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はるかに優れたものを見いだした歌手目ざめよ! 1978 | 8月8日
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や他の責務から逃れることを意味しました。私が音楽を捨てた最大の理由は,幸福になりたいということでした。でも,私は音楽を愛しており,今でもエホバの証人の大会のオーケストラで演奏しています。芸能界で私の知っているこの世的な人々すべてを考えてみても,これまでに本当に幸福な人にまだ会ったことがありません。エホバの証人はこれらの人々が求めているものを持っています。それは,あの“最高度の平安”,つまり世の中には見られない満足感です。世にはそれがありませんから,人々はそれを得られないでいるのです。人々は,「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなたをさわやかにしてあげましょう」と言われたイエスの言葉の真理を悟っていません。―マタイ 11:28。
質問: 人々から,「どうして音楽を続けて,その音楽を利用してあなたの宗教を宣伝しないのですか」と尋ねられた場合,どのようにお答えになりましたか。
答え: 要するにこういうことです。音楽の演奏そのものに問題があるわけではありません。しかし,私は作曲し,演奏し,絶えず地方巡業に出ているので,聖書の真理に対する私の知識をもってしても,そのような生活を送りながら,同時に創造者に仕えてゆくことはできない,ということです。確かに,立派なスタジオ音楽家で,それによって良い生活をしているエホバの証人にも大勢出会いました。彼らはスタジオへ行き,音楽を制作し,家へ帰ります。そうした人々は,音楽に対して正しい平衡の取れた見方を持っているのです。
質問: あなたの得た新しい知識は,悪化していた結婚関係を改善させるのに役立ちましたか。
答え: 私と妻は以前からずっと愛し合ってきました。結婚を含む他のすべての事柄を二義的にしていたのは,自分が成功と思い込んでいたものを追求していたからにほかなりません。それで,聖書を研究するようになるとすぐに,妻に電話をかけて,私が生活を変えつつあることを知らせました。私は,自分が妻と娘と再び一緒になれるようエホバに祈りました。果たせるかな,その祈りは聞き届けられたのです。一か月ほど後には,二人はカリフォルニアに来て,私と共に生活するようになっていました。それから三週間たたないうちに,妻も私と娘と共に,王国会館で開かれる集会に出席するようになりました。最初のうちは,一人で家に残されるのがいやで付いてきたようでしたが,会衆の成員の一人が妻との家庭聖書研究を司会するようになり,やがて妻も私と同じ確信を抱くに至りました。こうして,私たち家族は再び一つに結ばれ,今ではこれまでになかったほど幸福に暮らしています。正直なところ,これこそ自分がこれまでずっと求め続けてきたものです。
質問: 今の生活と以前の生活を比べてみてどう思われますか。
答え: とても比べものになりません! これこそ本当の意味での生活です。若い人々にも年配の人々にも,この点を悟ってほしいと思っています。しかし,だれもがそのことを悟りたいとは思っていないようです。例えば,子供たちはよく私のところへやって来て,サインをせがみました。まじめで,とても良い子たちです。そのころでも私はこう言ったものです。「どうして私のサインがほしいの? 私も君たちと同じ人間だよ。たまたまこの仕事をしているだけなのさ。サインのことなど忘れたらいいよ。余りいいことじゃないんだから」と。人々はそのような言葉を聞きたがりません。人々の望んでいることを自分がかなえてやりながら,一方では,そうしてはいけないと彼らに告げるのは難しいことです。人々はそれを聞きたがらないのです。少なくとも,私の経験ではそう言えます。
質問: 世間一般の人は名誉や金銭を得れば成功したと考えがちですが,そうしたものに引かれる人はまだ大勢いるんじゃないでしょうか。
答え: そうした人々も少し考え直して,私のように経験を通して学ばないですむようにしてもらいたいものです。考えてみてください。だれしも,自分の人格ゆえに愛されたいと思っています。芸能界では,お金とコネと成功を手にしているというだけの理由でちやほやされることにお気づきでしょう。私には,そのような生活をしながら,神と隣人を愛することはできませんでした。そうした生活には,真の愛や人間味のある親切などは見られないからです。
質問: 成功とは何でしょうか。
答え: 私にとって成功とは,エホバ神に仕えることです。私と妻は,聖書の真理を学ぶよう他の六人の人を助けるという大きな喜びを味わってきました。彼らはエホバ神に献身したことを表わすためにバプテスマを受け,今では私たちと共に神に奉仕しています。これこそ真の成功です。
イエスが,成功に至る道についてどのように語られたかは興味深いものです。イエスは,『命に至る門は狭く,その道はせばめられているのです』と言われました。しかし,それこそ成功に至る道,成功に至る唯一の道なのです。私と妻は,エホバが私たちを,そして私たちのクリスチャンの兄弟姉妹すべてをその道にとどめておいてくださるよう祈ってやみません。―マタイ 7:14。
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ラルナカの塩湖と聖堂目ざめよ! 1978 | 8月8日
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ラルナカの塩湖と聖堂
キプロスの「目ざめよ!」通信員
キプロス島のラルナカは,人口3万8,000ないし4万ほどの海岸沿いの町です。その町にはキプロスの塩の主要な供給源となっているとても興味深い湖があります。広さが1.3平方㌔ほどあるこの湖の風景は美しく,夕方にはその静かな湖面に荒涼とした丘陵やよく茂った葉が映ります。
この塩湖は,冬の間に降る雨のあと徐々に姿を現わします。夏の間,特に7月および8月中,湖がかれると,その跡は塩の宝庫となります。地元の政府職員がその塩を集めて小さな山を作り,それをロバに載せて特別な倉庫に運び込みます。彼らはまず動物の下肢と足先をぼろで包み,塩で動物がけがをしないようにします。塩を運ぶ作業は一か月半ほど続きます。やがてその塩は,カートンに詰められ,食料品店で売られます。
この塩湖の西側,ナツメヤシに囲まれたたたずまいの中に,ウム・ハラムのテケとして知られる,有名な回教の聖堂があります。このテケには,マホメットのおばの遺体が収められていると伝えられる墓があります。しかし,その婦人の家系を調べた学者たちは,その人はマホメットの親族ではなく親しい友人で,マホメットの秘書のおばに当たる人であると唱えています。この婦人は,イスラム
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