ)もし親がすぐに関心を示せないなら,父親(あるいは母親)はどうすべきですか。

      23 のちになると,子供は目をパチクリさせてあなたのところへやってきて,ある質問をするかもしれず,あるいは自分が発見した物を何かしきりに見せたがるかもしれません。もしあなたが,「今じゃましちゃだめだ」と言って子供を追い払うなら,子供は心を打ちひしがれます。頼り切っているあなたから,じゃけんにされたのですから。子供は何も言わないかもしれませんが,容易には消えない傷跡が残り,垣ができ始めます。

      24 しかし,その時あなたが本当に忙しかったなら,どうでしょうか。その場合には,今時間が取れない理由を,ちょうどおとなに説明するように親切に説明し,しかしあとでその問題を考えてみよう,と話してください。そしてできるだけ早く,また必ずそうするようにしましょう。愛情をもって接するなら,ある種の事柄には適切な時というものがあるのだ,ということを認識するように,子供をしつけることができます。

      25,26 たとえ間違った望みや態度を示しても,子供と話し合うのは有益ですか。

      25 子供というものは幼い時からわけを知りたがるものです。少し前のこと,テレビのある人気番組で,一群の高校生と親たちのインタビューが行なわれたことがありました。親子関係に関するある本の著者も出席していました。ティーンエージャーの要求に対してノーという理由について,親が子と活発に論じ合ったとき,その著者は親に向かって,「私はあなたのやり方には反対です。私なら,『いや,だめだ』とだけ言うでしょう」と言いました。これを聞くと,若者のグループ全体がまるで一人の人のように立ち上がって,反対の意を表明しました。「わたしたちはただ命令されるのはいやだ,理由が知りたい」と,彼らは言いました。若い人々と話し合うことは,伝達の道を常に開いておくのに役立ちます。

      26 子供と話し合うのをむずかしく感じる場合に,親が用いることのできる話の概要で,箴言以上に優れたものはありません。神を恐れる父親がその息子に与えた助言を述べる最初の7章は特にそうです。

      要約

      27 (イ)夫は自分の頭の権をどんな線に合わせるべきですか。(ロ)ペテロがペテロ第一 3章6節で述べているように,『サラの娘』と呼ばれることは,女性にとってなぜすばらしい賛辞ですか。

      27 以上の通り,神が家族という取り決めの造り主であられ,そして人間が神の像に造られたのですから,良い夫は家族の成員に,神に似た特性,願望,それに感情があることを認めます。そして神とキリストに倣って頭の権を行使します。また,自分の上に神という頭の存在することを自分が認めていることを実証し,何よりもその頭の権を敬うように家族を指導します。(コリント第一 11:3)この原則を認める妻たちは,サラ,リベカその他神に仕えた忠実な婦人たちの模範に従います。真の『サラの娘』と呼ばれることは,妻にとって最高の賛辞なのです。―ペテロ第一 3:5,6。

      28,29 懲らしめはなぜ必要であり有益ですか。(ヘブライ 12:9-11)

      28 幸福な家族を支配するのは愛と親切です。しかし,懲らしめを与えることも怠ることなく行なわれます。わたしたちは特に不完全な罪人で,皆訓練を必要としているからです。(ヘブライ 12:9-11)「エホバの懲らしめと精神の規整」は,子供の訓練の基礎をなします。(エフェソス 6:4)これには,専断とは対照的な,話し合いが含まれます。また,手本を示すことも含まれます。親は自分が心を尽くして神を愛していることを家族に示して,神への愛を植え付けます。

      29 もし家族の各員が,神と同じように他に接するなら,楽しい家族生活が送れることは確実です。

      「わたしたちには自分と同じ肉親の父親がいて,わたしたちに懲らしめを与えても,わたしたちはこれを常に敬いました。霊的な命の父にはなおのこと服従して生きるべきではないでしょうか。父親は自分に良いと思えるところにしたがって数日の間わたしたちを懲らしめるのが常でしたが,彼は,ご自分の神聖さにわたしたちがあずかれるようにと,わたしたちの益のためにそうしてくださるのです」― ヘブライ 12:9,10。

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