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『神のことばはつながれているわけではない』ものみの塔 1980 | 10月15日
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『神のことばはつながれているわけではない』
ローマで二度目の懲役刑に服している間に,使徒パウロは次の実証済みの真理を明らかにしました。『神のことばはつながれているわけではありません』。(テモテ第二 2:9)太平洋のタヒチ島で起きた次の経験は,この言葉を実証しています。
「ある集会の際に,当時,聖書研究の監督だった一人の長老が異例の区域を求めてきました。それはタヒチ刑務所でした。この長老は看守としてそこで働いていたのです。そして受刑者たちの悲惨な状態に心を悩ませ,その人たちも聖書に記されている『良いたより』に関心があるに違いないと考えました。私たちの会衆では受刑者たちを訪問する許可を幾度か申請していましたが,残念なことに,返ってくる答えはいつも次のようなものでした。『カトリックでも,プロテスタントでも,アドベンチストでも,モルモン教徒でも,ここへ来て自分たちの宗教について話してくれるなら歓迎します。これらの宗教の会員がこの刑務所の中にいるからです。しかしここにはエホバの証人は一人もいません』。
「そこで前述の長老は,自分が職員として働いているその刑務所内で『良いたより』を宣べ伝えることに決めました。就業時間外である正午から午後2時までの間に,この長老は王国の希望を広めました。間もなく,その活動は実を結び,聖書研究が定期的に司会されるようになりました。
「エホバの証人の成功を目にして他の看守たち(その中にはプロテスタントの執事も幾人かいた)は,同じ宗派の受刑者数人を説きつけて,その伝道が昼寝の邪魔になるとの苦情を所長に申し立てさせました。その結果,長老は所長の事務室に呼び出され,その福音宣明の活動をやめるよう求められました。A棟の受刑者たちが昼寝の間自分たちの所へやって来られることを望まない,というのがその理由でした。長老はそれに対して,巧みに聖書の教えの有益な影響力を強調し,A棟の人々からは歓迎されなかったものの,C棟の受刑者たちからは好ましい成果が得られたことを指摘しました。所長は抗議した人たちが誠実でないことをすぐに見抜きました。しかし,平和を保つために,監房から監房へ伝道しないようエホバの証人に求めました。それでも,その訪問を望む人々の所をその後も訪れることは許されました。
「このように,神のことばはつながれることがありませんでした。5人ほどの受刑者たちが霊的食物を引き続き取り入れ,その結果最終的に自分たちの生活を変化させることになりました。事実,そのうちの一人はこの霊的食物を分配する上で大切な役割を担う人となりました。この人は幾度か盗みを働いたために,9年の懲役刑を宣告されていました。この人は特に難しい受刑者で,幾度も脱走していました。しかしその度に,すぐ捕まって,刑は延長されました。エホバの証人の看守が監房から監房へ伝道することは禁じられていたので,この受刑者は『良いたより』を仲間の受刑者に告げ知らせる自分の責任をすぐに悟りました。
「看守の中には大変腹を立てた者もいましたが,やがてエホバのことが刑務所内の話題の中心になりました。刑務所を訪れる司祭や牧師たちには,魂や煉獄,地獄,終わりの時など,ありとあらゆる問題に関する質問が浴びせられました。看守たちの中に,伝道は不穏な動きの源となっていると言い張る者がいたため,所長は刑務所内で聖書を教えることを禁じることにしました。
「しかしエホバの証人の長老は,『良いたより』を受刑者に知らせるという自分の計画をあきらめませんでした。そこで,関心を持つ受刑者たちを自分の休みの日である土曜日に自宅で働かせる特別の許可を申請しました。その申請は認められ,望む者はすべて,毎週土曜日この長老の世話の下に置かれました。言うまでもなく少しの時間もむだにはされず,毎週毎週数多くの聖書研究が司会されました。
「この長老の不屈の精神は豊かに報われました。実に,特に危険な受刑者の一人に数えられていた人が人格を変化させ,巡回大会に出席する許可を与えられ,そこでバプテスマを受けたのです。
「以後,その刑務所の受刑者の中にはエホバの証人が一人いることになりました。所長は神のことばが幾人かの受刑者たちにもたらした際立った変化を見て驚き,公にエホバの証人の奉仕者が刑務所を訪問できるよう正式に申し込むことを提案しました。申請が出され許可が与えられました。しかしそれには一つの特記事項がありました。エホバの証人は,(他の宗教の場合と異なり)1時間だけではなく2時間を受刑者たちと過ごすことが許されたのです。
「こうして毎週月曜日の夕食後,関心を持つ人々すべては公開講演と1時間の聖書研究から益を受けられるようになりました。この点では,私たちの会衆の3人のエホバの証人の助力に感謝しなければなりません。今ではその人たちも,獄につながれていた使徒パウロ同様,『神のことばはつながれているわけではありません』と述べることができます」。―テモテ第二 2:9。
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読者からの質問ものみの塔 1980 | 10月15日
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読者からの質問
● エホバの証人はなぜ誕生日を祝わないのですか。
基本的に言って,エホバの証人は神の言葉に敬意を払い,その示唆するところにこたえ応じることに深い関心を抱いているからです。
誕生日の祝いは世界的に広く行なわれており,この状態は幾千年も続いています。大抵の場合パーティーが催され,プレゼントが渡されます。では,聖書は誕生日について何か述べていますか。
まず言えるのは,聖書は愛する者に寛大に与えることを押しとどめるものではない,ということです。(創世 33:10,11。ルカ 15:22。コリント第二 8:19)また,宴会やパーティーを楽しむことも非としていません。適度の飲食は,生活を楽しむ方法として勧められているからです。(伝道 3:12,13)イエスは結婚の宴に参加されました。ヨブの子供たちは収穫の宴と思われる集いを催し,それが家族の親睦の機会となりました。アブラハムはイサクが乳離れした時に宴を催しました。(ヨハネ 2:1,2。ヨブ 1:4,5,13。創世 21:8)また神のご要求ではないものの,ユダヤ人は年に一度神殿の再献納の記念日に祭りを催し,イエスもその宴に出席されました。―ヨハネ 10:22,23。
とはいえ,聖書はある程度の注意が必要であることを示唆しています。その由来や性質を無視し,どんな祝いにもやたらに参加することはふさわしくなかったからです。(出エジプト 32:1-6。ペテロ第一 4:3。コリント第一 10:20,21)誕生日に注目し,それを祝うのはどうでしょうか。
真の崇拝者の多くが誕生の日付の記録を保っていたことは明らかです。祭司その他の人々は自分の年齢を知っていました。それは当て推量に任されてはいませんでした。(民数 1:2,3; 4:3; 8:23-25)しかし聖書の中には,真の崇拝者が毎年誕生日を祝っていたことを示すものは何一つありません。
聖書の中には,誕生日を祝った記録は二つしかなく,いずれも真の神の僕でない人が祝ったものです。
最初の例はエジプトのファラオです。その日に起きた特筆すべき出来事は,ファラオのパン焼き人で,ヨセフと同じ獄に入れられていた人が杭に掛けられたことです。(創世 40:18-22)創世記 40章20節に関する注解の中で,アダム・クラーク博士は次のように述べています。「この箇所からすると,宴会を催して誕生日[を]派手に祝うのは非常に古い習慣のようである。その起源は霊魂不滅の概念にあると思われる。自分はこれから永遠に生きると信じていれば,命の始まりが重大な意義を持つと思えるに違いないからである」。
2番目の例は,1,800年ほど後のヘロデ・アンテパスの誕生日です。その記録は,マルコ 6章21-24節に次のように記されています。
「ところが,都合のよい日がやって来た。ヘロデが自分の誕生日に,自分に属する高官,軍司令官,ガリラヤのおもだった人びとなどのために晩さんを設けた時のことである。ほかならぬそのヘロデアの娘がはいって来て舞を見せ,ヘロデおよびともに横になっていた者たちを喜ばせたのである。王はそのおとめに,『なんでも自分
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