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  • 喜びに満ちた祭り
    ものみの塔 1980 | 5月15日
    • 産物と,あなたの手のすべての業とにおいて,あなたを祝福されるからです。ですからあなたはただ歓びに満たされなければなりません」。

      19 (イ)この祭りの祝い方はなぜその名にふさわしいものでしたか。(ロ)その祭りが行なわれた時期は,祝う人々にとってなぜ最も恵まれた時でしたか。

      19 ほとんどの場合,この祭りは「仮小屋の祭り」と呼ばれています。その七日の祭りの間,ユダヤ人は祭りの名にふさわしく,仮小屋もしくはテント小屋の中で過ごしました。この祭りは贖罪の日から五日後に始まりました。贖罪の日は毎年チスリの10日に守られ,それによってイスラエル国民はエホバ神との平和な関係に戻りました。したがって仮小屋の祭りは最も良い時期に始まり,チスリの15日から21日まで,完全数の日数の期間続きました。

      20 聖書以外の歴史的記録によると,一人の祭司は祭りの間,毎朝何を行ないましたか。

      20 この祭りの著しい特徴は歓びでしたが,この点でこの祭りをしのぐものはありませんでした。歴史的記録によると,祭りの間は一人の祭司が毎日,夜明けに,三ログつまり約一リットルの水を入れることのできる金の水さしを持って,エルサレムからシロアムの池と呼ばれるようになった池に下りて行きました。現代のエルサレムを訪れたことのある読者は,同市の南東側の角にある糞の門を通って町を出てから,処女の泉,またはギホンの泉と呼ばれる泉のあるところへ下りて行ったのを思い出されるでしょう。ヒゼキヤ王は,アッシリアの侵略の脅威にさらされていた間に,この泉からトンネルを掘りました。勇気のある訪問者たちは,この暗いトンネルの中をしばらく手探りで進んでからシロアムの池に出たことを思い出すでしょう。

      21 (イ)その祭司はどのようにしてシロアムの池に行きましたか。そしてシロアムの水をどうしましたか。(ロ)そのときの歓喜は,イザヤのどの預言をユダヤ人に思い起こさせましたか。

      21 金の水さしを手にした祭司は,ヒゼキヤのトンネルは通らないでシロアムの池に行きました。その後ろには,楽人の一隊を含む長い行列が続きました。水さしに水を満たすと祭司は町に戻り,エホバの犠牲の祭壇のある中庭に行きました。祭壇の南側には,底に穴のある水盤が二つ置かれていました。祭壇の南西側の角にあった水盤はシロアムの池の水を入れるためのものでした。祭司が水をそそぐと,水は水盤を通って流れ出,祭壇の基部に落ちました。そのとき,それを見守っていたユダヤ人は歓呼しました。このことは,イザヤ書 12章に記されている,祭りを祝う喜びに満ちた人々を思い起こさせたのでしょう。この章には,西暦前537年にバビロン捕囚から解放されるイスラエル人の経験する喜びが描写されています。イザヤ書 12章3節には,「あなたは歓喜をもって,救いの泉から必ず水をくむであろう」と書かれています。

      22 (イ)エホバはなぜ,祭りを行なったユダヤ人の父祖たちにとって救いの水の源でしたか。(ロ)シロアムの水をそそぐ時の喜びはどのように描写されていますか。

      22 天から彼らに救いを施した方はエホバ神でした。エホバこそ彼らの父祖たちを異教国バビロンにおける70年の捕囚から救い出した方でした。西暦前539年にバビロンが覆されたあと,彼らはバビロンにあって救いを待ち焦がれていました。(イザヤ 44:28-45:7。エレミヤ 2:13)仮小屋の祭りのときの喜びは,その救いを思い出して感じる喜びでした。ユダヤの古い格言にこういうのがあります。『シロアムの水がそそがれるときの歓喜を目にしたことのない人は,生涯歓びを知らない人である』。

  • 祭りの燈火
    ものみの塔 1980 | 5月15日
    • 祭りの燈火

      1 仮小屋の祭りの間,エルサレムはどのように特別の燈火で照らされましたか。この燈火の下でユダヤ人はどんなことをしましたか。

      仮小屋の祭りは,「偉大な王[エホバ]の都市」に特別の燈火がともされるときでした。(マタイ 5:35)夜になると,ヘロデの神殿内の,祭壇の東側に位置する婦人の中庭で,普段とは違う光景が繰り広げられました。そこには四基の巨大な枝付き燭台が置かれました。各燭台には四個の大きな鉢がついていました。それらの鉢に燈油を満たすには,はしごをかけなければ届きません。油の鉢の中には燈心として,祭司の着古した服が入れてありました。油を燃やす16の鉢は,夜のエルサレム全市を照らすほどの強い光を放ちました。婦人の中庭にいたイスラエル人の男たちは,この大きな燈火の下で踊ったり,曲芸をしたりし,その間婦人たちはバルコニーから,下のその光景を眺めました。歌い手たちはレビ人の伴奏に合わせて15の「登高の歌」を詠唱しました。こうして歓び楽しむことは夜明けまで続きました。

      2 祭りに来た異邦人はそのときどこにいましたか。

      2 その祭りに来ていた無割礼の異邦人たちのいる場所は,異邦人の中庭に限られていました。そこは石べいと外の中庭とによってイスラエルの中庭と分けられていました。―使徒 21:28,29に注目。神殿で異邦人が制限を加えられていたことを示す例。

      3,4 (イ)西暦32年の秋にイエスはどのように祭りに出られましたか。そしてそこで,ユダヤ人にシロアムの水を思い出させるような,どんなことを言われましたか。(ロ)ヨハネ 7章39節によると,イエスはそのとき何に言及しておられましたか。

      3 仮小屋の祭りの祝いの顕著な特色を考えると,イエス・キリストがその祭りのときに言われた適切な言葉を理解することができます。イエスがこの祭りを最後に祝われたのは西暦32年の秋でした。エルサレムにいたユダヤ人はイエスを殺そうとしていたので,イエスは一人でガリラヤをたち,人目につかないようにして祭りに上って行かれました。そして祭りも半ばとなったころ,ですからチスリの18日ごろでしょうか,イエスは公然と進み出て人々,すなわち神殿内で祭りを祝っていた大群衆を教え始められました。

      4 祭りの最終日であるチスリの21日は「祭りの大いなる日」と呼ばれていました。その日にイエスは,シロアムの水がそそがれたことを人々に思い出させようとされたのでしょうか,こう言われました。「だれでも渇いた人がいるなら,わたしのところに来て飲みなさい。わたしに信仰を持つ者は,まさに聖書が言ったとおり,『その内奥のところから生きた水の流れがながれ出る』のです」。使徒ヨハネは,イエスがそこで言われたことについて,次のように注解しています。「しかしこれは,彼に信仰を持つ者が受けようとしていた霊について言われたのである。まだ霊がなかったからであり,それは,イエスがまだ栄光を受けていなかったからである」― ヨハネ 7:37-39。

      5 その驚くべき言葉はいつ,どのように実現しはじめましたか。

      5 この驚くべき言葉は,翌年のペンテコステの日に実現しはじめました。その日に,エルサレムのある二階の部屋に集まっていた約120人の弟子が聖霊をそそがれたのです。生きた水は確かに彼らから流れ出しました。彼らは奇跡的に話せるようになった多くの言語で,その光景を見に集まって来てあっけにとられている幾千ものユダヤ人に,「神の壮大な事がら」を話しました。―使徒 2:1-41。

      6 祭りの最終日に,イエスは,神殿に置かれた特別の燈火を弟子たちに思い出させたかもしれない,どんなことを話されましたか。

      6 仮小屋の祭りの最終日である第七日に,イエスはさらに別の事柄を話されました。その話は,祭りを特色づけた特別の燈火,つまり婦人の中庭に置かれた四基の高い枝付き燭台を弟子たちに思い起こさせたことでしょう。イエスはこう言われ

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