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聖書研究を司会することを申し出ていますか王国宣教 1976 | 12月
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しなければなりません。一姉妹は自分のいつもの雑誌経路の一人を訪問した時にこのことに注意を促されました。その婦人はいつも友好的で雑誌を求めますが,聖書研究について一度も聞いたことがありませんでした。ある日その姉妹がそこを訪問した時,ドアをノックした後で配布する雑誌が一冊もないことに気付きました。ドアが開いた時,彼女が行なえると思えたのは一つのことだけでした。それはその婦人に家庭聖書研究を勧めるということです。家の人は快くその申し出を受け入れ,すばらしい研究が始まりました。
6 聖書研究を司会するというのは喜びを与える業です。とはいえ,それには毎週の予定を幾らか整えて時間を割くことが必要です。しかし時間を費やして努力するだけの価値のある報いをもたらします。ご自分でこの喜びを経験してみるのはいかかですか。聖書や他の出版物が備えられているので,それは難しいことではありません。今月の間,二冊の書籍を配布し,また小冊子を用いて研究を始めるすばらしい機会があります。自分が用いる小冊子を選び,述べる事柄を工夫してみてください。1976年10月号の「わたしたちの王国奉仕」に良い提案が載せられています。わたしたちは「研究」という言葉を使わずに,小冊子を用いて討議を始めることができ,またこうした方法で聖書の内容を学ぶよう人々を助けることができます。
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良いたよりを伝える ―「興味がありません」と人々が言う時王国宣教 1976 | 12月
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良いたよりを伝える ―「興味がありません」と人々が言う時
1 「興味がありません」とすぐに答える家の人にあなたは何と言いますか。このように断わられる時,わたしたちは洞察力を働かせる必要があります。もし,家の人がそのように述べる理由を確かめ,それに応じて答えれば,おそらく良いたよりの証言を続けて行なう面でもっとうまく行くかもしれません。その人はどのようにそう述べますか。強い調子ですか。誠実にですか。あるいはかたくなにですか。その人の声の調子や応対の仕方,また態度はどうだろうか,と自問してみてください。こうした問いのどれか一つまたは幾つかは,その人の心にあるものを知る手掛りとなるかもしれません。
2 わたしたちは簡単にその家を去りたいとは思いませんが,もし強要したり,「押し付け」たりするならば良くない印象を残すことになり,次に訪問する伝道者をもっと難しくさせることになるでしょう。
3 もし家の人があなたと話したくないことが分かるなら,あなたはただ招待ビラを渡すだけで良いのです。もしその人の述べることがそれ程かたくななものでなければこのように尋ねることができます。「あなたは見知らぬ人がお宅を訪問する理由をお知りになりたいと思われませんか。特にそうすることがやさしいことではないと確かにあなたも認めておられると思いますが。[返事を待つ。] その理由について聖書が述べている一つのことをお伝えして失礼します」。
4 一人の兄弟は,「以前にエホバの証人がお宅を訪問したことがありませんか」と質問することにより会話を始めるようにしています。彼は,「もし人々が,あります,と答えるなら,それが会話の始まりです」と述べています。もし家の人がそれでも興味がないと述べるならその兄弟は次の家に行きます。別の兄弟は次のように応対します。「多くの人々は興味がないと言います。しかしもしかするとあなたは,ごく近い将来にすべての悪が地上から取り除かれることについて知ることに興味を持たれるかもしれません。ここに述べられていることをご覧ください……」。このようにして彼は関心を高めるように努めます。
5 あなたかエホバの証人であることに家の人が気付くなら,次のように言うことができるかもしれません。「ある方々は他の宗教には余り興味がないようですね。[休止する。] わたしがお伺いしたのはそのことを話し合うためです」。別の答え方もできます。「今日宗教に対する関心が全般に低くなっているのであなたの言われることはごく普通のことです。しかしこのことは,あなたが聖書そのものに興味がないということではないと思います。わたしたちがお会いする多くの方は,まだ聖書を信頼しています」。
6 ある人々は家の人が断わる前に,次のようにしてその反対を持ち出すのが役立つことに気付いています。「わたしは今なお神を愛している人や,多くの人が宗教に興味がないと述べるこの時代について神が語っておられることに興味を示す人を尋ねています」。
7 これらの提案は,あなたにとって自然なものとなるよう,自分に会わせて適合したり調整することができます。こうした反対に対処する際に,あなたが友人として訪問しており,その家の人個人に関心を払っていることを態度で示してください。気遣いを示した優しい声は家の人を安心させるのに役立つ場合があります。それに,もし家の人に話してもらい,考えを述べてもらうなら,家の人はそれ程警戒しないかもしれません。
8 わたしたちの関心は神の「羊」を見いだすことです。そしてわたしたちの用いる方法は道理をわきまえた,人々を引き寄せるものであるべきです。
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神権的ニュース王国宣教 1976 | 12月
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神権的ニュース
◆ 王国会館献堂式 静岡,富士宮。静岡,島田。富山,新湊。愛知,蒲郡。愛知,蟹江。大阪,松原。山口,岩国。山口,宇部・西。山口,山口。福岡,直方。
◆ 12月から大阪地方にもう一つの巡回区が組織され巡回区の合計は50となります。
◆ 鹿児島県鹿児島市東会衆では過去1年間に30人が伝道を始め,26人がバプテスマを受けました。伝道者141人。開拓者12人が熱心に奉仕しており12月から分会して新しく鹿児島市南会衆が発足します。
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質問箱王国宣教 1976 | 12月
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質問箱
● 特に良い話し手ではない奉仕のしもべは,奉仕会のプログラムにどの程度用いられますか。
特に良い話し手ではない奉仕のしもべでも,会衆のすべての取り決めを忠節に定期的に支持し,野外奉仕に熱心な,その結果会衆の敬意と愛を得ている,他の人々の励ましや助けとなる人々がいます。奉仕会で彼らがどの程度まで用いられるかは長老たちが決めることです。一人の長老か,より能力のある奉仕のしもべがその部分の司会者として割当てを受け,他の人々がその能力に応じて割当てに参加することもできるでしょう。このようにすれば会衆はそうした兄弟たちの話を時々聞くことから益を得,またそれらの兄弟たちも演壇でふさわしく用いられていることから励ましを受けるでしょう。
まだ奉仕のしもべに任命されていないものの,話す良い能力があり,良い霊を示し,会衆の敬意を得ている兄弟たちもいます。彼らを奉仕会に用いることはできますか。この場合も,決定することは長老たちにかかっています。そうした人たちを,長老の司会の下に行なわれる割当てに組み入れることができるかもしれません。このようにしてそうした兄弟たちが割当てを持つように取り決めるなら,プログラムに興味と変化を添えることでしょう。
とはいえ,わたしたちはやはり教える者に対して聖書が定めている高い標準と,資格のある話し手だけを司会者として用いることの必要を思いに留めておきたいと思います。(1975年4月号および10月号の「王国奉仕」の質問箱をどうぞご覧ください。)若い,あるいは新しい兄弟たちが話すことにおいて訓練と経験を積むための取り決めは,奉仕会を通してではなく,神権学校,集会での注解,また野外奉仕によるものです。奉仕会で教える主な責任を持つのは長老たちです。上述の所見が,奉仕会でわたしたちが受けるべき教訓の高い標準を下げることなく,平衡の取れた見方を備えるものであるよう,わたしたちは希望しています。
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日本の野外奉仕報告: 9月王国宣教 1976 | 12月
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日本の野外奉仕報告: 9月
平均 平均 平均 平均
伝道者 時間 再訪問 研究 雑誌
特別開拓者 962 135.8 60.6 5.0 134.6
開拓者 5,283 88.0 35.0 3.3 63.2
補助開拓者 5,080 64.0 24.0 2.1 39.7
伝道者 27,306 15.6 6.1 0.8 12.6
合計 38,631 書籍配布: 182,645
新しく献身しバプテスマを受けた人: 220
昨年の平均に対する伝道者の増加: 7%
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