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読者からの質問ものみの塔 1971 | 1月1日
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わずかに1年),ヨアシ(7歳で即位),そしてアマジヤ(治世29年)を省略し,そのかわり,次にウジヤの名を載せています。ウジヤは,祭司の職を僣取して,神殿で香をささげ,そのためにらい病を身に招きましたが,それまでの長年のあいだ,その治世は繁栄を見ました。同時にマタイは,アビウデの父となった,ゼルバベルの子ハナニヤの名と,ヨシアの子エホヤキムの名を,その系図から省略しました。
しかしながら,マタイの行なったこうした省略は驚くにはあたりません。系図上の名前の一覧表にはしばしば省略が見られるからです。たとえば,歴代志略上 6章3-14節で,エズラは自分の祭司職の系図に23人の人びとの名前を載せていますが,これと期間を同じくする,エズラ書 7章1-5節の彼自身の家系には,16人の人びとの名前しか載せていません。
聖書の系図上の一覧表を考慮する際,留意すべき事がらが幾つかあります。まず第一に,相違点は不注意に起因するものではないことを留意すべきです。イスラエル人は歴史に深い関心をいだき,細心の注意を払って記録をつづりました。それで,創世記の諸国家一覧表(創世 10:1-32)は,「古代文書の中で特異なものである。諸国家に対するこうした関心は,聖書が歴史をいかに重んじているかを正確に反映するものである。……歴史を重視するこうした態度は,世界の他のどんな聖典にも見いだすことができない」と言われています。―「解説者の聖書辞典」第3巻,515ページ。
そのうえ,聖書記述者はすべて,聖書の述べる高い道徳規準に導かれる,正直な人びとであったことも念頭におかねばなりません。それにとどまらず,かれらは,エホバ神の聖霊の影響を受けて書いたのです。―テモテ後 3:16。ペテロ後 1:21。
同時に,むかしの人びとが物事を記録した仕方は,今日のそうした記録の仕方とは異なっていた,ということを忘れてはなりません。たとえば,あることばは,今日の場合よりも,もっと広い意味をもっていました。その一例として,アブラハムはロトにこう話しかけました。「我らは兄弟の人なれば……」。(創世 13:8)しかし実際には,アブラハムはロトのおじでした。同様に,バビロンの王妃はネブカデネザルのことをベルシャザルの父と呼びましたが,ベルシャザルの父は明らかにナボニドスであり,ネブカデネザルは彼の祖父だったのです。(ダニエル 5:11)事実,「父」ということばは,遠い先祖を表わすのにしばしば用いられました。ですから,クリスチャン・ギリシア語聖書の中で,アブラハムは何度も「我らの父」と呼ばれています。しかし実際には,アブラハムは遠い先祖なのです。―使行 7:2,ロマ 4:12,ヤコブ 2:21,王国行間訳。
以上の事がらを考慮すれば,聖書の記述者たちが,ある種の系図上の一覧表を記録するに際して,なぜそのように書いたのかを理解する助けを得,一見問題と思われるような点を解決できます。
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集会に出席するよう他の人を助けるものみの塔 1971 | 1月1日
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集会に出席するよう他の人を助ける
エホバの証人は隣人を愛しており,聖書に関心を持つ人々が,エホバの証人の主催する集会に出席するよう進んで助けます。集会から,それら関心を持つ人々が命を得るためのエホバ神のご要求についてさらに多くの事柄を学べることを,証人たちは知っているのです。愛を示す,そうした援助の一例として,太平洋のトラック島から一つの経験が寄せられています。そこで奉仕しているエホバの証人の一宣教者は次のように書き送って来ました。
「わたしたちの集会の出席者数は,先月2倍になりました。わたしたちの司会で家庭聖書研究を行なっている多くの関心ある人々は,乗り物がないので集会に出席することはできないと感じていました。わたしたちはこの問題を次のように克服しました。わたしたち自身,車に乗らずに,歩いて集会に行くことにしたのです。集会の場所は,宣教者の家から約3キロあり,その途中に,わたしたちと家庭聖書研究をしている,数人の関心ある人々が住んでいます。
「宣教者の家から集会場まで歩いておよそ40分かかります。ですから,道すがら,わたしたちといっしょに集会に歩いて行くよう,それらの関心ある人々を誘います。最初の週には,ふたりの人がわたしたちに加わり,次の週には4人,3週めは8人,そして先週,わたしたちの一行は10人にふえました。それらの人たちはかつて一度も集会に出席したことのない新しい人々がほとんどです。しかし,自分の知っている人々がわたしたち宣教者といっしょに行くのを見て,自分もついて行くよう励まされるのです」。
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