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家族の中のアルコール中毒者 ― あなたにできることは何か目ざめよ! 1983 | 3月8日
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家族の中のアルコール中毒者 ― あなたにできることは何か
一晩飲みまくったあげく,千鳥足でようやく家にたどり着き,居間の床の上で酔いつぶれます。この人の妻は傷つき,心を乱していました。それでも,どうにか夫を起き上がらせ,着替えさせ,床に就けます。この婦人の夫はアルコール中毒者なのです。a
翌日,夫は二度とこうしたことはしないと約束します。時には夫が前の晩のことを全く覚えていないこともあります。しかし妻の方はしっかりと覚えています!『その話はこわくてとてもできないわ』と妻は独り言を言います。もしも話そうものなら,夫は心を乱して荒れまくり,再び飲みだすのではないかと思っているからです。とても仕事へ行ける状態ではないので,妻は上司に電話をして夫が出勤しない言い訳をします。
夫の酒量が減る見込みがないのに,妻はその希望を捨てません。妻は夫の飲酒を抑えようと必死の試みをします。それで,アルコール飲料を隠したり,捨てたりします。
夫の飲酒のために気まずい思いをすることを恐れて,妻は自分たちの社交上の接触を制限します。そして妻は夫と一緒でなければお付き合いをすることもありません。夫が怒って,もっと多く飲むようになることを恐れているのです。
しかしこのすべてにもかかわらず,夫は酒を飲み続けます。なぜでしょうか。妻は夫を助けるためにできる限りのことをしているのではありませんか。実のところ,妻はそれと気付かずに,夫の回復を困難なものにしているのです。助けを必要としているのは夫だけではありません。妻の方も助けを必要としているのです!
上記のような情景の見られる家族をご存じですか。あるいは,あなたご自身の家庭でそのような情景が見られるでしょうか。そうであれば,『どうして配偶者まで助けを必要としていると言うのですか』といぶかしく思っておられるかもしれません。
家族に及ぼす影響
アルコール中毒は家族全体に恐るべき感情的影響を及ぼします。例えば配偶者は,大抵の場合,アルコール中毒者を鏡に映し出したような人になります。
例を挙げてみましょう。アルコール中毒に共通する症状として,当人は飲酒の問題があることを否認します。ところが,家族の成員もやはりその問題を否認しようとすることが珍しくありません。きっと恥をかくことを恐れているためでしょう。では,配偶者が飲酒の問題を持つ人である場合に,飲酒によって事件を起こすたびにその“言い訳”を考えている自分に気が付きますか。
それだけではありません。配偶者の飲酒を抑えようとする努力が幾度も失敗に終わると,自分は至らないものであるという気持ちや思い煩いがつのってきていることでしょう。あるいはもっと悪くなって,恨みや苦々しい気持ちが自分の内部で高じてきているでしょうか。「主人が死んでしまえばよいと何度も思いました」と,絶望感に打ちひしがれた一人の妻は告白しています。
ですから,家族の人たちが不安,恐れ,怒り,罪悪感,神経質になること,欲求不満,緊張,自尊心の低下などアルコール中毒者と同じ消極的な気持ちや感情にさいなまれているとしても不思議ではありません。確かに,配偶者も助けを必要としていることが少なくないのです。
子供たちはどうでしょうか。子供たちが受けるかもしれない,いつまでも消えない感情的な傷跡のことを考えると,胸の張り裂けるような思いがします。アルコール中毒者を親に持つ子供たちの幾人かが「目ざめよ!」誌のインタビューに答えた次の幾つかの言葉に注目してください。
「私はいつも間に立たされていました。ある時,私が9歳ぐらいのころ,母が酒を飲んでいて,父と母が大げんかをしました。母は出て行こうとしました。私は非常に感情的になって母のスカートをつかみ,どうか行かないでと頼みました」。
「すべての人に知れわたっていました。学校へ行く途中,男の子たちから笑われ,大声で,『お前のお父さん飲んだくれ!』と言われたのを覚えています」。
「私は劣等感にさいなまれるようになり,自分を責めるようになりました」。
「いまだにとても強い不安感があり,自分の能力を疑い,自分を卑下し,自己嫌悪に陥っています」。
そのような子供たちが神経質になり,引込思案で,口数が少なくなる場合がある理由は容易に理解できます。そして大抵の場合,怒りや恐れ,欲求不満,孤独感などを抑えたり否認したりします。そうでもしなければ,余りに傷つき過ぎるのです。確かに,子供たちもやはり助けを必要としているでしょう。
ですから,家族の成員であるあなたは,(1)自分の感情面の健康を保つために,また(2)アルコール中毒者に対する最善の接し方を学ぶ上で,助けを必要としているかもしれません。
事実を学ぶ
まず手始めに,アルコール中毒について情報を取り入れるようにします。近くの図書館やアルコール中毒情報センターには有用な資料があるかもしれません。同じような問題に直面したことがある人たちと話せば,どうしたらよいかについて実際的な提案を得られるでしょう。
あなたの頭に浮かぶ最大の疑問はきっと,『アルコール中毒者を助けるために自分には何ができるだろうか』ということでしょう。しかし,アルコール中毒者を助けられるようになる前に,自分自身が消極的な気持ちや感情から立ち直るために助けを必要としているかもしれません。ですから,アルコール中毒が自分にどのような影響を及ぼしたかをまず知るようにしてください。そうしなければ,アルコール中毒者の心を動かすことはできないでしょう。
次に,アルコール中毒者に対する最善の接し方を学ぶようにします。あなたもきっと冒頭に挙げた婦人のような反応を最初は示したかもしれません。しかし,そのような努力は回復に役立つどころか,しばしばアルコール中毒の進行を助長するものになります。なぜならそうしたことをすると,アルコール中毒者が自分の置かれたありのままの状況を見るのを妨げることになるからです。アルコール中毒者は否認の厚い壁の後ろに隠れています。ですから,アルコール中毒者をかばって,その飲酒の引き起こした事柄をうやむやにするなら,普通,当人がその問題を否認し続け,当人に飲酒を続けさせることになります。
アルコール中毒者が助けを得るよう導く
アルコール中毒者に無理やり治療を受けさせることはできませんが,助けを得たいという気持ちを起こさせることはできます。でも,どのようにしてそれができるでしょうか。
基本的に言って,二つの方法があります。(1)自分の飲酒の引き起こした事柄を当人が身をもって知るに任せる,また(2)当人の飲酒に関する事実を突き付ける,というものです。気分が一番悪い時であっても,受け入れやすい仕方で与えられさえすれば,アルコール中毒者は現実の一部を受け入れられるものなのです!
しかし,これらの方法おのおのを論じる前に,注意を一言。そのようにして問題に介入するには,アルコール中毒について十分の情報を持っていることとその知識を当てはめるための感情面での強さを備えていることが求められます。
さて,アルコール中毒者に自分の飲酒の引き起こした事柄を感じさせるようにするとはどんなことを意味しているのでしょうか。それは罰を与えることを意味してはいませんが,断固とした態度を示すことは求められます。例を挙げて示すために,冒頭に挙げた婦人の場合について考えてみましょう。ある成功しているアルコール中毒治療センターのカウンセリング部長のウイニー・スプレンクル博士が,「目ざめよ!」誌のインタビューに答えて提案した事柄に注目してください。
● 夫が床の上で酔いつぶれてしまった時,この婦人にはどんなことができるでしょうか。「概して,家族が問題を覆ってどんなことが起きたかアルコール中毒者に分からなくしてしまってはなりません。これは非常に大切なことです。ですから,本人が床の上で酔いつぶれ,翌朝ベッドの中でパジャマを着て目を覚ますなら,本人はどんなことが起きたか決して知ることはないでしょう」。ですから,状況にもよりますが,妻は夫をその場にずっと寝かせておくことができます。翌朝,床の上で目を覚ませば,当人は自分の有りのままの状況を見せつけられることになるでしょう。
● 夫が前日の自分の行動を思い起こせない場合,妻にはどんなことができるでしょうか。「ご主人に対して正直でなければなりません。が,怒ってはいけません。『昨晩こういうことが起きました。そしてそれはこういう影響を私に及ぼしました』」。夫は怒るかもしれませんが,そうすることによって妻は健全な家族の中ではそのような振舞いが生じないことを悟るよう夫を助けていることになります。
● 妻が孤立してしまうのはどんなものでしょうか。「一番大切なのは,家族がただできる限り健全な仕方で生活上の事柄をひたすら行なってゆくことだと思います。アルコール中毒者は自分と家族のほかの者たちの間に大きな対照があるという事実をますます突き付けられるようになります。大抵の場合,その結果としてアルコール中毒者は最後には,『僕は問題を抱えているんだ,何らかの助けを得なくてはならない!』と言うようになります」。ですから,妻が夫抜きで社交的な集まりに出る場合,一緒に行ってもらいたいのだが,夫の飲酒の問題のためにそれもできないということを親切な仕方で知らせることができるでしょう。
二番目の方法,つまり事実を突き付けることについてはどうでしょうか。「明日になったら禁酒する」という本の中で,バーノン・E・ジョンソンは次のような事柄を勧めています。
アルコール中毒者に事実を突き付ける人々は,当人の人生において特に重要な人々でなければならない。資格のあるカウンセラーの助けを得て,各人はそのアルコール中毒者の振舞いを容赦なく詳細にわたって浮かび上がらせるリストを準備する。アルコール中毒者が酒気を帯びていないと考えられる時に合わせて,日付と時間を定める。次に,その人たちの深い関心を反映するような仕方で,各人は一連のリストを声を出して読み上げる。たとえアルコール中毒者が最初のうち弁解がましい態度を取っても,断固として続ける。目指すところは,アルコール中毒者が助けを必要としていることを悟るほど現実を受け入れられるようにすること。
どこから助けを得られるか
アルコール中毒者を抱える家族の成員の中には,アルコール中毒者と共にアルコール中毒治療センターに助けを求める人もいます。そこでは家族も治療の計画に入れてもらうことができます。これはどのように助けになるでしょうか。そうするまで,家族の成員はつらい思い出や気持ちに耐えてきたことでしょう。自分の気持ちを認識していないと,アルコール中毒者の気持ちを理解することが難しくなります。ですから,大抵の場合に,治療の目指すところは基本的に言って次のような事柄です。自分の気持ちを認識し,そのようなものとして受け入れること(消極的な気持ちを克服するにはまずそうした気持ちに真っ向から立ち向かわなければならない),他の人の気持ちを理解し,自分の行動が相手の人に感情面でどんな影響を与えるかを理解すること,そしてこの見識を活用し,どう行動するのが最善かを知ることなどです。
『でも,アルコール中毒者が助けを求めようとしなかったならどうしたらよいのでしょうか』とお尋ねになるでしょう。アルコール中毒者がそうした助けを拒むかどうかにかかわりなく,あなたは自分の持つ消極的な気持ちに真っ向から立ち向かい,それを克服するために助けを必要としているかもしれません。そのような助けを求めて,アルコール中毒者を抱える家族の成員からなる地元のグループに加わる家族もいます。そのようなグループはアルコール中毒者と共に暮らすことからくる様々な問題に対する理解と見識を与えようとしています。言うまでもなく,そのようなグループは世界のどこにでも存在するわけではありません。b 助けを求める自分の感情的な必要を認め,別の源に頼る人もいます。
「聖書の真理を知っているので,問題に対処することができます」と語るのは,未信者でアルコール中毒の配偶者と30年間一緒に暮らしてきたアンです。エホバの証人であるこの女性は,聖書を定期的に研究し,それを自分の状況に当てはめようと努めています。これはその問題を除き去るものではありませんが,そうした問題があっても幸福な気持ちでいられるようにする助けになっています。そしてそれはあなたにとっても助けになり得るのです。どのようにしてですか。
一つの点として,聖書の様々な原則を当てはめれば,消極的な気持ちや感情を克服するのに役立ち,自分の置かれた状況にもかかわらずより幸福な気持ちになれるでしょう。しかし,そうするには神が約束された事柄を必ず果たしてくださるという強い信仰が求められます。(ヘブライ 11:1,6)幾つかの例を考えてみましょう。
思い煩い: あなたの親族の飲酒のために経済的な問題に直面していて,どうしたら借金をしないでやりくりしてゆけるか極度に心配していますか。イエスは生活の必需品について,「思い煩うのをやめなさい」c と諭しておられます。「あなた方の天の父は,あなた方がこれらのものをすべて必要としていることを知っておられ」,ご自分に対する崇拝を生活の主要な関心事とする人々に必要物を備えることができるだけでなく,必ず備えてくださいます。(マタイ 6:25-34)次いでイエスは思い煩いを打破するための極めて実際的な提案をしておられます。それは一日一日を着実に生きてゆくということです。今日の思い煩いに,どうして明日の思い煩いを加えるのでしょうか。それだけではなく,一人の聖書学者が述べるように,「現実の将来が,我々の恐れるほどひどいものになることはめったにない」のです。
しかし,イエスの言葉を単に知っているだけで思い煩いが除き去られるわけではありません。それらの言葉を適用しなければなりません。真の信仰が関係してくるのはまさにその点です。ご自分の僕たちのために必要物を備える神の力と約束は確かなものです。ただ一つの問題は,わたしたちが自分の分を果たすために勤勉に働く限り,神がご自分の分を果たしてくださるという絶対的な確信がわたしたちにあるかどうかということです。
罪悪感: 消極的な気持ちや態度を抱いているために,罪悪感を覚えるようになりましたか。確かに,人には不完全な点があり,神は間違った態度を大目に見られることはありません。それでも,聖書は,「わたしたちが自分の罪を[神に]告白するなら,神は忠実で義なる方ですから,わたしたちの罪を許し……てくださいます」と述べて,わたしたちに温かい保証の言葉を与えています。(ヨハネ第一 1:9。箴言 28:13)あなたが自分の分を果たしているのであれば,あなたの場合神がそうしてくださらないと考える何らかの理由が本当にあるでしょうか。神はご自分が約束された通りにしてくださいます。しかし,そのことを固く信じていない限り,気が楽になることはありません。
神のみ言葉,聖書を研究すれば,神の聖霊の助けを受ける見込みを得ることにもなります。そしてその霊の助けを受けるなら,あなたは『愛,喜び,平和,親切,温和,そして自制』などの積極的な特質で身を飾ることができます。(ガラテア 5:22,23)消極的な気持ちを克服するのに実に強力な助けではありませんか。しかし,それには神にその霊を「求めつづけ」なければなりません。(ルカ 11:5-13)そしてこの点でもまた,確固とした信仰が求められます。イエスはこう言われました。「あなた方が祈りまた求めることすべては,それをすでに受けたのだという信仰を持ちなさい。そうすれば,あなた方はそれを持つことになります」― マルコ 11:24。
どのようにしたらその種の信仰を得られるかを学びたいと思われますか。エホバの証人は喜んでお手伝い致します。エホバの証人の中に,あなたと同じ問題に耐えてきて,それゆえ聖書から同情心にあふれた助けを差し伸べることのできる人を見付けることさえあるでしょう。口に出して話してしまえば,消極的な気持ちがおさまるものだということを覚えておくとよいでしょう。ですから,あなたの置かれた状況を理解してくれる人に自分の気持ちを包み隠すことなく話せば,大きな助けを得られるでしょう。
既にエホバの証人と交わっており,ご自分の信仰を強めるために助けを必要としているなら,クリスチャンの監督の一人に助けを求めてみてはいかがですか。それらの専心的な人々は,自分たちにできる限りあらゆる方法で仲間のクリスチャンたちを「自ら進んで」また「真剣な態度で」助けてくれます。―ペテロ第一 5:1-3。
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アルコール中毒者との生活目ざめよ! 1983 | 3月8日
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アルコール中毒者との生活
主人が何もせず朝から晩までただ酒びたり,ということが幾週間も続きました。酔いつぶれ,目を覚ますと再び飲み始めるのです。職場は首になり,我が家の経済状態は日に日に悪化していました。主人の健康状態は悪くなっており,後どれほど生きていられるかも定かではありませんでした。『これから先,一体どんなことになるのだろうか』と思いました。
結末をお話しする前に,どんないきさつがあって私たちが人生のこうした危機的な段階に達することになったかをご説明しましょう。
私が今の主人と出会ったのは1947年のあるダンス・パーティーの折でした。彼はパーティーに来た時には既に飲んでいて,その晩のパーティーが終わるまでに,テーブルにのって踊っていました。その週のうちに,彼は私のところへ訪ねて来ました。この時は酒気を帯びておらず,一緒にとても楽しい時を過ごしました。私たちには共通点が沢山あったので,求愛するようになりました。
プロポーズをした晩,彼は一びんのアルコール飲料を持っていましたが,酩酊してはいませんでした。私たちは結婚と子育てとが軽々しく扱えない問題であることを長い時間話し合いました。私はアルコール中毒者と一緒に生活する気はないと彼に告げました。それを聞いて,彼は持っていたびんを投げ捨て,これを限りに二度と飲まないと約束しました。私はとても幸福でした!
しかし,結婚後ほどなくして主人は再び飲むようになりました。その後,年がたつにつれて,主人に対する恐れが強くなってゆきました。主人の行動は全く予測がつかないものだったのです。爆発寸前の火山のようでした。
主人は深酒を続けただけでなく,職場で賭博に手を出すようになり,その結果容易ならぬ経済的な問題を抱え込むことになりました。給料日というと,必ず言い争いがありました。主人はもっともっと飲めるようにと,私にくれるお金をいよいよ減らしてゆきました。集金人が幾度も幾度もやって来ました。
『私をこんな目に遭わせて,よくも愛しているなどと言えるものだ』と思いました。パートタイムの仕事をしていたので,私は時として請求書の支払いを助けるためにお金を工面していました。
時には我慢しきれなくなって,「自分のなさっていることがお分かりにならないの? 私も娘も神経がまいってしまっているのよ!」と懇願しました。
すると主人はすぐに,「お前はオーバーだよ! 1杯か2杯飲んだだけじゃないか。1週間にボトル1本も空けてはいないぞ」と言い返します。実際には1日にボトル1本を空けていたのです!
私の人生は矛盾だらけでした。ある時主人は私に花やキャンデーなどを持って来てくれたものです。『やっぱり私のことを愛してくれているんだわ!』と考えると,主人について恐ろしい事柄を考えてしまったことで罪悪感を覚えました。主人がとてもよくしてくれていたので,主人の飲酒は私のせいに違いないと自分で考えました。私が変わりさえすれば,主人もこんなに飲むことはないだろうと思いました。
主人は酒量を減らすと幾度も約束し,数日後には私の助けを得て必ずや禁酒できると思えました。しかし,その週の終わりには,これまで以上に飲んで,失われた時の埋め合わせをしていました。その度に,私は絶望感に打ちひしがれたものです。
主人は幾度かアルコール中毒者自主治療協会へも出向きました。その会合ではアルコール中毒のことについての話し合いがありましたが,主人は自分はそんなことを聞く必要はないと感じました。問題は家庭にあると主人は考えていました。私と私の希望は打ち砕かれ,一杯食わされたように思えて,腹が立ちました。
私の感情は目まぐるしく変わりました。喜び,罪悪感,自己嫌悪,うらみ,苦々しい気持ち,主人に対する憎しみ,出て行ってしまえばよいと思う気持ち,主人がそうするのではないかという恐れなどの感情がグルグル回っていました。全く絶望的に思えました。
長年の間こうしたことに対処しようと努めた末,私は自分をどうにも抑え切れなくなりました。ある日のこと,絶望的な気持ちになって車に乗り,何となくドライブを始めました。そしてある小川のほとりに行き着きました。とても穏やかで,のどかでした。川岸に腰を下ろし,自分の絶望的な状況について考えました。穏やかな水面は磁石のように思えました。この水の中に身を投げることができさえすればよいのに……
すると突然,私のことを呼ぶ声がしました。近くに住む婦人が私を見掛け大丈夫かどうか見に来てくださったのです。それで,私は自分の車に乗り,家に帰りました。
この後ほどなくして,事態はさらに悪化しました。主人は自分の命を絶つことについて話すようになり,どのようにしてそうするかを私に話すことさえしました。「お前もおれがいない方がいいだろう」と主人は言いました。それを聞いてうれしいと思った反面,同時に狂乱状態にもなりました!
翌朝,私は自分が何かしなければならないことが分かっていました。アルコール中毒者自主治療協会と連絡を取ったところ,同じような状況に直面したことのある婦人で,付近に住んでいる人を紹介してくださいました。その女性はアルコール中毒者を抱えた家族の成員からなる地元のグループの会合に出てみるよう勧めました。そこで私は幾つかの会合に出席しました。
出席した人たちは,夫の飲酒を自分のせいにすることは実際にはできないことを悟らせてくれました。主人は私と会う前から酒を飲んでいたのです。出席していた人々は自分自身を制することができるようでした。そして快活で,自分たちの気持ちを率直に話し合っていました。次の日のことを思い煩わずに,一日一日を着実に生きているのです。それこそ私がしなければならないことでした! たとえ同じ問題がそこにあるとしても,今日という日だけでも自分の扱える限り有りとあらゆる思い煩いがあるということを認識しなければなりませんでした。そして,マタイ 6章34節にある,「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです」というイエスの言葉を思い起こしました。
同時に,そこにいた婦人の幾人かは,依然として自分たちの夫に幾らか苦々しい気持ちとうらみを抱き,夫について不満を述べ,夫の欠点を話していることが見て取れました。私はそれに加わらず,何も言わずにいました。
しかし,アルコール中毒者と一緒に生活することについてその人たちが話すのに耳を傾けながら,私は数々の有益な事柄を学びました。私の学んだ一番大切な事柄は,自分がこれまでしてきたように,主人をかばってその飲酒の引き起こした出来事をうやむやにしてはいけないということでした。むしろ,飲酒が引き起こしている様々な問題を主人が悟るよう助けなければならないのです。消極的な考え方を長年続けてきましたから,それを克服するには並々ならぬ力が必要とされましたが,私は心を決めていました。それらの提案を当てはめていったのです。
その後ほどなくして絶好の機会が訪れました。私たちは病気で熱を出している孫の子守りをしなければなりませんでした。私は少しの間外出しなければならなかったので,主人にその男の子を見ていてくれるよう頼みました。私は職場から電話を入れ,飲酒について主人に注意を促しました。主人は孫の面倒をよく見ると請け合いました。
私が出掛けてから少しして,娘が自分の息子の様子を聞くために電話を入れました。驚いたことに,幼いその子が電話に出たのです。「おじいちゃんは寝てるよ」とその子は言いました。娘は恐怖におびえてしまいました! そして,「おじいちゃんを強く揺すって,起こしなさい」と言いましたが,孫はおじいちゃんを起こすことはできませんでした。酒を飲んで酔いつぶれていたのです。それを聞いて,娘は受話器を置き,飛んで行きました。
主人がようやく我に返ったのは1時間ほど後のことで,その時には私も家に帰っていました。主人はどうして自分のことを起こさなかったかと尋ねましたが,まだ酩酊状態にあったので,私たちはほとんど何も言いませんでした。これまで通りであれば,それっきりになっていたことでしょう。怖くて何も言い出せなかったでしょう。しかし,その時私は,主人をかばってその飲酒の引き起こした事柄をうやむやにしてはならないことを知っていました。主人はどんなことが起きたかを知らなければならないのです。そこで翌朝主人に事実を突き付け,どんなことが起きたかを詳しく話しました。「うちのかわいい孫にどんなことが起きていたかもしれないか,お分かりですか」と私は尋ねました。それは主人にかなりこたえたようで,「あの子を死なせていたかもしれないね」と事実を認めました。
それでも,数か月後のある時に,主人は一晩飲み明かしました。しかし,翌朝目を覚ますと,病院に連れて行ってくれるよう私に頼みました。もう体が限界にきていたのです。そこで主人に,医師のところへ電話を入れ,取決めを設けるようにと言いました。病院に着くと,主人は自分の方から入院させて欲しいと言い,2か月間治療を受けました。
それから既に数年がたちましたが,私たち二人の生活は良い方向へ,良い方向へと向かっています。それは私たちどちらにとっても生易しいことではありませんでした。私たちは絶えず自分たちの考え方や動機を守らなければなりません。
私にとって大きな助けとなったものがほかにもあります。それはエホバと私との関係です。それは自分の抱いていた苦々しい気持ちやうらみを克服するのに役立ちました。たとえ主人がどんなことをしようとも,エホバは私がそのような気持ちを抱くことを快く思われないことを知っていたからです。(コロサイ 3:13,14)エホバが愛と憐れみに富まれる父で,私たちの過ちを探し求めたりはされないことを知るようになったのは,実に大きな励みになりました! このことは私の罪悪感を大いに和らげてくれました。―詩編 103:9-12; 130:3,4。
私が日夜祈りをささげると,エホバはご自分の霊と力を与えてくださいました。自分の抱くクリスチャンの信条を定期的に他の人に伝えることにより,私は自分の希望を生き生きとしたものに保つことができました。また,私が出席したクリスチャンの集会やクリスチャンの兄弟姉妹たちの愛ある交わりとに深く感謝しています。こうしたものなしに,私は耐えることができなかったと思います。
言うまでもなく,アルコール中毒者と一緒に生活する方法を学び知ってうれしく思っています。次の日のことを思い煩わずに一日一日を着実に生きてゆくことを学んだのは,思い煩いを制御するのに大いに役立ちました。特に,主人をかばったり守ったりしてその飲酒の引き起こした事柄を膚で感じられなくするようなことがあってはいけないという点を学び,益を受けました。そのような見識がなかったなら,どんなことになっていたか分かったものではありません。―寄稿。
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