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喜びに満ちた働き人が集まるとどうなるか目ざめよ! 1978 | 2月8日
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の学位を持つハイスクール・カウンセラーであり,精神衛生と心理学の本を数多く読んだにもかかわらず,わたしは次の発見をしました。すなわち結婚生活に成功すること,青少年犯罪の防止,友人を得て友情を保つ方法などに関する聖書の助言は,わたしが今までに読んだ,あるいは大学で学んだどんなものよりもはるかに優れているということです」。
「喜びに満ちた働き人」大会は,喜びの心を抱いて神に奉仕するようエホバの証人および他の多くの人々に大きな励みを与えるものでした。話,劇そして新しい出版物は,来たる月々の間,個人,家族そして会衆にとって聖書研究の教訓的な資料となることでしょう。あなたも彼らと一緒に学んでこの知識を得ることを楽しんでごらんになりませんか。土地のエホバの証人にご連絡ください。困難な今の時代においてさえ,「幸福な神」エホバと共に働く,喜びに満ちた働き人となることがどのように可能かを,彼らは喜んで説明します。―テモテ第一 1:11。
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家庭生活は楽しいものになる目ざめよ! 1978 | 2月8日
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家庭生活は楽しいものになる
「調査によると,わが国で暴力行為の最も激しい場所は家庭」。「報告によると,殺人は家庭の不和から」。これらの見出しは,多くの家庭が重大な危機に見舞われていることを示しています。
最初の見出しの記事によると,「百人の夫また妻につき約一人が,一昨年,配偶者を殴る,ける,物を投げつける以上のことを行なっており,また配偶者を殴った,あるいは殴られた」と言っています。ロードアイランド大学のリチャード・J・ゲレス博士は,「銃やナイフを振り回す親の元で大きくなっている子供が非常に多い。そういう親は,ただ子供を脅すのではなく,実際に子供に切りつけたり,子供を撃ったりするのである」と述べています。
家庭内の不和は今に始まったことではありません。よく知られていることわざに,「なれなれしさは軽べつを生む」というのがあります。
あなたのご家族はどうですか。一家だんらんや物事を一緒にすることを楽しみますか。それとも家庭の外に最も親しい交友を求めますか。残念なことに,そうなりつつある家族が現在しだいに増えています。しかしなぜでしょうか。
家族間に緊張が生まれる原因
あなたは,家族の中のだれかが,ほかの者の迷惑になるようなくせを時々出すのを知っていますか。その悪いくせというのは,だらしないテーブルマナーとか,自分に割り当てられている家事をしようとしないこと,いくら注意しても夜ふかしをしたり,ほかの者が寝ようとしているときにやかましい音をたてたりすることなどかもしれません。
なかには,自分のことはたなに上げて人の欠点ばかり大げさに言う人もあります。こういうことも家族の間に緊張を生むかもしれません。絶えず批判されている人は,あらさがしをするその人に対して自分自身が批判的になります。そうなると,口げんかが際限なく繰り返されるようになり,家庭生活の喜びは失われてしまいます。もしかしたらあなたは,そういう型にはまり込んでいる家族をご存じかもしれません。
またある家庭では,家族がそれぞれ自分個人の関心事を追い求めて孤立し,他の者を寄せつけない,という状態にあるかもしれません。例えば,親も子供も同じように,テレビを見ること,音楽を聞くこと,あるいは好きな趣味などに夢中になって,お互いのことを全く気にかけないようになるかもしれません。
そのように自ら孤立することは,家族関係にどんな影響を及ぼすでしょうか。ところで,人は自分が無視されたとき普通どう感じますか。『あの人が私を無視するのなら,私が彼のことを気にかけることなどない』と考えるようになる危険があります。
多くの家庭はこうした問題に悩まされています。それは家族関係をむしばみ,家というものを,空腹を満たすいわば“給油所”,また寝るだけの場所にしてしまいがちです。
多くの家族をこういう方法で崩壊させているものは何でしょうか。聖書によれば,それは全部の人間がある程度持っている一つの危険な精神態度です。ではそれはどんな態度でしょうか。
危険な精神態度
使徒パウロは,人間関係に伴うほとんどすべての問題の根底を突き,次のように書きました。『わたしはあなたがたの中のすべての者に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません』。(ローマ 12:3)パウロが望んだのは,自分のことを必要以上に考える態度と闘うことでした。この態度は,親しい人たちが一緒に住んでいるときにしばしば現われます。知らない人や浅い知り合いに対してていねいな,へりくだった態度を取るのは,それほどむずかしいことではありません。しかし,家庭での振る舞いは,高ぶった精神を示すのがその人「本来の姿」であることを表わすかもしれません。
自分について思い上がった考えを持っている人は,自分のくせや特異性を改めようとしないでしょう。それが他の人の迷惑になろうと,こちらの知ったことではない,と考えます。配偶者や家族との親しい個人的な関係よりも,仕事,読書,娯楽,あるいはなんらかの趣味のほうを好み,いつも一人で行動する人はどうでしょうか。この場合もやはり,他の人の関心事よりも自分の関心事を重要視することが問題でしょう。
重要な見方の変化
家庭生活を喜びのあるものにするには,家族全員がその態度を根本的に変える必要があります。聖書は,「善を行ない,罪を犯さない正しい人は世にいない」と言って,人々が自分の態度を変えるのを助けます。(伝道 7:20,口)罪を犯さない正しい人が世にいないというのは確かです。ですから,先祖から受け継いだ自分の不完全さに気づいている人は,自分自身の物事のやり方にがんこに執着すべきではありません。むしろ,人の迷惑になる習慣なら改めたいという気持ちを持つべきです。そして自分の不完全さを認める人は,他の人が完全さを示すのを期待すべきではありません。絶えず人のあらさがしをしている人は,そうする代わりにイエスの次の諭しに注意を払うべきです。
「自分が裁かれないために,人を裁くのをやめなさい。……なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら,自分の目の中にある垂木のことを考えないのですか。また,どうして兄弟に,『あなたの目からわら
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