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  • 「夜昼働きながら」弟子を作る
    ものみの塔 1975 | 7月1日
    • は,近い将来に伝道を始めるでしょう。私は,喜んで勉強する人を見つける時,エホバがご自分の羊をよく知っておられ彼らを集めることを望んでおられるということを感じます。そのために本当に喜びでいっぱいになります。時には非常に忙しいこともあり,疲れ果てることもあります。しかしそのような時にはイザヤ書 40章25節から31節を繰り返し読みます。私は,弟子を作る特権を感謝しています。充実した生活ができることに満足しています。もしもう一度人生を繰り返すとしたら,私は同じ仕事と生き方を選ぶでしょう。

      23 (イ)世俗の職業についている人々は,パウロとシラスの模範からどんな励ましを得ますか。(ロ)新しく弟子となった人々は,どのように「わたしたちの栄光また喜び」となりますか。

      23 わたしたち皆が皆,同じ程度まで奉仕を拡大することはできないかもしれません。また地域によっては比較的に反応が弱いかもしれません。しかしわたしたちは皆,エホバがご自分に属する者のところへわたしたちを導いてくださるということを確信して,宣べ伝えることと教えるわざとに心身を打ちこむことができます。わたしたちの多くは,パウロやシラスのようになることができます。彼らは,世俗の仕事をする時だけでなく,愛する新しい弟子たちに『神の良いたよりとともに自分の魂をさえ分け与える』ことにも,「夜昼」喜んで働きました。そしてそのような人々についてはわたしたちは使徒たちと同じように言うことができます。「わたしたちの主イエスのみまえ,その臨在のさいに,わたしたちの希望,喜び,また歓喜の冠となるものはなんでしょうか ― それは実にあなたがたではありませんか。確かにあなたがたは,わたしたちの栄光また喜びなのです」。(テサロニケ第一 2:7-9,19,20)そしてそれは持続する喜びとなるでしょう。「大患難」が過ぎ去ったあと,エホバを知るようにわたしたちが助けた人々と,新秩序において永久に楽しい交わりを持つのですから,それはどんなに大きな喜びとなることでしょう。

  • 魂をこめて命の道を歩む
    ものみの塔 1975 | 7月1日
    • 魂をこめて命の道を歩む

      「『あなたは,心をこめ,魂をこめ,力をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』,そして,『あなたの隣人を自分自身のように愛さねばならない』。……『このことを行ないつづけなさい。そうすれば命を得ます』」― ルカ 10:27,28。

      1 今日の世界には,どんな二つの対照的な生き方がありますか。

      偉大な生命授与者であられるエホバは,ご自分のみ子イエス・キリストを通して,「真の命」を得ることを今人類に勧めておられます。その命は平安と満足をもたらす有意義な命です。しかし,多くの人々は今日,異なる種類の命を選びます。そのような人たちは,心と魂を利己主義に支配されていて,何事も大目に見る「現代」社会のつかのまの快楽を追い求めることに体力と思いを浪費します。将来に希望がないために,「ただ食べたり飲んだりしよう。あしたは死ぬのだから」という道をとります。(コリント第一 15:32)それとは反対に,あした,そして永久に生きることを期待している人々がいます。それは神と隣人を本当に愛している人々です。彼らは,「善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,すすんで分け合い,自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え」ることを熱心に行なっています。なぜですか。「真の命をしっかりとらえる」ためです。―テモテ第一 6:18,19。詩 36:7,9。ヨハネ 17:3。

      2 (イ)命を得る者たちに対して神は何を要求されますか。(ロ)多くの人は野外奉仕の機会が限られていますが,わたしたちはなぜその人たちを賞賛しますか。

      2 命を得る人々に神が求められることは,魂をこめて奉仕することです。これは自分自身を神の,そしてキリストの奴隷としてささげることを意味します。(エフェソス 6:6。コロサイ 3:23,24)神への奉仕には,宣べ伝え,弟子を作るという重要なわざが関係しています。多くの証人は,家族の世話をしながら,あるいは聖書が命ずる他の世俗的な責任を果たしながら,このわざに携わっています。(テモテ第一 5:8)この人々は,わずか数時間を野外奉仕にささげるだけでも,日々の厳しい職務,迫害,不健康といった大きな問題を克服しなければならないことがあります。しかし,そのようにしてささげられる奉仕も,神のみ前には大きな価値があります。それは,イエスがマルコ 12章41節から44節で,非常な好意をもって語っておられる,やもめの「小さな硬貨二つ」に似ています。そうした事情のために野外奉仕が限られている人々も,自分は毎年少なくとも1,200時間を,一般の人々に神のことばを宣べ伝え教えるわざにささげる開拓者になることができないと考えて,落胆すべきではありません。重要なことは,どんな立場にあろうと,魂をこめて神に奉仕することです。―マルコ 12:30。

      3 どうすれば,より大きな活動への戸口をくぐることが可能になりますか。

      3 しかしながら,神の献身したしもべたちの多くには,老いた人にも若い人にも,「活動に通ずる大きな戸口」が広く開かれています。(コリント第一 16:9)それは開拓奉仕に入る戸口です。多くの人は,妨げとなる問題を実際的な面から考慮し,また信仰を働かせることによって,山のような障害さえも,開拓者として奉仕するために取り除くことができるかもしれません。―マタイ 17:20。

      4 パウロ,ヨハネ,イエスのことばを念頭において,わたしたちは今どんなことを自問するとよいでしょうか。

      4 幾つかの事柄を自問してみましょう。わたしたちは時の緊急性と,終わりの近いこととを,本当に認めているでしょうか。「何が主に受け入れられるのかを絶えず確かめ」ているでしょうか。今の職業は,エホバに献身したわたしたちに全くふさわしいものですか。物質上の事柄をむやみに心配したところで全く何の役にも立たない,ということを理解していますか。「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。―エフェソス 5:10。ヨハネ第一 2:17。ルカ 21:34-36。

      「そのことをなおいっそう行なってゆきなさい」

      5 バプテスマを受ける前とあと,わたしたちは何をしているべきですか。地元の会衆や他の会衆での経験をあげて説明してください。

      5 バプテスマを受ける資格を得るために,生活の仕方をすっかり改めた人は少なくありません。その人たちは,この世的なならわしを捨てて身を清くしました。以前の生き方を悔いて改め,身を転じ,神に個人的に献身し,イエスの犠牲の血に対する信仰の上に立って,神のみ前における正しい良心を求めています。彼らはもはや「諸国民の欲するところ」を行ないません。(ペテロ第一 4:3,7)しかし,こうして献身しバプテスマを受けると,進歩はそこで止まりますか。そうであってはなりません。パウロは,テサロニケ第一 4章1節で,新たに献身したクリスチャンたちに次のように勧めています。「終わりに,兄弟たち,主イエスによってあなたがたに願い,また勧めます。いかに歩んで神を喜ばすべきかについてあなたがたはわたしたちから指示を受け,またそのとおりに歩んでいますが,そのことをなおいっそう行なってゆきなさい」。これは,もし可能なら,神のわざにいっそう多くあずかることを考え,そして積極的に行動することを意味します。クリスチャンのある監督は次のように書いています。

      五年前,妻がエホバの証人と聖書の勉強を始めた時にわたしは反対しました。しかし今は,妻が勉強をあきらめなかったことを非常に感謝しています。当時のわたしは,ゴルフやつりやかけ麻雀をするだけの生活を送っていました。たばこは一日に40本吸っていました。しかし,そのうちに真理はわたしの心にも根を下ろしました。わたしはそうした遊びを,むなしい,無価値なものに感じてみなやめてしまい

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