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王国の奉仕者たち,前進しなさい!ものみの塔 1982 | 4月1日
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王国の奉仕者たち,前進しなさい!
「福音宣明者の業をなし,自分の奉仕の務めを十分に果たしなさい」― テモテ第二 4:5。
1 大いなるバビロンの霊的な状態とエホバの証人の霊的な状態とはどのように対照的ですか。
今日,数多くの国で偽りの宗教の霊的な牧場は活気を失い,大いなるバビロンが座している水は干上がりつつあります。このことは,現代に成就しつつあるイザヤの一つの預言を思い起こさせます。それはイザヤ書 65章13節(新)の次の預言です。「見よ,わたしの僕たちは食べるが,あなた方は飢える。見よ,わたしの僕たちは飲むが,あなた方は渇く。見よ,わたしの僕たちは歓ぶが,あなた方は恥をかく」。なぜそうなるかと言えば,エホバの民が実際に王国を第一に求め,王の子キリスト・イエスの手中にある神の王国の良いたよりが全世界でふれ告げられるよう,あらゆる努力を払っているからです。―啓示 14:6-8; 16:12; 17:5,15。
2 王国の奉仕者として前進する責務を負っているのはだれですか。
2 今,掛かっている号令は,『王国の奉仕者たち,前進しなさい!』という号令です。わたしたちの主イエス・キリストの追随者たちの一団としてこの命令に留意するため,エホバの証人は,人々を監督する立場にある人も,男性も女性も,少年や少女もみな,神の王国を擁護する責務を負っています。(詩篇 145:10-12; 148:12,13。テモテ第二 4:2,5)何らかの事情のために他の人たちほど多くを行なえない人の場合でも同じです。そうした人たちの活動は,わずかな価値しかない硬貨2枚だけだったにもかかわらず,自分のすべてをささげたやもめのことを思い出させます。―ルカ 21:1-4。
3 今この時期に,人類はどれほど王国の良いたよりを必要としていますか。王国の音信にはどんなことが含まれますか。
3 今日の人類は王国を必要としているでしょうか。必要としているどころの話ではありません。痛み,病気,悲しみ,死などを終わらせるためにも,またあらゆる不義と悪,あらゆる犯罪と暴力と戦争,そうです,あらゆる不公正と差別を終わらせるためにも,その良いたよりを必要としています。(イザヤ 9:7)王国の奉仕者として前進することによって,わたしたちは待ち望むべきもの,ハルマゲドンでサタンの事物の体制が終わるまで人々の支えとなるものを人々に与えるのです。不法が増加しているので,愛と希望の音信だけではなく,『わたしたちの神の側の復しゅうの日』に関する警告の音信をも携えて前進しなければなりません。―イザヤ 61:2,新。
4 神の王国の熱心な奉仕者になる主要な動機は何であるべきですか。
4 しかしながら,不純な動機と利己心で満たされているこの世の中で,どうすれば自己犠牲の精神を持つ,世に対する神の奉仕者であり続けることができるでしょうか。何よりもまず,わたしたちに示された愛ある親切を考え,エホバに対する愛ゆえに,またエホバがわたしたちのためにしてくださった,そして現在しておられること,これからしてくださることに対する感謝の念ゆえに前進することを願うべきです。使徒ヨハネが注目を促しているように,神を愛するとはそのおきてを守ることであり,そのおきての一つは王国の良いたよりを宣べ伝えることです。(マタイ 24:14。ヨハネ第一 5:3)さらに,エホバ神は,人類の苦難の責めを負うべき者だとして非難を浴びせられ,永遠の苦しみに遭わせる神として中傷されています。確かに優しい天のみ父エホバに対するわたしたちの愛は,エホバの奉仕者として前進するようわたしたちを動かし,このようなよこしまな中傷からそのお名前を清める助けになります。
5 ほかのどんな動機に動かされて,わたしたちは神の奉仕者として前進しますか。
5 仲間の人間に対する愛もまた,神の王国の奉仕者として前進する原動力となります。隣人に対する愛は,自分の身を楽しませるものよりも,隣人の霊的な利益,その永遠の運命を優先するようわたしたちを動かします。愛は,自分たちの区域全体を何度も回るよう,しかも徹底的にそうするようわたしたちを促します。愛は,再訪問をし,真理を愛する人と毎週家庭聖書研究を行なう責務を受け入れるようわたしたちを刺激します。ということは,親切で辛抱強く,柔和と巧みさを示し,兄弟の愛情と同情心を表わさなければならないという意味です。
6 奉仕の務めをおろそかにした場合,どのように喜びを奪われますか。
6 わたしたちは本当に神の言葉聖書を信じているでしょうか。聖書には「受けるより与えるほうが幸福である」と述べられています。(使徒 20:35)野外奉仕をおろそかにするなら,わたしたちは自分が実際にはイエスのこれらの言葉を信じていないことを行動によって示していることになります。さらに「惜しみなくまく者は豊かに刈り取る」とも,『寛大な魂は栄え』,『惜しみなく水を注ぐ者は,水を注がれる』とも保証されています。これは単に耳に快い月並な文句なのではなく,エホバ神と隣人に対するわたしたちの愛と神の王国に対する忠節を試みる避けがたい真理であり,原則です。―コリント第二 9:6。箴言 11:25,新。
7 どうすれば,すべての人の血に対する責任を免れることができますか。
7 しかし関係しているのは他の人の命だけではありません。流血の罪を免れるためにもわたしたちは神の王国の奉仕者として前進しなければなりません。エゼキエル書 33章2-4節の言葉を忘れないようにしましょう。「人の子よ,あなたの民の子らに語れ。あなたは彼らに言わなければならない,『ある地に関して,わたしがそこに剣をもたらし,その地の民が皆こぞって実際にひとりの人を取り,これを自分たちの見張りの者として立て,その人がその地に剣が来るのを本当に見,角笛を吹き鳴らして民に警告し,聞く者は角笛の音を実際に聞き,それでいて警告を全く受け入れず,剣が来てその者を奪い去るなら,その血はその者の頭に帰する』」。使徒パウロのように,『わたしはすべての人の血について潔白です』と言えるようでなければなりません。―使徒 20:26,27。
奉仕の務めが成し遂げられる方法
8 奉仕の務めが成し遂げられる方法についてどんな質問は適切と言えますか。
8 では,どのようにわたしたちは前進するのでしょうか。自分自身の力によってですか。高慢な,自己過信の態度で前進しますか。肉の腕を信頼することによってですか。それとも,全く逆に,おどおどと,熱意のない態度で,人間を恐れながらするのでしょうか。わたしたちの中で指導の任に当たっている人々の指示を無視し,自分勝手に前進するのでしょうか。決してそうではありません。特に銘記しておくべき三つの点があります。
9 (イ)どのように人は,エホバの力によって奉仕の務めに前進しますか。(ロ)ペテロ第一 3章15節は,奉仕の務めにおけるわたしたちの振舞いに関しどんな指示を与えていますか。
9 第1にわたしたちは,わたしたちを動かし,啓発し,強化する神の霊を仰ぎ求めつつ,エホバ神の力により,神の王国の奉仕者として前進します。エホバの力によって前進するとき,わたしたちはペテロとヨハネが当時の宗教上の役職に就いていた人々に接する際に示したあのはばかりのない言葉,あの臆することのない話し方,あの大胆さを示すことができます。(使徒 4:13)同時にわたしたちの携える音信を柔和な気持ちと深い敬意をもって伝えるよう注意しなければなりません。―ペテロ第一 3:15。
10 (イ)エホバの音信を『携える清い者』になるとはどういう意味ですか。(ロ)この点に関し,フィリピ 1章10,11節にはどんな助言が記されていますか。
10 第2に,イザヤ書 52章11節(新)にある,「エホバの器物を運んでいる者たちよ,……身を清く保て」という言葉と一致して,エホバの音信を携える清い者として前進しなければなりません。エホバの現代の器物であるその貴重なみ言葉の真理は,純粋で清く,美しく,義にかなっています。したがって人々のところへそのみ言葉を運ぶ人々はみな,自分自身を道徳的に清く,霊的に美しく保たなければなりません。わたしたちはイエスが行なわれたように,『罪人たちを悔い改めに招いて』彼らが自分自身を道徳的に清め,肉の業を取り除くように勧めているのではありませんか。(ルカ 5:32)では,こうした面で立派な模範を示すべきではないでしょうか。パウロがフィリピのクリスチャンたちに助言した次の言葉を忘れないようにしましょう。「より重要な事がらを見きわめるようになり,こうして,キリストの日に至るまできずなく,他の人をつまずかせることなく,また,イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光また賛美となるためです」― フィリピ 1:10,11。
11 (イ)神の奉仕者にとって身繕いはどれほど重要ですか。(ロ)この点に関し,だれの良い模範に従うことができるはずですか。
11 第3に,前進するに当たって,常にふさわしい身繕いをしていなければなりません。エホバの僕が,悪魔の世の不道徳で反逆的な分子の特色となっているスタイルをまねたいと考えるのは理解し難いことです。神の義の行為によって世は終わると人々に告げながら,なぜ自分がその世のようになろうとするのでしょうか。世に似たものとなり,エホバの民とは違う人のように目立つ存在になるのはなぜでしょうか。むしろ,わたしたちはエホバの民らしく,世俗の人々の中で異なったものとして目立つべきではないでしょうか。わたしたちはだれを喜ばせようとしていますか。だれのきげんを取ろうとしていますか。よく整えられた服装や身繕いに関しては,会衆内の円熟した兄弟姉妹たちを見倣ってはいかがですか。そうした人々の良い模範からヒントを得,それに見倣うことはできないでしょうか。―テモテ第一 2:9。ペテロ第一 3:3,4,16,17。
12 家から家の奉仕の務めが難しいとしても,その業に参加する人々にはどんな益がもたらされますか。
12 神の王国の良いたよりを携えて家から家に行くことは,ある人にとって楽でないかもしれません。しかしその方法の価値や効果は再三証明されてきました。(マタイ 10:7,11-13。使徒 20:20,21)わたしたちが家から家に宣べ伝える方法を活用しているため,それはエホバの真の僕の“トレードマーク”となりました。家から家に行く活動は,他の人々に証しを行なう面で効果的であるばかりか,その活動自体が携わるわたしたちすべてに大きな益をもたらします。わたしたちの肉がそのことをしりごみする場合があるという事実からして,クリスチャンの奉仕者はその業に携わるたびに勝利を得ることになるのです。―コリント第一 9:16,27。
家族の世話と監督
13 奉仕の務めに関する責務に加えて,多くの人々にはどんな責任が課せられていますか。そのためにどんな平衡を取ることが必要ですか。
13 王国の奉仕者となる責務に加えて,家族を持つ人々にはもう一つ別の責任が課せられています。家族と共に前進する王国の奉仕者たちは,神から与えられた親としての役割ゆえに,自分の子供を教えなければなりません。毎年バプテスマを受ける人の中でかなりの数を占めるのは,「エホバの懲らしめと精神の規整とによって」親に育てられた若い人々です。(エフェソス 6:4)残念ながら,ある人々はこの責務と機会を無視したために深い悲しみを経験しました。前進を続ける奉仕者となるためにはもちろん平衡を保つことが必要です。非公式の証言を行なっているからという理由で家から家の活動をないがしろにすべきではなく,また家から家を訪問しているので非公式の証言の機会を軽んじてよいわけでもありません。同様に,親の立場にある人たちは,野外奉仕,会衆の責任,その他の活動などに多くの時間を用い過ぎて,自分の家族をないがしろにするようなことがあってはなりません。結局,家族の霊的および物質的な必要物に注意を払うことが最重要な責務なのです。―テモテ第一 5:8。
14 (イ)親が子供を養育するに際し,それにつぎ込む時間や世話やお金が水のあわとなってしまうのはどんな場合ですか。(ロ)子供を赤ちゃんから成人する時まで育て上げるには,どんなことが引き続き必要ですか。
14 確かに子供を育てるには,時間と注意とお金が必要です。一人の子供を育て上げるためには幾百万円もかかると推定されています。しかし,もし親が,生まれてくる子供たちに対して霊的な監督を正しく行なわないなら,そのようにしてつぎ込むお金や時間は必ず水のあわになってしまいます。今日の非行少年の激増は,多くの子供たちが親から放任されているという事実を裏付けるものです。(箴言 29:15)赤ちゃんや小さな子供たちは,よく親や親族などからちやほやされます。『なんておりこうなんでしょう! なんてかわいいんでしょう! お母さんそっくり,お父さんそっくり』と言われたりします。確かにその通りでしょう。しかしこれらの子供たちが十代になり,それから一人前の男性また女性に成長してゆくには,世話と注意,愛と懲らしめ,霊的な訓練と教育が必要であることを親は忘れないようにする必要があります。(申命記 11:18-21)それはクリスチャンの親としての責任です。神の奉仕者は自分たちの肩にかかっているこの責務を忘れません。
神の奉仕者の全世界的な一致
15,16 (イ)わたしたちの宣べ伝える王国の音信がそれを聞く人にとって確かにはっきりした,明快な響きを持ったものとなるためには,どうすればよいでしょうか。(ロ)全世界で一致して語るようわたしたちを援助するどんな助けがありますか。
15 それはさておき,クリスチャンの奉仕者のもう一つの責任を考慮してください。「ラッパの出す音が不明瞭であれば,いったいだれが戦闘の用意をするでしょうか」。(コリント第一 14:8)使徒パウロはこう述べて,話されている事柄を他の人が理解できる仕方で舌を用いるようキリストの追随者たちに求めました。現代,わたしたちの宣べ伝える王国の音信を,人類に対するはっきりした,明快な響きを持った呼び掛けにしようと思えば,どうしても一致して語らなければなりません。イザヤ書 52章8節(新)はこう述べています。「聴け,あなたの見張りの者たちが声を上げた。彼らは一斉に喜び叫んでいる」。このような一致した呼び掛けに参加するためには謙遜さと兄弟愛が必要とされます。言うまでもなく,わたしたちの証言が効果的なものであるためには,エホバのみ名,その知恵と愛,そして人類の唯一の希望としてのその王国を特色とする同じ音信をすべての人が宣べ伝えなければなりません。コリント第一 1章10節でパウロは,わたしたちすべてが一致して語らなければならない,と諭しています。
16 わたしたちは音信を,何らかの不明瞭な点によって覆い隠してはなりません。わたしたちは神の奉仕者としての使命を負っているのです。イザヤ書 61章1,2節には,わたしたちの伝えるべき音信がどんなものであるかについて明確に記されています。エホバの忠実で思慮深い奴隷はわたしたちが声を一つにして語ることができるようあらん限りの手を尽くし,理解できる音信が人々のもとに届けられるよう,幾十という言語で聖書や聖書の手引き書を発行しています。わたしたちはエホバの崇拝者の一致した集団として,「良いたより」を広める努力を払うことにより自分の分を行なえます。―詩篇 66:1,2; 68:11。
わたしたちは時間を費やしますか
17 奉仕の務めにおける自分の分に関し,どんな正直な自己吟味をすべきですか。
17 個人として前進することについて言えば,奉仕の務めに費やす時間の面でもっと進歩することができないでしょうか。会衆の伝道者で,健康に恵まれ,子供を育てたり年老いた家族の世話をしたりする責任のない人は各自,次のように自問してみるとよいでしょう。全時間奉仕をできなくさせているものは何だろうか。王国の奉仕の務めの重要性を十分に認識していないのだろうか。あるいは自己犠牲の精神を抱いていないのだろうか。明らかに正規開拓者として奉仕できないことが分かっているなら,補助開拓者として奉仕する余地を生活の中に設けることはできないだろうか。もしそうできるなら,あなたは確かにクリスチャンの奉仕者として前進しようとしているのです。正直に自己吟味をしてみれば,天のみ父とそのみ子の王国政府の関心事に仕えるために毎月費やせる時間を増やす上で自分個人に何ができるか,はっきりするかもしれません。―詩篇 26:1,2,11,12。マルコ 12:28-34。
18 わたしたちがエホバおよびキリスト・イエスとの良い関係を保つために,何が助けになりますか。
18 エホバ神とイエス・キリストは,前向きであることと前進することにおいてわたしたちに模範を示しておられます。わたしたちが個人的に同じことをするためには,まず第一にエホバ神との良い関係を保たなければなりません。正しい良心を保つために懸命に努力し,自分の良心を汚す恐れのある事柄に注意を怠らないようにしていますか。祈りの貴重な特権を活用し,たゆまずそうしていますか。(ローマ 12:12)時間を割いて個人研究や黙想を行なっていますか。わたしたちの生活様式は,これらのより重要な事柄に必要とされる注意を払えるように,また言葉においても行動においても奉仕の務めが生活で第一の立場を占めるように,いくらか変化することでしょう。―エフェソス 4:22-24。
19,20 (イ)ヘブライ 4章で論じられている「神のことば」とは何ですか。(ロ)この「ことば」が生きていて,どんなもろ刃の剣よりも鋭いと言えるのはなぜですか。1981奉仕年度中に行なわれた業の一部を振り返ってみるのはなぜですか。
19 昨年エホバの奉仕者たちが世界中で忙しく積極的に王国の良いたよりをふれ告げたことを報告するのは喜びです。この音信は,幾万という人々の生活に深いまた永続的な影響を与えてきました。そのような人々の生活には,神の言葉に備わっている,人を変革する力が働いた結果,すばらしい変化が見られました。「良いたより」の音信は生きていて,それが力を出し,どんなもろ刃の剣よりも鋭いということに疑いの余地はありません。(ヘブライ 4:2,12,13)同時に,神の言葉が資格を持つ奉仕者たちの手にあってその良い業をなすとき,エホバのみ名は栄光を受け,その王国は人類の唯一の希望として高く掲げられます。―エフェソス 6:17。
20 1981奉仕年の12か月間にエホバの証人が成し遂げ得た事柄に関する洞察を与えるものとして,このあとの記事は,206の国々や島々で働くクリスチャンのこの小さな集団が,その期間中に一致して努力を払った結果生じた事柄を取り上げています。(箴言 25:25)読者の皆さんは,この20世紀における神の奉仕者たちの業をまとめた表を,きっと楽しくご覧になることでしょう。
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今こそ,み言葉を宣べ伝える時ものみの塔 1982 | 4月1日
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今こそ,み言葉を宣べ伝える時
「彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明しつづけた」― 使徒 5:42。
1,2 (イ)聖書の中には,1世紀に王国を宣べ伝えたどんな結果が記されていますか。(ロ)イエスはマタイ 28章19,20節と使徒 1章8節で,この宣べ伝える業がご自分の追随者たちの業になることをどのように示されましたか。
ペンテコステの日に聖霊を注がれたあと,イエス・キリストの追随者たちは,キリスト・イエスについての良いたよりをたゆみなく教え宣明し続けるための力と勇気を注ぎ込まれました。では西暦1世紀にはどんな結果がもたらされましたか。イエスの追随者たちの話を聴いていた人々の多くが信者になったと記されています。実際,信じた男の人の数は合計約5,000人に達しました。(使徒 4:4)別のときには,主を信ずる者たちが,男も女も大勢加えられていったと書かれています。―使徒 5:14。
2 ペンテコステの日の直後,イエスの追随者たちがたゆむことなくキリストについての良いたよりを教え続けた結果,信者となった人々は文字通り幾千という数に達しました。西暦1世紀において「良いたより」の宣明にあずかった人々が成し遂げたことを読むのは胸の躍る経験です。それは,イエスの死と復活,およびそうしたすばらしい業を成し遂げるために聖霊が注がれた直後に行なわれたことです。西暦1世紀の忠実な兄弟姉妹たちは,主イエス・キリストから割り当てられた事柄を行なう真の働き人,熱心に働く人々でした。―マタイ 28:19,20。使徒 1:8。
3,4 (イ)現代において,宣べ伝える業を再開するための舞台が整ったのはいつですか。(ロ)キリスト教世界が王国を宣べ伝える活動を妨害したにもかかわらず,エホバはご自分の業を達成すべく前進されましたか。そして人類史上最も苦難に満ちた時代にどんな結果がもたらされましたか。
3 これは20世紀には当てはまらないことでしょうか。事実を調べてみましょう。西暦1世紀とキリスト教の始まりに関する次の点を思い起こしてください。それは一人の人,主イエス・キリストから始まりました。そして3年半という短期間のうちに,イエスの宗教上の敵対者たちが,「見なさい,世は彼について行ってしまった」と言うほどに広がって行きました。(ヨハネ 12:19)現代,それも特に19世紀の終わりごろ,キリスト・イエスを通して行なわれるエホバ神の偉大な収穫の業の始まる時が近づいていました。(マタイ 13:24-30,36-43)キリスト教世界は幾世紀もの間舞台に登場してはいましたが,キリスト・イエスに関する,そしてクリスチャンたちが祈りまた求めるべき王国の良いたよりに関する真理の光を前進させるのではなく,自らの多くの偽りの教理や教えによってその光を覆い隠してきました。しかしエホバは,ご自分のみ子が王国の権力を執る時を目の前にして,妨害されることはありませんでした。エホバの聖霊は,熱心な聖書研究者たちの一団を通して,これら義を愛し,神のご意志と業を行ないたいと誠実に願う人々に洞察力を与え始めました。この時代以降の出来事は,西暦1世紀の場合と同じく感動的なものです。20世紀を迎える直前の時代に,自らの希望を公に宣明する業に4,000人という多くの人々があずかっていたものと考えられています。
4 西暦1900年に入ってから80年ほど過ぎましたが,人類史上最も苦難に満ちた期間にもエホバはキリストとその王国に関する良いたよりをふれ告げるこれら奉仕者たちの隊伍を増やし続けてこられたことが分かります。(使徒 16:5と比較してください。)そして活動に満ちたエホバの証人の1981奉仕年度も,世界中の王国宣明者たちに多くの祝福をもたらした年となりました。
現在生じていること
5 (イ)エホバの証人および関心ある人々は,主の夕食を記念する面で,1981年にどのような関心を示しましたか。(ロ)その年の間,出席した人々のうち少しでも王国を公に宣明する業に参加した人はどのくらいいましたか。
5 まず最初に,クリスチャンの年間予定表の中で最も重要な日であるキリストの死を記念する主の夕食の祝いに目を向けてみましょう。1981年の4月19日(ユダヤ暦でニサン14日)日曜日には,世界中の4万3,870の会衆で,この祝いのために598万7,893人が集まりました。これらの幾百万という人々は,聖書で教えられている,主の死に関する真実かつ正確な意味について話されるのを聞きました。世界中のそれらの人々のうち,1981奉仕年度には,224万7,486人の人が206の国々や島々で定期的に王国の良いたよりを宣べ伝え教える活動にあずかりました。そしてこの年のいつか,神から割り当てられた奉仕の務めに参加した証人たちの最高数は236万1,896人でした。それらの人々は何を成し遂げましたか。他の人々を助ける面でその音信はどれほど効果的ですか。調べてみましょう。
み言葉を広める
6 (イ)幾世紀もの間中南米を支配してきたのは,どの宗教組織の教えですか。その結果どんな状態が生じていますか。(ロ)しかし,これらの国々でどんな変化が生じていますか。
6 ローマ・カトリック教は,中南米の人々の思考を幾世紀にもわたって支配してきました。そのせいで大多数の人は聖書の真実の教えに対して認識らしい認識をほとんど示しません。(コリント第二 4:4)その結果として,キリスト・イエスおよび王国の良いたよりに関する知識の欠如ゆえに,人々は打ちのめされ,虐待されてきました。それはイエスが目にした,書士やパリサイ人たちの圧制下にあった当時のユダヤ人の状態によく似ています。(マタイ 9:36)しかし,20世紀にエホバの証人がこれら中南米の国々で宣べ伝え,その活動に神の祝福が注がれたため,すばらしい変化が生じています。地を覆っていた霊的な暗やみに光が輝きいで,幾千幾万という正直な心を持った人々がエホバの組織の側に集められてきました。―イザヤ 60:1,2,8。
7 アルゼンチンに住む12歳の少女の立派な経験のあらましを述べてください。
7 聖書の真理はあらゆる年齢層の人々に影響を与え,エホバの王国の側に立つように助けます。(詩篇 119:129,130)アルゼンチンの12歳になる一伝道者は,まだバプテスマを受けていませんが,8件の聖書研究を司会することの喜びを語り,こう書いています。「特に休みの時期になると,わたしはできるだけたくさんの時間を戸口から戸口の業,再訪問,聖書研究の業に用います。この活動はどれも,とてもわたしを幸福にしてくれます。そして,真の神であられるエホバを知るよう多くの人々を助けるため,そのみ手の器としてエホバに用いていただけるのは大きな特権だと思います。この特権をいつも保てるようにわたしは祈っています」。この少女は間もなくバプテスマを受け,開拓者を目標に前進してゆく計画を立てています。これが,12歳の少女の経験なのです。神の言葉には,正しい考え方をさせるなんと強い力があるのでしょう。
8 中南米では1945年以来,どのように王国宣明者が増加していますか。
8 全世界を荒廃させた第二次世界大戦が終わった1945年,メキシコを含めた中南米には,王国の良いたよりを宣べ伝える業に参加する人が全部で4,720名いました。この同じ国々で,1981奉仕年度には最高37万3,919人の伝道者たちが「良いたより」を宣べ伝えました。確かに,これらの乾き切った土地でも真理の水は手に入るようになり,渇きを覚える人々はすばらしい方法でこたえ応じてきました。―ヨハネ 7:37,38と比較してください。
9 20世紀に入ってから,ヨーロッパにおける王国宣明者たちはどんな状況にありますか。
9 王国の良いたよりは,ヨーロッパの多くの国々で深く根を下ろしています。20世紀の初めから,ある国々ではそれ以前から,当時国際聖書研究者として知られていたエホバの証人は人々の間で王国の良いたよりを広めました。例えば,ドイツで行なわれた証しの最初の記録は,今世紀への変わり目の時にまでさかのぼります。ものみの塔協会の初代会長チャールズ・T・ラッセルは1891年にドイツを訪れ,その後一部の書籍やビラをドイツ語で印刷する取決めが設けられました。ドイツ人の会衆は,ドイツにおいて1901年になって間もなく設立されました。
10 ドイツでのどんな経験は,家から家の奉仕の務めが依然として効果的であることを示していますか。
10 ドイツのエホバの民は今日に至るまで,家から家の業がエホバの王国の良いたよりを人々に広める上で最も効果的な方法であると考えています。(ルカ 9:1-6)家から家の業で会った一組の夫婦に証言した結果,12ないし14人の人々が共に集まって家庭聖書研究が始まりました。その家族は後にオーストラリアに移住しましたが,そこでも,結婚した一人の娘を除き家族全員がエホバの証人と勉強を続けました。母親と父親はそれからバプテスマを受けました。
11 西ベルリンに住む,身体障害のある老齢の証人は,自分の奉仕の務めに関しどう感じていますか。
11 西ベルリンに住む84歳のある姉妹は,重度の身体障害を負いながら補助開拓奉仕を行なっていますが,その姉妹の言ったひと言から,彼女が真理と,神の言葉を今宣べ伝える必要性とに対して抱いている認識をある程度うかがうことができます。この婦人は言いました。「私はエホバを大変愛していますから,それをエホバに示すために,どうしても奉仕に参加したり集会に出席したりしないではいられないのです」。―詩篇 122:1と比較してください。
12 (イ)特に1945年以来,イタリアで王国の良いたよりはどの程度受け入れられてきましたか。(ロ)イタリア,ポルトガル,スペインでの王国の業に関し,どんな励ましとなる情報がありますか。
12 ローマ・カトリック教会が幾世紀も人々の宗教生活を支配してきたイタリアでは,近年様々な出来事によって,エホバの証人の業が以前にも増して際立ったものとなっています。1945年にはわずか90人ほどしかいなかったエホバの証人が,イタリアで2番目に大きな宗教組織に成長したのです。(イザヤ 60:22)同国の支部は1981奉仕年度に,最高9万553人の王国宣明者を報告しました。イタリアやヨーロッパの他のラテン民族の国々では,王国の良いたよりを宣べ伝えるための機が,いよいよ熟してきました。今述べたように,イタリアには1945年当時90人ほどの伝道者がいましたが,その年にスペインとポルトガルで王国の良いたよりをふれ告げていたエホバの証人がいたという記録はありません。ところが1981年のこれら3か国の伝道者数を合計すると,15万9,972人になります。イエスが述べられたように,「収穫は大きいですが,働き人は少ないのです」。―マタイ 9:37。
ほかの場所での収穫
13 (イ)アフリカ大陸に「良いたより」が広がっていることに関して,様々な記録は何を示していますか。(ロ)義を愛する人々をさらに多く収穫するための機が確かに熟していることを,どんな経験が示していますか。
13 アフリカの多くの場所では,忠実なエホバの証人が20世紀にそこでふれ告げてきた真理の音信に何千という多くの人々がこたえ応じてきました。ナイジェリア,南アフリカ,ザンビア,ジンバブエ,マラウィなどでは,真理の種は1923年,あるいは1927年という古い昔にまかれました。一方マリやモーリタニア,オートボルタ,ルワンダなどの国でその音信から王国伝道者が生み出されるようになったのは1962年から1970年の間のことです。確かに今は,この業は完了した,とエホバが言われる前に,渇いた人々が真理の水のもとに来る上で助けになることを何でも行なうべき絶好の時です。ザンビアで一人の特別開拓者は,王国の音信に鋭い関心を示した村長に会いました。この村長は他の人々をも話に誘い入れたため,全部で18人の人が特別開拓者の音信に聴き入りました。その結果,かなりの数の家庭聖書研究が始まりました。間もないうちにその土地の会衆の伝道者の隊伍は65人から86人に膨れ上がりました。今日アフリカ大陸には,エホバの証人が「良いたより」を宣べ伝えていない所はごくわずかしかありません。
14 トレス海峡の島々での非常に興味深いどんな経験が報告されていますか。
14 世界の他の場所からの報告も,昨奉仕年度が祝福と進歩の年であったことを示しています。オーストラリアの北端近くにはトレス海峡の島々が横たわっています。この群島には100の島々があり,そのうち人が住んでいるのは20島です。その一つ木曜島では,エホバの証人の会衆が繁栄しています。一人の巡回監督と木曜島に住む二人の兄弟がシューと呼ばれる他の群島の一つを訪れ,そこで温かな歓迎を受けました。この島の委員長と呼ばれる人から,聖書の真理とエホバの証人の業に関心があるので訪問してほしいと頼まれていたのです。この人はエホバの証人の出版物を持っていました。この委員長が島民の行状だけでなく,清潔さや整理整頓についても非常に厳格であることを知って,兄弟たちは本当に驚きました。この人は霊的な交わりのようなものを人々が持てるように,定期的に取決めを設けます。訪問期間中に兄弟たちはこうした集まりの中でうたわれた何曲かの歌を聴きましたが,その歌詞はものみの塔協会の出版物から取られたものでした。兄弟たちは約40名の人に話をし,協会の出版物を使って聖書研究を行なうよう彼らを励ますことができました。
全世界的な証し
15 そのため,エホバの王国の奉仕者に引き続き課せられる責任とは何ですか。
15 「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」という,マタイ 24章14節に記されているイエスの言葉は幾度となく引用されてきました。王国の証しはエホバの忠実な僕たちの言葉と行ないによって行なわれています。最終的な判断はエホバ神にかかっていますが,十分な証しが行なわれ,それから終わりが来ます。ですからわたしたちがこれからも行なってゆく割当ては,世界が目撃することの中でも最も重要な出来事,つまり統治しておられる王,わたしたちの主イエス・キリストの手中にあるエホバの王国の到来について証しを行ない続けることです。
16 (イ)エホバの証人が,今こそみ言葉を宣べ伝える時であるとの認識を抱いていることを,どんな統計が示していますか。(ロ)ですから,わたしたち各人は,どんな個人的な質問をしてみるべきですか。
16 昨年206の国々や島々で,王国のこの良いたよりの伝道者236万1,896人が,3億5,858万1,547時間を費やして,この胸の躍る音信を広めました。彼らは全世界で147万5,177件の家庭聖書研究を司会し,書籍と小冊子を3,144万4,062冊,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を2億3,416万3,921冊配布しました。このことは,20世紀の多くの歳月を費やして行なわれてきた山のような証しと相まって,エホバの民が持っている,自らの使命を果たしたいとの願いを示す十分な証拠となっています。その使命とは,『柔和な者たちに良いたよりを告げ,心の打ち砕かれた者を包帯で包み,とりこにされた者たちに自由を,エホバの側の善意の年とわたしたちの神の側の復しゅうの日とをふれ告げ,嘆き悲しむすべての者を慰める』ことです。(イザヤ 61:1,2,新)あなたは今,神の言葉と,約束されている王国を宣べ伝える業にあずかっていますか。
17 エホバの祝福に関する別のどんな証拠を次に考慮しますか。
17 1981奉仕年度には,エホバ神に自らの命をささげ,それを水のバプテスマで象徴した人々の隊伍に11万9,836人の人が加わりました。わたしたちはこれらの人々を皆クリスチャンの兄弟関係の中に受け入れたいと思います。1981奉仕年度における王国を宣べ伝えるエホバの証人の活動の概略を示している,この雑誌の付表を調べるなら,東洋からも西洋からも何千人もの人々が,神の言葉の中に備えられている命と真理の水の下に来て,王国の良いたよりを宣明する業に加わっていることがお分かりになるでしょう。
18 残されている時間は日を追って減少してゆくので,わたしたちの宣べ伝える業の重要性に関して何と言えますか。したがって,わたしたちはどんな決意を抱くべきですか。
18 この邪悪な事物の体制のために残されている時は日を追って少なくなってゆきます。これは「良いたより」を宣べ伝える機会がいよいよ重要な意味を帯びてきていることを意味しています。日々懸命な努力を払ってイエスの忠実な追随者であることを証しし,純粋の崇拝を促進された方としてのイエスの生き方に倣い続けることができますように。忠実なダビデと同じように,エホバの家と清く純粋なその崇拝に対する熱心に動かされて,エホバが業は完了したと言われるまで堅く忠誠を保ち,王国宣明者の隊伍にとどまり続けたいものです。―詩篇 69:9。
[23ページの囲み記事/図版]
中南米における伝道者の増加
1945年…… 4,720人の伝道者
1981年……373,919人の伝道者
[24ページの囲み記事/図版]
スペイン,ポルトガル,イタリアにおける王国宣明者の増加
1945年…… 90人の伝道者
1981年……159,972人の伝道者
[25ページの囲み記事/図版]
アフリカにおけるエホバの証人の増加
1945年…… 19,083人の伝道者
1981年……300,989人の伝道者
[26-29ページの図表]
全世界のエホバの証人の1981奉仕年度の報告
(製本した雑誌を参照)
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読者からの質問ものみの塔 1982 | 4月1日
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読者からの質問
■ イスラエルをエジプトから恒久的に去らせることが神の目的であったのに,『荒野へ三日の旅をする』ための許可をファラオに求めるよう神がモーセに命じられたのはなぜですか。
燃える茂みのところで神は,イスラエル人をエジプトから救出し,また乳と蜜の流れる地へ導くためモーセをお用いになると言われました。神は,ファラオに対して次のように言うようモーセにお告げになりました。「ヘブライ人の神エホバはわたしたちと接触を持たれました。それで今,お願い致します。わたしたちは荒野へ三日の旅をして,わたしたちの神エホバに犠牲をささげたいのです」― 出エジプト記 3:18,新。
イスラエルは約束の地へ行くことになっていると神がその直前にモーセに告げておられることから,神はファラオにすべての事実を示しておられなかったように思えるかもしれません。しかし,事の推移から,神の物事の扱い方が公平でそのお目的にかなっていたことが明らかになります。
イスラエル人はエジプトに200年以上住んでおり,奴隷の国民として扱われていました。ところが神は,アブラハムに対するご自分の変わることのない約束に従って,イスラエルを大きな国民にしようとしておられました。イスラエル人は神がアブラハムに示された地,すなわちカナンの地に自由な民として住まうことになっていました。(創世記 12:1,2,7; 18:18; 22:17,18)ファラオは神のお目的に進んで協力するでしょうか。
いいえ,協力しないでしょう。ファラオは,たとえ短期間であってもイスラエル人がエジプトから出ることを,断固として拒むであろう,とエホバは予知しておられました。神がモーセとアロンを通して,イスラエルを恒久的に去らせることがご自分の意志であることを示したなら,ファラオはもっともらしい異議を唱えることができたかもしれません。1度に100万人もの人が恒久的に去って行くなら,その地が混乱に陥ってしまうというような異議です。そして,他の人々はファラオの態度をもっともだと思ったり,ファラオに同情したりしたかもしれません。イスラエルがゴセンの地を数日間離れるだけであれば,エジプト人には実質的に何の損害も及ぶことはないでしょう。
イスラエル人が三日間だけ出掛けて行くことをさえファラオが片意地にも許そうとしなかったので,その心がかたくなであることがだれの目にも明らかになりました。そのようなかたくなな態度やその後のファラオの命によって圧制の度が増し加わったことについて言い訳をする余地は全くありませんでした。―出エジプト記 5:1-9。
一連の災いの後にさえ,強情なファラオはイスラエルをエジプトから去らせようとしませんでした。最後に,10番目の災いがエジプトにとってあまりにも破壊的だったために,ファラオはモーセに民を連れて出て行くよう告げました。しかし,その際に三日間という条件は付けませんでした。それでも,出エジプトの最中に,ファラオはイスラエルをわなに掛けて,再び捕らえようとしました。それは失敗に終わりました。ファラオ自身も紅海で命を失ったからです。―出エジプト記 12:31-39; 14:5-9,21-28。詩篇 136:15。
したがって神が,三日間その地を離れるという道理にかなった求めをするようモーセにお告げになったことは,ファラオにとって試みとなりました。それはファラオの心の中にあるものを明らかにしたのです。
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