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  • だれが本当にとがめられるところのない人ですか
    王国宣教 1976 | 1月
    • だれが本当にとがめられるところのない人ですか

      1 『監督の職をとらえようと努めている』兄弟たちに賛意を表わして手紙を書いた時,使徒パウロはテモテに思い出させています。『監督はとがめられるところのない人であるべきです』。(テモテ第一 3:1,2)しかし,この資質が求められているのは監督だけではありません。聖書の同じ本の中で,会衆の他の成員もまた,とがめられるところのない人となるよう強く勧められています。(テモテ第一 5:7)しかし,とがめられるところのないとは一体どういうことを意味しますか。

      2 大切なことは,わたしたちの振舞いは単に個人的な事柄ではないということをわたしたちすべては認識しなければならないということです。わたしたちの行なうことは,わたしたちの家族,会衆そして神のお名前に影響を及ぼします。わたしたちはエホバとその民に誉れとなるように行動すべきです。正しい振舞いについて話すだけでなく,各人は「りっぱな業の手本」となるべきです。(テトス 2:6,7)そのようにする代わりに,ある人々は,ユダヤ人の会衆の成員がイエスに対して行なったように,人が行なったことを誤解したり,あら探しをしたりします。(ルカ 7:34,35)しかし,パウロの勧めの中にある考えはその人に対して根拠のある非難をすることはできないということです。

      3 もちろん,わたしたちのうち罪のない者はいません。調べてみればわたしたちはみな欠点を持っており,的をはずしています。(ヨハネ第一 1:8)しかし,わたしたちは神のみことばの要求に従ってゆく面で何か重大な失敗をして,戒めを受けるといったことがあってはなりません。(ガラテア 5:19-21を参照)わたしたちは生活のすべての事柄において聖書の原則を誠実に適用するよう努力すべきです。あなたはそうしておられますか。家庭において,あるいは親族の間でそうしておられますか。職場においてまたレクリエーションにおいてはどうですか。あなたの生活の仕方は他の人があなたを,キリストに見ならっている人だと認識するようなものですか。―コリント第一 11:1と比較してください。

      4 キリストに見ならう際,わたしたちが携わる活動だけでなく,わたしたちが示す精神にも注意が払われるべきです。それで,監督や奉仕のしもべたちを含むフィリピの会衆にあてて手紙を書いた時,使徒パウロはこの点で「何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく,むしろ,他の者が自分より上であると考えてへりくだった思いを持」つことによりキリストに見ならう者となる必要のあることを強調しました。―フィリピ 1:1; 2:1-8。

      5 しかしもし人がそうしないならどうでしょうか。気質が大変強くて他の人としばしば論理的に話し合えないような人がいます。そのような人が討議に加わると,その人は闘争的で,兄弟たちとことばの上で争っているというはっきりした印象を与えます。その人は自分自身をあまりにも高く評価しているので,他の人を軽べつした見方をしがちです。その結果,その人の意見は考えを結び合わせることに役立たず,生じている問題に関しはっきりした分裂を起こすものとなります。もちろん,すべての人が同じ方法で自分を表わすわけではありません。他の人よりもっと力強い人がいます。しかし,闘争と分裂は神のことばによると「肉の働き」として分類されています。(ガラテア 5:19,20)そうしたことをならわしにする人はだれでもとがめられるところのない人ではありません。

      6 先に参照されたテモテ第一 5章7節の記述で,パウロは自分たちと身近な関係にあるやもめたちを世話することにおいて,真実のクリスチャンはとがめられるところのない人となるべきだといっているのです。しかし,もちろんそのような同じ高い標準はわたしたちの生活のあらゆる面に適用されるべきではありませんか。わたしたちの周りの世界が何を行なおうと,わたしたちすべてはとがめられるところのない者でなければなりません。どのようにですか。「命のことばをしっかりつかんで」,わたしたちのことばと行ないの両方により常に「命のことば」を支持することによってです。―フィリピ 2:14-16。

  • 提案されている話し方
    王国宣教 1976 | 1月
    • 提案されている話し方

      12月21日の週の奉仕会プログラムは役立つでしょう。使徒 17:26; ゼカリヤ 14:9の二つの聖句あるいはその一つを用いてごらんになりませんか。

  • 野外奉仕に参加する
    王国宣教 1976 | 1月
    • 野外奉仕に参加する

      1 今日野外奉仕に参加する必要は緊急なものですか。その通りです。『弟子としなさい』との命令は,西暦の初めごろにそれが与えられて以来,いかなる時代にも増して現在,力強いものです。なぜなら聖書は近づきつつある「大患難」で滅ぼされる人々は永遠に滅んでしまうことを示しているからです。(テサロニケ第二 1:9)それでわたしたちの情況や会衆内での特権がどんなものであっても,わたしたちすべては他の人々がエホバとの正しい関係に入ってくるのを助けるよう努力すべきです。―マタイ 28:19,20。

      2 野外奉仕に効果的に参加するためには,良い計画を立てることが必要です。もしできるなら,毎週都合の良い時に定期的に参加すべく時間を取っておくのは有益です。良い予定はあなたがさらに多くを成し遂げるようにするのを助けますし,あなたが定期的であることは,共に働く他の人々に励ましの源となります。もしあなたが普通は週中だけ奉仕に参加なさるなら,多分事情を時々調整して,週末に長老の一人あるいは他の方と奉仕を共にすることにより益を得ることができるでしょう。

      3 会衆内の長老たちには牧羊の業においてなすべきことが多くあります。しかし長老たちはまた,「群れの模範」となるべきであり,それには野外奉仕で率先することが含まれます。(ペテロ第一 5:3)それで長老たちは牧羊の業と野外の活動に平衡を保ち,それぞれにふさわしい配慮を示すよう努力すべきです。わたしたち各人は,もっとも注意が必要とされていることよりも,むしろやさしく思える事柄を選ぼうとする傾向があるかもしれないので,平衡は必要です。

      4 しかし牧羊の業を怠ることなく野外の活動に率先できるでしょうか。ある長老たちは励ましを必要としている伝道者と野外で一緒に働く取り決めを設け,戸口から戸口に歩く時,彼らに助言を与えるようにしています。このようにして牧羊の業と家から家の業をうまく合わせています。他の人は週末に牧羊の業と野外奉仕を交互に行なうかもしれませんし,一時間ほど群れと共に家から家で働き,それから伝道者たちを訪問します。いろいろな方法がありますが大切なことは野外奉仕に率先すると共に,牧羊の業にも励み,両方の活動で平衡を保つことです。

      5 そうです。今こそ,人々が警告を無視してもあるいは反応を示して,弟子になるとしても人々に聞かせることに十分にあずかるべき時です。(エゼキエル 33:7-9)この緊急なそして意味のある業は大きな祝福をもたらします。(コリント第二 9:6)そのような活動の結果,神の王国の熱心な擁護者は自分自身と会衆とが霊的に強められていることに気付くでしょう。

  • 発表
    王国宣教 1976 | 1月
    • 発表

      ◆ 野外での提供 1月から4月まで: 3冊の小冊子または見本の雑誌を添えて「ものみの塔」の1年の予約を1,000円の寄付で。関心を示す方には,「ものみの塔」,「目ざめよ!」の両方の1年の予約を2,000円で勧めることができます。

      ◆ 1月8日号の「目ざめよ!」誌は予約運動期間中たいへん効果的に用いることができるので,協会は各会衆に正規注文数の20パーセントを「余分」として,代金を請求せずに送ります。お用いください。伝道者,開拓者には通常の価格で手渡すことができますが,この分に関しては開拓者払い込みを請求なさらないでください。

      ◆ 現在書籍研究で用いている「とこしえの目的」の書籍はだいたい4月末ごろまでに研究し終えるよう司会者は計画してください。

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