-
バプテスマはクリスチャンに必要ものみの塔 1963 | 8月1日
-
-
です。エホバのみこころを行なうために生きるわけです。したがって,バプテスマを受けた日は,新しい生活を始めた日,ということができます。バプテスマは献身の公の告白ともなり,また任命された奉仕者であるしるしともなります。バプテスマを受けた人はエホバのゆたかな祝福を受けた人です。バプテスマを受けた日を,記録しなければならず,またいつもおぼえていなければなりません。エホバの見える組織にかんする限り,その日はあなたが,最高者に奉仕するよう任命された日となります。
16-19 (イ)バプテスマ希望者にはどんな重要な質問がされますか。(ロ)何がバプテスマを受ける資格のあることを示しますか。(ハ)バプテスマは窮極の目標ですか。
16 しかしバプテスマ希望者たちが,バプテスマをゆるされるまえに,二つの質問に答えるのは正しくまた適切なことです。そうすれば,その時彼らとともに集まっている人々は,彼らが意味をよくわきまえて行動していること,またバプテスマを受ける資格を得るのに必要な段階を経たことを,バプテスマ希望者自身の口から聞いた証人となることができます。質問に対して肯定的に答えられる人たちは,各質問のあとで「ハイ」と答えます。大きな声で,一斉に,つまり同時に答えなければなりません。
17 最初の質問はこうです。あなたはエホバ神のみまえで,自分が救いを必要とする罪人であることを認め,かつその救いはみ子イエス・キリストを通して父なるエホバ神が与えてくださることを神のみまえで認めましたか。
18 2番目の質問。あなたはいまから,神,および救いのための神のご準備に対するこの信仰に基づいて,神が,啓発力である聖霊のもとに,イエス・キリストと聖書とを通して啓示されるみこころを行なうよう,神に無条件の献身をしましたか。
19 この二つの質問に対して「ハイ」と答えた人はみな,バプテスマを受ける資格があります。そしてエホバの証者のその同じ大会でバプテスマを受けなければなりません。そしてバプテスマを受けた人は,その日をいつもおぼえていなければなりません。というのは,その日は生涯の真に決定的な日だからです。この時に,今後の奉仕における責任と特権をはっきりとみきわめることはきわめて健全な行いです。バプテスマは終極の目標ではなく,むしろ恵まれた関係の始まりであることを忘れてはなりません。
20 検討を要するどんな質問がさらに生じますか。
20 ぜひとも必要な段階であるバプテスマを受けたあとは,エポバとエホバの制度およびクリスチャンの兄弟たちと,自分との関係をどのように見るべきですか。献身の誓を忠実に喜びをもって果たすには,何をしたらよいでしょうか。どうすれば霊的な思いを増し,物質を求める気持を少なくできますか。この危険な時代に,神のみまえに忍耐して忠実に歩みつづけるためにいっそう円熟するには,どんな道を追い求めるべきですか。これらの質問に対する答は,次の記事にゆずることにしましょう。
-
-
すすんで奉仕を拡大しなさいものみの塔 1963 | 8月1日
-
-
すすんで奉仕を拡大しなさい
1 今日,人々はどんなことを恐れていますか。
あなたは今日自分の周囲を見まわして,どんなことに気づきますか。いまの世界と,世界の人々とを特色づけているものは何ですか。恐怖です! 国であろうと,共同体であろうと,家族であろうと,個人であろうと,どこを見てもあらゆる場所に恐怖がみなぎっています。人々は何を恐れていますか。戦争を恐れています。不安定を恐れています。病気を恐れています。隣人を恐れています。政府を恐れています。知識を怖れています。死を怖れています。
2 ある人々はどのようにしてこの世界の恐怖から自由になりましたか。何がその自由をもたらしましたか。
2 それなのに,神を恐れる人がいく人いるでしょうか。つまり,神の不興を受けて神の是認も,祝福も,この危険な時代における保護も受けられなくなることを恐れる人がいく人いますか。そんな人は非常に少ない,とあなたは言われるでしょう。それはあなたの言われるとおりです。しかし実際には,この世界の恐怖を持たず,人の心を奮い立たせる健全な人生の目標を持っている何十万という男女子供がいます。どうしてそういうことがありえますか。なぜならそれらの人々は,神を愛しており,完全な愛は恐れを取り除くからです。(ヨハネ第一書 4:18)なにが,このグループの人々をそんなにも異なった者に,幸福に,自由にしているのですか。それは最高の神エホバに対する献身であり,その献身の公表として彼らがバプテスマを受けていることです。
3 エホバはみ子の献身とバプテスマを喜ばれましたか。なぜそう答えますか。
3 前の記事で指摘したとおり,人が創造者なるエホバ神に奉仕するために一身をささげようと心に誓ったことを公に表わすために,バプテスマはきわめて必要なものです。人がバプテスマを受けるのは,神を喜ばすためであって,人間を喜ばすためではありません。み子イエス・キリストのバプテスマを,父なるエホバはお喜びになりましたか。聖なる記録から答を得ましょう。「イエスはバプテスマを受けるとすぐ,水から上がられた。すると,見よ,天が開け,神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを,ごらんになった。また天から声があって言った,『これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である』」。―マタイ 3:16,17,新口。
4 (イ)バプテスマを受けたあとイエスは,どんなことをしてさらに神の是認を受けられましたか。(ロ)このことに関連し,私たちはクリスチャンとしてどんな結論を出すべきですか。
4 バプテスマを受けたあと,この神のみ子は,どんなことをしてさらに神の是認を得ましたか。記録は彼についてこう述べています。「エホバの御霊は私にのぞんでいる。エホバは,貧しい者に良いたよりを宣べ伝えさせるために私に油を注いだ。とらわれ人にゆるしを伝道し,盲人の目を開き,打ちひしがれた者に自由を得させ,エホバの受けいれ給う年を宣べ伝えるために,エホバは私をつかわした」。(ルカ 4:18,19,新世)ここで私たちは,神のみ子が,人間のあらゆる職のうちで最も崇高な職であるキリスト教の宣教に従事されるのを見ます。彼が神の御国を人類の唯一の希望として伝道したとき,人々は心を動かされましたか。正しい判断を示しましたか。記録はこうなっています。「彼らはみなイエスをほめ,またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して……」。(ルカ 4:22,新口)イエスがすべてのクリスチャンのために模範を示されたからには,真のクリスチャンもみな必ず奉仕者でなければならず,神の御国の良いたよりを公に宣べ伝える者でなければならないことになりませんか。(ペテロ前 2:21)ロマ書 10章の10節から15節,ヨハネ伝 21章の15から17節の聖書の命令を読むと,どうしてもそういう結論が出てきます。
5 クリスチャンはどのようにキリストに習うべきですか。「進んで」行なう奉仕とはどんなものか説明しなさい。
5 クリスチャンは,師と同じ教え方をしたいと思うだけでなく,心の持ち方においても師に習うことを願うべきです。エホバの御言葉は彼について,預言的にこう述べています。「見よ,わたしはまいります。書の巻に,わたしのためにしるされています。わが神よ,わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」。(詩 40:7,8,新口)ここにこの問題のかぎがあります。イエスは自ら進んでみ父の命令を行なわれたのです。イエスは強いられたり,条件つきで奉仕したのではなく,まごころから,寛大に,ゆたかに与えたのです。進んで行なうということには,「望む,用意がある,すぐにする,与える,許すなどの」意味があり,「ぐずぐずする,怠慢な,あるいはいやがることでは」ありません。
6 ひとりの教会指導者は,今日の宗教にぜひとも必要なものとして何を指摘しましたか。
6 今日の一般の教会員は,この描写とは何と
-