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エホバに仕えるために生命を用いるものみの塔 1964 | 9月1日
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を理解できる。しかし信徒がそのような奥義を知る必要はなく,また知ろうとしてもならない。従って人々は宗教のことになると,牧師の導きに盲目に従うのが常であった。それは人が法律の問題を弁護士にまかせ,何でもその言う通りにして,自ら法律を学ぶ必要を認めないのと同様である」。今日でもこれは一般の考えとなっていますが,これはキリスト教の腐敗なのです。
18 エホバの民はどのように教えられ,訓練されますか。
18 真理を知ろうと誠実に望む人々から,神のお目的と真理がかくされることはありません。伝道から利を得るような特定の選ばれたグループにそれが啓示されて,誠実な人々からそれが隠されてしまうはずはありません。イエスはマタイ伝 11章25節に「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して,幼な子にあらわしてくださいました」と,言われました。子供でさえも家族や会衆の研究により,また神のみ霊の導きを得て聖書の真理を正しく理解できます。エホバを喜ばせようとする人のとるべき次の段階は,この知識を活用することです。イエスは弟子たちに教訓を与えてのち,訓練と励みのために二人を一組にして伝道に遣わしました。そこで今日のエホバの証者も,使徒の手本に基づいて同様な訓練の方法を採用しています。パウロはエペソ書 4章12節に,資格のある人が「聖徒たちをととのえ」ることについて語っています。この訓練は今日でも行なわれているのです。
19 人はどのようにして宣教の資格を身につけますか。
19 しかも奉仕者となる資格は人間から与えられるのではなく,神のことばを通して神から与えられるのです。パウロはそのことを示しています。「もちろん,自分自身で事を定める力が自分にある,と言うのではない。わたしたちのこうした力は,神からきている。神はわたしたちに力を与えて,新しい契約に仕える者とされたのである」。(コリント後 3:5,6)あなたもこのような奉仕のために訓練を受け,エホバに仕えることができます。世界各地で定期的に開かれるエホバの証者の集会の目的は,創造主に仕えて,イエスの命じたわざを行ない,御国の福音を伝道する人々のために訓練を授けることです。これはだれでもできることです。神のことばの真理を教えるわざは,全世界において日夜すすめられています。―黙示 7:15。
20,21 真理を他の人にわかつのに長いあいだ待つ必要がありますか。これはなぜいま緊急のことですか。
20 人生の最大の喜びは,真理を他の人に教えるときに得られます。聖書にしるされたエホバのお目的の真理を学び知るとき,他の人を教えることができるようになります。(ロマ 2:21)井戸のほとりでイエスから語りかけられたサマリヤの女は,すべての事を知りつくすのを待たずに急いで行って町の人に告げました。「わたしのしたことを何もかも,言いあてた人がいます。さあ,見にきてごらんなさい。もしかしたら,この人がキリストかも知れません」。女は人々をイエスの許に導くのに必要な知識を持っていました。それでイエスの許にやってきてその言葉を聞いたサマリヤ人は女に言いました,「わたしたちが信じるのは,もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて,この人こそまことに世の救主であることが,わかったからである」― ヨハネ 4:29,42。
21 ですから待つ必要はありません。漁師からイエスの弟子となった人々は,ちゅうちょすることなくイエスに従って宣教を始めました。パウロは宣教に招かれ,アナニヤから教訓を授けられたとき,ちゅうちょしませんでした。ダマスコの弟子たちと共に数日間を過ごしたのち,パウロは「ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え(た)」と聖書にしるされています。(使行 9:19,20)時代を考えるとき,宣教は更に緊急であり,神に仕えることはますます必要です。「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」。ゆえに今こそエホバに仕えるために生命を用いる時です。―ヨハネ第一 2:17。
22 エホバに仕えるために生命を用いることは,なぜ賢明ですか。
22 足なえのいけにえを携えてきて,「神につかふることは徒然なり」と言ったイスラエル人にならうべきではありません。「今われわれは高ぶる者を,祝福された者と思う。悪を行う者は栄えるばかりでなく,神を試みても罰せられない」。イスラエル人はこのような態度をとりました。しかし次のことを心に留めて下さい。「その時エホバをおそるる者互に相かたりエホバ耳をかたむけてこれを聴たまへり」いまは「その時」です。またエホバに仕えるために生命を用いるならば,それはどんな結果となりますか。「エホバを畏るる者およびその名を記憶る者のためにエホバの前に記念の書をかきしるせり」と,エホバは約束されています。エホバに覚えられて,新しい正義の組織制度における生命を見出そうとするならば,設立されたエホバの御国の福音を宣明して,いまエホバに仕えるために生命を用いて下さい。―マラキ 3:15,16,文語。
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神に仕える正しい動機ものみの塔 1964 | 9月1日
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神に仕える正しい動機
1 クリスチャンの奉仕の動機は,この世において職業を選ぶ一般的な理由とどう異なっていますか
自分の一生の仕事として宣教を選ぶ人は,なぜ宣教者になるのかと,友人から聞かれることでしょう。それは宣教が神のみ心であると確信しているからですか。どんな理由で宣教を選びましたか。人は自分の才能を生かすため,あるいは多額の収入や社会的な地位を得るために弁護士や医者になるかも知れません。また人間形成の機会を求めて教育者になるかも知れません。しかし全く無私の動機で一生の職を選ぶ人はまれです。それでもイエスの初期の弟子たちまた今日の真のクリスチャンについてこの事が言えます。
2 弟子たちは宣教に対してどんな態度をとりましたか。
2 イエスは大工の職に才能を生かし,大工として名声を得るかわりに,なぜその職をやめたのですか。ルカはなぜ有利な医師の職をやめて宣教に力をそそいだのですか。使徒たちはなぜ漁業をやめましたか。「侮られて人に捨てられ」た人と交わったのは,自分の利益や社会的地位を求めたからではありません。(イザヤ 53:3)この人々がイエスと共に宣教に従事したのは,イエスが真理を持つことを知ったからです。多くの弟子が難しい教えのためにつまずいたとき,イエスは12使徒にむかって言われました,「『あなたがたも去ろうとするのか』。シモン・ペテロが答えた,『主よ,わたしたちは,だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです』」。真理を知って神に仕えることは永遠の命を得る道であることを,使徒たちは知っていました。それで生き方を全く変えて宣教に従事したのです。―ヨハネ 6:67,68。
3 ある牧師はなぜその職を辞しましたか。
3 うわべを飾り,自分の利益を求めたイエス時代の宗教家は,真理を愛するゆえにイエスと交わった使徒たちと著しい対照をなしていました。同じく今日でもキリスト教国の俸給を受けている牧師と,自発的に教えたり伝道したりするエホバの証者とは全く異なっています。(マタイ 23:5-8。ミカ 3:11)1962年11月17日付サタデー・
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