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森を造りましょう目ざめよ! 1976 | 7月8日
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た“自然”の中でくつろぐことを求めます。とりわけ森の澄んだ空気を楽しむ人は少なくありません。空気中のほこりの粒子は樹皮や葉に付着して,後ほど雨で地面に洗い流されるので,木は空気を浄化するということが証明されてきました。森林の静けさ,緑と青が基調をなすその色彩,風に吹かれた木の葉のかすかな音,小川のせせらぎなどは,気持ちを落ち着かせ,身体をさわやかにし,精神を高揚させる面で,何と効果があるのでしょう。
ですから,樹木が不必要に切り倒されたり,森が伐採されたりすることがないよう,以前よりも良心的に見守るようになった当局者がいることを感謝している市民は少なくありません。当局者の求めに従って,エホバの証人の西ドイツ支部事務所は,敷地内にある相当数のモミの若木を残せるような仕方で宿舎用の新しい建物を設計しました。こうして,それらの木々は,隣接する森林の立派な延長になっています。
新聞の報道によると,数多くの人は宗教に背を向けており,教会ではこれまでになく空席が目立っています。ここドイツでは,森の中の散歩を一種の“日曜礼拝”とみなす人が少なくないようです。そうした人々は,他のどこよりも森の中にいるときが,神をいっそう身近に感じると言います。しかし,彼らの古代の先祖たちが行なったように,自然を一種の神に仕立て上げてしまうという誤りを犯さないよう注意する必要があります。
とはいえ,「自然の本」を直視する人は,いわばそれを「一ページずつ」めくってゆき,森林の生態にかかわる複雑な相互の均衡に気付くとき絶えず驚嘆させられます。そうした生態学上の相互の関係は非常に緊密でしっかりしており,人間がちょっとしたきっかけさえ整えてやれば,奇跡を行ない得ることもお分かりでしょう。そうした生態学上の均衡を通して,一時は露天掘りの跡に残された鉱石かすの山であったものが,レクリエーションの場に変わり得るのです。しかし,人間が創意を働かせたり,耕作したりする余地も十分残されています。―創世 1:28。
ライン川流域の亜炭産出地域の再植林には,少なくとも30の異なった科学の部門が関係していました。そうした科学者たちすべては,観察や経験を通して「自然の本」から学びました。古代チュートン諸族が森の精や悪霊に対して抱いていた,人をとりこにするような恐れは過去のものとなりました。むしろ,森林に対する知識が増すにつれて,わたしたちは,偉大な創造者エホバ神に対して深い敬意を抱くようになります。そのエホバ神こそ,森林の中に見られるすばらしい相互の均衡を整えた方なのです。その方はまた,書き記されたご自分のみ言葉の中で,地球全体が間もなく世界的な実際の楽園になることを明らかにしておられます。あなたは生き長らえて神の新しい事物の体制を見,そこで森林を造る手助けをしたいと思われますか。
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耕作せずに収穫する目ざめよ! 1976 | 7月8日
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耕作せずに収穫する
● トウモロコシなどの作物を植えるための伝統的な耕作方法は,収穫後残っているものの下をすきで掘り返し,翌年に新しい作物を植えるという方法です。しかし,“無耕作”と呼ばれる別の方法がより広範に用いられつつあります。春にすきで耕す代わりに,前年の秋,ライ麦など間作の種子をまく時に土壌の準備は始まるのです。春には,そうした作物が除草剤のために枯れ,地面に落ちて根おおいとなります。トウモロコシは,特別な機会を用いて,この根おおいをかき分けて植えられます。根おおいは湿気を保ち,土地の浸食を防ぎ,雑草の成長を抑制します。表土が薄い土地や丘陵地帯で特にこの方法が広範に用いられています。現在,米国メリーランド州では,推定によると,トウモロコシの六割と大豆の五割がこの“無耕作”方式で栽培されています。
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