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  • クリスチャンは正確な知識が必要
    ものみの塔 1959 | 9月1日
    • 人を上回りました。このことは,ヱホバの証者の制度の上により大きな責任を投げかけます。私たちは,この終りの期間中になしとげる必要のある伝道のわざおよび教えるわざが,大仕事であることを知つているので,この人たち全部が,また他の正義愛好者たちが,真理の正確な知識に達して,1959年の奉仕年度中また来るべき年々において,毎月定期的に宣教に参加されることを望んでいます。これは彼らが,会衆内のより円熟した人々の援助を必要としているということで,あなたは,使徒パウロがしたように,進んであなたのクリスチャンの兄弟に援助の手をさしのべ,『円熟に向つて進む』よう励ましますか。(ヘブル 6:1,新世)これらの新しい人々は,個人的に,また集まりで,聖書の研究をする良い習慣をつけなければなりません。そして,神の証者としての特権に対する認識を深めつづけなければなりません。これらの新しく活動をはじめた人々は,いまや私たちの最も近い隣人です。私たちは,彼らが,ヱホバの正しい原則と,どのようにキリスト・イエスの足跡に従うかを十分に認識するよう援助することによつて,自分のように隣人を愛する愛を表わします。

      16 (イ)昨年,さらに何人が,良いたよりの伝道に定期的に参加しましたか。そして洗礼を受けたのは何人ですか。(ロ)すでに伝道に参加している人々のうち何人が,まだ水の洗礼を受けるまで進歩する必要がありますか。しかし,その前に何が必要ですか。

      16 新世社会の発展状況を示す表をごらんになる時,あなたは,毎月良いたよりの伝道に参加した人々が,前年よりも6万3815人多くいたことを認められるでしよう。しかも,今年になつて,ヱホバ神に対する献身を象徴するために,水の洗礼を受けた人々は,合計6万2666人あります。それらの定期的な伝道者になつた人々が洗礼を受けたと仮定するならば,ここでの差は1149人にすぎません。そしてこれは,最高伝道数から見て,まだ神の御言葉を十分に認識して洗礼を受ける必要のある人々が全世界にわたり,8万2000人いるという意味です。しかし,彼らは,洗礼を受ける前に,神の御言葉と,彼らが当然とるべき行為の過程を知らねばなりません。また神がクリスチャンに要求される高い標準を認識しなければなりません。これに関する知識は誰でも得られますが,しかし,彼らが洗礼を受ける前に,その資料を手に入れてよく読むように取り計らうのは円熟したクリスチャンの責任です。これを洗礼の後にする必要はありません。後にするとおそすぎる場合が度々あります。

      17 人が洗礼を受ける前には,その生活の仕方にどんな変化が起らねばなりませんか。これらの変化を経る前に洗礼を受けたならばどうなりますか。

      17 ヱホバは,清く,平和で,健全な制度,また,ヱホバに全く献身し,奉仕者としての責任をよく心得ている人々を望まれます。もし人が,この世のけがれから離れないで相変らず悪い行いをやめないならば,その人はキリスト教国と同じように依然として眠つているのです。人がクリスチャンとしての責任を負つたならば,いつもそれに目ざめていなければなりません。目ざめている人,清くて責任感の強い人々のみが,ヱホバの証者としての洗礼を受けるにふさわしい人々です。さもなければ,彼らの献身は,ヱホバに対する真の献身ではなく,偽善的なものであつて,聖なる神に受け入れていただくことはできません。

      18 人はどんな事がらを学ばねばなりませんか。そして,洗礼を受けるために自己を提出する前に,どんな方法で自分の誠実さを示さねばなりませんか。

      18 そういうわけで人は,献身の象徴として洗礼を受ける前に,神の義の新しい世に関する御目的以上の事を学んでいるべきです。人は生命を望むかも知れません。しかしヱホバの義に満ちたご要求に応ずることも望むでしようか。また,聖書が神の御言葉であることを十分確信していますか。酒に酔う事,異性との正しい関係,古い世から分離することなどについて,聖書が何と言つているかを知つていますか。真の宗教と偽りの教えとの相違を認識できる程十分に研究しましたか。公けに,また人々の家庭で御国を伝道することによつてキリスト・イエスの足跡に従い,神の奉仕者になることを真実に望んでいますか。それは単なるつかのまの気まぐれですか,それとも彼は,わざにはげみ,宣教訓練の行われる会衆の集会に出席することによつて誠実を表わしましたか。洗礼を受ける前に人はなすべきことを十分に認識していなければなりません。

      19,20 (イ)エチオピヤ人の宦官と,ペンテコストに洗礼を受けた人々は洗礼を受ける前に,どの程度の訓練を受けていましたか。今日では,どういう点で事情が異なつていますか。(ロ)洗礼という段階を経る前に,何を明確に認識すべきですか。

      19 たぶん次のような質問が生じることでしよう。つまり,ペンテコストの日にペテロの話を聞いて,その日にさつそく洗礼を受けた人々は,その前にどのくらいの訓練と教えを受けていたかということです。また,女王カンダケにつかえる役人で,車の中でしばらくだけ話し合つた後すぐに洗礼を受けたあのエチオピヤ人はどうですか。彼らは洗礼を受ける前に適切な訓練を受けましたか。答は然りです。彼らは全部ユダヤ人か,あるいは他の宗教からユダヤ人の宗教に改宗した人々であつたことを記憶されていますか。彼らは,そうした人々でしたから,神の御言葉をよく教えられていました。つまり,会堂で定期的に御言業が読まれるのを聞いていたのです。事実,ペンテコストに洗礼を受けた人々は,神がモーセを通して与えられた律法の中で命令されていたひとつの祝いを行うために,エルサレムに来ていたのです,イエスご自身も言われました。『律法学者とパリサイ人とは,モーセの座にすわつている。だから,彼らがあなたがに言うことは,みな守つて実行しなさい。しかし,彼らのすることには,ならうな。彼らは言うだけで,実行しないから。』(マタイ 23:2,3,新口)ですから,彼らは当時あつた聖書の内容を知つていたのです。しかし洗礼を受ける前に,彼らは,他のある事がらを学びました。それは,キリスト・イエスは神の御子メシヤであつて,ヱホバは彼を通して救いを備えられたということでした。これに関する証明を聞き,その真実性を納得した彼らは,その事を信じないばかりか神の御子を殺した罪さえもつている制度に,もうこれ以上とどまれないことに気づいたのです。彼らは,イエスをはりつけにせよと呼んだ宗教指導者とその追随者をもつ宗教組織に属していた罪を悔い改めました。そしてキリスト・イエスに対する信仰をあますところなくひれきし,またその事を他の人々に告げる決心をしました。

      20 ところが,この終りの時代にのぞんで,キリスト教国の宗教制度に属する大多数の人々は,聖書の教育を受けていません。調査によると,聖書の内容はおろか,四福音書の名称さえ言えない人々が少数いるようです。彼らは,真理の初歩から入念に教えられる必要が大いにあります。そしてそれらの事がらを学ぶまでは,洗礼を受ける立場にありません。彼らは,自分のしている事がらつまり,単に一つの教会に入ろうとしているのではなくて,ヱホバ神との聖なる関係に入ろうと,しているのであること,他の人々に真理を教える者になろうとしていること,しかもどんな結果が起きようと忠実のうちに歩ゆみつづけなければならない事をはつきりと知つているべきです。また,洗礼を受ける前に,クリスチャンの洗礼の意味を十二分に理解し,神の助けによつてそれにふさわしい生き方をしようという決意ができていなければなりません。

      21 新世社会と交わつて,洗礼という段階にまで進歩し,さらに円熟へと継続的な進歩を望む人々を私たちはどのように援助することができますか。

      21 この世のけがれをすべて捨て去つていなくても,清くなるために,また『造り主のかたちに従つて新しくされ,真の知識に至る新しき人』を着るために,新世社会と交わることを望む人々を援助するのは,真理の正確な知識をもつすべての献身した人々の責任です。(コロサイ 3:10,新口)ヱホバの御要求が何であるかを彼らに十分認識させなさい。彼らは,『神を真とすべし』および『これは永遠の生命を意味する』の本を勉強する際に,円熟した人から個人的な訓練を受けなければなりません。また,最も新しい本『御心が地に成るように』(英文)と『失楽園から復楽園まで』(英文)の内容も知らねばなりません。そして献身した後でも,円熟に向つて絶え間ない前進を続けるのに非常にたいせつなこの知識を得るのを援助するため,誰か彼らとつづけて研究を行わねばなりません。『だから,機会のあるごとに,だれに対しても,とくに信仰の仲間に対して,善を行おうではないか。』(ガラテヤ 6:10,新口)私たちが,こうして援助をつづけている間に,彼らが,クリスチャン証者としての彼ら自身の責任を負つて,真理を教える能力のある者になつて行くのを見るのは大きな喜びです。彼らは,まず御国と神の義を求めて,さらに大きな奉仕の特権をとらえることでしよう。

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    ものみの塔 1959 | 9月1日
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      1 真理を学んでいる人々には,どんな責任がかかつてきますか。イエスはこれをどのように示されましたか。

      人は聖書を研究する時,真のクリスチャンが信仰を自分のものだけにしておかないということをすぐに知ります。真理は人の心を啓発し,生活にあふれるばかりの希望を与え,またクリスチャンの忠実を守つて歩むことができるように「道の光」となつてきました。もし人が,この光に感謝しているならば,自分だけのものにしておくという利己的なことはしないでしよう。『あなたがたは,世の光である』とイエスは言われました。『山の上にある町は隠れることができない。また,あかりをつけて,それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において,家の中のすべてのものを照させるのである。そのように,あなたがたの

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