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    目ざめよ! 1971 | 6月8日
    • 少しのものでやりくりするには

      「いったい,どうすればうまくやりくりができるだろうか」。ドル,フラン,マルク,ペソなどの購売力が低下していくので,多くの人がこうした不安を抱いています。またこれは,世界のいろいろな場所の景気後退に起因する雇用問題に直面している人々の心配でもあります。安い給料で満足しなければならない人たちもいます。一時的に失業している人たちもいれば,就業日数を短縮された人たちもあり,また完全に失業している人たちも少なくありません。

      そういうことで,多くの人々が,少ないお金でうまくやりくりしていかねばなりません。この問題で一番大きな助けになるのは,状況の変化に対して正しい精神的態度をもつことでしょう。この場合,聖書の助言はきわめて適切です。『神を敬まって足ることを知るのは,大きな利得の道です。わたしたちは何物をも世に持ってこず,また何物をも持って世を去ることはできないからです。ですから衣食があれば,それで満足すべきです』― テモテ前 6:6-8。

      また,近所の人の思わくをむやみに気にしないことも,少ないものでうまくやっていく助けになります。たしかに近所の人は,あなたが,前よりも質素な暮らしを始めたことに気づくかもしれません。しかしその種の束縛(隣人の思わくを気にすること)から自由になるのが早ければ早いほど,それはあなたのためになります。近所の人はいろんなことを言うかもしれませんが,勘定書の支払いを助けてはくれません。この恐れを捨てることはまた,少ないものでやっていくことに早くなれる助けにもなります。聖書が警告しているとおり,人の思わくを恐れることは,実際にひとつのわななのです。―箴言 29:25。

      もうひとつの大きな助けは,いっそう実際的になるよう努めることです。見栄や感傷はともすると,良い判断力を鈍らせます。少ないお金でやっていかねばならないときには,感傷や見栄のようなぜいたくなもののために気をゆるす余裕はないはずです。また衝動買いや気まぐれな買い物の仕方もいけません。お金を使うときには,事務的な態度で当ることです。

      食物の問題

      収入の少ない人々にとって,いちばん費用のかかるものといえば食物です。ですから,この点でも,少しのものをうまく使うことを学ぶのはやりがいがあります。わたしたちは生きるために食べるのであって,食べるために生きるべきではない,ということを忘れないようにしましょう。

      西欧諸国の人々の大半は食べすぎる,ということに栄養学者たちの意見はほぼ一致しています。節度のある食べかたは,たしかに家の経済に影響します。また残り物を捨てずに,きれいに食べることもよい節約になります。もうひとつは,淡白な食事に慣れることです。淡白な食物は食べすぎを防ぎ,安いうえに,からだのためにもよいのです。たとえばジャガイモの丸焼きは,最良の食物の部類にはいり,フランス式揚げポテトよりも,三つのどの点でもすぐれています。つまり,食べすぎる恐れが少なく,より健康的で,経済的です。

      また,しゅんの物や,値段が特別安くなっている物を食べて満足するという賢い方法もあります。バナナなどは時々,いつもの値段よりもごく少額で売られていることがあります。出はじめのころのアスパラガスは,出ざかり時の値段の2倍から3倍です。ですから安くなるまで待つことです。

      高くつく二つの食品はバターと肉です。ある専門家の話によると,コーンオイルのような不飽和脂肪だけでつくられたマーガリンは,バターよりもずっとからだによく,値段もはるかに安くつきます。肉はどうですか。肉の場合も,乳製品,たまご,豆類,魚などを時々代わりに使えば,健康にもよく,さいふのためにもなります。大都市では,ミルクの値段が上昇をつづけています。粉ミルクを使うようにするのはいかがですか。これはかなりの節約になります。

      でん粉製品や砂糖はどうかといいますと,これらも,経済や健康状態の益となるように使えます。玄米,大麦(スープに),昔風のオートミールをたびたび使うことです。またデザートはほんとうに毎日必要でしょうか。これを減らせば,経済的でもあり,健康や容姿にもよいことが少なくありません。

      衣料の面での節約

      衣料の面での節約という問題もあります。流行を追うのは経済的ではありません。流行をつくる人たちの目的は,人々にせっせと服を買わせることです。昔からある規則は,「新しいものにまっ先に手を出さぬこと,古きをすてるにも最後にならぬこと」です。

      ここでも,人の精神的態度が,少しのものでどれほどうまくやれるかに,大きく影響してきます。着るもののことを心配しすぎないようにという,イエス・キリストの助言は当を得たものと言えます。―マタイ 6:28-30。

      主婦が,自分で自分のものや子どもたちのものを縫うことができれば,あるいは仕立て方を習うならば,また娘にその技術を習得させるならば,衣料費は安くなります。主婦の中には,主人の背広まで作る人がいます。

      経済的な見地から見てもきわめて実際的なのは,衣服について使徒パウロが与えた助言です。女は慎みのある服装をすべきだ,と彼は助言しています。同じ趣意で,使徒ペテロも,妻たる者は,流行スタイルの服や,人目を引く宝石,凝った髪型やかつらよりも,「柔和,しづやかなる霊の朽ちぬ物」に思いを向けるべきだ,と言っています。事実,内面を飾ることに注意すればするほど,外面の飾りはそれほど重要に思えなくなると言えるかもしれません。―テモテ前 2:9,10。ペテロ前 3:1-6。

      費用を切りつめるほかの方法

      少しのものでうまくやっていくための大きな助けのひとつは,家計簿をつけることです。少なくなった収入の範囲内で生活する努力を水のあわにしてしまうのは,多くの場合,小銭をたくさん不注意に使うことです。これはたしかに挑戦かもしれませんが,もしあなたか,あなたの家族が,1か月間の買い物を綿密に記録するように,ほんとうに努力すれば,実状がよくわかり,不必要な出費をなくするのにたいへん役だちます。

      なぜ役だつかというと,お金がどこに行っているか,どこで一番倹約できるか,よくわかるからです。米政府機関が報告した低所得者の予算と,自分の予算とを比較してみるのもよいかもしれません。それは,食費35㌫,住居費25㌫,被服費15㌫,残る25㌫は,交通費,医療費,娯楽費,慈善的寄付,宗教費となっています。

      それから家具も,少ないものでうまくやっていける分野のひとつです。今ある家具をよく手入れして大切にし,よい状態に保ちます。たとえば,かき傷などは,くるみの実でこするなど,いろんな方法でかくせます。また,家具を買う必要のあるときは,中古品で結構間に合うことが多く,新品よりも良い場合さえあります。新聞の項目別広告欄には,時々バーゲンセールの広告が出ます。ニューヨーク市には,家具,自動車,テレビ,楽器など,個人が売りに出した品物の,項目別広告だけを載せた,「バイ・ラインズ」「ザ・セリング・ポスト」の2種の週刊誌があります。

      電話料金に注意するのも,倹約のひとつの方法です。十代の子どもはとくに電話で話すのが好きですから,またたく間に料金がかさみます。長距離電話でも,倹約のために回数を減らすことをせずに,ぜいたくをしているかもしれません。普通の収入の家庭が,毎月100ドルに近い,あるいはそれ以上の電話料金を払わねばならない理由はないように思われますが,それでもある家は,それだけ払っています。

      欲しい物があっても,現金で買えるようになるまで,なしですませることもまた,大切な倹約の方法です。現金で買えば,信用貸しでないために,利子がかからないばかりか,値段も割り引いてもらえるかもしれません。

      クレジット・カードや掛け勘定は,あなたの経済をおびやかす可能性が多分にあります。そういう便利品を利用すると,現金で支払う場合よりもたくさんのお金を使うことは,よく知られている事実です。夫または妻が,衝動的な,あるいは感傷的な買い物をする傾向のあるところでは,買い物に出かけるまえに,よく考えてリストを作り,必要以上のお金をもって行かないことです。ひとりよりも二人で考えるほうがよい買い物ができるので,夫と妻がいっしょに買い物に行く家庭もあるでしょう。

      また,からだの調子がわるいなと思うとき,常識を働かす,という問題もあります。よく休み,食事の量を減らすだけで,乗り切れる場合がしばしばあります。ちょっとした病気で,すぐにお医者さんのところへ飛んで行く人は,自分のからだも,さいふも弱くしてしまいます。

      ほかにも,少しでうまくやれる方法がありますか。あります。娯楽と休暇の場合です。かかるとしても比較的にわずかな費用で楽しめる娯楽や,気晴らし,レクリエーションはたくさんあります。公園や動物園に行くこと,博物館の見学などはそれです。昔は,家族が集まってゲームをしたり,歌を歌ったり,楽器を演奏したりして夜を楽しんだものです。ただの見物人でいるよりも,健全なレクリエーションの参加者になるほうがずっとよいでしょう。

      こうした経済問題に対処する場合,悲しい,あるいは憂うつな見方をする必要はありません。むしろユーモアをもって当たることです。ゲームのように,報いの多い挑戦のように見ましょう。さいふの,つまらない,ありふれた,重要でない漏れをふせぐなら,大切な,家族にほんとうに益となる事柄に,より多くのお金を使うことができます。

  • 生物の授業で
    目ざめよ! 1971 | 6月8日
    • 生物の授業で

      ◆ 西ドイツの16歳になる若い伝道者は,「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」と題する本を,その内容を簡単に説明して生物の先生に提供した時のことを,次のように報告しています。先生は進化論を扱う時にはこの本の資料を用いたいと言いました。「進化の問題が授業で取り上げられた時,先生はその本を学友に見せ,その一部を読むことさえされたので,わたしはたいへん驚きました。先生はその本を推薦し,それが別の観点から書かれており,若い人々が自分自身の考えをまとめるのに役だつと話しました。授業のあと,わたしの持ち合わせていた2冊の本は,たちまちのうちに学友の手に渡ってしまいました。先生がクラスの生徒に推薦してくださったおかげで,翌日わたしは15冊の「進化」の本を配布できました。その生物の先生は自分の教えている他の三つのクラスでも「進化」の本を生徒に見せました。次の日先生はわたしのもとに来て,「進化」の本をさらに39冊ほしいのだがとおっしゃいました。もちろん,わたしは喜んで引き受けました。先生は本の代金を立て替えてくださり,生徒からは自分で代金を集めました。こうして,わたしは1週間に56冊の「進化」の本を配布することができました。わたしは今月休暇開拓奉仕をして,豊かに祝福されたことをお知らせしたいと思います。

      ― エホバの証人の1971年度年鑑より

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