-
支部の手紙王国宣教 1978 | 9月
-
-
支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
2月上旬から7月上旬にかけて全日本の57の巡回区で一連の巡回大会が開かれました。7万7,458人が出席し,1,660人がバプテスマを受けました。一年前の同様の大会には7万1,171人が出席したことを考えると,実に一年間に6,000人以上がエホバの霊的食卓に連なるよう招かれているのです。エホバは箱船で予表された霊的パラダイスの戸をご親切に開いたままにしておられるので,人々は引き続きそこに逃れくることができるのです。わたしたちが手をゆるめて,事実上戸を閉じてしまったり,人々が霊的パラダイスに入るのを遅らせるようなことがあってはなりません。神の愛ある目的に調和して勤勉に働き続けましょう。
9月から再び新しい一連の巡回大会が始まります。是非それに出席し十分に益を得ていただきたいと思います。巡回区の数は9月から62になります。
6月にも伝道者の数は引き続き最高数を得ることができました。4万4,894人で昨年の平均を12%も上回るものです。このうち1万1,707人が開拓奉仕に参加したのです。国中の伝道者4人に1人以上が開拓奉仕を行なっているのは賞賛すべき努力です。伝道者も開拓者も引き続き,りっぱな開拓者精神を保って奉仕に励みましょう。
神奈川県海老名市での新しいベテルの建設はどのように進展していますか。暑い夏の日を浴びながら兄弟たちは熱意を込めて働いています。建設の仕事に携わる約90人の一時的ベテル奉仕者に加えて,近隣の諸会衆から毎日数十人の兄弟姉妹がお弁当を持参して自発奉仕に参加してくださっています。多い時には1日に297人もの方が仕事を手伝ってくださっています。ベテル建設のために喜んで労力を提供してくださる方々,また寛大に金銭を寄付してくださったり,貸し付けをしてくださっているすべての方々,それにこの建設がエホバのご意志通り行なわれるよう日夜祈りをささげてくださるすべての方々に,わたしたちは心から感謝したいと思います。
心からの愛とあいさつをお送りします。
みなさんと共に働く,日本支部の兄弟たち
-
-
福音宣明により他の人々に接する王国宣教 1978 | 9月
-
-
福音宣明により他の人々に接する
1 地上におられた時,福音宣明の業を強く心にとめておられたイエスはこう言われました。「わたしは…神の王国の良いたより[福音]を宣明しなければなりません」。(ルカ 4:43)それで,イエスは福音宣明の業に携わって,良いたよりを広めることに一日のうちの多くの時間をささげました。休息や食物を求めておられた時にも,関心を抱いた人に天の父について教えるためにはそのどちらも喜んで後回しにされました。(マルコ 6:31-34)そのような態度は他の人々に接するのにどれほど助けになったことでしょう。
2 福音宣明の業にあずかることに対し,パウロもイエスと同じ態度を表わしました。それは果たさねばならない責務であると彼は感じていました。(コリント第一 9:16)あなたも,福音宣明の業に携わるさし迫った必要を同じく感じておられますか。パウロは,この業を成し遂げるために自分の「魂」を喜んでささげました。(使徒 20:24)割り当てられた福音宣明の業を行なう際,そのような態度はわたしたちに大きな助けとなるに違いありません。
3 福音宣明の業を行ない,真理を求めている人々に達する方法はいろいろあります。イエスは家庭で人々に個人的に接触するよう努められました。(マタイ 10:11-13)また,町から町へ,村から村へと行かれました。(マタイ 9:35)パウロは「市の立つ広場でそこに居合わせる人びと」に証しをしました。(使徒 17:17)また非公式の一群の人々にも証言しました。(使徒 16:13)フィリポは道で旅の途中の人に証言しました。(使徒 8:26-30)また,アンデレは自分の親族に証言しました。(ヨハネ 1:40,41)それで,わたしたちにはならうべき優れた模範がたくさんあるのです。
4 毎日を過ごす際,みなさんもだれかに良いたよりを伝える機会を見いだすことでしょう。買物の途中で高い物価のことから話が始まるかもしれません。昼休みのくつろいだ時間に職場の同僚と交わす会話が良いたよりの証言に変わることもあるでしょう。若いみなさんには学校で休み時間や放課後に友達に良いたよりを分かち合う機会があります。もちろん,日常の立派な振舞いも証言する一つの方法です。それによって感銘を受ける人々がわたしたちに近付いてほめ言葉を述べたり,質問や疑問を尋ねるとき,証言の機会がさらに開かれます。―テトス 2:14。
5 ガソリンスタンドに立ち寄ったり,食堂やレストランに入る時にも,店員に証言する機会があるかもしれません。散髪をしてもらっている間に証言して,ついにはその人がエホバの賛美者として福音宣明に参加するのを見る喜びを味わった人もいます。もしかしたらあなたのかかりつけの医師は喜んで良いたよりに耳を傾けるかもしれません。家に訪問して来る人も多くいます。ご用聞きや配達員,保険の外交員やセールスマンなどの仕事の途中で良いたよりに接した人も数多くいます。また,親せきを訪問したり,親せきのだれかが訪ねて来た時も,優れた証言の機会を供します。
6 また,ひんぱんに網羅されていない区域で働く機会もあります。例えば,会衆によっては田舎の区域に出かけ,そのようにして人々に接することができるかもしれません。また,他の会衆の区域には観光地があり,シーズンにはその地を訪れる観光客に証言できるかもしれません。
7 何らかの公の交通機関を利用する機会があって,バス,電車,あるいは飛行機の中で隣の席にいる人と会話を始めることができるかもしれません。旅行している時,ある人々は,世界情勢や公共のサービスの低下,その他の聖書の会話につながる話題に喜んで耳を傾けるものです。
8 9月中の提供物である「今ある命」の本は福音宣明の業に効果的に用いられるものです。それで,できる時にはどこにでも1,2冊携えて行くようにしてはいかがですか。また雑誌やその他のポケット版の本なども効果的に用いられるでしょう。
9 ですから,真理を求めるすべての人々に接するよう努める時,福音を宣明する多くの機会がわたしたちに開かれているのです。わたしたちには,エホバ神とイエス・キリストから与えられた使命を遂行する務めがあると感じたゆえに,徹底的に証言することに打ち込んだ過去の忠実な人々の模範があります。この業を家から家に行なった人もいれば,市の立つ広場や浜辺,旅の途中の路上で非公式に行なった人もいます。わたしたちも同じようにして,福音宣明の業に携わる喜びを受けることができます。わたしたちの使命はできる限り多くの人々に接することです。この事物の体制に残された時間は限られています。福音宣明の業を確かに成し遂げるため,わたしたちはあらん限りのことをすべきです。
10 では,家族としてまた個人として,家を離れる前にこの業の事を祈りに含めるのは良いことではありませんか。福音宣明においてできる限り多くの人々に接したいとの願いを知らせるなら,エホバは確かにわたしたちの努力を祝福してくださるでしょう。
-
-
集会のための最善の時間を選ぶ王国宣教 1978 | 9月
-
-
集会のための最善の時間を選ぶ
1 わたしたちクリスチャンの集会は,わたしたちの生活様式の一部となっています。そうではありませんか。集会は,霊的な食物,証しの業に対する指示,最良の交わりを受ける機会をわたしたちに与えてくれます。個々の集会が特定の必要を満たす結果,そのすべてが一緒になってわたしたちに平衡のとれた霊的食物を供給してくれます。「集まり合うことをやめたりせず」と述べた時,パウロは上に述べたすべての考えを念頭に置いていたに違いありません。(ヘブライ 10:25)どんな仕方であれ集会を軽んじるなら,「命のことばをしっかりつかんで」いる手をゆるめる結果になりかねません。(フィリピ 2:16)終わりの時のこの最終部分にあっては,それは災いとなりかねません。―ルカ 21:34-36。
2 献身したわたしたちの時間を最も賢明に用いるのは道理というものです。(コロサイ 4:5)このことは集会を開く時間を決めることについても言えます。集会の時間を選ぶにあたって,わたしたちの思考を動機づけるべき基本的な要素は何でしょうか。めいめいに好みがあるとはいえ,わたしたちの第一の関心は,兄弟たちや関心を持つ人々の大多数が出席できるような集会時間を選ぶことにあるべきです。第二に,わたしたちは区域の人々の霊的福祉に関心を抱いているのですから,わたしたちが最大の善を成し遂げられるような時間に野外奉仕に参加できるように集会を取り決めるべきです。
3 集会の時間を選ぶにあたっては,土地の状況を常に考慮に入れる必要があります。まれに,三つか四つの会衆が同じ王国会館に集まる
-