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    ものみの塔 1982 | 1月15日
    • 家族としてエホバに喜ばれるものになる

      「妻たちよ,夫に服しなさい。……夫たちよ,妻を愛しつづけなさい。……子どもたちよ,すべての事において親に従順でありなさい。これは主にあって大いに喜ばれることなのです」― コロサイ 3:18-20。

      1 エホバに喜ばれる家族であるためには基本的に何が必要ですか。しかしどんな障害に立ち向かわねばなりませんか。

      創造者に喜ばれることを願うクリスチャンの家族にとって基本的に必要なことは,適法に与えられた権威に従うことです。あなたは権威をどのように見ますか。新聞や雑誌を読んでも,テレビのニュース番組を見ても,あるいはラジオのニュースを聞いても,権威に対して反抗的な態度を取ることが世界的傾向となっている証拠は少なくありません。この態度は個人の考えに容易に影響します。家族の場合,もし権威への服従に対する見方が,自分の周囲で日々起きる出来事に影響されているなら,その見方は大きな争いを引き起こすことがあります。

      2-4 権威を認めるということになると,家族に対してどんな質問が生じますか。

      2 もしあなたが夫また父親の立場の方であるなら,家族の中で権威を行使することをどのように見ておられますか。家族の頭である夫は,家族に関係した問題で絶対の決定権がある,そして家族を支配するのは自分の権利であるとお考えですか。それとも,家族の平和を保つためには,妻に頭の責任を任せてしまう方が気が楽だとお感じですか。

      3 もしあなたが妻また母親の立場にある方なら,夫が行使する権威の下にあることにいら立ちを感じますか。夫が家族の中で権威を行使するその仕方に従うのは難しいと感じますか。そのような権威からの自由を要求する,反抗的な自分に気付きますか。

      4 もしあなたが少年または少女であるなら,お父さん,お母さん,あるいは後見人の方であれ,親の権威というものをどのように見ていますか。自分は親の指図に進んで従っていると感じますか。それとも親の権威に反抗していますか。親の権威からの独立と自由を要求していますか。

      5 権威に対する見方はどんな関係に影響を及ぼしますか。

      5 権威に対する見方と服従は,創造者エホバとの関係にも,自分が日々生きている世界の人々や,自分と家族関係にある人たちにも,深い,永続的な影響を及ぼします。それで,今日クリスチャンと主張している人々は権威に対して,とりわけそれが家族制度に関係したものである場合に,どんな態度を取るべきかを知っておくのは良いことです。わたしたちは創造者に喜ばれる家族でありたいという願いを持たなければなりません。

      家族制度

      6,7 エホバは最初の人間夫婦にどんな命令をお与えになりましたか。エホバは女に,どんな役割を与えることを意図されましたか。

      6 まず,人間の創造者であるエホバ神は,家族という単位を最初にお造りになった方です。神はエデンで最初の男と女に対し,「子を生み,多くなり,地に満ち,それを従わせよ」とお命じになりましたが,家族は神のこのご命令をもって始まりました。(創世 1:28,新)この家族という単位は今日に至るまで,地球に対するエホバの目的の遂行において,非常に重要な役割を果たしてきました。―エフェソス 3:14,15。

      7 神がお造りになった最初の家族制度では,女は男の補助者として造られ,決して男より劣ったものに造られたのではない,とわたしたちは教えられています。むしろ女は夫の助け手として支える役目をするよう創造されました。(創世 2:18)ふたりは子供をもうけ,家族という単位を構成することになっていました。

      夫と妻の役割

      8 (イ)権威はどのように行使されるべきでしたか。(ロ)男は自分の妻をどのようにみるべきでしたか。

      8 創造者に喜ばれる家族であるためには,秩序と指導が必要です。最初の人間夫婦は,「海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」と告げられました。(創世 1:28,新)アダムという男子は神が創造された最初の人間でした。エホバは全能の神であり創造者ですから,地上で権威がどのように行使されるかを決める権利をお持ちです。神は,権威が男を通して女へ,そして両人の子へ及ぶようにされました。(コリント第一 11:3)聖書に記述されていることからみて,この権威が独裁主義的な,あるいは権威主義的な方法で行使されるべきでなかったことは明らかです。神がアダムのために創造された補助者をアダムが初めて見た時にその口をついて出た,「これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉」という表現に注目してください。(創世 2:23,新)この美しい表現には,アダムが下位者を支配する独裁者となる立場にあったと感じさせるものは何もありません。アダムは,自分のもとに連れて来られた女を,まさに自分の体のように大事にし愛情を込めて世話をすべき『自分の骨の骨,自分の肉の肉』と言ったのです。それから何世紀かの後,使徒パウロはクリスチャンたちに手紙を書き,男は妻をどのように愛し世話をすべきかについて次のような指示を与えました。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします」― エフェソス 5:28,29。

      9 (イ)女は自分の夫に対してどんな態度を取るべきですか。(ロ)両親は家庭内でどのようにして子供を育てるべきですか。

      9 エホバが意図しておられたのは男が女の頭となることでした。(エフェソス 5:23,24)女は男の補助者として,敬意と愛とをもって扱われるべきでした。そうすれば妻も夫に対して「敬意」を抱くことができ,夫に進んで『服す』ことができるからです。(エフェソス 5:33。ペテロ第一 3:1)ふたりは共に働いて,子供をもうけ,言葉で教えたり,手本を示したりしてエホバに喜ばれることを教え,家族制度がエホバの祝福を受けるようにすべきでした。神が後で示しておられるように,父親と母親は子供に対して権威を行使する際に,子供をいら立たせないようにしなければなりません。むしろ,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって子供を育てなければなりません。子供に与える懲らしめや教えはキリストの教えに基づいたものでなければなりません。(エフェソス 6:4。箴 1:8,9と比較してください。)親はまた必要な時に矯正のむちを用いることも要求されています。(箴 13:24; 29:15)以上,夫と妻の責任について簡単に触れたに過ぎませんが,家庭内で,権威は愛と公平とをもって行使されるべきであるというのが,エホバのつくられた取決めであることは明らかです。

      子供の責任

      10 多くの若者は人に服従したくないためにどんな態度に出ますか。以下に掲げられる資料の目的はどこにありますか。

      10 現代のニュースメディアや他の情報筋は,人に服従したくないという気持ちを人々の心に満たしてきました。若い人々の中には,親からであろうと,他の権威ある人からであろうと,自分の生活が監督されることを一切嫌悪する人が少なくありません。家族の中で権威を正しく行使する重い責任が父親と母親にあることは事実ですが,子供たちにも責任があります。エホバに喜ばれる,強くて霊的に健全な家族という単位が必要とされているのですから,子供に関する幾つかの問題や,権威と権威に対する正しい服従に関する子供の側の認識について考えてみることにしましょう。

      11 (イ)「あなたの父と母を敬いなさい」とはどういう意味ですか。(箴 1:8,9,新; 4:1-3)(ロ)子供は,自分個人の権利が侵害されていると考えられる場合でも,どのような態度を取るべきですか。(箴 3:11,12)

      11 「あなたの父と母を敬いなさい」。使徒パウロはこの点,すなわち十戒の第五の戒めを論ずるに当たって,これは「次の約束を伴った最初の命令です」と言いました。その約束とはこれです。「それはあなたにとって物事がよく運び,あなたが地上で生き永らえるためである」。(出エジプト 20:12,新。エフェソス 6:2,3)わたしはクリスチャンです,と断言する子供は,父と母を敬いなさいという命令に従う義務の下にあります。では子供はどのようにして親を敬い,尊び,また親に敬意を示すのでしょうか。確かにそのような子供は,親に対して愛を示し,子供の世話と訓練のために親が払う努力に対して感謝を表わさなければなりません。また親の判断や決定を尊重することも学ばなければなりません。(箴 22:15)自分個人の権利が侵害されているように思えることがあっても,子供は「主と結ばれた……親」に従う義務があります。(エフェソス 6:1)「地上で生き永らえ」,将来の命のためのエホバの是認を得たいのであれば,子供は自分の親を敬わなければならないのです。

      12 (イ)エホバに喜ばれるためには,親または後見人のどんな権威を認めるべきですか。(ロ)いつも品行方正な人は,同じ年ごろの人々からどのようにみられることがありますか。(箴 1:10-16)

      12 権威を認める。親を敬うことと非常によく似ているのは,権威,すなわち特定の制限を設けたり,子供がしてよいことやしてはいけないことを決める親の権利を認めることです。権威に従うことは子供にとって非常に難しい場合が多く,家庭内でそれが争いの種になることは少なくありません。先に述べたように,ニュースメディアや他の情報筋は,親の権威を覆し,親の権威からの自由を要求することを若者に勧めるような情報を提供することがよくあります。そのよい例は,今日見られる,乱交に対する態度です。この事態は,純潔を保つ若い男女が同じ年頃の人々からしばしば悪く思われるというところまで進んでいます。そういう人々は,聖書の高い道徳規準を固く守る人たちを,どこかおかしいとか,魅力がないとか考え,その人々は彼らのいわゆる友達に関する限り「のけ者」です。―ペテロ第一 4:4を参照。

      13 人間の作った法律の中には,時々,どのように悪行を助長することになるものがありますか。

      13 政府の幾つかの法律は,親の同意なしに行なわれる堕胎を合法化することによって,若い女性の不行跡を実際に助長しています。15歳の一少女は,ある医師は親の許しなしにわたしの耳に穴を開けることを断ったけれど,アメリカの最高裁判所は,未成年の少女でも親の許しなしに堕胎をしてよいという判定を下している,と述べました。最近一人の医師は,避妊具の宣伝を拡大する努力について,アメリカ医師会ジャーナル誌の中で次のように述べました。「医師たちが乱交を進んで認め,それを勧めてさえいるのには全く驚かされる。……我々は,自制や貞節を含め,責任ある健康的な性習慣を奨励するのを学ぶことにもある程度力を注ぐべきであるとわたしは思う」。

      14 エホバに喜ばれることを望む少年少女は,自分たちを不道徳から守ろうとする親をどのようにみるべきですか。

      14 エフェソス 6章1節には,的を射たこのような神の言葉の助言があります。「子どもたちよ,主と結ばれたあなたがたの親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです」。従順であるためには権威を認める必要があります。親は自分の子供たちを,神に喜ばれるよう,神の言葉に述べられている道に従って育てる責任をゆだねられており,神の言葉は乱交や性の非行を禁じています。(出エジプト 20:14。コリント第一 6:9,10)子供たちを不道徳な世から守ることに関心を持つ親であるなら,その親は子供たちからの忠実な支持を受けるに値する親です。聞き分けのよい,神を恐れる子供は,そのような親の権威の下でいら立ちを感じるのではなく,親に従いなさいという聖書の助言に従います。それは神がよしとされることであり,自分自身のためになり,また確かな将来を約束することを知っているからです。―箴 3:1,2。

      15 親の権威に服従しようとしないことはなぜ重大なことですか。

      15 親に従おうとしないのはエホバ神に対する不従順でもあります。エホバは人類を治めるための規則や規定を設けられましたが,それと同じように,神は,子供を含む家族という単位の行動を律する正しい規定,つまり家の規則ともいえるものを作る権利を親にお与えになりました。もしそれらの規則や規定が神の言葉に反しないものであれば,子供は親の権威に従順に従う義務があります。

      家族の中の愛

      16,17 (イ)エホバに喜ばれることを願う家族にとって愛はどれほど重要なものですか。(ロ)コロサイ 3章12-14節にはどんな適切な助言が含まれていますか。(ハ)コロサイ人に対するパウロの助言を効果的なものとするために,どんなことが勧められていますか。

      16 家族への愛。家族という単位がエホバに喜ばれるものであるためには,親に対して愛が示されなければなりません。夫は妻を自分自身のように愛しなさいと教えられており,妻は夫に対して深い敬意を抱かなければなりません。親も子供もみな同じように,愛という王たる律法をお互いに対して実践しなければなりません。(ヤコブ 2:8)使徒パウロはこの問題に関してある適切な助言を与え,次のように書きました。「優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなくゆるし合いなさい。エホバが惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたもそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」― コロサイ 3:12-14。

      17 これはただ読めばよい,あるいは口でただ機械的に繰り返せばよいだけの言葉ではありません。聖霊が語った,真剣に考慮すべき言葉なのです。ですから,クリスチャンとしてのそうした必要条件を一つ一つ復習し,それらを熟考されるよう,この記事を読む方すべてにお勧めします。そしてご自分の家族と関連させてそれらを考えてください。パウロの言葉は,あなたの身近な家族の中の夫または妻,父親,母親あるいはその他の人々との関係にどのように影響するでしょうか。使徒が述べたすべての点でエホバを喜ばせているでしょうか。人はそうした助言に従って生活すると同時に,親の支配から独立することをしきりに願ったり,大声で親と口論したりすることはできないのです。親もまたそのように子供を扱うことはできません。エホバに祝福される幸福な家族は,神の言葉聖書にある訓戒を深く,真剣に,そして定期的に熟考しなければなりません。そうするときに,聖霊によってそのような言葉を書かせた,「祈りを聞かれる方」に見倣うことができるのです。―詩 65:2,新。エフェソス 4:31,32。コロサイ 3:15-17。

      18 わたしたちは今日どんな冷厳な事実に直面しますか。そのことからどんな質問が生じますか。

      18 両親がそろっている家庭であろうと,片親だけの家庭であろうと,その訓戒は同じように当てはまり,責任も同じです。しかし残念なことに,サタンは家族を破壊し,分裂させ,征服しようと絶えず力を注いでおり,時々それに成功します。この記事を読んでおられる方はみな,悪魔が「ほえるししのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとして」いることを心にとめていなければなりません。(ペテロ第一 5:8)わたしたちは,エホバにとって大きな喜びであるわたしたちの家族の一致を,悪魔に破壊させるでしょうか。「親の言うことなど聞く必要はない。自分は自分のしたいようにする」という独立の精神に屈服するでしょうか。そのような道を追い求めるなら,幸福を失い,神の不興を買うことになるでしょう。

      19 クリスチャンの家族はどのようにエホバの祝福を受けるようになりますか。

      19 エホバの是認を得たいと思うなら ― 結局,命も死もエホバのみ手の力のうちにあるのですから ― わたしたちは神が家族制度の中に置かれた権威を支持しなければなりません。それに服することはわたしたち自身のためになるのです。そうする時にのみ真の幸福と満足を見いだすことができます。それは家族の一致と調和を促進することなので,わたしたちは昔のダビデ王が述べた次のような祝福をいただけることを期待できます。「だれがエホバの山に登ることができ,だれがその聖なる所に立ち上がれるだろう。それは,手が潔白で,心の清い者,わたしの魂を全くの無価値へと携えたことがなく,欺きの誓いを立てたことのない者。その人はエホバから祝福を,その救いの神から義を携えて行く」― 詩 24:3-5,新。

      あなたはこの記事から何を得ましたか

      ● 権威に対するあなたの見方が家族の幸福に関係しているのはなぜですか。

      ● クリスチャンの家族における夫と妻の役割についての大要は聖書のどこに記されていますか。

      ● 子供が親の権威を認め敬うなら,どんなよい影響がありますか。

      ● 家族の愛を深める努力は,多くの家族を分裂させやすい影響力を相殺するのにどのように役立ちますか。

      ● あなたは,エホバに一層喜ばれる家族となるよう,以上論じてきた事柄のどの点で努力したいと思いますか。

  • 家族としてあずかる神聖な奉仕
    ものみの塔 1982 | 1月15日
    • 家族としてあずかる神聖な奉仕

      「わたしは……あなたがたに懇願します。あなたがたの体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲としてささげなさい。これがあなたがたの理性による神聖な奉仕です」― ローマ 12:1

      1,2 (イ)受け入れられる「神聖な奉仕」を続けるためには,クリスチャンの家族はどんな条件を満たさなければなりませんか。(ロ)クリスチャンの家族の「神聖な奉仕」を妨げることがある幾つかの問題を簡単に述べてください。

      クリスチャン会衆内で家族は基本的な単位とみなされています。家族の中に愛と平和と一致があり,エホバに「神聖な奉仕」を行なうことの重要性に対する認識があれば,その家族はクリスチャン会衆にとって立派な財産と言えます。(ローマ 12:1)クリスチャンの課題はそのような家族という単位を築きまた維持することです。

      2 今は,クリスチャンの家族が立派にやっていく上で妨害となる事柄がたくさんある時代です。例えば,家族を養うだけの収入を得るには共働きが必要だと夫婦が考えることがよくあります。そのような場合には,家族は知らないうちに離れ離れになってしまいがちです。時にはこの事物の体制の引力が強過ぎて,「命を支える物と身を覆う物」とがあればそれで満足しなさいという聖書の助言に従うよりも,収入以上の生活をすることを望み,そのために家族が分裂することもあります。(テモテ第一 6:8)また,独立の精神や,物事をみんなと一緒にせずに銘々自分のしたいことをしたがる気持ちも,家族を一致させる代わりに分裂させる要因となります。どんな面に影響するにせよ,もし従えばクリスチャンの家族に大きな助けとなる道が一つあります。

      3 どんな道が勧められていますか。

      3 その道は,山上の垂訓の中の一つの言葉に示されています。主イエスは言われました。「それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなたがたに加えられるのです」。(マタイ 6:33)この記事では,その道に関係したことが取り上げられます。家族生活の家庭的な面ではなく,家族が王国を第一に求める点で,またクリスチャンの家族を幸福で愛情に満ちた家族,神への「神聖な奉仕」を効果的にささげ得る家族とする事柄を促進させる点で,家族が従うことのできる明確な方法を取り上げます。

      『王国を第一に求めなさい』

      4 わたしたちがエホバに喜ばれる方法を教えられる必要があるのはわたしたちがどんな状態を受け継いでいるからですか。(エレミヤ 10:23)

      4 もし人の生活の中に何か第一のものがあるなら,それは主要なもの,一番重要なものです。イエスは言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら,その人は自分を捨て,日々自分の苦しみの杭を取り上げて絶えずわたしのあとに従いなさい」。(ルカ 9:23)イエスの真の追随者となって自分を捨てるには,本当に『神の王国を第一に求める』必要があります。罪を受け継いでいるために,わたしたちの思いや心は生まれた時から不完全な傾向にありますから,わたしたちはみな,神に喜ばれるために期待されている事柄を教えられる必要があります。(創世 8:21。ローマ 5:12)わたしたちは『王国を第一に求める』よう学ばなければなりません。好きなようにさせられたなら,わたしたちは必ず自分の望んでいるものや欲しいものを第一に求めるからです。そのためエホバはわたしたちに指示を与えてくださいました。その指示はエホバのみ言葉を通して示され,正しい導きを与えてくれます。

      5 申命記 6章6-9節でエホバが古代イスラエル人のために略述しておられる訓練計画はどの程度のものですか。

      5 エホバは,ご自身の選ばれた民である古代のイスラエル人に,律法と戒めを子供たちに教えるようお命じになりました。家にいる時も家を離れている時も,休んでいる時も働いている時も,教えを繰り返し教えなければなりませんでした。(申命 6:6-9)その同じ指示は,今日の家族にとっても,神に「神聖な奉仕」をささげる上で適切なものと言えます。『王国を第一にしなさい』と教えられるなら,わたしたちは責任を引き受けることを学びます。その責任の一つは分け与えることです。

      分け与える

      6 (イ)わたしたちはここでは特に何に参加することについて考えますか。(ロ)分け与える問題において,親にはどんな大きな責任がありますか。(ハ)使徒パウロはコリント第二 2章14-16節で,どんな障害物について略述していますか。ある人々はそのためにどんな状態に陥りますか。

      6 本当に幸福であるためには物を分け与えることももちろん大切ですが,ここでは,そのことの意義については詳しく取り上げないことにします。(使徒 20:35)わたしたちが関心をもっているのは,クリスチャンが神の王国に対して抱いている希望を他の人々も得るよう,その機会を与えることに参加することです。親が自分の子供に植え付けることのできる優れた特質の一つは,王国の「良いたより」を他の人と分かち合いたいという願いです。『王国の良いたより』について人々と話し合うことに参加するよう子供を教えることは,子供が幼いうちからできます。(マタイ 24:14)これには親の側の大きな努力が要求されます。なぜなら王国の音信は,これを聞く人の大多数がすぐに受け入れたり求めたりするような性質のものではないからです。それというのも,「この事物の体制の神」であるサタンが,「キリストについての栄光ある良いたより」に対して人々の思いをくらましたからです。(コリント第二 4:4)使徒パウロは,わたしたちがこの責任を果たすこととそれが及ぼす影響について次のように述べました。「神は,キリストについての知識を甘いかおりのように至るところに広めるため,わたしたちを用いてくださるのです。わたしたちはキリストによって神にささげられた甘いかおりの香のようです。このかおりは,救われてゆく者と滅びてゆく者たちの間に広がります。滅びてゆく者たちにとってはそれは人を殺す有害なにおいであり,救われてゆく者には命をもたらすかぐわしいかおりです」。(コリント第二 2:14-16,今日の英語新約聖書)問題は,人類の大多数がこの極めて重要な音信を,死に至らせるもの,受け入れ難いもののようにみなしていることです。そのような人々にこの音信を広める業に参加するのは,難しいこと,気が重くなるようなことに思えるかもしれません。

      7 子供たちが,学ぶことを行ない続けるためには,どんな励ましが必要ですか。

      7 それだけに,この「神聖な奉仕」にあずかる者となるよう自分の子供を訓練するクリスチャンの親の役割は,極めて重要なものとなります。この奉仕によって「キリストについての知識」は広められます。その結果,少数の人は非常に大きな喜びを得ることになりますが,多くの人はこれを完全に拒絶します。親は子供に,キリストと王国についての音信を他の人に広めるこの「神聖な奉仕」にあずかる備えをさせるように,子供が小さい時から訓練を始める機会と責任を持っています。たとえ多くの人が神からの栄光ある音信を死に至るものとみなそうとも,「良いたより」の若い宣明者たちも喜びと熱意を失ってはならないということを子供たちが認識するまでには,多くの援助を必要とします。子供たちも,手をゆるめてエホバに「神聖な奉仕」をささげることをやめるべきではないのです。―コリント第一 9:16,17。

      8 (イ)「神聖な奉仕」を行なう点で親の手本はどれほど重要ですか。(ロ)そういう訓練を親が直接行なうのはなぜ良いことですか。

      8 ですから,王国をふれ告げる業に定期的に参加することによって熱意と献身を自分自身の生活に反映させる,大きな,そして永続的な責任が親にあることは容易に理解できます。親は子供と一緒に王国奉仕に携わることを日常生活の決まった仕事の一部とすべきで,いつも子供だけを奉仕に出してほかの人たちに世話をしてもらう,ということがないようにしなければなりません。この責任を親に代わって負うことはだれにもできないのです。良い手本を示すことこそ,子供の心に正しい目標と動機を植え付ける最善の方法なのです。「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ。彼は年老いても,それから離れないであろう」という聖書の戒めを忘れないようにしましょう。(箴 22:6,新)子供を正しく訓練するには,父親または母親,あるいはできれば両方が子供と一緒にいることです。つまり家族として「神聖な奉仕」にあずかることです。

      9 神聖な王国奉仕にあずかる時に得られる二つの有益な結果について簡単に述べてください。

      9 こうして「良いたより」を他の人に分け与えると,自分はエホバが命令されたことを行なっているという満足感が得られるほかに,有益な結果が得られます。つまり子供がその奉仕から人生の正しい目標を得,それに向かって進むようになるのです。大多数の若者がしているようなむなしい目標の追求は,永続する真の幸福をもたらすものではありません。しかし,エホバに喜ばれる事柄を目標にしてそれを追い求める,満ち足りた敬神の生活を送ることですから,最も価値のある目標です。一般の世の人々は満足を探し求めますが,クリスチャン会衆内の神を恐れる家族の場合,捕らえようとさえすれば,それは十分手の届くところに見いだせます。満足を見いだす方法はたくさんあります。―エフェソス 5:15,16。

      開拓奉仕

      10 クリスチャンの家族の中で開拓奉仕をどのように励ますことができますか。それにはどんな益がありますか。

      10 1980奉仕年度中に全世界で13万7,000人を超えるエホバの証人が,何らかの形の全時間奉仕,すなわち開拓奉仕に参加しました。その人々は王国をふれ告げることにそのようにして十分にあずかり,大きな満足を味わいました。この種の「神聖な奉仕」はその人々にエホバからの多くの祝福をもたらしました。家族の成員は,家族の中の一人が全時間の開拓奉仕を始めるよう取り計らえることがあります。その場合,各成員がある程度の犠牲を払うことになるかもしれませんが,報いはその犠牲に十分値します。あなたは,家族の成員の一人がこの分野の「神聖な奉仕」にあずかれる可能性を考えてみたことがありますか。まず補助開拓者として開拓奉仕を始め,次いで正規または特別開拓者となる独身者や夫婦の中には,奉仕の務めを拡大して「神聖な奉仕」のさらに他の分野に進出できる立場にある,と考える人が少なくありません。

      宣教者としての奉仕

      11 (イ)多くの人は「神聖な奉仕」の他のどんな分野に進出しましたか。(ロ)これには「神聖な奉仕」を遂行する点でどんな価値がありましたか。

      11 ものみの塔ギレアデ聖書学校は38年以上運営されていて,外地に行く人々の訓練と養成に当たってきました。ですから彼らは外地で『王国を第一に求める』ことができました。多くのクリスチャンの父親と母親は,子供を手元におく楽しみを進んで思い切り,子供たちが奉仕の務めを拡大して外国の人々を助けるよう励ましてきました。それで何千人もの独身の兄弟姉妹,また夫婦が宣教者として外地で奉仕できる特権にあずかるという祝福を得ました。彼らはその種の「神聖な奉仕」において受けた多くの祝福によって富み,地の遠い所にまで「良いたより」を広める器として用いられてきました。ギレアデ学校の最初のクラスの卒業生の中には,今日に至るまで外地で奉仕している人々がいます。そして多くの場合,何十年か前に始められたその業の強固な基礎となっています。あなたは家族として「神聖な奉仕」を続けるうえで,どの子供かに,この活動分野について考えるよう励ませる立場にありますか。―マラキ 3:10。

      ベテル奉仕

      12 ある家族の「神聖な奉仕」においてベテルはどんな役割を果たせますか。

      12 世界中のものみの塔協会の支部ではベテルホームが運営されており,全く献身した若い男女はそこで自分の若い時代を創造者にささげることができます。(伝道 12:1)この種の「神聖な奉仕」もその資格のある人々に多くの喜びをもたらします。そこでは,宣べ伝え教える奉仕の務めに携わる兄弟姉妹たちのために仕えることができるからです。多くの家族はベテルで奉仕する子供や親族を持つ特権に恵まれています。この分野の全時間活動の場合,開拓者や宣教者ほどには公の奉仕の務めにはあずかれません。それでもベテルで奉仕する人々は家から家に宣べ伝え,王国の音信を広める業に参加します。(使徒 20:20)それに加えて,世界的な奉仕の務めを常に前進させるのに役立つ大切な奉仕を行なっています。

      あなたはどうしますか

      13 クリスチャンの家族にとって引き続きどんな機会がありますか。

      13 パウロはコリント会衆にあてた手紙の中で,「活動に通ずる大きな戸口がわたしのために開かれている」から,今しばらくエフェソスにとどまると書いています。(コリント第一 16:9)今日のエホバの民の前にも,「神聖な奉仕」という活動の大きな戸口が引き続き開かれています。わたしたちは「終わりの時」に関する多くの聖書預言が最終的な成就を見る時代,王国の良いたよりが証しとして全世界に宣べ伝えられる時代に住んでいます。(ダニエル 12:4。マタイ 24:14)クリスチャンであるエホバの証人の家族はどうするでしょうか。事は急を要します。時が限られているからです。必要なものはそろっています。エホバがご自分のみ言葉である聖書を備えられ,「忠実で思慮深い奴隷」が神を恐れる人々のために出版物を供給しているからです。(マタイ 24:45-47)家族もたくさんいます。それにエホバは,王国宣明者の隊伍に何千人もの人々を加え続けてこられました。―イザヤ 60:22と比較してください。

      14 (イ)家族はどんな適切な質問をしてみることができますか。(ロ)「神聖な奉仕」にあずかる資格があるとわたしたちが考えることができるのはなぜですか。

      14 それで問題は,自分はどうするかということです。あなたは家族また個人として,創造者に「神聖な奉仕」をささげる,今ある機会を捕らえていますか。ほかの人々にもそうするよう励ましていますか。会衆内には,堅い基礎の上に立つ,そして王国の実を結びたいという願いがありありと見える家族がいますが,あなたの家族もそのような家族単位の一つですか。救われてゆく者と滅びてゆく者双方の間に広がる甘いかおりの香であることについて語った際に,パウロはさらに次のように述べました。「では,だれがそのような務めを行なえるでしょうか。わたしたちは,神からの音信を安物の商品のように扱う,他の多くの人々のようではありません。しかし,神がわたしたちを遣わされたので,わたしたちはキリストの僕として,神のみ前で,真心をこめて語るのです」― コリント第二 2:16,17,今日の英語新約聖書。

      15,16 (イ)ある人々はどのようにして王国の関心事を発展させることに今以上にあずかることができますか。(ロ)「神聖な奉仕」をふやすときどんな祝福がありますか。

      15 家族の中の愛と平和と一致を促進し,『王国を第一に求める』ことを最重要事とし,座って費用を計算するなら,クリスチャンの家族は,この地上でかつてふれ告げられた最も重要な音信,すなわち建てられた神の王国の「良いたより」を広める業に,確かに今より多くあずかれることに気付くかもしれません。家族がそのように誠実に,一致して努力する時に,エホバの祝福は彼らのものとなり,エホバはご自身が与える祝福に痛みを加えられることはありません。―箴 10:22。

      16 では家族が一緒に座って,自分たちが今行なっていること,そして行なえることについて考えてみるのはいかがでしょうか。正直に考えてみるなら,わたしたちのほとんどは,もう少し努力すれば,自分の家族がエホバへの「神聖な奉仕」にあずかる点で果たしている役割を拡大できることを認めないわけにはいかないでしょう。エホバはわたしたちに無理なことは要求されないということを忘れないようにしましょう。エホバへの愛,家族への愛,そして人類一般への愛があれば,わたしたちは早速自分の状態を調べて,なすべきことを決めるでしょう。あなたの「神聖な奉仕」,キリストの弟子としてのあなたの栄光ある奉仕の務めの様々な面について考えてください。(コリント第二 4:7)エホバへの祈りにこの問題を含め,あなたの払う努力にエホバの導きと助けを求めてください。現在でも与えられる祝福は多く,敬けんな満足を味わえますが,将来には,神の新しい事物の体制でのまさに真の命が約束されています。―マタイ 25:34。テモテ第一 6:6,17-19。

      家族で話し合う点

      ● マタイ 6章33節のイエスの言葉を自分個人に適用するだけでなく,家族も心を合わせてその言葉に従うことを考えなければならないのはなぜですか。

      ● どうすれば,王国の音信を他の人と分かち合うことを子供に教えるという家族の計画に関して,より大きな役割を果たせますか。

      ● 子供たちがこの活動に一層十分にあずかれるよう,あなたの家庭ではどんな実際的な調整が行なえそうですか。

      ● 「神聖な奉仕」のどの特別な面が,あなたの,あるいはあなたの家族のだれかの目標として適当だと思われますか。

      ● 家族は,その成員の中の少なくとも一人がそういう目標に到達するよう,どのように協力できますか。

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