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奉仕に対するヱホバの証者の見方ものみの塔 1957 | 5月15日
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神の福音ばかりではなく,自分のいのちまでもあなた方に与えたいと願つたほどに,あなた方を愛したのである。兄弟たちよ。あなた方は私たちの労苦と努力とを記憶していることであろう。……日夜はたらきながら,あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。』― テサロニケ前 2:8,9,新口。
36 奉仕に対する正しい見方を持つ奉仕者は,聖書研究をする時間がどんな時であろうともよろこび進んで家庭聖書研究を司会いたします。そして,自分の奉仕の目的は実を結ぶことであり,家庭聖書はその手段であることを忘れてはいません。ヱホバのすべての忠実な証者を,再訪問や,家庭聖書研究や,また家から家の奉仕,雑誌の業,そして御国奉仕の他の部門にも参加させましよう。それは,「良き平衡を保ち,奉仕を全くなしとげる」ためであります。―テモテ後 4:5,新世。
新しい奉仕者を訓練する
37 ヱホバとその目的を学ぶにつれて,人は何をしたいと欲しますか。
37 善意者が家庭聖書研究の取極めを善用して,会衆の集会に出席するようになると,ヱホバの大いにしてすばらしい目的についての正確な知識を得ます。そして,その目的を愛すると共に,かつヱホバの御名の讃美に参加して,他の人々を援助し,生命の道を学ばせたい,と欲します。それは,骨の中の火のようになります。彼らは幸福な奉仕者の隊伍に加わらねばならず,また加わりたい,と欲します。
38 イエスが他の者を訓練した仕方に従つて,今日では人はどのように奉仕者になれますか。
38 どのように奉仕の資格を得ますか。神学校や,訓練を施す特別の学校に行かねばなりませんか。イエスは,当時の神学校に自分の弟子たちを送りませんでした。イエスは,弟子たちを連れていつしょに野外の奉仕に行き,訓練したのです。そして,何をすべきかを教えてから,弟子たちを遣して教える業をなさせ,そして他の人々をも弟子にならせたのです。(マタイ 28:19,20)今日,全世界にいるヱホバの証者は,この聖書的な仕方に従つています。
39 (イ)新しい奉仕者を訓練するために,各会衆にはどんな取極めがありますか。(ロ)いつしよに働いている人々は,自分たちの割当をどのように見なしますか。
39 どの会衆にも,新しい人に訓練と援助を与えて,奉仕のための正しい資格を備えさせる取り極めがつくられています。巡回の僕または巡回の僕の次の訪問での期間中は,会衆の僕は,円熟している有能な奉仕者を任命して,新しい人々や援助を必要とする人々に訓練と援助を与えさせます。それは,それらの人々が,十分の資格を持つ家から家の奉仕者になるためであり,また興味を持つ人々に再訪問し,家庭聖書研究を開いて司会するためであり,かつ適当な聖書の話を準備して与え,そして他の方法によつて資格のある奉仕者になるためです。神権的な友だちと呼ばれる二人は,いつしよに働き,そして奉仕のすべての部門にできるだけ多く従事することのできる一つの予定をつくります。円熟している奉仕者は,率先して指導し,学んでいる者に親切で有益な助言をいつも与えます。訓練を受けている者が進歩するにつれて,だんだん自分一人で多くのことを為し,遂には他の人の援助なしで聖書の話をすることができ,効果的に家から家に奉仕したり,再訪問をしたり,そして聖書研究を司会することもできます。そして,今度はその人が別の人を援助する立場になるでしよう。どの神権的な友だちも,自分の割当を真剣に採り上げ,それは神権的な任命であると認めます。十分の資格を持つ人は,自分に割当てられた人を助けるのは,特権である,と考えます。その人を援助して,ヱホバの有能な証者にならせるために,その割当てを受けたのです。また,訓練を受ける人は,訓練計画を神権制度の愛の準備と感謝します。この準備によつて,その人は援助を受け,そして十分の資格を持つ奉仕者になると共に,ヱホバの誉をひろく言い表わすことができるようになるのです。ヱホバは,宣べ伝えさせるために,その者を召しました。―エペソ 4:11-14。
40 (イ)この研究からどんな結論が得られますか。(ロ)次には,何を考慮しますか。
40 この記事からも分る通りに,ヱホバの証者は自分たちの奉仕を真剣に採り上げます。ヱホバの証者は,奉仕に深い関心を持ち,奉仕こそ真の崇拝の最も大切な部分である,と認識しています。(マタイ 7:21)ヱホバの証者が自分の事柄をどのように組織して奉仕するか,そしてヱホバの証者の奉仕の見方というものを論じてきましたから,次の記事では会衆の責任に対する監督の資格,および奉仕の任命に対する監督の見方を学びましよう。
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神々の大群ものみの塔 1957 | 5月15日
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神々の大群
西暦第1世紀に生存していたベトロニアスはネロ王宮の接待司でした。彼の書いた本「サチリエス」の17章には,ローマの国家宗教に関する彼の所感が記されています。ベトロニアスは次のように書きました,『我々の国には余りに多くの神々がいる故に,人を見つけるよりも神を見つける方がずっと容易である。』
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