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円熟した奉仕者は他の人を助けるものみの塔 1965 | 7月15日
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に訪問することを提案します。研究後のそうした訪問の数を徐々にふやしていくと,その新しい人は,関心のある人々を再び訪問することの重要性を知るようになり,宣教がいかに他の人の益になっているかを直接に見ます。
19 しばらくして奉仕者は,野外奉仕に一緒に行って,宣教がそれと同じ方法で行なわれているのを見るようにその人を誘うことができます。しかしその人が真理に進歩し,また学んできた真理と十分一致していることを示すまでは,宣教をすることをすすめるべきではありません。エホバの組織の教えることと一致しない人を,キリスト教の宣教に誘うのは正しくありません。そういう人がどうしてエホバの組織を代表できますか。伝道するにはまずそのまえに学んで信じなければなりません。イエスは,ご自分の教えと全面的に一致しない者に宣教をさせませんでした。
20 ほかの人が戸口で聖書の話をするのをどのように助けるか説明しなさい。
20 円熟した奉仕者は,新しい人が他の人々の家で聖書の話をできるまでに進歩するよう助けるべきです。その援助は,短かい聖書の話を準備し,それが心にしみこむまで練習することによってなしとげられます。戸別伝道をするとき円熟した奉仕者は,新しい人の聖書の話の仕方について,親切に助言します。いちばん効果的な助言の仕方は,一度に一つだけ弱点を取りあげ,どうすればよいかを実際に示します。進歩するにつれ,戸口で,ひとりで聖書の話をするように励まします。こうした忍耐強い愛のこもった方法によって人々は,神の沈黙の崇拝者以上のものになることを教えられます。
宣教の目的を達成する
21 エホバの証者の行なっている伝道は,クリスチャンの宣教の目的をどのように達成していますか。
21 新世社会内の何万という奉仕者が,全世界で行なっている伝道は,この終りの時代におけるクリスチャンの宣教の目的を達成しています。エホバのみ名が全世界に知らされています。現在の悪い事物の制度のうえにのぞむ審判も宣べ伝えられています。御国のよいおとずれは,諸国民へのあかしとして宣明されています。偽りの宗教にとらわれている人々が解き放たれて,神のみことばの啓示的な真理に目を大きく開いています。そして多数の人々がエホバの神権組織に集められています。もし円熟した奉仕者が無私の気持ちで,弱い人々を円熟に導かなかったなら,このすばらしいわざを,これほどまで大規模に行なうことはできなかったでしょう。弱い人々を助けることは,新しい羊をかこいに連れてくるのと同様,宣教の目的をまっとうするうえに重要です。
22,23 (イ)新世社会にもっと多くの円熟した奉仕者が必要なのはなぜですか。(ロ)円熟した奉仕者が他の人を助けるとき,どんな結果が生まれますか。
22 新世社会の一部となりつつある人は次第にふえています。その人々を助けるためにはもっと多くの円熟した奉仕者が必要です。円熟した奉仕者のすべてが,新しい弱い人々を助けて円熟に導くなら,さらに他の人々を助けうる組織内の円熟した奉仕者の数は着実に増加していきます。そのようにすれば,新しい人が絶え間なくはいってきても,概して高い円熟の水準を保つことができるでしょう。
23 この群衆はいま,ちょうどイザヤが預言したように,多くの国々からエホバの真の崇拝にぞくぞく集まっています。(イザヤ 2:2,3,新世)彼らはクリスチャンの宣教が結んだよい実です。イエスの会衆の残れる者と交わる彼らは,クリスチャンの羊の大きな群れを形成し,喜びをもって次のように言います。「救は,御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。(黙示 7:10)宣教の訓練を受けると彼らは,他の人々に向かって,イザヤが言ったように,「あなたがた民よ来なさい」と言います。そして円熟した奉仕者の助けにより,強くて精力的な,エホバ神の賛美者に成長します。自分自身が円熟することにより,彼らは新しい会衆の強力な骨組となり,またエホバの組織の中の監督という責任の地位につくことができます。こうして円熟した奉仕者が他の人々を助けることは良い結果を生みます。
24 新世社会内のすべての円熟した奉仕者は何を考慮すべきですか。
24 エホバの組織内の円熟した奉仕者はすべて,ほかの人を助けるために自分が何をしているかを,よく考慮しなければなりません。その責仕をのがれて,少数の人々におおいかぶせている人がいますか。そういう人々は,エホバの組織の宣教の目的を助けるよりも妨げてはいないでしょうか。イエスの足跡に従っていないのではないでしょうか。円熟した奉仕者の各人には,伝道する責任ばかりでなく,御国のおとずれに答え応じた人々を助ける責任があります。それはクリスチャンの宣教の重要な部分です。このことを認め,へりくだって,「わたしの小羊を養いなさい。……わたしの羊を飼いなさい」というイエスの命令に従う円熟した奉仕者はほんとうに幸福です。―ヨハネ 21:15,16。
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キリスト教国の儀式の起源ものみの塔 1965 | 7月15日
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キリスト教国の儀式の起源
◆ ジョン・ローレンス・ヴォン・モシェイムはその著書「教会の歴史」の中で,コンスタンチンの時代に始まったキリスト教国は,さらに多くの異教徒をキリスト教に改宗させるため,最初から妥協した事を述べています。「皇帝はキリスト教を発展させようと努めたが,教会儀式を増し加えた司教の分別に欠ける信心はその本来の目的をあいまいにし,その力を弱めた。オーガスチン時代の多くのクリスチャンが負ったくびきより,ユダヤ人がかつて負ったくびきのほうがもっと楽に支えられるというオーガスチンの言説はよく知られている。司教はクリスチャンのために,かってギリシャ人,ローマ人,その他の国民が神々を崇拝するために用いた儀式や慣例を,ほとんど修正しないでキリスト教にとり入れた。その理由は代々受けつがれた儀式がクリスチャンのあいだにそのまま存在し,また自分たちの神々のように,キリストや殉教者が崇拝されているのを見るなら,もっと容易に彼らがキリスト教を受け入れるだろうと司教が考えたからである。
「その当時クリスチャンの公の崇拝とギリシャ人,ローマ人の崇拝の間には,ほとんど相違がなかった。りっぱな法衣,司教冠,三重冠,ろうそく,職務の標識,行列,清め,偶像,金銀のかざり花びん,その他多くの物はどちらの宗教にも見られた。「コンスタンチンが先祖の宗教を放棄すると間もなく,壮麗な宮殿がいたるところに建てられた。絵画と偶像で飾られた宮殿の外観も内部も神々の神殿と非常によく似ている。これらの神殿の献堂式には華かな行列があり,その際の儀式の多くは古代ローマ人の高僧法典から借りて来たものである」。―第2巻,4章276,277節。
初期のクリスチャンは異教から借りる事をせず,次の神の命令に従いました。「彼らの間から出て行き,彼らと分離せよ,と主は言われる。そして汚れたものに触れてはならない」。こうして今日真のクリスチャンに模範を残しました。―コリント後 6:17。
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