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    ものみの塔 1979 | 10月15日
    • エホバの家に対する熱心

      『あなたの家に対する全き熱心がわたしを食い尽くした』― 詩 69:9,新。

      1 西暦29年の春にどんな強力な音信がふれ告げられましたか。

      それは西暦29年の春のことでした。ユダヤの荒野に,らくだの毛の衣服をまとい,革の帯を腰に締めた,人目を引く人物が現われました。バプテストのヨハネです。彼の口から出る,心を打つ知らせを聞いてご覧なさい! こう言っています。「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」。バプテスマを受けに来た人々の中には,サドカイ人やパリサイ人も少なくありません。ヨハネは,それら宗教的偽善者たちのうぬぼれをくじくのに,言葉を手加減することなどしません。「まむしらの子孫よ」と彼らに言います。そして,これからこようとしている王が聖霊と火とでバプテスマを施すこと ― 小麦のような人々は集められて保存され,無価値なもみがらのような人々は火の裁きを受けて永久に滅びることを明らかにします。―マタイ 3:2-12。

      2 その王はどのようにそれを明らかにされましたか。

      2 やがて季節は秋となり,指名された王が現われます。ヨハネはその完全な方にバプテスマを施し,その時神の霊がはとのようにその方の上に下ります。そして,「これはわたしの子,わたしの愛する者であり,この者をわたしは是認した」と宣言するエホバご自身の声が天から聞えてきました。―マタイ 3:13-17。

      3 (イ)西暦30年の春にはどんな挑戦的な言葉が響き渡りましたか。(ロ)神の油そそがれた者は,その父の家に対する熱心をすでにどのように表わしていましたか。

      3 再び春がめぐって来ました。西暦30年の春です。過ぎ越しの祭りも終わりました。そしてガリラヤでもう一度あの挑戦的な言葉が響き渡ります!「あなたがたは悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」。(マタイ 4:17)この王国をふれ告げる者はだれでしょうか。それはほかでもない,油そそがれた王自身です。その王が今や近づいたのです。彼は,過ぎ越しの祭りでエルサレムにいたとき,神の崇拝を金もうけの種にしようとしていた商人たちをエホバの神殿から追い出して,義に対する愛を表明しました。この人の弟子たち,つまりイエスの弟子たちが,次のことを思い出したのはそのときでした。それは,詩篇作者がイエスについて『[エホバの]家に対する全き熱心がわたしを食い尽くした』と書いていたことです。―詩 69:9,新。ヨハネ 2:13-17。

      祈りと活動に熱心

      4 イエスは,父のみ名の正しさを立証することに対する深い関心をどのように示されましたか。

      4 イエスはエホバのみ名と評判を守ることにいつも熱心でした。そのみ名があがめられるように,すなわち神聖なものとされるように祈ることを,弟子たちに教えました。(ルカ 11:2)また,弟子たちと別れる前のエホバへの祈りの中で,次のように言われました。「わたしはみ名を彼らに知らせました。またこれからも知らせます。それは,わたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり,わたしが彼らと結びついているためです」。(ヨハネ 17:26)父のみ名にふりかかっている非難がすべて取り払われるのを,つまりその正しさが立証されるのを見ることに,深い関心を抱いておられました。

      5 (イ)イエスの宣教は何を焦点としていましたか。(ロ)イエスはその外のどんな有益な目的のために来られましたか。

      5 開拓者であるこの奉仕者は世界をゆるがす音信を携えてきました。(ヘブライ 2:10; 12:2と比較してください。改訂標準訳)イエスの王国伝道はダイナミックなものでした。イエスは弟子たちに,「あなたの王国が来ますように」とその王国を祈り求めることもお教えになりました。イエスはガリラヤのある山の上で,その同じ時に,ご自分の話を聞いていた者たちに,物質的な事柄だけに心を集中しないよう,むしろ『神の王国と神の義を求めつづけるように』と助言されました。(マタイ 6:10,19-21,24-34)イエスは人類に仕えるためにこられました。イエスは人類の将来の王なのです。イエスがこられたのはまた,「自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるため」でもありました。(マタイ 20:28)イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせる人はみな,王国の領域の中で永遠の命を見いだします。―ヨハネ 17:3。

      6 イエスはどこでどのように,そしてどんな模範的な態度で伝道されましたか。

      6 それはなんと輝かしい「良いたより」だったのでしょう! イエスはそれをパレスチナ全土に宣べ伝えることに従事されました。山腹で,個人の家で,会堂で,神殿で,海辺で,また人々の集まる他の場所で宣べ伝えられました。a またいやしの奇跡を行ない,ご自分の王国で,この地上の人間全部をどのようにいやすかを示されました。こうしてイエスは,全地球的パラダイスの中で,人類の命を完全なものに戻されるのです。そのことは次のように記録されています。

      「イエスはすべての都市や村を回る旅に出かけて,人びとの会堂で教え,王国の良いたよりを宣べ伝え,あらゆる疾患とあらゆる病を治された。また,群衆を見て哀れみをお感じになった。彼らが,羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されていたからである。そこで,弟子たちにこう言われた。「確かに,収穫は大きいですが,働き人は少ないのです。それゆえ,収穫に働き人を遣わしてくださるよう収穫の主人にお願いしなさい』」。(マタイ 9:35-38)

      「働き人」を求めるその祈りはどのように聞き届けられたでしょうか。

      『収穫のための働き人』を増やす

      7 (イ)十二使徒は彼らの業をどのように行なうべきでしたか。(ロ)彼らはふさわしい人々をどこで見つけましたか。

      7 イエスご自身が,12人の弟子を教えまた送り出すことによって,その必要を満たすべく働きを開始されました。弟子たちはどのように彼らの仕事を行なっていくべきだったでしょうか。彼らの主人が示した熱意と同じ熱意をもってしなければなりませんでした。「どんな都市または村に入っても,その中にいるふさわしい者を捜し出し,去るまではそこにとどまりなさい」と,主人は彼らに言いました。それには弟子たちが人々の家に行く必要がありました。そうすれば「ふさわしい」人々は自宅で「良いたより」を聞きます。またそれらの弟子たちは夜泊まる所を見つけることができます。しかし中には彼らを快く迎えない町もあることでしょう。そこでイエスは言われました。「どこででも家の中に入ったなら,そこにとどまり,そののちそこを去りなさい。そして,どこでも,人びとがあなたがたを迎えないところでは,彼らへの不利な証しとして,その都市を出るさいにあなたがたの足のちりを振り払いなさい」― マタイ 10:11-15。ルカ 9:1-6。

      8 (イ)家庭訪問が行なわれたことを,さらに何が示していますか。(ロ)当時,そして現在でもそうですが,家の人の親切な態度は,どのようにその人の祝福となる可能性がありましたか。

      8 十二使徒を親切に迎えた人々は,エホバからみ子を通して祝福を受ける側に身を置きました。イエスが弟子たちに次のように言っておられた通りでした。

      「あなたがたを迎える者はわたしをも迎えるのであり,わたしを迎える者は,わたしを遣わしたかたをも迎えるのです。……そして,弟子であるということでこれら小さな者のひとりにほんの一杯の冷たい飲み水を与える者がだれであっても,あなたがたに真実に言いますが,その者は自分の報いを決して失わないでしょう」。(マタイ 10:40-42)

      現代においてもよくあるように,当時も,家の人の温和で思いやりのある態度は,永遠の命の見込みを伴う霊的祝福を受ける道を開くものとなりました。―マタイ 25:34-40と比較してください。

      9 70人はどこで収穫活動を行ないましたか。彼らにはどんな二つの目的がありましたか。

      9 しかし,収穫のためにさらに多くの働き人を訓練する必要がありました。そこで「主はほかの七十人を指名し,行こうとしておられるすべての都市と場所へ,自分に先だってふたりずつお遣わしに」なりました。彼らが会堂や市場に行ったかどうかは記録されていません。しかし彼らは人々の家に行くように指示されました。「どこででも家の中に入ったなら,まず,『この家に平和がありますように』と言いなさい。そして,平和の友がそこにいるなら,あなたがたの平和はその人の上にとどまるでしょう。しかし,いないなら,それはあなたがたのもとに戻って来るでしょう」とイエスは彼らに言われました。弟子たちは,「良いたより」に耳を傾ける家の人のもてなしを感謝して受けるべきでした。しかし,もし家の人,または一つの町全体が音信に注意を向けようとしないなら,人々に少なくとも「神の王国が近くに来たということを覚えておきなさい」という警告を与えるべきでした。こうして彼らは,今日エホバの証人が従うことに努めている手本を残しました。喜んで彼らを迎える家の人には教え,そして「良いたより」を鼻であしらう人々には来たるべき神の裁きを警告するという,二つの面を持つ業を彼らは始めました。―ルカ 10:1-16。

      10 どうすれば今日のエホバの証人も70人の経験した喜びを見いだせますか。

      10 記録によると,「七十人の者は喜びながら帰って来」ました。イエスの名前を使うと悪霊たちが服したからでした。しかしイエスは,むしろ天に行く見込みと霊的に啓発されたこととを弟子たちは喜ぶべきであると言われました。(ルカ 10:17-24)同じように今日でも,人々の家で教えまた宣べ伝えることに身を費やす人々は,自分と神との関係ゆえに,そしてエホバの目的を知っているゆえに,さらには「良いたより」を他の人々にふれ告げる自分の努力にエホバの祝福があるゆえに,大いに喜ぶ理由があります。

      「聖霊による喜び」

      11 新しいクリスチャン会衆は迫害に対してどのように反応しましたか。

      11 場面は変わって西暦33年のペンテコステ以降となります。「良いたより」をふれ告げる責任はそっくり,新しく形成されたクリスチャン会衆の肩にかかっていました。クリスチャン会衆はたちまち迫害に見舞われます。しかしその迫害は,エホバの主権を擁護しキリストによる王国を宣べ伝える,というクリスチャン会衆の使命に対する認識を一層深めさせたにすぎませんでした。ペテロとヨハネは,「わたしたちとしては,自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません」と,大胆に宣言しました。彼らは他の信者たちと共にエホバをたたえ,「主権者なる主……天と地と海とその中のすべてのものを作られたかた」としてエホバに祈願しました。―使徒 4:18-24。

      12 使徒たちは迫害に直面してどんな模範的な立場を取りましたか。結果はどうなりましたか。

      12 迫害の波が再度彼らを襲ったとき,宗教的最高議会の前で,彼らは次のように大胆に証言しました。

      「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません。わたしたちの父祖の神はイエスをよみがえらせました。あなたがたが杭に掛けて殺したかたをです。神はこのかたを主要な代理者また救い主としてご自分の右に高めました。それは,イスラエルに悔い改めを,また罪のゆるしを与えるためです。そして,わたしたちはこれらの事の証人であり,聖霊もまたそうです。神はそれを,支配者としてのご自分に従う者たちにお与えになりました」。(使徒 5:29-32)

      主権者なる主エホバおよびその主要な代理者イエス・キリストを支持する点で不屈の態度を維持する限り,使徒たちは彼らの伝道と教える業を助ける聖霊を有していました。

      13 クリスチャンはどのようにして今日に至るまで「聖霊による喜び」を保っていますか。

      13 その危機の間は,食物や他のささいな事柄で争っている時間などありませんでした。隊伍を固めて,外敵に対し共同戦線を張らねばなりませんでした。それを行なった彼らは,使徒パウロが後ほど書いた事柄,すなわち「神の王国は……義と平和と聖霊による喜びとを意味している」ということを経験しました。(ローマ 14:17)エホバの主権と王国を大胆にふれ告げ,一方で正しい原則を兄弟たちと力を合わせて擁護するクリスチャンたちは,今日に至るまで聖霊の助けとその業における喜びを約束されています。―マタイ 25:21と比較してください。

      『たゆみなく続ける』

      14 「語るのをやめるように」と命じられましたが,弟子たちは神から与えられた使命をどのように続行しましたか。

      14 「良いたより」は燎原の火のように広がっていました。使徒たちの喜びと熱意をくじくものは何もありませんでした。「彼らをほっておきなさい」という律法学者ガマリエルの賢明な忠告がいれられたとき,彼らは「[キリストの]名のために辱しめられるに足る者とされたことを喜びつつ,サンヘドリンの前から出て行った」のです。「イエスの名によって語るのをやめるように」というサンヘドリンの命令に彼らはどう反応したでしょうか。記録によると,「彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明しつづけ」ました。―使徒 5:38-42。

      15 わたしたちの仕事のいくつかの面は異なっているかもしれませんが,使徒たちの残した手本に従ってどんな基本的な活動を続けることができますか。

      15 わたしたちもその使徒たちと同じく,自由のあるところでは「良いたより」を受けるにふさわしい人々を「家から家へと」探して歩きます。そういう人が見つかると,重ねて訪問し,無料の家庭聖書研究を通して援助します。もちろん,わたしたちが今日行なっている業のある面は異なっています。それは神殿や会堂に行って伝道しないという点です。また今は,助けになる印刷物や,業を容易にする自動車その他の交通手段があります。したがって家庭訪問は,音信が印刷されているものを配布し,「良いたより」に反応する人々のところへまた行って神の言葉を教えるのに非常によい方法です。

      『差し控えたりしない』

      16 (イ)パウロはどんな所で証しをし教えましたか。(ロ)わたしたちが今日行なっている家から家に証言する活動と同様の家庭訪問をパウロが行なったことは,どんなことからわかりますか。

      16 使徒パウロは公の伝道においても立派な模範を示しました。会堂で,市場で,川の土手で ― ユダヤ人や他の人たちがいて話ができるならどこでも ― パウロは証しをしました。エフェソスでは学校の講堂で二年間,新しい「弟子たち」に毎日話をしました。(使徒 16:13; 18:4; 19:9)そして後日彼は,エフェソスの会衆の長老になった人々にこう言いました。「アジア地区に足を踏み入れた最初の日から……なんでも益になることをあなたがたに話し,また公にも家から家にもあなたがたを教えることを差し控えたりはしませんでした。むしろ……徹底的に証しをしたのです」。だれに対して? 最後に長老になった人たちだけにですか。そうではありません。パウロはさらに,「神に対する悔い改めとわたしたちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に」証しをしたと述べています。ですから,悔い改めや信仰などの初歩の教えを知る必要のあった新しい人々も,パウロがエフェソスに来て最初の日から始めた『公の,また家から家の』宣教奉仕で教えた人々の中に含まれていました。―使徒 20:18-21; 18:19; 19:1-7。ヘブライ 6:1と比較してください。

      17 (イ)いろいろな聖書の翻訳が,ギリシャ語のカト オイクースを「家から家に」と訳出していますが,そのように訳した根拠はどこにありますか。(ロ)パウロの言う『徹底的な証し』は,クリスチャンの行なう証しにどんなことが含まれることを示していますか。

      17 この「家から家に」という句はギリシャ語,カト オイクースの訳です。他にも訳し方はありますが,多くの有名な翻訳聖書にこの表現,すなわち「家から家に」が用いられています。b それはギリシャ語の前置詞カタに「配分」の意味があるからです。(ルカ 8:1 ―「都市から都市」,「村から村」,また使徒 15:21 ―「どの都市にも」― に見られるカタの同様の用法と比較してください。)したがって,パウロの『徹底的な証し』が家々に次々と配分された,と言えるかもしれません。聖書学者のA・T・ロバートソン博士は,使徒 20章20節に関して次のような意見を述べています。

      「家々(に従い)で。この最も偉大な伝道師が家から家に伝道し,それを単なる社交的な訪問に終わらせなかったということは,注目に値する」。

      パウロが「徹底的に証しをした」ように,クリスチャンは今日も,霊的なものを求める傾向のある人々を探し,その人々の家を重ねて訪問し,関心を持つ人々と一緒に勉強します。その後,必要があれば,忠実な監督たちが訪問してその人々を導きます。c

      18 パウロとその仲間が家から家に宣べ伝え教えることを差し控えなかったのはなぜですか。

      18 パウロや当時の他のクリスチャンたちが,家から家に宣べ伝え教えることを『差し控えるべきでなかった』理由は十分にありました。当時は危険な時でした。ユダヤ教の事物の体制の滅びは急速に近づいていました。ローマの皇帝は偶像崇拝を奨励していました。ですから,「神々への恐れの念を厚くいだいて」いた人々は,「世界とその中のすべてのものを作られた神」,すなわち「どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを」当時「人類に告げて」おられた神を求めることが,緊急に必要でした。―使徒 17:22-31。

      19 (イ)家から家への証言も,他の証言活動と同じく今日極めて緊急に必要とされているのはなぜですか。(ロ)「引き続き信仰にとどまる」ことに熱心であるならば,どんな結果になりますか。

      19 戸別訪問,非公式の証言,再訪問,定期的な家庭聖書研究などによる『徹底的な証し』は,今日においても急を要します。使徒パウロの時代と同じく,「良いたより」が「天下の全創造物の中で宣べ伝えられた」ことは事実です。しかし「大患難」の前にさらに徹底した努力を払う必要があります。使徒パウロがコロサイのクリスチャンたちに告げたように,わたしたちはみな,「引き続き信仰にとどまり,土台の上に堅く立って揺らぐことなく……良いたよりの希望からそらされないでいる」ことが必要です。―コロサイ 1:23。マタイ 24:21。

      20 魂をこめて家から家へ宣べ伝えることは,今日どのように保護となりますか。

      20 ローマ帝国の全盛期におけると同じように,今日でも世の圧力は,クリスチャンたちを不敬虔な人々のいわゆるレクリエーションや不道徳な行ないという快楽にふけらせることをねらいとしています。彼らは,「神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者」―「永遠の滅びという司法上の処罰を」まさに受けようとしている者たちです。(テサロニケ第二 1:6-9)わたしたちの保護は,パウロや当時の他の熱心なクリスチャンすべてと同じように働くことに,また「主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持」つことに,「人にではなくエホバに対するように魂をこめて」働くことにあります。(コリント第一 15:58。コロサイ 3:23)一世紀の会衆の使徒パウロや他の人々が残した手本に従って,公にそして「家から家に」働くことや,他の人々が「神に対する悔い改めとわたしたちの主イエスへの信仰」について学ぶように『徹底的な証し』をすることには,大きな満足と喜びがあるのです。(使徒 20:20,21)こうして奉仕するときにわたしたちは,『エホバの崇拝の家に対する熱心がわたしを食いつす』という,わたしたちの主人について言われた言葉が,わたしたちにも常にあてはまることを願ってやみません。―ヨハネ 2:17。

  • 不法の世にあって宣べ伝える
    ものみの塔 1979 | 10月15日
    • 不法の世にあって宣べ伝える

      「また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。しかし終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:12-14。

      1 今日,世界では不法がどの程度はびこっていますか。(テモテ第二 3:1-5)

      今日の不法の増加ぶりはどうでしょう。世界の多くの場所で,法と秩序をべっ視する傾向ははなはだしく,いわば大洪水の域に達しようとしています。ほとんどの大都市で犯罪が横行し,町を歩くのももはや安全ではなくなりました。近年になって多数の政府が革命で転覆し,国によっては,内部における造反と外部からの脅威に対して一分のすきもなく武装しているところもあります。共産主義の世界にさえ,ナショナリズムが社会主義的“一致”に優先するため,種々の困難があります。

      2 不法はキリスト教世界の多くの教派にどのように浸透しましたか。

      2 キリスト教世界はどうでしょうか。今の時代に関するイエスの預言通り,『不法の増加』はキリスト教世界の多くの教派に破壊的な影響を与えました。法と秩序を正しく重んずることを奨励する聖書を,今多くの人は「時代遅れ」と考えています。何事にも甘い現代社会に迎合して,不道徳や同性愛,不正行為などを大目に見,そうすることによって多数のまがいのクリスチャン,「神の王国を受け継がない」クリスチャンを生み出している教会は数知れません。―マタイ 24:12。コリント第一 6:9,10。

      3 不法の者はどのようにしてクリスチャン会衆に入り込もうとしましたか。そのような人々についてイエスは何と言っておられますか。

      3 不法の者たちは,わたしたちの主の『約束された臨在』はこの時代にあるのではないと主張して,真のクリスチャン会衆にまで入り込もうとしました。彼らは長老たちをあざけり,主人が地上における王国の関心事をつかさどらせるために「忠実で思慮深い奴隷」を任命したことに異議を唱えます。(ペテロ第二 3:3,4。マタイ 24:45-47)この種の人たちは,マタイ 7章15-23節に記録されている,イエスが警告した人々の中に含まれます。「羊のおおいをかぶってあなたがたのもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。……[その日には]わたしは彼らにはっきり言います,わたしはいまだあなたがたを知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」。

      4 わたしたちはどんな特質を養うように励まされていますか。またそれをどのように実証できますか。

      4 しかしイエスは本当に「羊のような」人々については,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」と言われました。わたしたちはどうすれば,自分にこの忍耐という資質のあることを実証できるでしょうか。それはイエスの次の言葉の成就にあずかることによってです。「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:13,14)「王国のこの良いたより」をふれ告げることにおいて忍耐するとき,わたしたちは救いを得るでしょう。

      5 (イ)わたしたちはひとりで働くのではないと,どうして言えますか。(ロ)今どんな裁きがだれによって行なわれていますか。

      5 わたしたちはこの仕事をひとりでするのではありません。というのは,この「事物の体制の終結」に関するイエスの預言にはさらに,「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります」とあるからです。目に見えない天からイエスは裁きの業を導き,それによって諸国民を,「羊飼いが羊をやぎから分けるように」分けるのです。この分ける業は「大患難」で頂点に達し,良い反応を示さない「やぎ」は去って「永遠の切断にはいり」,従順な「羊」は,「世の基が置かれて以来」彼らのために父が備えておられる王国を受け継ぐよう招かれます。―マタイ 24:3,21; 25:31-46。

      6 (イ)「羊」と「やぎ」はどんな方法で,自分がそういうものであることを示すことになりましたか。(ロ)わたしたちの家から家への奉仕にみ使いの導きがあることは,しばしばどのように示されましたか。

      6 では,「羊」と「やぎ」は,自分がそういうものであることをどのように示すのでしょうか。それは,霊で油そそがれた王の「兄弟」と彼らの仲間が地上で行なう証しの業,「地の最も遠い所にまで」達する業の結果として明らかになるのです。(使徒 1:8)この業の主要な部分は,地球全体にわたる家から家への伝道活動です。この活動の結果として,霊的な事柄の価値を認めてそれに反応を示す人々が出てきます。そのことは,「羊」級に対して王が言われた,「わたしがよそからの者として来ると,あなたがたはあたたかく迎え」てくれた,という言葉によって示唆されています。(マタイ 25:35)王は,彼らがご自分の「兄弟」を迎えることを自分にされたものとみなされるのです。それは霊的な事柄に注意を払わないかたくなな人々の応対と対照的です。この分ける業は確かにみ使いの指導の下に推進されてきました。(マタイ 25:31,32)そしてそれと関連して,「良いたより」をふれ告げる際にみ使いの助けがあります。というのは,ある誠実な人が神に助けを祈り求めたら,早くもエホバの証人がその人の家の戸口に立っていた,ということが非常によくあるからです。そしてまた,ある家庭が霊的な援助を一番必要としている時に,エホバの証人が妙なことからその家庭を訪問するということも,なんと多いのでしょう! わたしたちは,無数の天のみ使いの支持があることを知っているのですから,家から家へ熱心に宣べ伝えてふさわしい人々を探し出すことをやめないようにしたいものです。

      一世紀の手本に従う

      7 (イ)初期のクリスチャンたちが,「公にも家から家にも」熱心に証言していたことは,どんなことからわかりますか。(ロ)初期のクリスチャンたちと現代のクリスチャンたちとを,ほかのどんな点で比較することができますか。

      7 初期のクリスチャンの間では,牧師と平信徒の区別はありませんでした。主イエス・キリストを信じていた人々は,教会堂の信者席に座るだけの人たちではありませんでした。彼らは活動する人々で,「公にも家から家にも」証しすることに熱心に従事しました。(使徒 20:20)彼らは文字通り『エルサレムを彼らの教えで満たし』,良いたよりを「天下の全創造物の中で」宣べ伝えたのです。(使徒 5:28。コロサイ 1:23)彼らが成功したのは,歴史家のE・アーノルドが自著「初期のクリスチャンたち」の中で述べているように,「彼らの共同体の中の最も無学な成員たちでさえ,彼らにゆだねられた真理を広める使者だった」からです。今日でも同じでなければなりません。次のパウロの言葉は信仰を持つすべてのクリスチャンに当てはまるからです。「人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです」。そしてその結果として多数の人が「良いたより」を聞いています。「実に『その音は全地に出て行き,そのことばは人の住む地の果てにまで行った』」からです。―ローマ 10:10,18。

      8 キリスト教世界の宗教と真のキリスト教との間にはどんな著しい対照が見られますか。

      8 真のクリスチャンの預言的な音信と,キリスト教世界の形式的な説教との間にはなんと大きな相違があるのでしょう! 歴史家H・G・ウェルズはこの相違を自著「世界文化史」の中で次のように指摘しています。

      「この十分に発展した[西暦325年の]ニケアのキリスト教と,ナザレのイエスの教えとの間にある深刻な相違については,読者の注意を喚び起こす必要があろう。……いずれにしてもはっきりしていることは,ナザレのイエスの教えがヘブライの予言者とともにはじまった新しい型の予言的教えであった,ということである。……そして唯一つの組織は説教者の団体であり,その主な仕事は説教であった。ところが四世紀になってすっかり羽の生えそろったキリスト教は……すでに数千年も昔の世界から馴染みになっていた型の祭司的宗教になったのである。……こうして助祭とか,長老とか司教とかの組織は急激に発達していったのである」。

      真のクリスチャンたちは今日における彼らの預言的教えとして,樹立された王国についての貴重な良いたよりを有しています。この良いたよりは,終わりが来る前に,『あらゆる国民の中でまず宣べ伝えられねば』ならないものです。―マルコ 13:10。

      9 1919年に始まった家から家へのどんな奉仕が今日まで継続され,成功していますか。

      9 現代におけるこの「良いたより」の伝道は,1919年9月5日,アメリカはオハイオ州のシーダー・ポイントで開かれた大会で新しい「黄金時代」誌の発行の企画が発表された後,一段と勢いを得ました。この雑誌は現在,「目ざめよ!」という聖書的な名称で呼ばれています。(ローマ 13:11)同誌は,その大会でものみの塔協会が発表したある特別な業のために用いられる道具となりました。

      「黄金時代誌活動は,我らの神の報復の日と嘆く者への慰めとをふれ告げる王国の音信を携えて家から家に行く運動である」。

      「目ざめよ!」誌を,そしてまた「ものみの塔」誌を携えて家から家に行く活動が,「良いたより」を人々に定期的に伝えるための大切な手段の一つであることは今日に至るまで,変わっていません。

      10 活動に対して心を鼓舞するどんな呼びかけが1922年に行なわれましたか。家から家への活動はどのように組み込まれましたか。

      10 エホバの証人の家から家への奉仕は,1922年に開かれた二番目のシーダー・ポイント大会からさらに勢いを得ました。この大会では,活動への忘れ得ぬ呼びかけが響き渡りました。

      「バビロンが跡かたもなく荒廃するまで戦いに前進しなさい。音信を遠く広く述べ伝えなさい。世界は,エホバが神であり,イエス・キリストが王の王,主の主であることを知らねばなりません。今日こそ,あらゆる時代のうちで最も重大な日です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなたがたは王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」。

      その大会のうちの一日は,グループで家から家に証言することに当てられ,一万冊の書籍が王国伝道者たちによって配布されたということです。今日に至るまで,大会で設けられる戸別伝道の特別プログラムは,大会出席者たちの喜びをいっそう増し加えるものとなっています。

      『いなご』の軍は進む

      11 (イ)家から家に宣べ伝える業に携わるエホバの証人の大群は,聖書では何になぞらえられていますか。(ロ)この“いなご”の活動は(1)僧職者に対して,(2)心の正直な人々に対して,どんな影響を及ぼしましたか。

      11 こうして1920年代から1930年代にかけて行なわれた家から家への精力的な証言は,さながらキリスト教世界を通過するいなごの災いのようでした。啓示 9章7-10節に,「いなごのすがたは戦闘の備えをした馬に似ていた。……彼らの翼の音は,多くの馬に引かれる兵車が戦闘に走り行く音のようであった。また,彼らには尾と,さそりに似た針があ(る)」と描写されている通りでした。熱心な証人の「強大な」軍隊が,間違った教理や偽善的な宗教的慣習を暴露しながら,キリスト教世界の都市という都市,町という町を通過しました。僧職者はしばしばこれに刺されて盛んに反対をはじめました。その“いなご”の群れは,エホバのみ名を辱める者すべてに対するエホバの近づきつつある報復の日を予告し,また神の主権の下に回復されて楽園となる地球についての喜びのおとずれをもって,心の正直な人々を慰めました。―イザヤ 61:2。

      12 (イ)この「終わりの日」は,ひとりで悦に入っているようなときではありませんが,それはなぜですか。(ロ)“いなご”の大軍に関するヨエルの言葉はエホバの証人の活動にどのようにあてはまりますか。

      12 この「終わりの日」はひとりで悦に入っているような時ではありません。(テモテ第二 3:1)神の預言者ヨエルは,「エホバの日が来るから,それが近いからである」と,はっきり述べています。(ヨエル 2:1,新)この日は,偽りの宗教家にとっては憂うつと苦悩の日となりますが,神を愛する人々は今,「山々の上に広がったあけぼのの光」のような霊的啓発を受けて喜ぶことができます。(ヨエル 2:2前半)彼らは“いなご”の大軍のように,王国の音信を家から家に携えて行きました。神の預言者は彼らの熱心な活動を,次のような印象的な言葉で描写しています。

      「数が多くて強大な民がいる。そのようなものは無窮の過去からいまだ存在したことがなく,その後にも代々の年月を重ねるまで二度とない。その前方では火がなめ尽くした。その後方では炎が焼き尽くす。その前方において,地はエデンの園のようである。が,その後方は荒れすさんだ荒野である。それから逃れ得た物もなかった」。(ヨエル 2:2後半,3,新)

      確かに,油そそがれたそれらエホバの証人のような霊的軍隊はかつて存在したことはありませんでした。彼らはバビロン的宗教の誤りをあばき,その活動領域のエデン的外観を完全に荒廃させながら,しかしまた「良いたより」を受け入れる家庭には祝福をもたらしながら,地の全域を行進してきました。エホバ神はヨエルを通してこの証人のことを次のように言っておられます。

      「力ある者たちのように彼らは走る。戦人のように城壁を登る。……家々の上に彼らは登る。窓から盗人のように入り込む。……そしてエホバ自ら必ずその軍勢の前に声を上げる。その陣営には非常に多くの者がいるからである。彼の言葉を遂行する者は強大なのである。エホバの日は大いにして,まことに恐るべきものなのである。だれかその下でこらえ得よう」。(ヨエル 2:7-11,新)

      天の無数のみ使いたちに守られて,その霊的“いなごたち”は戸別訪問を推進しました。普通の人たちが彼らの言うことを喜んで聞きました。『エホバの恐るべき日』が近づいているからです。―「宗教」,6,7章(西暦1940年,英文),および「ものみの塔」誌,1939年6月15日号から7月15日号までの,「宗教の運命」(英文)という記事をご覧ください。

      13 どんな“馬”が今日“いなご”の軍隊の用いる手段となっていますか。その結果どんな大々的な家から家への証言がなされましたか。

      13 預言者ヨエルはこの“いなご”の軍隊が,戦闘の備えをした「馬」のように,多くの戦車に似た音をたてて走っているところを見ました。(ヨエル 2:4-6,新)「家から家へ」と宣べ伝えながら霊的な戦いを推し進めるこれら世界的王国宣明者はいかにも大軍です。そしてヨハネの幻はさらに,万の二万倍 ― 200,000,000 ― の数に上る騎兵隊を構成する,乗り手を乗せた馬について述べています。(啓示 9:16-19)これらの馬は,エホバの裁きの宣明に役立つ強力な手段となっています。そしてこれらは,“いなご”の群れが戸別訪問活動を行なってきた年月の間に配布した幾億にも上る聖書や書籍や雑誌に,なんとよく似ているのでしょう。(『その時,神の秘義は終了する』第17章をご覧ください)1978年だけでも彼らは,啓示 7章9-17節の「大群衆」と共に,2億1,670万9,937部の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を家々に配布しました。“いなご”の軍隊の家から家への伝道は,確かにすばらしい証言を行なっています。

      増し加わる迫害

      14 ヨエル書 2章7節は,禁令下のエホバの証人の活動にどのようにあてはまると思われますか。

      14 真理の敵はこの伝道活動を阻止することを試みてきました。多くの国では,国家主義の支配者たちが,この“いなご”の仕事を禁止しました。王国を宣べ伝える活動に対して「城壁」を設けようとしました。しかし“いなご”の軍隊はそのような城壁を「戦人」のようによじ登ります。活動が禁止されている幾つかの町では,地元の関心を持つ人々が証人たちに加わり,好意的なことがわかっている人々の家に証人たちを案内しました。時には,一つのブロックの中の一軒か二軒の家で証言し,別のブロックに移って同じことを繰り返すこともあります。多くの場合聖書だけで証言します。別の国では証人たちは,非公式に効果的な業をつづけていますが,再び自由に家から家へ行けるように,制限を加える足かせが砕かれる日を切に待ち望んでいます。

      15 アメリカ最高裁判所は,わたしたちの戸別伝道を支持してどんな態度に出ましたか。

      15 第二次世界大戦中,アメリカの僧職者たちは,エホバの証人の戸別伝道活動を禁止させようとしてあらゆる手を使いました。しかし,アメリカ最高裁判所は多くの場合に次のことを認めました。すなわち,この戸別伝道活動は,宗教活動の自由,言論および出版の自由という憲法上の保証によって支持されているということです。同裁判所は,1943年5月に行なわれたマルドック対ペンシルバニア州事件において多数を占めた意見として,エホバの証人の活動の聖書的根拠に注意を引き,次のように述べました。

      「彼らはパウロの模範に従って『公にも家から家にも』教えているのだ,と主張する。使徒行伝 20章20節。『全世界に出て行って,すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ』という聖書の命令を文字通りに受け取っている。マルコ伝 16章15節。……種々の教派は今日この種の福音伝道の方法を大規模に利用しており,それぞれの派の文書頒布者たちが幾千幾万もの家に福音を携えて行き,じかに訪問して,信者を得ることに努めている。それは宣べ伝えるだけのことではなく,また宗教文書を配布するだけのことでもない。両者を組み合わせたものである」。

      確かに“いなご”の軍隊と彼らの仲間は,敵が家から家への業に反対して築こうとした法律の城壁を乗り越えました。

      全世界で「家から家に」

      16 (イ)いま全世界でみ使いのどんな活動がありますか。(ロ)キリスト教世界の宣教者たちの“宣教”方法はなぜ成功しませんでしたか。

      16 イエスはたとえ話の一つを次のように説明されました。「畑は世界です。……収穫は事物の体制の終結であり,刈り手はみ使いたちです」。(マタイ 13:38,39)使徒ヨハネもこの「終わりの時」のみ使いの活動を幻で見ました。ですから次のように書いています。

      「わたしは別の使いが中天を飛んでいるのを見た。彼は,地に住む者たちに,またあらゆる国民・部族・国語・民に喜ばしいおとずれとして宣明する永遠の良いたよりを携えており,大声でこう言った。『神を恐れ,神に栄光を帰せよ。神による裁きの時が到来したからである。それゆえ,天と地と海と水のわき出るところとを作られたかたを崇拝せよ』。また,別の,ふたりめの使いがそのあとに従って,こう言った。『彼女は倒れた! 大いなるバビロン,あらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた者は倒れた』」。(啓示 14:6-8)

      神の王国の支配に関する永遠の良いたよりと,迫り来る偽りの宗教の世界帝国の崩壊とを,どうすれば全人類に知らせることができるでしょうか。いわゆる“異教”の国々に入り,学校や病院や救済センターを建て,自分たちのところへやってくる“ライス・クリスチャンたち”に,ことのついでに説教するというような,キリスト教世界のやり方でできるものでしょうか。そのような方法では決して成功しません。成功したためしがありません。それに,幾世紀にもわたって銃砲の密輸入や植民地戦争の片棒をかついできたキリスト教世界の宗教は,多くの非キリスト教国のどこに行ってもあまり尊敬されていません。

      17 エホバの証人の宣教者たちはどんな方法を用いてきましたか。どんな結果を得ましたか。

      17 天のみ使いたちは,近年になって,それとは大きく異なる宣教奉仕を指導してきました。1943年からエホバの証人は,特に全世界で働く宣教者の養成を目的として,ものみの塔ギレアデ聖書学校(最初の所在地は,アメリカ,ニューヨーク州,サウス・ランシング)を運営してきました。宣教者たちは次々に送り出されました。それは「公にも家から家にも」宣べ伝え,家庭聖書研究を司会し,関心を持つ人々を集めて新しい会衆をつくるためでした。この「家から家に」公に宣べ伝える奉仕は成功したでしょうか。確かに成功しました。1943年には,12万6,329人のエホバの証人が54の国や領土の至るところで,6,310の会衆に属して奉仕していました。35年後の1978年には,205の国に218万2,341人の活発なエホバの証人がおり,4万2,255の会衆に組織されていました。

      18 (イ)家から家への証言は今日重要ですか。あなたがそう答える理由を述べてください。(ロ)裁きの業と関連した自分たちの役割を,エホバの民はどのようにみなすべきですか。(ハ)最終的結果として確かに幸福になるには,何をしなければなりませんか。

      18 神による「裁きの時」が足早に近づいているので,国内伝道者や外国人宣教者の皆さんによって行なわれているこの家から家への活動も,その終わりに向かって急がねばなりません。(啓示 14:7)今日,多くの人は「やぎのような」気質を示すかもしれませんが,あなたの区域の中には,待っている「羊」がまだいます。あなたが勇敢に戸別訪問活動をつづけるとき,天のみ使いたちは,あなたがそれらの「羊」のところへ導かれるように配慮するでしょう。王位についておられる王キリスト・イエスが審判者です。わたしたちは裁きの業に関連して一つの役割を演ずる特権を与えられた,取るに足りない僕にすぎません。そして『公にも家から家にも徹底的に証言する』ことによってその役割を果たすことができます。(使徒 20:20,21)まもなくキリスト教世界および世界中の不法の都市は「実際に崩壊し,住む人もいなくなり」ます。そのときには,「ここに私がおります。私を遣わしてください」と言ってエホバへの奉仕の召しに応じた人々は,本当に幸せを感じるでしょう。―イザヤ 6:8-11,新。

  • 家から家へ伝道した人々
    ものみの塔 1979 | 10月15日
    • 家から家へ伝道した人々

      1956年のこと,エホバの証人の二人の全時間伝道者が米国ケンタッキー州のプリンストンという,エホバの証人の住んでいない小さな町で業を行なうよう割り当てられました。区域を効果的に網らするためにプリンストンに住んだほうが有利なのは明らかでした。二人には車もなく,また,自分たちが泊めてもらっていたあるエホバの証人の住む遠くの町から通うのは大変なことだったからです。ではどのようにして宿泊する場所を決めたのでしょうか。

      いつもの通り,二人は神の王国の良いたよりを伝えながら家から家を回ったのです。ある程度の関心を示す人に出会うと,その地域社会の人々のためにより効果的に聖書教育活動を行なえるよう,滞在する場所を必要としていることを説明しました。しかし残念なことに,どこの家にも二人を泊める空き部屋はありませんでした。

      その王国の全時間宣明者の一人ケーティ・ウィリアムズは,最近ある巡回大会でこう説明しました。「そろそろ日が暮れようとしていました。そのときわたしたちは,奉仕していた通りの端にある最後の家にやって来ました」。その家の婦人に自分たちが聖書の研究生であることを伝え,その活動がどのようなものかを簡単に告げた後,ケーティとその仲間は下宿を捜していることを説明しました。

      それを聞いて婦人は,「聖書を研究している方々がいらしていて,泊る場所をお探しのようですけれど」と,主人に向かって大きな声で尋ねました。

      「聖書を研究している人だって?」と主人は聞き返してから,「中に入ってもらいなさい。我々はそういう人たちを必要としているんだ」と言いました。温かく迎えられて二人の若い女性は幾分戸惑っていました。すると,その婦人は,「あなた方に手伝っていただいて,うちの会衆に刺激を与えたいのです」と言いました。

      やがて二人は,その婦人の主人で,70歳くらいのフランク・ワットリーがその土地のバプテスト派の牧師であることを知りました。「余りにも温かく歓迎されたので,滞在するようにとの招きを受け入れることにしました」とケーティは説明しました。後日フランクが二人に語ったところによると,本当は二人を自分の宗教に改宗させようとしていたのです。

      最初の日の朝から,ケーティとパートナーは聖句を討議して一日の活動を始め,ワットリー家の人々にも一緒に座って討議に参加するよう勧めました。老夫婦はすぐにその勧めを受け入れました。ある朝討議されたのは,「罪を犯している魂,それが死ぬ」という,エゼキエル 18章4節(新)の聖句でした。

      「何だって? 魂は死ぬと言うのかね」とフランクは尋ね,「ちょっと待ちなさい。このことはもっと調べてみる必要がある」と言いました。こうしてワットリー夫妻との定期的な聖書研究が始まりました。魂に関する聖書の教えを納得した後,「霊魂不滅説をもう二度と会衆に教えることはできない」とフランクは言いました。そこでこの夫婦は教会を離れ,ケーティとそのパートナーと共に家から家の伝道を始めました。しかしそれだけではありませんでした。

      フランクの以前の会衆の成員の多くが彼らと聖書の研究を始めたのです。やがて,ワットリー家で集会が開かれるようになり,さらに集まる人が増加したため,集会所として店を一軒借りることになりました。まもなく,ワットリー夫妻を含め多くの人がバプテスマを受けました。別の町に住むあるエホバの証人が集会を司会するために来てくれました。やがてエホバの証人の新しい会衆が設立されました。

      集会所が手狭になったとき,フランクが,「会衆に敷地を寄付したい」と申し出ました。やがてその場所に王国会館が建てられました。フランク・ワットリーは死ぬまでエホバの忠実な証人としての立場を守りました。また,ケーティ・ウィリアムズは開拓奉仕を始めてから32年目になる現在でも,定期的に家から家へ伝道を行なっています。

  • 家から家の証言活動に対する識者の見解
    ものみの塔 1979 | 10月15日
    • 家から家の証言活動に対する識者の見解

      背教の町エルサレムに裁きを行なう時が到来したとき,エホバは預言者エゼキエルに幻を与えられました。エゼキエルはその幻の中で亜麻布を着て筆記者のインクつぼを持った一人の男の人を見ました。エホバはこの男の人に次のような命令を与えられます。「市の中を,エルサレムの中を通り行け。そして,その中で行なわれているあらゆる忌むべき事柄のために嘆息し,うめいている者たちの額に印を付けねばならない」。是認の印を受けた人々は滅びの際に危害を加えられずにすみましたが,それ以外の人々はすべて滅ぼされました。―エゼキエル 9:2-11,新。

      今日それと同様の,印を付ける業が行なわれており,それによって,キリスト教世界に見られる偽善や腐敗や流血の罪を悲しんでいるのはだれか,永遠の命の見込の伴う,真のクリスチャンの人格を身に着ける意志のある人々はだれかということが明らかにされています。キリスト教世界の領域の至る所で,印を付けるこの業を行なっているのは,「亜麻布を着た人」として描かれている級の指導の下に働くエホバの証人で,それは家から家に「王国のこの良いたより」を伝える活発な運動によってなされています。(マタイ 24:14。使徒 20:20)人々はこうした証言運動をどのように受け止めてきたでしょうか。

      エゼキエルの時代と同様に,ある人々は真のクリスチャンであることを示す印を喜んで受けてきました。一方,その音信に激しく反対してきた人々もいます。またエホバの証人とその伝道方法に対して賞賛の言葉を述べた人々もいます。例えばカトリックの司祭ジョン・A・オブライエンは,ニューヨークの聖ヨセフ神学校で約200人の司祭を前にして次のように語りました。

      「改宗者を得るにも,信仰を捨てた教会員を立ち直らせるにも,個人的な接触に勝るものはない。これは巧みで,思いやりの深い,よく訓練された,呼び鈴を押す使徒によって行なわれている。聖パウロの著しい成功の秘けつは,改宗者を得るために家々を訪問する,という方法を根気強く用いたところにある。使徒たちの用いた方法をカトリック以外の諸宗派,とりわけエホバの証人が用いているのは皮肉なことである。おびただしい数に上るその改宗者は我々カトリック教徒を恥じ入らせる」―「ザ・モニター」誌,1961年7月7日号。

      カトリックの司祭J・S・ケネディはエホバの証人について書いた際に,同様の観察を言い表わしています。

      「改宗者を得るために彼らの行なう戸別の運動は徹底的なものであり,決して中断されることはない。……その熱意と自己犠牲には考えさせられて然るべきである」―「日曜日の訪問者」,1962年6月3日。

      もっと最近では,スペインの宗教指導者の一会議において次のようなことが語られました。

      「[諸教会は]エホバの証人たちが明らかに最重要視しているもの,すなわち原始キリスト教会の使徒たちの用いていた方法の一部を成す家庭訪問を,極端に軽視していると言えるかもしれない。教会のやることは礼拝堂を建てたり人々を引き付けるために鐘を鳴らしたり集会所の中で説教したりすることだけに終わってしまう場合が多いが,[証人たちは]使徒たちの取った方法に従って,戸別訪問を行ない,あらゆる機会を捕らえて証言している」― コロンビア,ボゴタの「エル・カトリシスモ」誌,1975年9月14日号。

      伝統的な諸宗教は人々が自分たちの所へ来るのを待っているのに対して,エホバの証人はイエスや使徒たちの模範に従って人々のもとへ出掛けて行きます。そして,禁令や迫害下にあっても,キリストの初期の追随者と同様に「良いたより」を宣明し続けるのです。それら初期の追随者たちについては次のように言われています。

      「エルサレムにあった会衆に対して激しい迫害が起こった。使徒たちのほかはみなユダヤ,サマリア地方全域に散らされた。しかし,散らされた人びとは,みことばの良いたよりを宣明しながら全土をまわった」― 使徒 8:1,4。

      その当時も,神の王国の伝道をやめさせることは不可能でした。

      世界的な規模で

      現代には,第二次世界大戦までにキリスト教世界で広範囲にわたる証言活動が行なわれました。1943年以降,ニューヨーク州サウス・ランシングにあるものみの塔ギレアデ聖書学校で訓練を受けた宣教者が各地に派遣されるようになって,この証言活動は大いに拡大されました。宣教者たちは次々に様々な国で徹底的な家から家の伝道活動を繰り広げ,多くの家庭聖書研究を司会して引き続き人々を援助しました。結果はどのようなものでしたか。米国ノースウェスタン大学の宗教史の教授は,1950年にすでに次のようなことを書いています。

      「エホバの証人は地上をその証言活動で文字通り満たしてしまった。……確かに,王国の良いたよりを広めるためにエホバの証人ほど熱意や粘り強さを表わしている宗教団体は世界中に一つもないだろう。……この運動は恐らくますます勢いを増してゆくだろう」― C・S・ブレイデン著,「この人々もまた信じている」。

      ほかにもエホバの証人の宣教活動を研究してきた人々がいます。こうした学者の一人である,英国オックスフォード大学オールソールズ・カレッジのブライアン・ウィルソン教授は日本を訪れ,エホバの証人の信者の「最近の急激な増加」と同教授の呼ぶ状況について研究しました。その研究結果は1977年1月号の「ソーシャル・コンパス」誌に発表されましたが,そこには次のような興味深い所見が載せられています。

      「証人たちは,結婚関係,道徳上の問題,子供の教育,その他の日常的な問題について権威ある言葉で広範囲にわたる実際的な助言を与えている。……証人たちは確かな助言として[親たちに]提供できるものをたくさん持っているが,それは聖書の中で確証されている助言であり,一つの目的に支配される首尾一貫した人生哲学にまとめ上げられている……さらに証人たちの提供する助言には,だれに対しても平等に,その土地の文化的先入観に捕らわれずに与えられるという特徴がある。証人たちが助言を提供する際,そこには恩着せがましい態度は見られず,特権もなければ偏見もない。その助言には妥協を許さない強さがある。……その宗教がもたらす有益な結果のためだけに,ものみの塔の宗教を選ぶ人はいない。子供のしつけに関するその教えは,昔のカトリックやプロテスタントの伝道団が原住民を改宗するために使った米のようなものとはみなせない」。

      現在日本では,4万8,000人以上のエホバの証人が神の王国の壮大な希望を家から家へ宣べ伝えています。これらエホバの証人のうち東京に住む377人を対象にウィルソン教授が行なった調査によると,そのうちの58.3%は家から家の訪問を通して関心を持つようになったのに対して,34.3%は親族や友人,知人から最初に証言を受けていることが分かりました。ですから,このような宣教の分野において家から家の訪問がいかに効果的であるか認識できます。また,教授はインタビューした人々に対して,最初にエホバの証人のどんなところに引き付けられたのかと尋ねましたが,典型的な答えは次のようなものでした。

      「証人たちの親切な態度」。「宗教特有の形式尊重主義的なにおいや誇示するようなところがない」。「証人たちの温かさやきちょうめんさ,人を助けたいという願い,証人たちの間に見られる良い関係に引き付けられた」。「最初に話しかけてきた伝道者の物腰や人柄」。「会衆内に見られる特質」。「これほど柔和な人がいることを知って驚いた」。「証人たちの丁寧な話し方に感銘を受けた。1973年の大会に出席したときには,その組織の一致に感銘を受けた。よく訓練された兵士を見ているように思えた」。「人々は互いに愛を示し合っており,親切だった。そして集会に喜んで出席しており,自分たちの生活に聖書の原則を当てはめようと誠実に努力していた」。「エホバの証人の間に見られる愛と温かさ」。

      再び話を西欧世界に戻して,「U・S・カトリック」誌,1979年1月号に掲載されたある記事について考慮してみることにしましょう。それはウィリアム・J・ホエイレンによって書かれたもので,「エホバの証人: 基本的な旅に出る」という題が付けられています。また,「戸別訪問による宗教は功を奏するか」という問いがその副題となっており,その後にエホバの証人の歴史と活動が偏ぱなく論じられています。筆者は結論として次のように語っています。

      「今から百年前,一人の青年[チャールズ・テイズ・ラッセル]は衣料店をやめ,聖書に関する自分の理解を人々に教え始めた。それ以来,幾百幾千人もの人々がエホバの意志であると自ら理解する事柄を否定するより,むしろ死を選んできた。輸血を受けるより,自分の命や子供の命を危険にさらすことを選んだ者もいた。刑務所や強制収容所で幾年も過ごした者も少なくない。

      「1962年にエホバの証人に関する研究を終えたとき,わたしは次のような所見を述べた。『新世社会の熱が突然さめてしまうということは考えられない。ハルマゲドンが間近に近付いていようがいまいが,幾百万とまでは行かなくても,幾十万という人々がそう信じて毎日生活している』。ハルマゲドンがなおも前途に控えているが,今日のエホバの証人の数は当時の二倍を優に超えている。あらゆる兆候から判断して,今後十年間にものみの塔協会はさらに二倍の規模に拡大するであろう」。

      ここに引用した著述者の意見によると,「戸別訪問による宗教」は確かに功を奏していると言うことができます。しかし,何にも増して重要なのは,エホバの民の上に注がれているその霊と祝福なのです。―ゼカリヤ 4:6。ヨハネ 14:15-17。

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