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憶せずに語る勇気を持っていた人ものみの塔 1977 | 6月1日
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とって地上のパラダイスは非常に現実的なものです。彼らはそれが樹立されることを知っています。(ルカ 23:43)そして現在でも,すでに霊的なパラダイスを享受しています。
エノクの預言的な警告どおり,エホバはノアの日の洪水の際に,不敬虔な人々に対する裁きを執行されました。しかし,その預言は今日のクリスチャンにとっても励みとなるものです。その預言は,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンが滅びる際,そしてハルマゲドンにおける神の戦いの時に,不敬虔な人々が滅ぼされ,神の聖なる巨万の軍によって切り断たれることを示しているからです。その刑執行の業に対して責任をもっておられるのは主イエス・キリストです。―啓示 16:14-16; 18:1-24; 19:11-16。
ですから今日のクリスチャンもエノク同様,神からの音信が不敬虔な者たちに対する神の裁きに関するものであっても,天の王国の支配下で人類を祝福する神の輝かしい目的にかかわるものであっても,それを大胆に宣明してゆきます。エホバの証人は,そのような事柄について憶せずに語る勇気を持っています。
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“良いたより”はエルサルバドルの理解力に富む人々を動かしたものみの塔 1977 | 6月1日
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“良いたより”はエルサルバドルの理解力に富む人々を動かした
湖と火山に囲まれた小さな美しい国エルサルバドルは,中央アメリカのちょうど真ん中にあります。1平方㌔当たり203人という人口密度の高いこの国で,人々は確かに歓喜しながら“良いたより”を受け入れています。
今から32年前の1945年2月24日,ものみの塔協会の最初の二人の宣教者がエルサルバドルに到着し,業は小さな出発を見ました。やがて,他の宣教者が彼らに加わりました。中には,今でもこの土地で喜びをもって忠実に奉仕している人がおり,神の王国の業は確かに繁栄しています。神の預言者は次のように述べています。「小さい者が千となり,小さな者が強大な国となろう。その時には,わたしが,エホバがそれを速めるであろう」。(イザヤ 60:22,新)そうです,神の王国に関する良いたよりは広く宣明されており,地元のエホバの証人も,種を植え,エホバが『それを成長させて』くださるのを見ることに大いにあずかっています。―コリント第一 3:6。
政治より神への奉仕を選ぶ
以前政治に関係していた人々の中には,“良いたより”によって心を和らげ,『人間に仕える』代わりに神に仕えることを人生の目的とした人々がいます。そうした人々の多くは,「人びとの[真の]賜物」となりました。(エフェソス 4:8,11,12; 6:6)その幾つかの例を読んでみましょう。
数年前,一人の若い技師は閣僚の一人として政府内の高い地位にありました。彼の妻はものみの塔協会の宣教者と聖書を学んでいました。かつて米国のハーバード大学の大学院にいたこの政治家は,英語を忘れたくないと思い,その宣教者に英語の個人教授を頼みました。政治に対するカトリック教会の干渉にあいそをつかしていたので,宗教にはいっさい関心を持っていませんでした。しかし,非常に好奇心の強い人であったため,またその宣教者がとても巧みであったため,二人はやがて,聖書や真の宗教について英語で話し合うようになりました。大変関心を持ったその人は,エホバの証人の教理が真理であるとの確信を抱くにはまだ至っていませんでしたが,スペイン語で聖書を研究したいと宣教者に申し出ました。
やがて,彼はものみの塔協会のために新しい支部事務所を建てることを申し出,専門職としての報酬を受けずに,設計および工事を引き受け,全面的にその建築を完成させたいという願いを述べました。こうした見取り図を作成する一方,聖書の知識を取り入れる面でも良い進歩を示し,宣教者たちと大変親しく交わるようになりました。彼は宣教者たちから感銘を受け,自分の子供たちも彼らのように成長することを願いました。そして,米国を訪問中,オハイオ州コロンバスの大会に出席し,そこでバプテスマを受けました。
近年,彼は長老として,様々な立場で奉仕する特権を得てきました。現在,エホバの証人のエルサルバドルの支部委員会で,長老の一人として奉仕しています。彼の家族も円熟し,息子はエホバの証人のニューヨーク本部でベテル家族の一員となっています。この長老はエホバに心から喜んで仕えるため,世と世の提供する上辺だけの利益を後にしました。
もう一人の閣僚は,この以前の政治家をよく観察しており,「この男は気が狂ったのだ」と考えていました。しかし今では,自分のほうが正気でなかったと考えています。なぜそう言えるのですか。この技師は以前公共事業相を務め,市長に立候補したこともありますが,18年後の現在,良いたよりを心から受け入れているからです。彼は真理を他の人に分け与える業にも参加しており,聖書研究を12件司会し,また会衆の奉仕のしもべでもあります。1975年,彼はその年の知的職業人として,エルサルバドルで賞を受けました。その受賞式の演説の際,彼はより良い世界を建設することが常に自分の願いであったことを述べました。ところがその後,大統領と閣僚を含む列席者全員に対して,神の王国のみがそうした事柄を成し遂げ得ることを,聖書を参照しながら示しました。
誠実な探究は報われる
ところで,エルサルバドルの前大統領の娘は,なぜ神の言葉を受け入れたのでしょうか。彼女自身の話を聞いてみましょう。
「家族の者たちは偽りの宗教の実情をよく知っていたので,私は宗教とは無縁の環境の中で育てられました。父も母も以前に教会との間でいろいろな事を経験していたので,カトリック教会とは全く関係を持っていませんでした。
「父は私が13歳のとき大統領になりましたが,司教や枢機卿など非常に有名な僧職者が,いかに私たち一家との親密な関係を求めたかを覚えています。しかし,それは私たちを霊的に援助するためでしたか。母は,教会の会合へは国事に関する公式な場合だけ出席する,と大変率直に話してあったようです。僧職者は,私たちを霊的に援助することには一切関心を持っていませんでした。彼らは,政治運動が行なわれる時や,国家的な問題が生じた時だけ姿を見せました。
「私は人を信用してはならないと教育されていました。ある晩,大統領である父を打ち倒そうとする事件が起きたとき,こうした不信にはそれなりの理由のあることがよく分かりました。そ撃が始まったとき父と家にいたのは,家族の中で私一人でした。弾丸に当たりそうになった私は,死の恐怖を実際に経験しました。私は神の助けを求めました。確かに神の存在を信じていたからです。もしこれを生き抜けたら,神を捜し求め,神を見いだすよう努めることを固く約束しました」。
僧職者が政治と深いかかわりのあることを見てきた彼女は,彼らのもとへ導きを求めに行くことはできませんでした。しかもそのとき,僧職者たちは政府と反抗者の仲裁人となったのです。これは彼女を深く失望させました。どこへ助けを求めたら良いのでしょうか。プロテスタントの様々な宗派や,幾人かのユダヤ人とも接してみましたが,神を見いだすことはできませんでした。その後,彼女は婚約者と共にエホバの証人との勉強に応じました。今日,二人は幸福なクリスチャン夫婦として,霊的兄弟姉妹と共に互いを心から信頼
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