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    ものみの塔 1959 | 1月1日
    • の正確な知識に基づかねばなりません。(ヘブル 11:1,6)神について語る時,神はヱホバという御名を持ち,神を真実に知るために聖書中に記されている神の目的を理解せねばならぬと指摘することができます。(詩 83:18)また,御国は天から運営されている真実の政府で,間もない中に地上から悪を拭いさるもの,そして神の御国の支配下で永遠の生命を得たいなら,私たちの生活を神の要求に沿わせねばならぬと明白に説明することができます。―ダニエル 2:44。

      15 初期のクリスチャンの場合と同じく,今日のヱホバの証者のなす教えが効果的なのは,何によりますか。

      15 今日,教会員は聖書を持つており,多数の人々は聖書の言葉を聞いています。彼らは丁度イエス時代のユダヤ人のようです。そのときのユダヤ人は聖書を持つていて聖句の朗読をしばしば聞きました。しかし,彼らは聖句の意味を悟ることができなかつたのです。イエスと使徒たちが人々を教えたとき,彼らはその教えに驚嘆しました。イエスや使徒たちは,宗教牧師のような教え方をしませんでした。彼らは誠実であつて,自分たちは真理を教えていると知つており,神の聖霊は彼らを助け支えました。(使行 4:13)同じく今日,ヱホバの証者が人々の家庭で宣教を行うとき,彼らは聖書を巧みに用います。適当な聖句を読み,それからその聖句内にある教訓の諸点に特別な注意を惹き,そして現代におけるその適用について註を述べます。彼らは伝道するだけでなく,また神の言葉を教える者でもあります。

      16,17 興味を持たない人に会うとき,どのように宣教を行うべきかについて,聖書はどんなすばらしい助言を与えていますか。このことは私たちの教えることにどんな効果をもたらしますか。

      16 或るサマリヤ人の村で,人々はイエスを快く迎えないことがありました。ヤコブとヨハネは激怒して,こう言いました,『主よ,いかがでしよう。彼らを焼き払つてしまうように,天から火をよび求めましようか。』(ルカ 9:54,新口)イエスは2人を叱りました。私たちはそのことを心にとめるべきです。無関心とか公然とした反対に会おうとも,私たちが興奮してしまう理由はありません。パウロの助言は次の通りです,『主の僕たる者は争つてはならない。だれに対しても親切であつて,よく教え,よく忍び,反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は,彼らに悔い改めの心を与えて,真理を知らせ,一度は悪魔に捕えられてその欲するままになつていても,目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。』― テモテ後 2:24,26,新口。

      17 私たちは,彼らに真理を教える為に遣わされています。峻烈で鋭い言葉が良く教えるということは先ずありません。『心に智恵あれば哲者と称えらる。くちびる甘ければ,人の知識をます。』(シンゲン 16:21)私たちは『飼う者のない羊のように弱り果てて,倒れている』人々を深くあわれみます。(マタイ 9:36,新口)私たちが訪問すると,人々は冷い態度で音信を拒絶するかもしれません。しかし,私たちは立腹しません。「愛は寛容であり,自分の利益を求めない。いらだたない。うらみをいだかない。」(コリント前 13:4,5,新口)人々が真理を受け入れるなら,それは彼らにとつて生命を意味すると,私たちは知つています。私たちは音信を彼らに強制しません。しかし「反対する者を柔和な心で教え導き」ます。ヱホバの証者がこのような愛に充ちる態度を採る故に,幾千幾万という人々は真理を学びました。『智恵ある者の心は,おのれの口を教え,またおのれの口唇に知識をます。』(シンゲン 16:23)賢明であるとき,動機の座である彼の心は,愛によつて動かされます。それによつて,彼の仕える人々の真実の状態に焦点を合わせ,彼らと交際をする際に賢明さを示すことができます。それによつて,或る人々はその人の言う言葉に耳を傾け,なる程と理解し,そして『目ざめて彼(悪魔)のわなからのがれる』でしよう。

      円熟に進歩する

      18 (イ)ヱホバの証者は,善意者に対する真実の愛をどのように表明しますか。(ロ)クリスチャン奉仕者の与える教訓を真実に根づかせる為に,どのような提案が与えられていますか。

      18 ヱホバの証者が正しい羊飼の声に答え応ずる者を見出すとき,仕事は終つたと感じますか。いいえ,感じません。ヱホバの証者はその人を助けて羊飼の羊の群れに交わらせ,クリスチャン円熟に進ませます。毎週,定期的に彼らは訪問して,答え応ずる人と聖書の研究をします。かくして,その人は聖書の命ずることが何であるかを知ります。教えている人は非常な注意を払い,善意者がたしかに学んでいて,要点を理解し,そして円熟に向つて進歩するようにします。すべての人は同じ歩調で進歩しません。しかし,注意深く組織化することにより各人の霊的な進歩は適当な注意を受けます。新しい人を励まして自分の意見を述べさせなさい。『御言葉を教えてもらう人は教える人と,すべて良い物を分け合いなさい。』(ガラテヤ 6:6,新口)註解がなされても,もし理解のある註解でないなら,その点を更に論じ,学ぶ人からもつと多くの註解を引き出して,あなたが真実に教え得る者であると示しなさい。物事を理性でもつて考え,以前に学んだ事柄との関係を見るように,そして答の中にその註解の正しいことを証明する聖句を入れるように教えなさい。重要な点は,忘れることのないようにする為,特に繰り返しなさい。

      19 私たちは正確な知識を善意者に教えるだけでなく,それ以外のどんなものを教えようと努めるべきですか。

      19 この人が真実にキリスト・イエスの弟子になる為には,それ以上のことが必要です。その人は,ヱホバに導きを求めるよう学ばねばなりません。そして,ヱホバをよろこばしたいという熱烈な欲求をつちかわねばなりません。詩篇記者ダビデの見解を認識するよう援助しなければなりません。ダビデは次のように語りました,『汝はわが神なり,われに聖旨をおこなうことを教え給え。恵ふかき聖霊をもて我をたいらかなる国にみちびきたまえ。』(詩 143:10)その人の頭の中に答を得させるということではなく,それ以上にその人を助けて神の律法を心の中に得るように助けねばなりません。『私はこう祈る。あなた方の愛が,深い知識において,するどい感覚において,いよいよ増し加わり,それによつて,あなた方が,何が重要であるかを判別することができ,キリストの日に備えて,純真で責められるところのないものとなり,イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光とほまれをあらわすに至るように。』(ピリピ 1:9-11,新口)たしかに,真理が根づいて,人の心の中に発展するとき,その人は実を結び始めます。―マタイ 13:23。

      20 新しく興味を感ずる人々をどのように準備して,他の者に真理を教えることに参加せしめることができますか。

      20 クリスチャンは或る仕事をせねばならぬと善意者が悟るのに,たいていの場合,長い時間はかかりません。しかし,人によつては心からそうしようと思うまで,他の人よりも長い時間をかける人がいます。すべてのことが直ちに起るのではありません。しかし,良く教える人は,その準備の為に多くのことをすることができます。毎週しばらくの時間を費してヱホバの制度,およびその制度がどのように働くかを知らせなさい。集会について,また集会がどのように司会されるかを知らせなさい。集会に出席するようその人々を招待しなさい。毎週なすあなた自身の家から家の宣教について告げるとき,なぜそうするのかを聖書から簡潔に示しなさい。(使行 20:20)後には,善意者を再訪問したときの励ましとなる経験を語ることもできます。イエスは羊を養えと命じました。再訪問の機会は,そのことを示すものです。(ヨハネ 21:15-17)別の時には,訓練計画について知らせることができます。そして,新しい人々は自分一人で遣わされるのでなく,他の人を援助する資格があると感ずるまですこしづつ愛の援助を受けると知らせなさい。野外奉仕について初めて語つたときに,人々を奉仕に招待せねばならぬという風に感じてはなりません。それについて準備をしなさい。すべての取り極めが心の中にはつきり判つてくるにつれ,そして又あなたとの研究から,それらの人々は他の人々も学ばねばならぬという,緊急な必要性を悟り始め,それに参加したいと欲するでしよう。知識にもとづく愛は,自分の学んだ事柄を他の人々に告げるときの恐れを取りのぞきます。そして恐れを抱く代りに,ヱホバに仕えてヱホバへの感謝を示そうという燃えるがごとき欲望を持つでしよう。―ヨハネ第一書 4:18。

      21 いまどんな仕事は是非とも為されねばなりませんか。

      21 世界のあらゆる場所において,良いたよりを教える者は緊急に求められています。あなたはクリスチャンとして教える資格を持つていますか。あなたはクリスチャンの幼年期から進歩し,教える者になる為の段階を取つていますか。あなたは,他の人を援助して真理を学ばせ,神の新しい世における生命を得させる為に,あなたの今持つている真理と能力をよろこんで用いる御気持がありますか。もしそうなら,今は奉仕という神の与え給うた特権に参加すべき時です。宣教に新しい者であろうと経験を積んだ者であろうと,それに参加するとき,テモテ前書 4章16節(新世)に記録されている助言に従いなさい,『自分自身と自分の教えに絶えず注意を払いなさい。』

  • 物質による解決は不適切
    ものみの塔 1959 | 1月1日
    • 物質による解決は不適切

      「大戦後の人道主義」の中で,W・マツクネイル・デイクソンはこう書いています。『毎日疲れはて,徹夜して物質を追い求めることにより,私たちの精神的苦しみをやわらげたりいやそうと試みても,それは失敗に終るだけである。いかに寛大にまた献身的に与え行われても,うえた者は食物以上のものが要り,貧しい者は家以上のものが要り,貧民は衣服以上のものを必要とする。偉大な真理を受け入れる日は近づいている。すなわちいままでの宣言の中で一番大きな宣言すなわち,「人の生くるはパンのみによるにあらず」という偉大な真理である。この真理が受け入れられることによつてのみ,またその時はじめて,文明という名にふさわしい,文明の基礎石が置かれるであろう。』

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