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戸別伝道は一番効果を収めるものみの塔 1957 | 10月1日
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戸別伝道は一番効果を収める
現代人は,いろいろな方法で他の人に影響を及ぼし,自分の考え方に従わせることができます。ラジオ,テレビ,印刷物があります。しかし何が有効的なことかといつて,ヱホバの証者が何年も何年も使つてきた,家から家の訪問の方法に匹敵できるものは他にありません。
現代のヱホバの証者達は,この方法を用いることについての誉を取ろうとしません。というのは,彼らがそれを始めたからではないのです。彼等はただ,19世紀以上も以前に使徒の残した前例に従うだけです。それですから,こう書かれています,『毎日,宮や家で,イエスがキリストであることを,引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。』使徒パウロも同じ方法をつかいました。『あなたがたの益になることは,公衆の前でも,また家々でも,すべてあますところなく,話して聞かせ,また教えた。』― 使行 5:42; 20:20。新口。
しかし,長年のあいだキリスト教国の牧師は,説教壇に固着していて,人々の家に入るということは,ラジオやテレビを通してだけでした。彼らは家から家への伝道を軽蔑するばかりでなく,何度も,証者達を戸別伝道に従事している理由で拘引する手助けをしてきました。このため,証者達の時間は随分無駄になり,そして費用の多くかかる裁判所の戦いをすることになりました。しかし最後には合衆国の最高裁判所の場合と同じく,諸国家の裁判所は,繰返し,家から家への伝道は商売目当ての行商ではなく,説教壇の上からの説教に示されると同じ斟酌を与えると判決しました。
さて,これ等の事のあつた後のいま,事態はどうですか。キリスト教国の指導的な代弁者達は,家から家への伝道を賛成するようになつたのです!
その様な者の一人は,1957年,2月3日付の日曜日の訪問者(英文)に投稿している,カトリック司祭のジヨン・エー・オブライエンです。『聖パウロ,家から家への販売人』と言う見出しで,オブライエンはこう述べました。
『聖パウロは人々を救いに入れる為,あらゆる処で,いろいろな方法を用いた。……使徒行伝の中で,家から家へと行つたパウロの習慣について,二度にわたつてルカが述べていることは,特に意味深いことである。クリスチャンの気持をかき乱して,キリストへの改宗者を得ようと努めたパウロは,家から家へ行きつづけた。パウロはこれを行いつづけることを,弟子達に操り返し語つた。そして,この方法で信仰をひろめる熱心な努力が,初期クリスチャンにより,広範囲に行われた……。
『この手法でパウロは,あらゆる生活,民族,国民からおびただしい数の改宗者を得ることができたが,信仰をひろめる為のこの家から家の方法はどうなつたか。おかしなことに,又,皮肉なことにこの手法はカトリック間で廃止されてしまつた。そして諸宗派,特につけたりの宗派によつて熱心にとりあげられてきている……。
『この家から家への方法を最も組織的に使用してきた宗派は,ヱホバの証者である。この国のどの村落地方,村,町,市も,この不思議な宗派の使者の訪問を,すくなくとも1回受けない家は殆んどない。その結果は? 彼等はとびぬけて多くの増加を成し遂げている。』
それからオブライエンは,ニュー・ヨーカーから引用しています,『合衆国の他の254の宗派の過去25年間の合同した会員数は,75パーセント増加であるのに,証者達はずつと跳び越えて,2300パーセント増加を得ている,すなわち,他のものの結合したものより31倍の活潑な歩速のわりである。』オブライエンは続けて,
『この驚くべき増加の原因は何か。それは証者達の燃える如き伝道の熱心が原因である……彼等が会員を徴募する時に,頼る根本的手法は,家から家の訪問である。これを彼等は成育したすべての男女の会員に求める……。何千人の証者達は,諸家族を教訓する為に,1週に数夜,その家族の家々で過す。彼等の指導者達は,彼等が奉仕者であつて,新改宗者(新人)を教えることによつて,証言をしなければならないと語る。それで,彼らよりも何倍も多い会員数を持つ宗派より,彼らの方がもつと多い奉仕者のいることを誇りとしている。
『証者達は唯見込みのありそうな処だけを尋ねる様な,選り好みはしない。彼等は1軒,1軒どの家も,牧師の家さへも行く……。この様にして,ケベックのカトリックの勢力の強い地方でも,証者によつてほとんど,どの家も訪問を受けた。』
しかしカトリックの代弁者ばかりでなく,新教の者も,家から家の伝道の重要性に目覚めてきました。広く読まれている合衆国日曜新聞の増刊,パレード(英文)は,1956年,7月8日の新聞で,コネティカット州,南ノーウオークのメソジスト派の少年少女達が,他の10歳台の者達を宗教に興味を持たせる為,家から家の伝道に行つた事を述べました。
しかし,最も驚くことは,福音説教者ビリー・グラハムの証言です。それは,1957年,2月27日,クリスチャン・センチユリー誌(英文)に出版された,一牧師の手紙の中に記されました。彼は,ニユー・ヨーク州,バッファローのグラハム運動が意図した結果といわれるものを論評し,600人のキリストの帰依者のうち,たつた30人だけが旧教又,新教の各派にも属してなかつた事を明かにしました。彼はひきつづき,『この十字軍につかつた費用の合計は6000弗を優に越す。この額はビリー・グラハム十字軍チームの取扱つたお金と,それに加える地方出費は含まれていない。これがはたして効果的な福音説教なものだろうか,疑問に思われる。訪問福音説教は,グラハム式の伝道よりずつと効果的なものであると,宣教師会議でビリー・グラハムは語つたのである。
『訪問福音説教』即ち家から家の伝道は,ビリー・グラハム式のよりずつと効果的なのに気をつけて下さい。聖書的な家から家の伝道方法が,宗教を伝道する最も効果的な方法であると認められます。オブライエンによると,平信徒も使徒パウロの方法を用いなければなりません。しかしパウロのなした様にカトリックの牧師はその模範を示していますか。それは期待しすぎることでしようか。
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副会長と共に世界周遊ものみの塔 1957 | 10月1日
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副会長と共に世界周遊
沖縄
第二次世界大戦で一躍有名になつた歴史的な島である沖縄に来るのは,台湾の台北からわずか1時間40分の飛行時間です。飛行機は台湾の北部の山上を9000フィートの高度で飛び,眼下に雲の海を見ながら進みました。後に,日本に行く途中に立ち寄るこの地に近づくにつれて美しい島々が見えて来ました。沖縄時間で午前11時45分頃,飛行機は着陸しました。この那覇の飛行場に沖縄会衆の人々が約20人集まつて,ものみの塔協会の副会長と日本の支部事務所からの地域の僕の短い途中下車を気持良いものにしようとしていました。この日本の支部事務所は沖縄に霊的な監督を行つています。沖縄会衆の人々が飛行場に居れば良いがと,私たちは希望していましたが,その期待は外れませんでした。約1時間にわたつて,多くの国籍の人々で成り立つこれらの暖い心を持つ兄弟たちと共に過しました。この兄弟たちは,その島区域ですばらしい証言を行つています。大多数の御国伝道者は沖縄で生まれた人々で,昨年の12月には20名を数える会衆の伝道者は野外奉仕で一人平均92冊の雑誌を配布しました。また最近3人の沖縄人の主婦は正規開拓者になり,神の御国の全時間宜明に大きなよろこびを見出しています。
日本の東京と京都
午後1時すこし前に,フランズ兄弟と地域の僕エドリアン・トムソンは再び飛行機に乗りしまた。3時間位の後,靄のかかつた夕方の空を背景として,雪をかむつた富士山が遠くに見えてきた時,私達はひどく興味をそそられたものです。しかし私達の飛行機が富士山と真向いの点に到達する前に飛行機は冬空に煙を出す三原火山のある大島の上をとびます。日の沈み方が早いので富士山はだんだん暗くなつていく空の中に,影絵の様にのこります。私達の飛行機が着陸して,世界で最も近代的な空港の一つである東京の国際空港の前にとまつたのは,午後5時を過ぎた頃です。約3時間の後,この二人の旅行者は他の飛行機で再び高く飛び,遠くまでひろがつている日本の首府の夜の灯を下に見ながら,西南方にある大阪へと急ぎます。この大阪は,人口約350万でこの国の商業の中心地です。この都市には沢山の川や橋がありますので,『日本のベニス』として知られています。1時間30何分かとんでから私達は大阪空港に着き,そこには日本の支部の僕と地域の僕の妻がよろこびの色をみせて私達を出迎えに来ていました。この遅い時間までには,北に50マイル離れた京都におけるヱホバの証者の国家大会は,大会1日目を終り,証者と善意者とで386名が出席しました。これは3日間の週中に行われた大会です。もつとくわしく云うなら,1月22日-24まで,火曜月から木曜日までの大会です。
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