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良いたよりを携えてアンデスの高山地帯へ目ざめよ! 1974 | 3月8日
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た辺地にいる,できるだけ多くの人びとに王国の良いたよりを伝えることでした。4人の奉仕者はどんな人びとに会ったでしょうか。
アンデスの人びと
「文明」社会から遠く隔たり,その道徳問題とはなんのかかわりもないここの人びとは,友好的でのんびりとした生活を送り,人を良くもてなします。暑さを感じさせない山の陽光を浴びて,窓のないそまつな家が数軒かたまって建っています。草葺きの屋根からは煙が立ち上っています。外では,風で頬をまっかにした子どもたちが遊んでいます。少年は羊の番をし,農夫は畑を耕しています。遠くでは,近くの村の店に二日がかりで買い物に行く村人が,細い山道を下ってしだいに見えなくなっていきます。
何百年もの昔,彼らのインカ人の先祖はこの同じ谷あいを歩き回り,この同じ階段状の山腹を登りました。次いで1533年に,スペイン王国を代表するフランシスコ・ピサロがインカ帝国最後の王アタワルパを捕えました。こうして,スペインによる支配への道が開かれました。母国の宗教を携えてきたピサロは残酷な体制の切り換えに着手し,彼の配下の征服者たちは,インカ国民にカトリック教を採用するよう「勧告」しました。
その結果でき上がったのは,信仰と忠節心の混合したものでした。教会堂が建築され,十字架が立てられ,新しい宗教的習慣が取り入れられましたが,以前からの異教の儀式も依然として行なわれました。今日,多くの山中の村々では,たいていの家の屋根の上に十字架が見えます。しかし同時に,毎年太陽神の崇拝が行なわれています。今では,カトリックの司祭はごくまれにしかおらず,小さな村落にはほとんどいません。教会の多くは閉鎖されており,年に1度か2度,祭りの日に司祭がやって来るだけです。住民は自分たちの宗教とのかかわりをますます失っており,霊的な励みを受けることも少なくなっています。
しかし,カーサ・ルスで旅行している奉仕者たちが聖書の音信を伝えると,これらの謙そんな人びとはそれに耳を傾けます。所々に散在し,他から孤立しているこうした人びとの間で,奉仕の務めはどのように遂行されるでしょうか。
山の中で働く日には,朝5時あるいはそれよりも早くからカーサ・ルスの中の活動は始まります。4人の奉仕者のうちの3人は,その日1日行なう宣べ伝える業の準備をします。3人が皮製のかばんに聖書や聖書研究用の手引きを詰め込んでいる間,その日の「家事」の当番は朝食を準備します。朝食に続いて聖句の討議が行なわれ,一日の活動の始めに霊的な励みが得られます。
3人はランド・ローバー・ジープに乗って,山腹に点在する民家の見えるところまで行くと,そこで車を降り,すべての人に良いたよりを伝えるため互いに別れます。岩場を越え,やぶの中を通り,小川を渡って,肥沃な谷あいの農牧場や高原に建つ草葺き屋根のそまつな家を目ざして進みます。農民,教師,警察署長,町長などほとんどすべての人が,彼らの携えていく希望の音信に耳を傾けます。こうした人びとは,手もとに残された文書を熱心に読みます。
非常に多くの人が関心を示したある町では,住民が奉仕者たちをおし留めて,3日間その町に滞在させ,できるだけ多くの事がらを学ぼうとしました。その町では,その時から活発な小さな会衆が組織されています。聖書の音信に対するこうした認識はごく普通に見られます。ある宗教的な町でのこと,ひとりの人が朝早く文書を一冊求めました。かなりの時間がたって,2人の奉仕者がその家の前を通って帰って行くところを見つけて,文書を求めた男の人は非常に喜びました。その人はすでに幾つかの章を読んでいましたが,そのうちのひとつに崇拝における偶像の使用に関する問題を扱った章がありました。その人は,この章の内容に関連した質問を次々と浴びせかけました。霊的な啓発を与える討論が1時間ほどなされた後,その人は自分の偶像を全部集め,その上に灯油をかけてその場で燃やしてしまいました!
新しい事態に対処することを学ぶ
山岳地方で生活している人びとの大半は,わずかな耕作地から取れるもので生活しています。お金はあまり持っていません。ですから,聖書文書の代金の代わりにそれに見合う農産物が差し出されます。本がなくなっていくにつれて,皮のかばんの中はジャガイモや玉子,アボカド(クスノ木科の熱帯果樹)や数㌔のコーヒー豆などでいっぱになっていきます。ある日など,その日の終わりに120本ものトウモロコシがカーサ・ルスに持ち込まれ,足の踏み場もないほどでした。
犬や牛を危ういところでよけたり,サボテンの木をうかいして進んだりするなど,平穏無事な日はほとんどありません。時には,危なっかしげに置かれたひょろ長いポールを渡って川を越えなければならないこともあります。パンクは日常茶飯事です。両方の車の他の部分の修理も次々にしていかなければなりません。時には難しい故障もあります。一度,ランド・ローバー・ジープの車軸が折れたことがありました。オートバイ,バス,汽車を乗り次いで,奉仕者のひとりが大きな町に行き,部品を持って来るまでに12日もかかりました!
こうした経験によって,4人の奉仕者は,一日中食べ物なしで過ごすことから,インディアンの家族といっしょにゆでたジャガイモの簡単な食事をすることまで,どんな事態にでも対処できるようになりました。
1日9時間ないし10時間奉仕した後に,3人の奉仕者たちは疲れてはいますが,深い満足を覚えます。3人は,夜のとばりがおりはじめてから,ジープで帰って来ることもしばしばです。「家」に向かいながら,互いに経験を語り合います。
家では,その日の「コックさん」が作った心づくしの食事が待ちうけています。食事に続いて個人の勉強あるいは,宣教を改善するために毎週開いている3つの集まりのどれかが行なわれます。それから,気持ちのよいベッドに迎え入れられ,朝5時まで眠ります。そしてまた,同じ1日が繰り返されます。孤立した山の中に住むこれらの親しみ深い人びとに良いたよりを伝えることは,確かに努力を払う十分の価値がありました。
巨大な万年氷原の陰に広がる氷つくような高原。その一方,うっそうとした樹林で覆われ蒸気を上げている峡谷。こうしたアンデスの山景は,奉仕者に創造者のことを絶えず思い起こさせました。こうした自然を創造したかたに対する感謝の仕方について,この壮大な自然の中に住む正直な人びとが学ぶのは極めて急を要するものであることを,これらの奉仕者は知っています。アンデスの孤立した地域に住む人びとのもとに,良いたよりは伝えられつつあります。カーサ・ルス号がアンデスの山中深く良いたよりを携えて行くため,この地域に住む誠実な人びとの将来は希望に満ちた明るいものとなっています。
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クジラの生活目ざめよ! 1974 | 3月8日
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クジラの生活
ハワイの「目ざめよ!」通信員
高価な香水,化粧品,飼料,マーガリン ― これらに共通しているものは何でしょうか。こうした製品のすべては,少なくともある程度,クジラを原料としてきたようです。事実,そうした品物の原材料としてあまりに多くのクジラを捕りすぎたため,種族絶滅の危険さえ生じています。
ハワイの人がクジラを歓迎するのには別の理由があります。クジラの群れが現われることは,魚
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