-
支部の手紙王国宣教 1978 | 10月
-
-
支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
日本で開かれた四つの国際大会! それは何とすばらしい霊の宴だったのでしょう。出席者全員は確かに心の踊るのを覚えたことでしょう。4ページの一欄表が示している通りどの大会にも予想を大きく上回る出席が得られました。四つの大会の最高出席者合計は7万8,136人で昨年より約8,000人も多いものでした。1973年大阪で開かれた国際大会には全日本から3万1,263人が出席したことを考えると,わずか5年の間に4万6,000人以上の人々がエホバの組織に導かれているのです。何とすばらしいことでしょう。エホバがあわれみを示しておられる間,一人でも多くの人が救いにあずかる者となるよう惜しみない援助を与え続けてゆきましょう。
大阪大会では最初の二日間台風の余波の激しい風雨の中で大会が行なわれました。講演者も聴衆もだれ一人席を立つ人はいません。「霊的な必要」に対する何とすばらしい認識でしょう。ある意味でわたしたちを試みるものといえるこのような状況の中で兄弟たちすべてが一致協力し,お互いを思いやり助け合う努力を示すことができたのは将来のより大きな試みに対する訓練とも言えるでしょう。
国際大会にふさわしく海外の代表者から経験や励ましの言葉を聞いたり,愛やあいさつを交わせたのも喜びでした。大阪大会には13の国からの約250人の出席者に加えて大勢の沖繩の代表者を迎えました。通常沖繩から大阪まで1日半の船旅ですが台風で船は遅れ2日半かかって大会に出席しました。出席者すべては惜しみない拍手で沖繩の兄弟たちを暖かく迎えました。東京大会ではナチ政権下をも含む48年もの間全時間奉仕を行なってきた忠実なドイツの兄弟姉妹の経験や,スペイン,シンガポール,太平洋の諸島からの代表者の経験も聞くことができました。これら外国の兄弟たちとの交わりがわたしたちに与えたものは,人種,言語,国籍などを異にする非常に大勢の兄弟姉妹たちをわたしたちは全世界に友として持っており,これらすべての人々はわたしたちと同じ信仰をいだいてエホバ
-
-
喜びはエホバについて語ることから生じる王国宣教 1978 | 10月
-
-
喜びはエホバについて語ることから生じる
1 エホバは,古代のご自分の崇拝者たちに,喜びをもってご自分の前に来るようにと命じておられました。(申命 12:18)エホバが彼らの上に注いでくださった豊かな祝福を考える時,喜んでエホバを賛美しない理由がどこにあったでしょう。―詩 20:5。
2 わたしたちにもエホバの前に喜ぶ機会がたくさんあります。毎週定期的に開かれる会衆の集会での喜びを与えるさわやかさに加えて,大小の大会に伴ってもたらされる喜びを考えてみてください。エホバは霊的必要物をあふれるばかりに備えてくださったので,わたしたちは毎日喜ぶことができます。わたしたちには,み子イエス・キリストによる永遠の命という喜ばしい希望があります。
3 神からのこうした贈り物を感謝するわたしたちは,神についで他の人々に語るよう動かされます。このことはわたしたちの喜びをなお一層増し加えます。「受けるより与えるほうが幸福」だからです。―使徒 20:35。
野外奉仕でわたしたちの喜びを増し加える
4 しかし,あなたの喜びは反対によって減少しますか。無関心や,人々が家にいないことで気落ちしますか。もしかしたらあなたは内気であるかもしれません。そのような性格であるために,あなたは,自分の心に大切にしている事柄を他の人々に本当に話したいと思っているのに,見知らない人に即座に近づくのが容易でないかもしれません。他の人々が良いたよりを宣べ伝える業に見いだしているのと同じ喜びをどうすれはあなたも経験できるでしょうか。
5 まず,喜びが霊の実であることを思いにとめてください。それは培われねばならないのです。エホバはご自分の霊によってあなたを助けると約束してはおられますが,その祝福を得るにはあなたが努力しなければならないのです。エホバはあなたがエホバの恵みを得ていることを知って喜びを持つようにと望んでおられます。わたしたちの喜びは幸福そうな表情に表われるかもしれませんが,実際にはそれ以上のことを意味しています。つまり,わたしたちの崇拝と奉仕すべてにおいてエホバを喜ばせていることから来るあの内なる深い幸福感なのです。
6 イエスや初期のクリスチャンの生活を考えてみてください。彼らは多くの困難に遭い,時には苦痛をもたらす経験をしましたが,それでもあふれるばかりの喜びがありました。例えば,使徒たちは拘引され,良いたよりを宣べ伝えたことで悪口を浴びせられ,さらにむち打たれました。彼らはどんな態度をとりましたか。使徒 5章41,42節を読んでごらんください。イエスが70人の弟子たちをお遣わしになった時,中には恐らく不安を感じた人もいたことでしょう。しかし,彼らは「喜びながら帰って来て」,自分たちの経験を話したのです。―ルカ 10:17。
7 良いたよりの証言に耳を傾ける人を首尾よく見いだす時,あなたもそのような喜びを得ることができます。もし,だれかがあなたと聖書を研究することに同意したり,クリスチャンの集会に出席するようにとの招きに応じるなら,あなたの心はそれこそ喜ぶことでしょう。使徒パウロも,多くの困難の中で,また最も試みとなる状況の中で自分が援助した人々に喜びを感じていることを言い表わしています。―テサロニケ第一 2:9,19,20。
8 そうです,喜びは確かにエホバについて語ることから生じます。真理の種を植え,水を注ぎ,育てるにはあなたの側に多くの努力が求められるとはいえ,エホバについて語ることから生じる良い結果は,必ずあなたに喜びをもたらすのです。―詩 126:5,6。
-
-
「今こそ特に受け入れられる時」!王国宣教 1978 | 10月
-
-
「今こそ特に受け入れられる時」!
1 そうです,今こそその時です! 何のための時ですか。羊のような人々がエホバの恵みに入れられる時です。今も戸口は開かれているのです。人々の心は,まだ残されている時の間,今もなおエホバに向けられています。そして,エホバは彼らに事実上こう言われたのです。「『受け入れることのできる時にわたしはあなたの言葉を聞き,救いの日にあなたを助けた』…見よ,今こそ特に受け入れられる時です。見よ,今こそ救いの日なのです」― コリント第二 6:2。
2 神のしんぼうはわたしたちにどんな影響を与えるべきですか。それは,神の「救いの日」が続いている間最善を尽くすようわたしたちを動かすべきです。イエスはこう言われました。「わたしたちは,わたしを遣わしたかたの業を昼のうちにしなければなりません」。(ヨハネ 9:4)ですからわたしたちは,神が人々の言葉を聞かれる「受け入れられる時」にいるうちに働かねばならないのです。パウロは次のような問いを発しています。「宣べ伝える者がいなければ,どうして聞くでしょうか」― ローマ 10:14。
「受け入れられる時」を感謝する
3 エホバの「受け入れられる時」が尽きるまでに,あなたの親族や仕事仲間,お子さん,隣人はさらにどれほど聞く機会を持つでしょうか。パウロは言いました。「『きょうもし彼ご自身の声を聴いたら,……心をかたくなにしてはならない』」。(ヘブライ 3:15)この言葉はヘブライ人のクリスチャンに対して言われたものですが,現在良いたよりを聞く必要のある人々にとっても意味深いものであるはずです。ある人々にとって,明日では遅すぎるかもしれません。ですから,わたしたちはエホバが受け入れ,ご自分のもとに今後も引き寄せられる人々を戸口から戸口に捜し続けねばならないのです。この「受け入れられる時」の間,エホバはそのための時間をなおも許しておられるのです。
4 わたしたちが訪問した時に不在であったり,忙しかったりした区域内の人々のことはどうですか。エホバの「救いの日」が続いている限り,そうした人々がエホバの恵みを得る機会はなおもあることでしょう。そうです,
-