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    ものみの塔 1960 | 4月1日
    • 家にはいつたなら,平安を祈つてあげなさい。もし平安を受けるにふさわしい家であれば,あなたがたの平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ,その平安はあなたがたに帰つて来るであろう。』(マタイ 10:12,13,新口)ルカ伝 10章の5節には,イエスが彼らに使わせたいと思われたあいさつの言葉がそのまま示されています,『平安がこの家にあるように。』これは,その時代の普通のあいさつで,神から来る平和と繁栄に関係があり,かつ幸福を祈る気持を暗示していました。キリスト・イエスを通して神との平和をもたらすために使徒たちが来たという良いニュースの事を考えるならば,それは最も適切なあいさつでした。さて,訪問の目的を知つてから,その祈る幸福を得るにふさわしいかどうかを示すのは,その家の家族次第でした。もしそれにふさわしい家であれば,使徒たちはイエスの指示に従い,良いたよりをくわしく説明することによつて,その家にはいつた時に『祈つた平安をその家に来らせ』ました。しかしながら,この方法でふさわしい人々をたずね出すことは,ヱホバの証者をつくるために経なければならない三つの主な段階のうちの,最初の段階にすぎませんでした。それは,加工すべき原料を注意深くさがし出すのに似ていました。

      次に来る諸段階

      13 証者をつくる仕事は,なぜ和解のわざとも呼ばれたのですか。

      13 キリストの弟子たちの仕事は,和解の仕事とも呼ばれました。アダムとエバが神に反逆して以来,神とこの世との間には,敵意が存在しましたが,キリストの追随者たちがもたらした良いたよりとは,仲だちキリスト・イエスを通して得られる神との平和に関するたよりでした。あらゆる人々のなかから出て来たこれらの初期クリスチャンたちは,イエスを神と人との仲だちと認めることにより,また彼を通して神に献身することによつて神と和解し,神との平和な関係にはいりました。そして,彼らのあいさつによつて,同じ平安が,すべてのふさわしい人々に来るように願いました。パウロはそれをこう表現しています,『神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから,わたしたちはキリストの使者なのである。そこで,キリストに代つて願う,神の和解を受けなさい。』そういう目的を心に抱いて,彼らは人々の家にはいつたのです。ふさわしい人々にとつてこれは,献身,および神との完全な平和に至る教育のはじまりを意味しました。―コリント後 5:20,新口。

      14 (イ)ふさわしい人が神と和解するには何が必要ですか。(ロ)証者をつくるにおいて第二の段階は何ですか。どのようにその段階をふむことができますか。

      14 神と和解し,神と仲直りをするということは,神の御心を行なうために,キリスト・イエスを通して神に献身することです。そしてそれは,神の御目的に関する正確な知識から順次生ずる結果です。正確な知識は,一回の訪問で得られるものではありません。それには時間がかかります。ふさわしい人々が,ヱホバの証者となつて,神との平和を楽しむためには,彼らが永続する深い感銘を心に受けて,全く異教のものであろうと,または堕落したユダヤ教から来たものであろうと,古い宗教的な考えを征服するように,キリストとその御国に関する真理を徹底的に説明される必要がありました。目的は,そのような人々が,神への奉仕に献身することを望むに至るまで,神の御目的をよくよく理解させることでした。そのような種類の教育の仕事には時間がかかります。だからイエスは,証者をつくるのに必要な第二の段階として,ふさわしい人々のところに『とどまる』よう伝道者たちに教えられたのです。(マタイ 10:11)もし伝道者が,ふさわしい人々の家にとどまつてそこに住むように招待されたなら,もちろんその伝道者は彼らと共にとどまり,多くの時間をかけて彼らを教えました。しかし,伝道者は,くりかえし彼らを訪問することにより,自分が実際に住んでいない人々の家にとどまつて,多くの時間を彼らと共についやし,彼らを教えることもできました。

      15 証者をつくるのにさらにどのような段階が必要ですか。ほんとうに誰が新しい証者つくつていますか。

      15 この証者をつくる仕事には,まだもう一つの段階が必要でした。教える者が,再訪問をして,ふさわしい人々としばらくの間とどまるだけでは十分ではありませんでした。ふさわしい人々に平安をもたらせ,という命令に奉仕者が従うためには,そういう人々の家で定期的な聖書研究を行なうことが是非とも必要でした。そうしなければならなかつた理由は,良いたよりの伝道者が実際にキリストの弟子もしくは新しいヱホバの証者をつくつたからではないからです。キリストや使徒パウロが弟子たちをつくつたと書かれてはいますが,彼らはその名誉を自分に帰しませんでした。イエスは言われました,『わたしはわたしの父のもとで見たことを語つている。』パウロも,神を新しい国民の真の造り手と認め,庭師にたとえてこう言つています,『わたしは植え,アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは,神である。だから,植える者も水をそそぐ者も,ともに取るに足りない。大事なのは,成長させて下さる神のみである。……わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑である。』これは伝道者が,真理である神の御言葉をふさわしい人々の心に植えつけるのに用いられたにすぎないという意味です。従つて,神の僕たちは,「それゆえに……行つて……弟子とし……」という命令を受けていても,善意者のところにとどまつた時,自分の言葉を話すのではなく,ちょうどイエスが絶えず聖書を引用されたように,記録されたヱホバの御言葉である聖書を通して,ヱホバに語らせなければなりませんでした。御言葉を通して神ご自身に語つていただくことによつてのみ,ふさわしい人々は,いつまでも消えない感銘を心に受けることができました。その方法によつてのみ,神の御言葉は彼らの心に深く植えつけられて実を結びました。ですから,ヱホバの証者をつくるにさいし,ふさわしい人々と聖書の研究をすることは,イエスの教えられた生産過程の第三段階でした。この最後の働き,すなわち聖書研究によつてのみ,ふさわしい人々は,真のクリスチャンの享受する平安を受けることができました。―ヨハネ 4:1。使行 14:21。ヨハネ 8:38。コリント前 3:6-9。マタイ 28:19,新口。

      16 総括して,イエスの教えた方法に従えば,証者をつくるにはどんなことが必要ですか。

      16 ですから,これらは,戸別訪問という方法によつて証者をつくるために,イエスが追随者たちに与えられた指示でした。それには三つの明確な段階が見分けられます。まず話しかけることによつて,ふさわしい人々をたずね出さねばならないこと。彼らと共におり時間をかけて伝道すること。そして,彼らが,献身によつて神と和解することから来る平安を得るように援助することです。その献身は,神の御言葉の勤勉な研究なしではあり得ません。その三段階は,生産過程における諸作業に似ています。その作業のうちのどれか一つがおろそかにされるなら,結果はよくないでしよう。しかし,原料が良く,仕事に関する指示も良く守られるなら,完全な産物が出来上るでしよう。

      17 証者をつくるのにもつと容易でもつと早い方法はありませんか。初期クリスチャン時代に,この方法が能率的であることは,どのように証明されましたか。

      17 この方法で証者をつくるのは,時間のかかる,またあきの来る方法のように思えるかも知れません。たつたひとりの証者を生み出すのに,今日この方法を用いることは,事実時間がかかり,勤勉な働きを必要とします。しかし,これは最も良い,また最も早い方法です。イエスご自身,追随者の訓練にこの方法を用いられました。そして,この分野でも彼は達人でした。近道のあるはずがありません。イエスは実際的な働き人で,実際的な知恵を用いられました。彼の追随者がその仕事をするのに,もつと容易でもつと早い方法がほかにあつたなら,イエスは彼らに必ずそれを告げられたことでしよう。それをされなかつたという事実は,ほかに方法がないということです。この助言に従うことによつて弟子たちは,何千という非常に立派な質の証者をつくり出しました。そのため,今日でさえ,『初期クリスチャン』という言葉を聞くと,最も激烈な迫害に直面してもゆらぐことのない,最高の原則に対する忠誠を連想します。彼らは,「エルサレムを彼らの教えで満たし」また『天下をかき回し』ました。そして今日に至るまで,人類の道に影響をおよぼしています。これは,ひとつの教育活動のまことに驚くべき成果であり,使用された能率的な方法の良い反響でもありました! この同じ方法は,大量生産時代であるこの20世紀において,どのくらい能率的でしようか。―使行 5:28;17:6,新口。

  • 『わたしの弟子と証明せよ』
    ものみの塔 1960 | 4月1日
    • 『わたしの弟子と証明せよ』

      あなたがたが実を豊かに結び,そして私の弟子と証明するならば,それによつて,わたしの父は栄光をお受けになるであろう。―ヨハネ 15:8,新世。

      1 証者をつくりはじめられた時,イエスはたつたひとりで仕事をされたといえるのはなぜですか。彼の能力はどのように評価されねばなりませんか。

      働き人の仕事のできばえは,そのつくり出した物,その質,その量,または両方によつて評価されるものです。仕事の成果から評価するなら,イエスは著しい成功をおさめた働き手であつたと言わねばなりません。イエスの巧みさは,量のみでなく質にも表われていました。イエスは,天の召しを受ける新しい種類のヱホバの証者の最初の方でしたから,ご自分の追随者とするために,人々の心をかえはじめられた時は,全くひとりでした。もちろん,イエスのために道を備えた洗礼者のヨハネがいましたが,ヨハネは,霊によつて生まれる成員から成る新しい国民に属していませんでした。また,イエスに従うためにやつて来たヨハネの弟子たちでさえ,

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